2014年8月20日(水)
20日未明に広島市北部で土砂災害発生。
 広島市内では、昨日19日20時過ぎから大雨と雷に見まわれました。
過去、これまで記憶にないような大雨と雷が本日未明まで続き、酷い場所では一時間に120ミリの記録的降水量となりました。夜中に就寝していても、屋根を叩きつけるような大きな音に恐怖感さえ感じるほどでした。

 そのような影響から広島市安佐北区・安佐南区においては、大きな土砂災害が発生し、18人の死亡者と13人の行方不明者がでております。突然の惨事で犠牲になられた方々やご遺族におかれまして、大きなご心痛をお察し申し上げます。
心よりのお悔やみを申し上げると共に、行方不明者方々の少しでも早い救出を心よりお祈り申し上げます。

 弊社の北広島工場及び社員の家屋においては、幸いな事に被害は出ておりません。
しかしながら、広島市内から北広島工場に向かう国道54号線(右回り)と、県道浜田線(左回り)において、途中土砂災害のため通行止めのアクシデントがありました。社員は、迂回ルートを利用して通勤しましたので始業時間の遅れた社員が数名いる程度ですみました。北広島工場においては、災害なく通常運転しておりますのでご安心下さい。

 それにしましても住宅事情において、広島市や呉市には平野部が少ないため、山間部を切り崩して建てている家が少なくありません。そのため、大雨になると崖崩れがいつも心配されます。
 戦後、日本は持ち家が増え豊かになりましたが、便利さを優先するあまり壊してはいけない地形にメスを入れ、そこで自然災害が起こる現実において、これからどう向き合うのでしょうか。これからも繰り返えされるであろう大自然の脅威の前において、私達は何を優先し、何を大切にしなければならないのか、沢山のことが問われているような気がします。
2014年7月26日(土)
北広島工場事務所リフレッシュ工事。
 いやはや、昨年4月以来の日記更新です。
その間にも、様々な話題がございましたので書いておけば良かったとつくづく反省・・・。
とはいえ、これからもマイペースでコツコツ更新してまいりますので、ひとつ長い目でお願い申し上げますm(__)m

 北広島工場事務所は、開設より既に三十数年経っております。
ある日のことでした。一階の床タイルが、数日間に次々とめくれ始め、歩いていてもタイルに足が引っかかるような現象が。
そのうち、会議室・応接間・給湯室までに同様の現象が現れてきました。
その原因を突き止めてみるとと、それは長い年月をかけて続いてきた水漏によるものでした。

そのような事情で、この度の水漏れ箇所と合わせ「事務所全般のリフレッシュ工事」を行いました。

事務所の大部屋、会議室、応接室のクロスや床タイルは、モダンなデザインに仕上がっております。
玄関の出入り口から踊り場も、黒の艶消し石タイルを全面に敷き詰めました。
二階の食堂に上る、大階段も足踏み階段・手すりなども全改修致しました。

特にお気に入りなのが会議室と応接室。
会議室は、床をダークブラウンのウッド調にしてカフェの床にあるようなシックなデザインに。
応接室は、絨毯調の和風床に、壁は三面を和紙調・一面を石調にしてコントラストを強調しました。

建物のリフレッシュとともに、皆様をお出迎えするイワサキスタッフも日々のリフレッシュを心がけ、いつも気持ち良いサービスが
お届けできるよう心よりお待ち申し上げております。
      
      会議室             応接室             食堂大階段          事務所玄関
2013年4月13日(土)
4月度全体集会。
 4月度全体集会にて次の3点を執り行いました。

 ①入社式
 新入社員として「浦中進之介さん」が弊社の一員に加わってくれました。所属は、製造部小型機械Grです。
若者らしい元気のよい挨拶を心がけ、早く仕事にも慣れ、経営理念に添った社員になってくれるよう願っております。

 ②技術部内の人事異動
 技術部(仕上げ組立・製缶組立・トライアル・フィンガー関係)の中で、人事のローテーションを行いました。
今後に向けた戦力強化、適材適所、スタッフ育成を考慮しての人事移動です。これにより技術部の能力拡充に繋げる所存です。 

③中期計画の発表会
 営業部、設計部、製造部、技術部それぞれから、中期計画(第一四半期まで)の結果発表を行いました。
各部ともまずまずの滑り出し結果のようでしたが、製造部においては既に達成率200%以上の好結果もあり、今後に向けて大変期待のもてる内容でした。

 いよいよフレッシュな新シーズン到来。
自民党アベノミクス効果もあり、久しぶりに大企業の業績も活気を取り戻しつつあります。
ただ中小企業への景気上昇の実感はまだもう少し先となりそうです。しかしそれがどうであろうと、弊社は自社の経営方針と中期計画を愚直に推し進めることのみです。さて、第2四半期の計画結果が一体どうなっていることやら。
2013年3月17日(日)
「京都マラソン」
 3月10日(日)、京都で開催された「第2回京都マラソン大会」に参加してきました。
総勢15000人が参加する大会は、昨年暮れに参加した「大阪淀川市民マラソン大会」よりもひと回り大きな大会となります。
そして、なんと言っても京都マラソン最大の魅力は、交通規制のかかった京都史跡の中を縦横無尽に走り抜けることができる喜びでしょう。この日ばかりはまたとないランナーの特権日です。
 京都マラソンコースは、8時30分に西京極運動公園をスタート、平安神宮の大鳥居がゴールとなります。
コース周辺には、天龍寺、仁和寺、龍安寺、金閣寺、上賀茂神社、下鴨神社、銀閣寺、銀閣寺の7つの世界文化遺産。10の大学がコース沿道にあり、その沢山の大学生がボランティアで参加して大会を盛り上げてくれます。そして、国立京都国際会議場、京都コンサートホールなどの有名建築、嵐山・渡月橋を眺めながら桂川を走り、京都府立植物公園や鴨川公園を走り抜け、送り火の五山(鳥居形、左大文字、船形、妙法、大文字)全て眺望する醍醐味を味わうことができます。

 さて、肝心のレースについて。
今年に入ってからトレーニングもままならず、体重も増えていた中での参加スタートとなりました。
 本日の天気予報は「曇りのち雨」。全てのランナーが雨にならないことを願い、スタートの合図とともに続々とランナーが運動公園をあとにしていきました。スタートコースは道路幅も広く混み合わないような設定がなされておりました。いざ走り始めてみると、沿道からの途切れない応援にじわじわ温かい気持ちが込み上げ、声援に後押しされるような形で走り出すことができました。
 ただ、途中二つの障害が発生。
一つは、雨風。走り始めて15km地点ぐらいでしょうか…。身体を打ちつけるような激しい雨と強風にみまわれました。
ユニホームからシューズまでびしょ濡れになったうえ、強風で身体が冷えてしまうような悪条件になりました。
二つは、トイレの設置数の少なさ。途中、どのトイレも列を作って並んでいるので、立ち止まると5分以上のタイムロスになりリズムも崩れてしまうような状況でした。その上、トイレはコース上見えないところにもあったため、コースをそれて見に行っても行列になっている始末。その度、用を足さずにコース上に戻ること三回。ストレスの貯まるレース展開になりました。
 その他、途中の給水、給食については満足なものでした(給食に生八つ橋やきのこの山も出てきました)欲張って沿道の観客から、あんパンや飴玉も頂きましたので逆にお腹が膨らむくらいでした(笑)
コースについては、20km地点に山登りの関門もありましたが、気力を振り絞って登りきることができました。
いつも気にしている足の痙攣についても、今回は一度も発生せず最後まで無事走りきることができました。
 いよいよ最後、雨風で体力を消耗した中、平安神宮の赤い大鳥居地点でゴールイン!ネットタイム「4時間43分」でした。
大阪市民マラソンでの「4時間36分」更新には及びませんでしたが、練習のもままならない中でこのタイムには納得しました。一つ一つ経験を積み重ねる度、だんだん走り方も体得できていることは間違いありません。
 ゴール地点では、ランナーで大変な混雑でしたが、出口まで係員に誘導されながら、途中「バスタオル、スポーツドリンク、バナナ、そして!初めて頂いた完走メダル」を受け取りました。
 
 いつの間にか走れるようになったフルマラソン。
この夢日記で、「いつかはフルマラソン」と目標を掲げていたことを思い出すと、今回のメジャー大会を走破できたことに万感の思いでいっぱいです。いつの日か…「大阪マラソン」「東京マラソン」のどちらかに出場してみたいものです(^_^)
   
2013年2月24日(日)
一泊二日の東京親子旅。
 先週末、従兄弟の結婚式に出席するため、母親と二人で東京に行ってまいりました。
母親と遠方に出かけることなどめったにないので久しぶりの親子旅です。
 結婚式前日に上京しておかなければならなかったので、到着後に浅草寺と東京スカイツリー観光に行ってまいりました。
運良くこの日は快晴になり、どちらのスポットも観光客で大賑わいでした。
 
 浅草では、観光客でごった返す中、雷門をくぐって仲見世通りを進み、右手に東京スカイツリー、左手に五重の塔を眺めながら、浅草寺まで進み、今年一年の無病息災と商売繁盛の祈願をしておきました。
帰り道の参道では、東京土産の雷おこしを購入し、人形焼をつまみ食いしたあと、楽しみにしていた江戸前の蕎麦を頂きました。
広島では旨い蕎麦を食べさせる店が少ないので、是非、浅草で母親と蕎麦を食べたいと考えていました。
 昼食後、浅草をあとにして今年開業したばかりの新名所「東京スカイツリー」に。
心躍らせて立ち寄ったまではいいものの、強風のため入場制限がかかり当日入場中止となっていました…最悪です。
おかげで、傍から真上の塔を見上げるしかありませんでした(苦笑)その足で、スカイツリーに隣接したSORAMACH(ショッピングタウン)をブラブラし、歩き疲れた母がギブアップしたところで早めに宿泊場所に向かいました。
 宿泊場所には、明日出席する親戚達が到着しておりました。
その夜は、久しぶりに再会した親戚達と夕食を共にし、時間を忘れて楽しい昔話に花を咲かせることができました。

 翌日、お台場ホテルでの結婚式。
新郎新婦は沢山の人達に祝福されてお幸せそうでした。ご両家・親族、出席者の方々も満面笑顔の結婚披露宴でした。
いつまでもご両人がお幸せであられますよう心から願っている次第でございます。

 という事で、今回久しぶりの親子二人旅。
冠婚葬祭とは、当人以外のご縁を取り持つ場であると言いますが、今回の旅で少々染み入りました。
普段、なかなか自分の言葉では伝えられないのでこの日記をお借りして。
「母上様。ここまで育てて頂きありがとうございます。そしていつも孫にも良くして頂きありがとうございます。これからもお身体に気をつけて元気で長生きしてください。今後とも宜しくお願い申し上げます。」
     
       雷門             五重の塔          浅草寺本殿         東京スカイツリー
2013年2月7日(木)
「サザンセト大島ロードレース」
 2月3日(日)山口県周防大島町で開催された「ザザンセト大島ロードレース」ハーフの部に出場してまいりました。
昨年暮れに出場した大阪淀川市民マラソンから2ヶ月ぶりのレースとなりますが、この間の練習はほとんどゼロに近いので、重量も増え、筋肉も落ち、体力も低下しているので、制限時間内(2時間10分)に完走できるのかどうかが心配でした。
 このコースは、島の海沿いを走って中間地点で折り返すコースになっています。
これまで出場した島のコースは、通常アップダウンが多く、海風をもろに受けることが多いのでキツいレースを予想していました。

 そして、何度走っても不安なスタート。
スタートから5km地点まではまずまず順調なペース。
ただ、そこから10km折り返しまでは走れど走れど遠く感じられ、次第に体力も消耗し始めます。

 ようやく中間地点を折り返し、ここからあと10.5km。タイムは、まだ自己ベスト2時間を上回るペース。
折り返しからが正念場なのですが、練習不足は否めず、気力・体力も切れそうになってきました。
 そんな時、目の前に均整のとれたプロポーションの女子ランナーが軽やかに現れました。
その走るペースは、ほぼ小生と同じくらい。そこで、この女性ランナーをペースメーカーについていけば間違いなく自己記録が更新できると思い、早速目標にさせてもらいました。その目標ランナーについて行っていると一人で走るより随分と楽で、自然に引っ張ってもらえることができました。

 しかしながら15km地点、残念なことに目標としていた女性ランナーに徐々についていけなくなります。
しょうがないので、周りに次なるペースメーカーに標的を定め再びついて行くことにしました。

 そして残り3kmぐらいでしょうか。とうとう足が前に出なくなりました。
こうなると、あとは自分との格闘。本当に苦しく、ペースも急激に落ち、競技場でダッシュする力も残っておらず、後ろから駆け込むランナーにも次々抜かれましたが、最後はバテバテでゴールイン!
 終わってみれば、記録は2時間3分56秒。驚いたことに自分的にはそんなに悪くないタイムで完走していました(^_^;)

 今回、自分なりに学んだこと。ペースメーカーを目標に走ること。そのペースメーカーが自分のペースに合わなくなれば、違うペースメーカーに目標を変えるという事。それにより最後のゴールまで無駄なく引っ張ってもらえます。
 まさに、私達の人生や仕事において、夢や大目標に到達するまでの、中・短期目標のような感覚を覚えました。
途中挫折しそうになっても自分の身の丈にあった目標に軌道修正しながら進んで行けばよい。そんな事を考えながら、誰かが「マラソンとは人生の縮図である」とは上手く言ったものだと、噛み締めながら走っていました。

 この日、自宅に帰ると「別府大分毎日マラソン」のレース模様がテレビに映し出されていました。
そこには、公務員ランナー・川内選手と中本選手の抜きつ抜かれつのデットヒートが行われ、最後は川内選手が自己ベストで優勝する映像がありました。
レベルは大きく違えど、今日、自分が走って覚えた小っちゃな気づきとダブるものもあり、人間目標があればより高い次元まで能力を引き出すことができるものだと共感しきりでした。
 
 弊社の大目標。そしてそこに向かうための今年の計画。もし無理があれば臨機応変に修正してまいります。
  
2013年1月27日(日)
イワサキ新体制の発足。
 平成24年を迎えるにあたり、一月より従来の組織・人事を変更致しました。

*新体制、昇格 及び、移動について。
 
 「営業・設計統括(新設)」 取締役部長  松浦芳文         ← (設計部 部長から昇格)

     「製造部」       部長兼任 取締役工場長 浜田浩二  ← (取締役工場長から部長兼任)

     「設計部」       部長    上野栄彦           ← (製造部 部長から移動)

     「製造部」       部長代理  三戸一弘           ← (製造部 課長から昇格)

*中途社員1名の配属部署について
 
     「製造部」           森脇直広

以上、部門長の顔ぶれが一新されました。従来通りのご贔屓、何卒宜しくお願い申し上げます。
*尚、その他部員 及び、技術部部員についての変更ございません。

 今年は、他力から自力本願への転換年として、上層部の入れ替えをメインに行いました。
新体制は、顧客先様からの様々なリクエストに対し、よりフレキシブルで柔軟な対応が可能となるよう考えてございます。
今後、新しいイワサキとして再出発する所存でございます。引き続き変わらぬご愛顧方、宜しくお願い申し上げます。
2013年1月6日(日)
新年明けましておめでとうございます。
 旧年中は格別のご厚情を賜り誠に有難うございました。
皆々様におかれましてはつつがなく新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 弊社は、今年を変革の一年と位置づけ、あるべき組織、取り組みに見直し、新たなスタートをする所存でございます。
何卒、皆々様には更なるお力添えをお願い致しまして、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
そして、この一年がより佳き年となるよう心より祈念いたしまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。


 今年の正月、小生は変革を誓い、初心に戻るきっかけが欲しく鹿児島県知覧市に足を運んでまいりました。
広島から片道約600kmありますが、昔から一度行ってみたい念願の場所でした。

 知覧は、九州最南端から沖縄に向け出撃する「神風特攻隊」の前線基地があった場所です。
日本国の勝利を信じて、ここから1000人超の特攻隊員が飛び立ち亡くなられていきました。
終戦末期には、最年少で16歳~20歳までの少年特攻隊も組織され、沢山の若い命も犠牲になられています。
 当時、軍からの特攻命令は、前日に通告がありました。
言い渡された特攻隊員達は、両親や家族・子供達との別れに遺書を書き残して飛び立たれます。
普段は弱音など見せない特攻隊員ですが、さすがに特攻前夜になると、布団の中で泣いている姿も多く見られたそうです。
 知覧には、そのような全ての特攻隊員の遺影や遺書が展示されています。
膨大な量の遺書を目にすると、本当に可哀想で声を失ってしまいます。子供達や後輩に日本の未来を託され散っていかれる言葉を目にすると、この方たちの犠牲の上に、戦後豊かになった日本が成り立っているのだと改めて教えてもらえます。

 当時の悲惨さを考えると、この世は命まで取られはしません。有難いことです。
不自由なく生活できる礎を築いてくれた特攻隊員に感謝し、今年やるべき目標とゴールに向かって変革を達成させようと決意新たにした所存です。そして、弊社一同、より豊かな志集団になれるよう今年一年精進してまいります。
    
      指宿・知覧料金所           映画のレプリカ特攻機              快晴の桜島
2012年12月31日(月)
今年も一年大変お世話になりました。
 いよいよ本年も残すところ今日までとなりました。
今年も一年無事終了できましたのも、顧客先様、仕入れ先様、弊社社員、そして日記をいつも応援下さっている皆様のお陰でございます。色々とお世話になりました皆々様におかれまして、心より今年一年の感謝と御礼を申し上げます。

 今年一年を振り返ってみますと。

 5月に弊社タイ現地法人「IWASAKI-ASIA-(THAILAND)CO.,LTD」を設立致しました。

 日本を取り巻く環境におきましては、中国・韓国との領土摩擦により、外交・経済に大きな影響の出た一年でした。
中国市場では、日本企業の業績不振。そして円高デフレによる経済停滞が長引き、年末に向かって日銀短観からも景気悪化の指標が出ていました。
 それに呼応するように、政治では野田政権の衆院解散が行われ、三年ぶりの自民党復権が成されました。

 その自民党・安倍首相は1丁目1番地に掲げる「円高デフレ脱却と経済再生」を図るため、日銀金融緩和策を挙げました。
早速その効果として、円レートは既に86円まで値を下げ、株価も1万円代を回復しています。
 来年の景気回復に向け、期待のもてる為替相場であり、幸先のよい市場への後押しになっています。

 スポーツではロンドンオリンピックが開催され、日本選手団も過去最高のメダル数を取得する大活躍でした。
この頑張りに刺激をうけたかどうか分かりませんが、個人的にもフルマラソンを再挑戦し、約1時間のタイム短縮を達成することができました。来年も引き続き自己記録更新を目指して挑戦してまいる所存です。

 では末筆になりますが、皆様におかれましてご家族団欒のお年をお迎え下さいませ。
来年が景気上昇する一年となることを願い、今年最後のご挨拶とさせて頂きます。


 尚、弊社の来年業務は1月7日(月)からの始業となっております。
2012年12月16日(日)
サンフレッチェ広島J1優勝。
 既に一ヶ月以上経過しておりますが、地元のサンフレッチェ広島がJリーグ発足以来ついに初優勝しました。
ここ数年、常に上位へ顔を連ねるチームになっていましたが、優勝まではなかなか手が届いておりませんでした。
その上、今シーズンから監督が替って苦戦必死だと思っていましたが、その下馬評を覆し大きな栄冠を勝ち取ってくれました。

 監督は、森保一氏。
森保氏は、Jリーグ元年にサンフレッチェ広島から守備的MFとして選出されていた元・日本代表です。
当時の日本代表には、カズ選手、ラモス選手、ゴン中山選手などがおり、共に日本サッカー躍進を築かれてきました。
そして、あの「ドーハの悲劇」を味った一員でもあります。

 それから約20年が経過し、今季から初めて監督に就任されました。
森保氏の指導方針は、選手だけでなく、裏方の人達まで含めたチームワークの構築とコミュニケーション。そして、基本に立ち戻った守備意識の再徹底でした。(攻撃システムは前監督のもと完成の域にありました)
その結果、フォア・ザ・チームが高まり、総得点と最小失点は共にリーグ1位で、その点差においてもJリーグ新記録にもなりました。チームには、得点王に輝いたFW佐藤寿人選手以外の図抜けたスター選手もいませんので、まさにチームワークで勝ち抜いた優勝とも言えます。
 まずは、森保監督の初陣一年目お見事!というところでしょう。

 また広島では、サンフレッチェ広島向けのサッカー専用スタジアム計画も活発です。
おおむね広島市のゴーサインまでこぎつけているので、今回の優勝も大きな後押しすることは間違いありません。
今後は、広島市、経済界、市民をあげてのスタジアム建設活動が繰り広げられることとなるでしょう。
2012年11月24日(土)
衆院解散にむけて。
 ようやく野田首相から衆院解散宣言が飛びだし、12月総選挙に向け各党の動きが慌ただしくなってまいりました。
これまで民主党政権の行ってきた三年間に審判の下る大切な選挙となります。

 それに向け、三年間の野党暮らしを味わった自民党は、安倍総裁・石破幹事長の二枚看板を要し挙党一致で巻き返しを図っております。また、新たな第3極(維新の会)の勢力にも注目が集まっています。
 
 今回の選挙争点は、「経済・景気対策」に重点がおかれています。
長引く円高・デフレのため、日本経済の景気悪化が鮮明になり始め、各党の選挙公約にもなっています。
 以前からここでも書き続けてきたように、外交(安全保障)と円高は緊密な関係にあります。その重要な分野の対策をこれまでおざなりにし、日本の経済を放置し続けてきた民主党政権に語る資格はないと考えております。案の定、内部分裂でバラバラになった無責任さも加え、「何を今更言っているのか…。遅すぎる!」と、呆れてモノが言えません。

 ここまで各党の経済政策では「日銀が大胆な金融緩和政策を推し進めることが経済回復とデフレ脱却に繋がる」とする自民、公明、みんな、維新のグループ。それに対し「非常識な禁じ手政策だ」と非難する民主、国民が第一、社民、共産のグループ。
この危機的状況にある日本経済に対し、常識ある最良の政策とは何なのか?批判ではなく施策を示すべきでしょう。
この三年間、経済に論点をおかず、国民生活や雇用第一を掲げてきたグループは一体どう総括しているのでしょうか。

 以上、勝手な意見を書かせて頂きましたが、小生は「汗をかいて働く姿こそ尊く人間の本質」だと思っております。
働かずしてお金をばら撒いて景気の活性を促すような社会主義手法ではなく、働く場が増えて雇用が活性化するような経済のあり方を望んでおります。
そういう意味でも、次の選挙が国民にとって大変重要な選挙になることは間違いありません。
 この国が再び元気を取り戻し、国民が安心して笑顔で生活できるような国となるよう心から願ってやみません。
2012年11月10日(土)
「大阪淀川市民マラソン」
 先週11月3日(日)。約2年ぶりのフルマラソンに挑戦してきました。
今回出場してきた大会は、大阪淀川の河川敷コースを走る「大阪淀川市民マラソン」
これが通算3回目のフルマラソン出場となります。
前回出場した津山マラソン大会は、足の痙攣により本当に苦しい大会だったので、今回は念入りなトレーニングで身体を作ってき来ました。前回タイムは5時間29分でしたので、今回の目標タイムは5時間以内。「絶対歩かず走り続ける」ことを念頭に。


 レース当日、大会会場入りに少々遅刻。その上、荷物預けやトイレ待ち時間で予想以上に時間がかかり、そのため柔軟体操もままならず。あっという間にスタート時間になってしまい、最後尾からのスタート(泣)

 約5000人近い参加者のスタートは大混雑。ノロノロしか前へ進めません。しかし少しでも自分のペースで走りたいので、スペースを見つけては追い抜きながら前へ前へ足を進めて行きました(そのような混雑が10kmまで続きました)。
 そんなストレスを感じながら走っていると…、後方から黄色い雄叫びをあげながら女性ランナーが近づいてきます。
振り向いて見ると、な、なんとそれは!「Qちゃんこと高橋直子さん」でした(≧▽≦)b
ランナー達に声を掛けながら一人一人とハイタッチしながらどんどん近づいて来ます。興奮した小生も思わずこことばかりにハイタッチさせて頂きました(嬉)Qちゃんはテレビで見るのと同じように気さくで、大きな声でランナーを励ましてくれました。おそらくほとんどのランナーが頑張る勇気を与えてもらったのではと思います。

 さて10kmを過ぎ、ようやく人混みが減ってきました。溜まっていたストレスも至って軽快なリズムで走れるようになりました。42kmの長丁場を走るには少しオーバーペースのような気もしましたが、何故かいつもより軽快に走れます(やはり練習のお陰か)。

 ハーフ地点通過。腕時計を見てみると、なんと!2時間をきっていました。これまでハーフマラソンでも経験のない自己記録をフルマラソンで出してしまいました。「やれる!」と、嬉しい反面、このペースで後半体力がもつのだろうかという不安。前回38km地点で足が攣った苦い記憶が脳裏を過ぎります。しかし、もともと、走れる時に走って厳しくなる後半のタイム貯金をしておく予定だったので描いていたイメージ通りでした。

 30km地点通過。マラソンで一番苦しくなる距離です。さすがにスピードもダウンしてきましたが、体力はまだまだ残っており、足の痙攣さえなければ走り続けることができそうな予感。しかし、そう思っていたのも束の間。やはりやってきました「痙攣」が…。途端に、ビッコをひくような走りになりました。しかし「歩かない」と臨んだレース。痛くても歩かず走り続けました。そうしているうちに不思議な事に痙攣が止まりました。これで最大の難関突破です。

 35km地点通過。この地点からが最後の正念場です。歩いたり、屈伸したり、動けなくなっている人がとりわけ多くなります(小生も前回38km地点でこうなりました)。
攣った足以外は至って快調。不安なのは再び足が攣らないことだけ。「ゴールまで何とかもってくれ」と、祈る気持ちで黙々と走り続けました。

 いよいよ40km地点通過。この地点に来ると歩いている人も最後の力を振り絞って走り出します。
小生は、今回身体の調子が良かったせいか周りが冷静に見えました。後方から追い上げたせいもあり、あまり抜かれず、抜くほうが多かったので気持ちのいいレース展開になりました。

 そして42.195kmのゴール。既に誰もの足が限界にきています。
小生も、最後の力を振り絞りスピードアップ。周りの人が止まって見えるくらい面白いように追い抜けます。ゴール前では実況のアナウンサーが「としゆきさん凄いスピードでゴールに入ってこられます!」と言ってくれているのが良く聞こえました(笑)
正直、こんなに馬力のついていた自分の身体にビックリです。ゴール後もまだ余裕がありました。


 そして結果は、ネットタイム「4時間36分33秒!」  順位:2192位/4879人
目標を大幅に上回るタイムが出て思わず自分自身で興奮してしまいました。
 しかしつくづく思います。過去の苦いレースの積み重ねが今回に繋がっていること。そして練習した身体が嘘をつかないということ。そして、混雑を避けて中段からスタートしていればどうなっていたのか?再び欲が出て気になってるいるところです。

 ひとまずこれで今年のマラソン出場もお終い。他愛もないマラソン話にお付き合い下さり有難うございましたm(_ _)m
  

2012年10月14日(日)
フルマラソンまでの途中経過。
 夢日記(7月15日付)でフルマラソン宣言してから3ヶ月が経ちました。
その間、地道に毎日ジョギングを積み重ねたお陰で体重も約3kg減少し、腹筋効果で腹部もスッキリしてきました。
しかし何よりも、自分自身で健康体になっていると実感できているのが一番嬉しいです。

 さて、この3カ月間色々なトレーニングを実施しました。
あれから毎晩10kmのジョギングを日課にし、途中で腹筋を250回してから家に帰ります。そうするうちに身体が徐々にできてきましたので、今では復路5kmでピッチを上げて走るようにしています。
 長距離トレーニングとしては、宮島桟橋→自宅(広島市南区)、呉→自宅、自宅⇔観音マリーナホップを折り返すコースなど。それぞれ3コースを走破しました。日頃考えられない気の遠くなる距離なのですが、途中歩くこともなく順調に自宅まで辿り着くようになり、これまでで最高の準備ができていると実感しています。

 ただ一昨日、アクシデントを起こしてしまいました。
日課の10kmコースをジョギング中、不覚にも転んでしまいました。これで2度目です。
夜中走っていると、歩道の段差や上下動、アスファルトの悪い歩道などで時々足をとられてしまいます。
 今回、わずかな段差に足をとられ、倒れないようギリギリまで耐えたのですが、間に合わずに手をついたと同時に、顔から地面に落ちてしまいました。擦りむいだ痛みの中で恐る恐る顔を触ってみると、案の定、流血していました。
とっさに、携帯電話を所持していなかったことに気づき、「さて…これからどうしよう?」「家から迎えを呼ぶべきか?」「ここから歩いて帰るか?」と、悪夢がグルグル頭をめぐります。
 そう考えているうちに近くのフットサル練習場を思いついたので、まずはそこでケガの状況を確認してみることにしました。
到着して受付の男性に「転んだので鏡を見せて欲しい」と言うと、突然の顔面血だらけの訪問者にビックリされていました(笑)
「大丈夫ですか!?どどどうぞどうぞ!」と言っていただき、お手洗いの鏡をお借りしました。鏡を見てみると、顔は黒く汚れ、額と頬を擦りむいで流血しており酷い顔になっていました。とりあえず水で洗い流すと流血はある程度止まっているようでしたので、ひとまず胸を撫で下ろしました。

 幸い、足や腕にもケガはなかったので、このまま歩いて帰れることに安堵しながら受付の男性にお礼を言いに行くと、その男性はバンソコウを準備して待っていてくれました。有難く感謝の言葉を述べて一礼し、頂いたバンソコウを額に張って外へでました。
バンソコウで止血した傷口に再び安堵し、結局ここから家まで走って帰ることを決断した次第です。
 暖かく手を差し伸べて助けて頂いた受付男性に心より感謝とお礼の気持ちで一杯です。

 以上、順調な中にも痛々しい途中経過でございました。
フルマラソン自己記録更新に向け、もう一段万全なコンディション作りを目指しながら更にトレーニングを積んでまいろうと思っています。
2012年9月30日(日)
自民党・安倍晋三総裁の発足。
 五名による自民党総裁選の結果、安倍晋三氏の再選という結果になりました。
国難とも言える難しい状況を打開するためにも、全身全霊を投げ打って日本国のため頑張って頂きたいと思います。
 小生の推していた石破氏は、安倍氏との決選投票の結果、残念ながら二位となりあと一歩届きませんでしが、勝った候補、負けた候補とも、選挙後には清清しい表情で、これからの政権奪取に向け、一致結束した強い決意を感じ取れました。

 自民党新執行部の面々ですが、副総裁に高村氏。党三役には、幹事長・石破氏、総務会長・細田氏、政調会長・甘利氏が選ばれています。いずれも経験豊富な実力者で、期待の持てる人選だと思います。
 特に、石破氏の幹事長就任について、資質は言うまでもございませんが、ご自身の党内求心力を高めるためにも一隅の機会を得たのではないでしょうか。次期総理への貴重な経験となるはずです。
そして、副総裁の高村氏について、大賛成です。高村氏は、日中友好議連の会長を務める親中派で、東シナ海ガス田共同開発を沈静化させた立役者です。これまでのキャリアも、防衛相、法務相、経済企画庁長官を歴任した政策通。冷静沈着な安定感で、安倍内閣の側近として実力を発揮してくれるものと期待できます。

 自民党の派閥の論理も随分薄れてきました。今回の石破氏は脱派閥の急先鋒。その石破氏が地方票で1位を取り、幹事長に就任しました。そして従来のベテラン議員達の引退が進んできています。3年前に下野して身を清めた自民党は、これから新しい時代の政党として奮闘してくれることと期待して良いと思います。

 しかしながら、外交も、経済も、社会保障も、どん詰まりの大変厳しい状況に追い込まれています。
無策なほら吹き民主党政権のおかげで、日本国内外ともこれまでの基盤をガタガタに壊されました。
安倍政権にとってここから修復していくことは大変困難な作業ではありますが、日本の成長復活のために頑張って頂きたいばかりです。
一日も早い政権交代を願っております。
2012年9月15日(土)
自民党総裁選始まる。
 自民党総裁選挙は、14日に告示され26日の投開票となり、いよいよ自民党の新総裁が誕生します。
候補者は、安倍晋三氏、石破茂氏、町村信孝氏、石原伸晃氏、林芳正氏の5名で、いずれも党内実力者の面々です。

 現在、日本国の置かれている状況は、放置され続けてきたデフレ・円高・社会保障問題、原発に加え、新たに領土問題などが重なり、文字通り待ったなしの内憂外患に追い詰められています。
 以前から言っていたように、民主党政権は、経済、金融、外交、安全保障のすべてにおいて無策の素人政治。そして旧社会党も含む寄り合い所帯は、案の定、空中分解してバラバラになりました。為るべくして為った結末とも言えます。

 この3年間、中国、韓国が国力をつけてきていた間、民主党政権が行ってきたのは国民の生活第一でした。
選挙公約としては、「国家予算の削減」をはじめ「子供手当ての支給」「高速道路の無料化」「公立高校の無料化」「沖縄米軍基地の県外化」「日米同盟よりも東アジア重視」「年金改革、医療制度の見直し」「消費税の据え置き」「官僚政治からの脱却」など。
この内容は2009年9月19日「鳩山政権発足」として以前の日記で書いており、今見ても本当に平和呆けな公約です。
あらためて甘い言葉巧に国民の期待を裏切った民主党には腹立たしいばかりですが、それを信じ託した国民にも責任の一旦があることは言うまでもございません。

 そのような三年間だったため、早く自民党が復権し、外交、安全保障、経済、金融を早急に立て直して欲しいものです。
今回総裁選に出馬している5名については、人物・政策的にも信用できる政治家ばかりで、どの方でも安心できます。
ただ個人的には、これまで応援してきた石破氏に是非とも国を託してみたいと思っています。
再び、日本が世界の中で輝きを取り戻すよう心より願っております。
2012年8月19日(日)
残暑お見舞い申し上げます。
 立秋が過ぎても相変わらず暑いが続いております。
お盆休暇中は、ごゆっくり過ごされましたでしょうか。
休暇中は、天候も下り坂となり各地とも比較的過ごしやすい気候だった模様です。

 弊社においては、8月17日(金)から既に始業しております。
後半戦からを心機一転迎えるにあたり、会社敷地内の草刈や、工場内の通路や作業場の床塗りを一斉に行いました。
しかしながら、塗料が足りなくなり来週に持ち越しておりますが、来週中には綺麗に塗りあがる予定です。

 今年も残すところ4ヶ月半となり、すでに後半戦にかかってまいりました。
全社一丸となって立ち止まらずに年末まで邁進してまいります。
お客様、お取引先様におかれまして、今後とも変わらぬお引き立てのほど宜しくお願い申しあげます。
また、残暑厳しき折柄、皆々様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
2012年8月11日(土)
㈱イワサキ夏期休暇のお知らせ。
 平素よりご愛顧をいただき心より御礼を申し上げます。
さて、弊社では夏期休暇を次の通りで予定しておりますので、何卒ご容赦の程を宜しくお願い申し上げます。

 (夏季休暇期間) 8月12日(日)~16日(木) 5日間   (*8月18日(土)は出勤日となっております)


 お盆を迎える時期となり、気候のほうも朝夕随分過ごしやすくなってまいりました。
今年の西日本は、長梅雨が続き、例年より真夏日も少なくなったため、猛暑もまぬがれています。
 そして暑い言えば、4年に一度の熱いオリンピック大会が繰り広げられています。
日本のメダル数は、これまでの大会よりも格段に増えて善戦しております。
従来では、柔道、体操、水泳ぐらいしかメダルが取れなかったように思いますが、最近では、サッカー、レスリング、フェンシング、射撃、重量挙げ、ボクシング、アーチェリー、卓球、陸上競技など、随分世界レベルまで向上してきたように思います。
次々とメダリストも誕生しており、ただただ毎日驚くばかりです。

 金メダル数については、当初15~18個の目標を下回りここまで5個となっています。恐らく、柔道や体操や水泳での上積みを考えていたのでしょうが、結果に至っていません。
それもそのはず。金メダルを取得するような選手達を見てみると常に圧倒的な強さと気迫を持ち合わせていますので、今回の結果は至極順当なものだと思っております。
何度対戦しても勝てるような圧倒的強さ!「体操の内村選手、レスリングの吉田選手、伊調選手」ぐらいにならないと、なかなか運だけで金メダルは取れないものだと感じました。
 しかし、今回惜しくも金メダルに届かなかった選手達においては、次期ブラジルオリンピックの最短の挑戦権を得たのだと思います。是非、今回の貴重な経験を生かして次には一番輝いたメダルを奪取できるよう頑張ってほしいものです。

 さて、オリンピックが終了すれば弊社の後半戦スタートです。
これから年末までに結果を残し、弊社も圧倒的な強さを兼ね備えたような金メダリストとなれるよう努力してまいります。
2012年7月29日(日)
第30回夏期ロンドンオリンピック開幕。
 4年に1度のスポーツの祭典がイギリスのロンドンで開幕しました。
204の国と地域から1万5千人が参加し、17日間で26競技の熱戦が繰り広げられていきます。
そして、今大会から全競技で女性が参加する初めての大会となるようです。

 ロンドンと日本との時差は約8時間。よって日本時間の夕方から始まる競技が多くなります。
言うなれば日中において競技を気にしなくとも、夕方から家でゆっくり観戦できるという事です。
恐らく、競技にっよっては物凄い視聴率が出るのではないでしょうか…。

 今回大会の日本は、金メダル15~18個を目標として世界第5位を目指しているそうです。
果たしてこんなに多く取得できるのでしょうか?これまでの予想もあまり当たったことがありません。
それにしても金メダルばかり注目する考え方にも疑問を感じます。銀メダル、銅メダル、入賞までにも大きな評価をしてあげる雰囲気を作らないと選手はプレッシャーを抱えるばかり。あくまでも競技の主役は選手であり自己責任となるわけですから。

 昨日の柔道競技で広島出身の平岡選手が登場しました。
金メダルの期待を一身に受け、先陣をきって戦った結果、銀メダルとなり惜しくも金メダル取得はなりませんでした。
 平岡選手は、前回の北京オリンピックにおいて、それまで3連覇の野村選手のあと受け継いで出場しましたが、一回戦敗退という屈辱を味わいました。それから4年後の今大会にいうて、その屈辱を晴らすべく日々鍛錬をしてきました。
 そして銀メダルを取った今大会、堂々とした素晴らしい試合をされました。
決勝で惜しくも負けはしましたが、積極的に攻めて偶然うっちゃられたような勇み足の負けでした。勝負にもしもという言葉はありませんが、そのまま試合が続いていれば平岡選手が勝っていたような気がします。それだけ気力体力とも素晴らしい準備をしてこられたように思いました。そんな平岡選手を責めるような人は今回は恐らくいないのではないのでしょうか。
 平岡選手は、試合後のインタビューで柔道界や関係者方々に謝っておられました。
しかし、これから時間が経つにつれ、ご自身の中では、やり遂げた安堵感と喜びが込み上げてくるものと思います。
4年間本当にお疲れ様でした。その成果である「銀メダル」おめでとうございました。
2012年7月15日(日)
フルマラソンに再挑戦。
 再度、フルマラソンに出場する決意をしました。
二年前の津山加茂郷フルマラソンを完走して以来、ひとつの達成感に満足してしまいランニングもピタリと止まっていました。
今のままではいけないと思いつつ現在に至っていたのですが、実はこの3ヶ月くらい前からランニングを再開しております。 その甲斐あってか、増加していた体重も、津山加茂郷マラソン時の体重くらいまで戻っております。

 しかし、再度フルマラソンに出場するならば前回の経験と反省を活かして万全な体調で望みたいところです。
まず、体重もあと3Kgぐらい落として、腹筋を鍛えて、ある程度の贅肉を落としておきたいと思います。そして、フルマラソンをピークにもっていけるようなトレーニングの準備をしておきたいものです。
 そのためには、本番一ヵ月前に40kmの距離を一度走っておくことと、そしてハーフマラソンに出場しておくこと。経験者の話によると、フルマラソン直前に身体を酷使しないほうが良いようなので、一ヶ月前までに身体を作っておこうと考えています。

 今回目標とするタイムは5時間以内です。
前回レース38km地点からの足痙攣がなければそれが十分可能なことが解りましたので、今回いかに足痙攣がでないように身体を作っておくかが、ひとつの課題になります。
 是非とも4時間台のタイムを出して、まだまだ肉体的の衰えない不惑の40代になりたいものです。
2012年7月8日(日)
送別式と第二四半期発表会。
 先日5日、技術部・住岡知二さんの退職式、及び、イワサキ中期計画の第二四半期発表会を執り行いました。
 住岡さんは、入社以来28年間、弊社技術部のためにご尽力下さいました。その間、課長職を務めながら現在の若手を育てていただき、小生も手ほどきを受けた一人です。昨今だんだんと数少なくなってきている職人(プレイングマネージャー)の一人でした。
今回退職されるにあたり、これまでのご苦労にたいし全社員で感謝の言葉を述べたい。という前話でで、全社員で真心をこめて「ありがとうございました」というお礼の言葉を伝えました。そして、大きな花束と御餞別を添えて。
そのあと、住岡さんご本人からお言葉頂戴し、これまでの感謝のお言葉と、これからの会社の発展を激励してもらいました。
最後は、岩崎会長、小田常務と堅い握手の後、みんなの拍手が続く花道を退出して頂きました。
 住岡さんの28年間の功績に心より感謝申し上げるとともに、これからの素晴らしき人生を心より祈念申し上げます。

 送別会終了後、イワサキ中期計画の第二四半期発表を行いました。
 感想としては、部署によってまだ取り組みの成果が出ていないという印象です。
設計部においては、第一四半期のバタバタ業務で数字がまとまっていない状況。製造部では、設備や人の問題で実施が遅れている部分があります。技術部においては、新たな管理手法で着実に統計が取れている印象を受けました。
 残りの半期で各部がどれだけ巻き返してくるのか興味深々でございますが、必ずやってくれるものと信じて次回を楽しみにしておきたいと思います。
2012年6月30日(土)
消費増税法案が衆院通過。
 小沢氏を要する民主造反議員60名が出たものの、民主・自民・公明の賛成多数により消費増税法案が通過しました。

 政権与党にあったこの造反議員達は日本をいったいどうしたかったのでしょう?
マニフェストの政権公約を違反しているから反対と言い、景気が不安定な時期だから今はしないほうがいいと言い、無駄な見直しが先という人もいます。しかし、ここまで民主党が掲げてきたマニフェストの結果は、財源の裏付けもなく、結果バラマキに繋がった無策でした。
消費税に限って反対する議員は、自らの体裁や政局に向けた反対としか考えられず、もしそうでなければどういう手法でどう実行して危機的状況を打開するのか国民に説明しなければなりません。特に、小沢氏、鳩山氏に聞いてみたいものです。(また鳩山氏のように「普天間の代替地は考えてなかった」というような想像を超えた回答を言うのでしょう)

 消費税増税だけでは限界論も囁かれています。
消費税率を5%に上げた1997年に54兆円あった国の税収は、昨年42兆円まで落ち約12兆円が減少しています。税収の3本柱である消費税だけが2%増え、所得税と法人税はピークから半減しているのです。これを立て直さない限り財政再建は成りません。
 要は、日本経済を成長させないと、企業は減収、個人は所得減、国は税収減となるわけです。
しかし、長引く円高とデフレの二重苦により日本の製造業は海外企業との競争にさらされ、ものづくり産業はピンチが続いています。その危機感が現在の民主党政権には感じていないというか、余裕がないというか、無策というか・・・。
もともと企業側の日本経団連を悪とするような政権でしたから、経済素人の政党であったのは言うまでもございません。
この日記でも書き続けてきたとおり、無策の経済政策は現在も続き、案の定失われた3年となりました。

 円高とデフレの克服については、日経新聞のコラムに次のようなことが書いてあります。
 円高是正によるデフレの克服策はいくらでもあります。政府ファンドによる海外資源買収、日銀による外債購入、為替取引損の所得控除などなど。政府が主導権を握って動けば、機関投資家や個人が円安の流れにのる見込みのようです。そしてそれはデフレ脱却につながると書いてあります。
一番いけないのは、実力を伴わない円高を放置していることです。内外の多少の批判を抑えてでも断固たる円高政策を実現し、国の経済活動が活発となり、海外企業との競争力に勝てるようメッセージと行動力を政治が発揮しなければなりません。
 そのために、まずは民主党に早く退陣してもらうしかありません。
2012年6月24日(日)
与党民主党分裂の危機。
 いやはや…この民主党という政党は、いつまで政権与党に居座り続けるのでしょうか?
国民の支持を集め、自民党に変わって与党の座に着いてから早3年。無政府状態と言っていいほど政治が停滞しています。

 現在、大揉めに揉めている、社会保障と税の一体改革。
野田政権は、この方案を通すため、野党である自民党と公明党に協力を求めました。
野党二党は、国家財政の危機を憂い、ひとまず党の面子を棚上げしたうえ、妥協に妥協を重ねて法案成立に承諾しました。
 しかし、こともあろうこの方案に賛同していないのが、五十数人いる民主党・小沢、鳩山派閥。
「民主党マニフェスト公約を逸脱した行為である」と声高に叫び、法案成立阻止をするために離党や新党立ち上げなどの憶測も飛び交っています。
 自分達の掲げた志を貫くことは至極大切な事ですが、鳩山前首相、菅前首相の二代にわたる政権運営で見えたのは全て絵空事で嘘つきなマニフェストであったの一言。
そして、外交、領土問題、景気対策、円高対策、経済対策、雇用対策においても運営に余裕がなく先送りされているばかり。
そういう意味では、現・野田政権は現実路線に修正し、本気になって日本の将来を憂いている意気込みが伺え、前二代の首相よりまだましになった方だと思っております(国民を欺いたマニフスト破綻についてまだ正式に謝罪していませんが…)。

 いずれにしましても、日本のためにならない無責任与党・民主党には早く政権を返上してほしいの一言です。
現在、それに替わる政権としてはひとまず自民党しかございませんが、この三年間冷や飯を食わされた屈辱をバネにして、今度こそクリーンな政治で元気な日本となるよう頑張ってほしいものです。
また、第二の受け皿として待望されるのが、大阪維新の会を牽引している橋下市長の存在。ここに石原東京都知事も同じ方向性を示しておられます。この連合の受け皿が本格化してくると政界再編が一挙に加速して楽しみになってきます。
 そのためには、まず早期に衆議院解散総選挙を行い、民主党に早く政権を返上してもらうしかありません。

2012年6月17日(日)
オウム地下鉄サリン事件最後の容疑者逮捕。
 あの忌まわしいオウム真理教犯行による地下鉄サリン事件から17年が経過。
この事件での特別手配犯19人のうち、ようやく最後の一人である”高橋克也容疑者”が逮捕されました。

 日本の犯罪史上まれにみる計画的な無差別殺人事件。
東京都内の地下鉄で猛毒サリンを撒いて12人を殺害、約5550人に重軽傷を負わせました。
高橋容疑者はその実行犯で、サリンを散布役を運ぶ係りを務めていました。
 ここまで17年の逃亡生活を経ての逮捕劇となりましたが、本人はここまでいったいどういう気持ちで生きてきたのでしょう?罪のない人々を殺害し、今も後遺症で苦しんでいる人々に対しどう感じているのでしょう?
マスコミの報道によると、オウム真理教の書籍十数冊を肌身離さず持ち歩いていたようで、未だオウム教の洗脳から抜けきれていなかったことが伺い知れます。ペテン師教祖・麻原彰晃が逮捕されたにもかかわらず、未だ信仰を捨てていないことに恐怖感すら覚えます。いずれにしても、これからしっかりと罪を償ってもらうしかありません。

 ここまで逮捕された元幹部13人は死刑が確定。他5人は無期懲役となっています。
 そして、一番の大罪人である麻原彰晃の死刑がまだ確定していません。
難しい裁判の手法を詳しくは知りませんが、ここまで17年かかっている日本の裁判制度に対し強い疑問を感じを得ません。
しかし、最後の容疑者高橋克也の逮捕。その前の菊池直子容疑者と平田信容疑者の逮捕。これを最後の決定的な供述として取上げ、一日も早くこの事件の終幕を心から祈っている次第です。

 現在、村上春樹氏のベストセラー小説「1Q84」を読んでおりますが、丁度、オウム教団をモチーフにしたような内容になっていますので、知れば知るほど新興宗教の組織ぐるみは一歩間違えば恐ろしい凶器に変貌していくものだと感じている次第です。
2012年6月9日(土)
鳥取富浦健康マラソン。
 約一ヶ月ぶりの日記となります(^ ^;)

 少し前になりますが、鳥取富浦健康マラソンの10kmコースに出場してまいりました。
今回はちょっと遠かったのですが、この時期、丁度手ごろな大会が見つからなかったのでここに決めました。とは言っても、自分のマラソン出場だけが目的ではなく、家族サービスも兼ねているので一石二鳥のささやかな遠出なのです。

 さてレースのほうですが、富浦中学校を起点に海沿いのアップダウンを折り返して戻ってくるコースです(個人的にはアップダウンの多い海沿いコースはあまり好きではありません)。

 今回のレースでは、走り方を2点変えてみました。
1点は、いつもより歩幅を大きなスライドに変えてスピードアップを計ってみること。
2点は、いつも後半バテるので、出来るだけ前半を早く走って後半に貯金をしておこうということ。

 そしてレーススタート。快調に走っておりました。
…が、中間地点までのほとんどが上り坂。想像以上にキツく、2点を取り入れた新しい走り方も裏目に出てしまいました(*_*)
前半戦で体力を消耗し、後半の下り坂ではペースダウンを余儀なくされ、ゴールが近づくにつれてバテる一方。そんな状態で顔を歪めながらゴールの中学校まで帰ってきました。
 すると…ビックリする光景を目にしました!中学全校生徒が、ゴールの直線に花道を作って大声援を贈ってくれています!中学生みんなが笑顔♪笑顔♪で「頑張れ~!」です。そして笑顔でランナーにハイタッチを求めてくれます。こちらも嬉しくなり、疲れたことも忘れて元気なハイタッチでお返ししておきました(^ー^)
老若男女のランナー皆に元気な声援で励ましてくれた中学生達に感謝です。本当に有難う。感動を頂きました。
タイムはいつもと変わり映えしない53分台のタイムでしたが、身も心も洗われ満足な一日となりました。

       レース風景            参加賞のTシャツと干しイカ       鳥取砂丘につながる富浦海岸
2012年5月4日(金)
フラワーフェスティバル開幕。
 広島市では、毎年の5月3、4、5日の3日間、フラワーフェスティバル(花の祭典)が開催されます。
この祭典は、小生が中学生のころ初まりましたので、もうかれこれ30年以上が経ちます。
今ではゴールデンウィークの人出として、博多どんたくに次いで2番目の多さで、毎年100万人以上の人達が訪れます。

 そんなお祭りに久方ぶりに出掛けてきました。
この祭典では、広島平和公園の花の塔を起点に、平和大通りの2Kmをパレードや演舞で観客を楽しませてくれます。また、花の名のついた数々のステージが設けられ、歌や踊りやショーが繰り広げられています。大通り沿いの両サイドでは、露天、屋台、などが多数並び、日本全国の旨い物、特産物、特産品。海外の旨い物、特産品も見ることができます。

 久しぶりに覗いたフラワーフェスティバルは、かなりグレードアップして以前にも増して賑やかになっていました。
そして笑顔、笑顔のお祭りを見るにあたり本当に日本は幸せな国だということをしみじみ感じた次第です(^ ^)
  

  
 尚、㈱イワサキのゴールデンウィーク後の仕事始めは、5月7日(月)となっております。
お客様、お取引様におかれまして、引き続き宜しくお願い申し上げます。
2012年4月22日(日)
「学問のすすめ」 福沢諭吉。
 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。

 福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた真意は、単に人間の平等を説いたというより、当時、危機にあった日本において、独立、自尊の国民を創出することが目的であったようです。「学問は人を賢くするだけではない、人の可能性をを限りなく引き出すものだ。国を豊にするのも、学問をした人間の力によってである」というメッセージを人々に伝えたかったと言われます。

 諭吉は、豊前中津藩士の末っ子として生まれます。その後、長崎で蘭学を学び、翌年、緒方洪庵の適塾に入門します。その後、幕末に幕府使節団に加わり、渡米を渡欧を繰り返します。
その際、諭吉を歓喜させたのは、アメリカ市民の熱烈な歓待だったと言います。「日本を背負って立つ」という志はアメリカ人の心を打ったそうです。顔をしっかと上に向け、堂々としたサムライ雄姿は、詩人ホイットマンが「草の葉」で高らかに綴っように、感動的なものだったようです。その後、諭吉は1868年慶応義塾を創設します。

 その諭吉にも青年期に挫折がありました。若くして適塾の塾頭を務めた彼は、蘭学では日本一勉強した人間と言われていました。ところが、異人の多い横浜に行った諭吉は、「命がけで学んだオランダ語はもう役に立たない。がっくりきた」と、もう蘭学ではなく英語の時代に変わってきていることに愕然としたそうです。しかし、彼は潔く蘭学を捨てるや、すぐに英語の勉強に取り掛かり短期間でマスターしたのだそうです。

 以上、先人の方達が何もないところから勉強をして努力を積み重ねられ、現在のわたし達にバトンを繋げてきてくれました。バトンを受け取ったわたし達は、苦難や試練が多きなか、「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」の二者択一が問われているのではないでしょうか。
2012年4月15日(日)
「昇進人事」 及び イワサキ杯 第一四半期発表会。
 2005年11月、「未来への夢日記」を書き始め、ここまで約6年半が経過しました。
我ながらよく継続していると感心している次第ですが、ここまで来るともう「継続は力なり」の心境です。
しかしながら、週一度の記入を心掛けてきた継続記録が、ついに先週途切れてしまいました・・・(><)
残念ではあるのですが、少しプレッシャーから開放されたような開放感。肩肘をはらず、また再出発してまいります。

 平成24年4月付けにおいて ㈱イワサキの「昇進人事」ご報告致します。
赤い文字が新しい職責となります。
 
 設計部 部長 松浦芳文 → 設計部 部長 取締役 松浦芳文

 設計部 課長 高梨隆二 → 設計部    部長代理 高梨隆二

両名におきましては、お客様により良いサービスができるよう、より一層の業務に励んでまいる所存です。
引き続き、暖かく見守って頂きたいと同時に、何卒、厳しいご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。


 さて、「イワサキ杯」の一年目。4月5日に第一四半期までの経過発表を行いました。
通常通り、設計部、製造部、技術部の3部所から発表を順々に進めてまいりました。

 技術部においては、従来の管理方式を新方式に変え、そのうえで解析手法に重点を置く内容になっています。それに伴う人員変更も発生するので、5月から部内で人事移動を実施するようです。ここまでの取り組みは順調に推移しており、目に見える効果が既に出てきておりますので、今後に期待の持てる内容でございました。
 設計部と製造部においては、従来の仕事のやり方を覆す、全社的な少々重たい動きと連動しています。今の段階では、一歩一歩進めて行くしかなく、ここまでの成果はまだなんとも言えない状況です。設計部、製造部とも、今はまだじっと我慢中でございますが、この取り組みが今後大きな結果を生むことを信じて期待をかけております。

 依然、世界の大きなうねりの中で厳しい社会情勢が続いています。勿論、弊社としましても停滞しているわけにもいかず、常に変化を心掛けながら時代の要請に対峙してまいる所存でございます。
2012年4月1日(日)
「光のすみか」 坂村眞民。
 「 光る 光る 
   すべては光る
   光らないものは
   ひとつとしてない
   みずから 光らないものは
   他から 光を受けて
   光る 」

 次のような注釈です。
 「あなたはすでにもう光っているのです。もし光っていないとしたら、それは自分の目が曇っているからに過ぎません。あなたの光を周囲の人が見えないとしたら、それは周囲の目が曇っているからでしょう。この世に、光らないものはないのです。自ら光らなくとも、他から光を受けて輝いているのです。例えば、どんな環境であっても、その環境と仲良くなり、自分の満足いくものを見つけ出すのです。そうすれば、そこに生きがいをみつけられ、君の”命”が光り輝いてくるのです。周りに与えてくれることを期待するのを止めなさい。自分で自分の”命”を光り輝くよう工夫して生きるのです」

 坂村眞民氏は、八歳の時、校長を務めていた父親の死去に伴い、極貧生活に陥ったそうです。5人兄弟の長男として母親をよく助け、学校を卒業するや、父親と同じ教職につきます。その後、愛媛県に移住すると、一遍上人を信仰し仏門へと入ります。それ以来、詩作活動もされてこられたのだそうです。

 もう一つ、坂村眞民さんの好きな詩から、「念ずれば花開く」です。
 「 念ずれば 花ひらく
   母がいつも口にしていたこのことばを
   わたしもいつのころからか
   となえるようになった
   そうしてそのたび 
   わたしの花がふしぎと
   ひとつひとつひらいていった 」
2012年3月25日(日)
「事業家のあり方」 内村鑑三。
 表題タイトルの内容は次のようです。
一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。
一、本を固うすべし、然らば事業は自ずから発展すべし。
一、急ぐべからず、自動車の如きもなるべく徐行すべし。
一、成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実本位の日本主義に則るべし。
一、濫費は罪悪なりと知るべし。
一、能く天の命に聴いて行ふべし、自ら己が運命を作らんと欲すべからず。
一、雇人は兄弟と思ふべし、客人は家族として扱ふべし。
一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。
一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。
一、人もし全世界を得るとも其の霊魂を失はば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。

 およそ、八十年前に書かれた内容のようですが、現代社会においても十分な説得力を持っています。
「他人を頼るべからず」は、自分の責任と決断で事を行うべきと説いています。そして、金儲けと性急な発展に走らず、事業の足元を固めるなさいと言われています。
 「成功本位のアメリカ主義を見習うな。濫費は罪悪だ」と書かれています。そこには意外な理由があります。
内村氏はキリスト教思想家です。キリスト教に魅せられ、その母国アメリカへ憧れて海を渡りますが、目にしたアメリカは一面、資本主義に満ちた国でした。キリスト教内部でも組織の嫌な部分を目にし、以後、彼はすべての教会と関わることを拒絶して「、聖書だけで信仰生活を送る「無教会主義」を唱えて第一人者になりました。
そのため、「アメリカ主義を見習うな」とは、その見聞からきています。「濫費は罪悪」という言い方も、消費文化の持つ無駄やぜいたくを目のあたりにした体験がそう語らせています。
そして、最後の「人生の目的は金儲けにあるのではなく、人間の品性を完成せよ」というのは、日本人が忘れてはならない凛とした姿勢を示されています。

 ここに示された商売の基本を再認識したうえで、もっと大きな目線で商いができるよう精進してまいります。
2012年3月18日(日)
ジョギングと安全靴。
 ジョギングでのアクシデントから約3カ月が経過。
ふくらはぎの肉離れは、ようやく痛みもなくなり普通に歩けるようになりました。
そろそろ再開しようと先日の火曜日に決行いたしました。まだ病みあがりということもあり、いつもの10km地点より少し手前の8km地点で降ろしてもらって走り始めました。足が治ったといっても、やはり気になるものなので、無理をしないよう気をつけて走りました。途中、徒歩を交えましたが無事なにもなく帰宅することができました。

 そして、再開2度目の金曜日、いつものようにジョギングの準備をしてきたまではいいのですが、ジョギングシューズに違和感を感じます。どうもサイズが大きく、自分の靴下が薄いせいだろうか?と感じました。
何気なしに、靴を脱いでよく見てみると、なんと!「安全靴」ではありませんか!思わず目が点になりました。
その安全靴は、息子が買ったばかりのスポーツシューズ風の安全靴でした。小生のジョギングシューズのデザインにも良く似ていたので、今朝何気なく、それを履いて会社に出勤していたのです(笑)大笑いです。
しかし、靴サイズに違和感を感じていたのは、息子の足サイズが大きかったという事。父親の足のサイズよりも大きくなっていたことに、ビックリし、感慨深く思ってしまいました。
 さて、帰りのジョギングで安全靴を履いて走ろうと観念しておりましたが、幸運なこと夕方から雨が本降りになりました。内心、安全靴で走らなくて良かったと胸をなで下ろし、もしそれで走っていれば鉄下駄で特訓する星飛馬の世界になるところでした(笑)
2012年3月11日(日)
東日本大震災から一周忌。
 あの忌まわしい惨劇から早一年が経過しました。あの被災により、親兄弟、ご親族の尊い命を失われたご遺族様におかれまして、心よりのお悔やみを申し上げます。終わることのない悲しみだとは存じますが、前を向いて早く元気になっていただきたいばかりです。

 震災から一周忌ということもあり、今朝の「中国新聞」には”絆”というコラムが次のように書かれていました。
 『 あの日から一年。台風など荒天の日以外はほぼ毎日、夫の面影を求めて通い続けた。津波の被害で鉄筋だけが残る宮城県三陸町の防災対策庁舎。夫はここで流され、今も行方が分からない。「寒いね。今日はどうしてたの」三浦ひろみさん(52)にとって、夫の毅さんに語りかける場所だった。
 周辺のがれきは片付き、病院などごくわずかな鉄筋コンクリートの建物以外何もない。平日の夜、庁舎が車のヘッドライトに照らされ、明るくなるのを多くの人たちは知っている。
光の中、仕事帰りのひろみさんが車から降りる。休日は昼間に来るが、平日はいつも夜。「子供たちも元気だよ。見守っていてね」毅さんが好きだった酒も毎日持っていく。帰り際には「明日は何が飲みたい」
 時には置手紙をする「大好きな毅さん。もう一度会いたいです。笑った顔が見たいです。ずっと待っています・・・」
携帯電話を取り出すこともある。2月14日「今日はバレンタインデーだよ。ずうっと愛してるからね。ずうっとそばに居てね」絵文字を織り交ぜたメール。入力を終え、送信ボタンを押す。毅さんの携帯も見つかっていないが、料金は払い続けている。メール、どこかで読んでくれているだろうか。
 家の寝室。ジャージが脱ぎ捨てられている。あの日朝、毅さんが脱いだまま、手を付けていない。朝はいつも通り、ひろみさんの方が早く出た。「じゃ行ってきます」「おう」。最後の会話だった。「出張でいない」「ネックレスを買ってきてくれた」毅さんのことで埋め尽くされた日記も空白続きだ。
 これまで死亡届は出さず、弔慰金の申請もしてこなかった。でも、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。4月13日。毅さんの53歳の誕生日に葬儀をしようとおもっている 』

 今でも、心の傷が癒えていないご遺族のこのような想いを知ると胸が痛んでしまいます。辛い想いを乗り越えて、ご遺族様には早く元気になって頂きたいばかりです。そして、それに対して今、私達の出来る事は、この世に命を授けてもらったことに感謝をしながら、家族、仕事、友人を通して、日々一所懸命に生きて、日本を豊かな国にすることが一番の報いとなるのではないでしょうか。
2012年3月3日(土)
「われ以外皆師なり」
 「職業に貴賎はない。どんな職業に従事していてもその職業になり切っている人は美しい。八百屋ものを担いでいる人も、街の辻に座って靴みがきをしている人も、その職になり切っている姿は、仏法の言葉で言う『菩提』の姿で、それは本当に美しい。
 その働く人の後に、年寄りを養ったり、子供を育てたり、女房子供をいとおしんでいたりする、みんなが、それぞれの生活を持っているのだと思うと、見ているだけで涙が出てくる。
 私は地道に、学歴もなく、独学でやって来た。座右の銘というのではないが、『われ以外皆師なり』と思っている。自分以外はすべてどんな人でもわが師、先生である・・・。」

 上文は、小説「宮本武蔵」の著者・吉川栄治氏の言葉です。吉川氏の生い立ちでは、次のような事が書かれています。
 幼い頃の彼の家に父の姿はすでになく、母親の手で他の兄弟と同じく育てられた。当時、日本そのものが貧しい時代だったので、彼の家はどん底の苦しい生活を強いられた。彼が青年時代、道を歩いていて新聞社の広告を読み応募してみた。幸い筆記試験が良かったので、面接に進めたのだそうです。その面接で、「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれました。この問いに吉川青年は戸惑ったそうです。貧窮の彼の家には最低の生活用具しかなかったので、我が家が何宗かわからなかったのです。
そうすると、審査員らしき人が、「宗教のない人は信用ができません」と言ってきたのだそうです。
 それに対し吉川青年は、「私は特定の信仰はもっていませんが、ただ母を大変尊敬しています。私の母は非常に苦労して、私達子供を育ててくれました。ですから、これまで、いつどんなときでも、母を悲しませたり、母を裏切る生き方はしまい、と思ってきました。私の信条として、少しでも母に喜んでもらえる生き方をしたい。そう思っています。これではいけないでしょうか」と言ったそうです。
 この面接で、彼は新聞社に正式採用となり、その後独学で作家への階段を上りだしたのだそうです。

 「自分以外は皆師である」・・・。人生を極めた方の言葉力には重みがあります。私達の時代においても、この謙虚な姿勢に学びながら、日常生活に生かしていければどんな素晴らしい社会になる事でしょう。 
2012年2月25日(土)
アクシデント・・・。
 2月に入って再開し始めていたジョギング。
距離も10kmぐらいを走るようにしていましたので、個人ノルマと仕事帰りと合わせて一石二鳥・・・だったはずでした。
 今週の火曜日でした。夕方の帰社前、ジョギングウエアに着替え、みんなとマイクロバスに乗り込み、10km地点(アストラムライン中筋駅)で下車し、ストレッチで身体を揉みほぐし、小雨混じりの極寒の中、祇園新道をトボトボと走り始めました。
身体が温まるまで約3kmぐらいかかったでしょうか・・・。それからは快調なペースで川沿いのランニングコースを下り、広島ALSOKホールを左に折れ、路面電車通り沿いのアーバンビュータワー(中間地点)を目指して市内中心部に向かいます。
中間地点にある女学院中・高等部の四つ角を左に折れ、今度は城南通りを広島駅方面に下ります。
そのまま川沿いを走りながら、ちょうど広島駅を左に見た駅前大橋の軽い下り坂、右足ふくらはぎが「プツン」とする音を感じました。その途端、右足を着地すると、今まで経験したことないような激痛がはしります。自分の中では真っ先に「アキレス腱断裂」が頭を過ぎりましたが、とりあえずその場所から帰らなければならないため、自宅から車で迎えに来てもらいました。
 翌日、外科病院を訪ねて診断結果を聞くと、「筋は切れていないので肉離れでしょう。三週間くらい安静にしていれば治ります。ただ元どおりには治りませんよ」との診断でした。また、肉離れの原因を聞くと「歳だから!」と一蹴されました(^ ^;

 という訳で、せっかく開始したジョギングも一時中断です。
これまで健康と体力だけには自信があったのですが、鼻っ柱をへし折られた気分です。
ただ、こればかりは嘆いてもしょうがないので、快復を待ちながらジョギングをひとまず棚上げしておきます。
2012年2月19日(日)
桁外れ・・・。
 「己六才より物の形状を写す癖ありて、半百の頃よりしばしば画図を顕すといへども、七十年画く所は実に取るに足るものなし。七十三才にしてやや禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故に八十才にしてますます進み、九十才にしてなおその奥意を極め、一百歳にして一点一格しにして生るが如くならん。願わくは長寿の君子、予が言の茂う妄ならざるを見たもふべし」
 上文は、浮世絵で海外にも知れ渡っている葛飾北斎の『富岳百景』からの一部です。90歳まで生きた北斎が、自分の軌跡を込めた貴重な言葉になっています。
内容は、「6歳の時から写生を始め、50歳くらいから、描いた絵を世に出すが、70歳まではたいしたことなかった。73歳にして動物や鳥、昆虫などを生き生きと描けるようになり、80歳になるとさらに進んだ。そして90歳になってからは写実の極意を極められるようになった。おそらく100歳になったら、その隅々まで本物の生き物であるかのように描けるようになるだろう。願うことなら長生きして、私の言うことが本当であるかどうか確かめてもらいたい」のような説明です。
 今から150年前、このような桁外れで立派な考えを持たれていた人生訓に、私達は奮い立ち勇気を与えてもらえます。
北斎の言う、50歳からがひよっこデビューであると考えれば、まだ何事も遅いことなどないようです。頑張りましょう(^^)
2012年2月11日(土)
本年度の取り組み発表会。
 今週初め、全体集会において、各部からの取り組み発表を行いました。
これからの自社の将来を見据え、各部が今年結果を残さなければならないための施策を発表し合います。
施策の資料は、色彩を考えたデザインが使われ、2本~3本柱の達成するべき数値目標が掲げられています。
どれも各部にとって切実な内容ばかりですので、この数値目標を達成してくれれば会社として何も言うことはございません。
 この取り組みは、4半期単位で途中経過を発表し全員でその効果を確認することにしています。コツコツ実行すれば必ず成果を生むことが分かっているだけに、しっかり推進して毎回堂々と発表できるように頑張ってほしいと願っています。
 まずはこれを継続することで、自分達が楽になり、会社が楽になり、お客様が楽になり、それが自社の未来に繋がっていると信じて努力を続けてまいる所存です。
2012年2月4日(土)
ジョギングの再開。
 先週、ジョギング宣言をした通り再開し始めました。
用事があったため2度しか走れませんでしたが、久しぶりにまとまった運動ができて気分は爽快でした。

 まずは初回の火曜日、北広島工場を出発する前にジャージに着替えておいてからマイクロバスに乗り込みました。
初走りの距離をどれくらいにするか迷いましたが、短すぎても長すぎていけないので、とりあえずゴール7km前地点でマイクロバスから降ろしてもらうことにしました。日本全国大雪が降った今週の体感温度は最悪の出だしです(><)
 とは言え、いくら寒くても降ろされた場所から這ってでも帰るしかありませんので地道にトボトボ走りました。
最初の1kmぐらいは何ともなかったのですが、走っているうちにだんだんと身体に堪えてきました。しかし、どんなに苦しくても帰るしかありませんので、途中止まったり走ったり何度か歩く羽目にもなりましたが、ジャスト1時間!
案外余力を残して到着しました。身体が重くなっていたので少々心配しておりましたが、まずは安心したところです。
 2回目の金曜日は、少し距離を延ばして約8km弱くらいでしょうか・・・。初回に比べると身体のコンディションも少々分かってきたため順調に帰ることができ、約50分で走破することができました。
 今後については、これから徐々に10kmまで距離を延ばしていこうと考えております。
 
 このジョギング方法は、やはり正解でした。
距離を誤魔化すこともできず、着実に距離をこなさないと家に帰れないためトレーニングとしてはもってこいです。
今後、できるだけ回数と距離を増やして行き、また万全な体調でマラソンに出場できるよう頑張りたいと思います。
さて、来週は何度走ることができるのか!?自分の中では興味津々となっております。
2012年1月29日(日)
ジョギングの再始動に向けて。
 継続していた愛犬とのジョギングが散歩へと変化してから幾月かが経ちました・・・。
少々の練習不足であってもハーフマラソンが完走できることを悟ってからは、ジョギングを怠るようになってしまいました。
今思えば、一昨年のフルマラソン初完走が体力のピークだったと思います。そこを境に、ジョギング量も徐々に落ちていきましたので、少しづつ腹回りも大きくなり、至る所に脂肪も増えてきております。

 そこで今年は、そのジョギングを再始動しようと考えております。
しかし、どうしてもジョギングを怠らないようにするためにはどうすればよいか?
色々考えた挙句、どうしてもジョギングから逃げられない手段を閃きました。
 それは、イワサキ本社から北広島工場行きに毎朝出発している「マイクロバスに乗ること」でそれは達成できます。
その手段とは、北広島工場からイワサキ本社への帰社途中で、マイクロバスから投げ捨ててもらう事です。そうすれば、そこから這ってでも本社まで帰らざる終えなくなり、その時の体調に合わせて投げ捨ててもらう距離も調整することができます。
そうする事で、帰社時間も有効用でき、まさに一石二鳥となります。

 早速、今週からジャージを持参し、工場出発前にはジャージに着替えてマイクロバスに乗車したいと思います。
はてさて、今後どうなることやら予測し兼ねますが、まずは自分自身との戦いに負けないよう頑張ってまいる所存です。
ただ一つ、心配なことが・・・。それは夕食が遅くなることでの空腹との戦いでしょう(^~ ^;
2012年1月22日(日)
大河ドラマ「平清盛」
 今年の放映が既に始まっているNHK大河ドラマの「平清盛」
主に広島が舞台となるのは、1997年に放映された「毛利元就」以来で、今回が2度目です。

 さて、平清盛率いる平家一門は、武士として平安時代に生まれます(源氏一門も同時期に生まれます)
当時、武士の身分は低く、天皇と貴族が政事を操る世であったため、治安・風紀は乱れて混沌とした時代でした。
そんな時代、武士の世を築いたのが平清盛だと言われ、その後、武家社会を定着させたのが源義朝だと言われます。
 ただ、平家一門については、これまであまり良い評判を聞いておりません。それは、鎌倉時代(源氏)に書かれた「平家物語」のイメージが強いためだと言われています。この書物の中では、平家が天皇家に取り入られた後、栄華に溺れ没落してゆく姿が描かれています。いわば、都(京)で政治をすると本業の武士を忘れ、貴族社会に骨抜きにされた姿が描かれているのです。
余談ですが、源氏政権(源頼朝)は、平氏の二の舞とならぬよう、初めて都(京)の天皇と一線を引いて関東の鎌倉で政治を始めるようにします。それが1192年でした。
 話は脱線しましたが、そのような偏った情報しか持ち合わせていないため、今回の「平清盛」には大変興味があります(とは言っても、前回放映では居眠りして見逃してしております・・・(^ ^;)

 ご当地広島県では、「平清盛」人気にあやかって観光客の増加にも大きな期待を寄せています。
厳島神社のある地元宮島町は、昨年末、宮島水族館を拡大リニューアルして準備万端です。
更に、昨年、日本に訪れた外国人を対象にしたアンケート(もっとも素晴らしい日本観光地)によると、「厳島神社」が堂々1位で、3位が「原爆ドーム」と、広島の世界遺産が日本のベスト3に2ヶ所も選ばれております。この2ヶ所は、30kmぐらいの大変近い距離に位置しておりますので、まだ足を運んでおられない方には是非来ていただきたいと願っております。
2012年1月15日(日)
今年もいよいよ本格始動です。
 イワサキの仕事始めから一週間が過ぎ、いよいよ今週から本格始動となります。
いったい今年はどういう年になるのでしょうか?ワクワクもあり、怖くもあり、まったく予想がつかないと言ったところです。
 毎度の事ですが、景気回復をあてにしても誰も保障はしてくれませんので、まずは自分自身の考えを信じるほかございません。
小生にとって自分自身の考えとは、会社方針にほかなりません。まずは社員にそれを説明し、信じてもらい、参加してもらい、チャレンジを繰り返しながら愚直に継続しております。
勿論、その間、良い事ばかりはございませんので、間違っていればその都度反省し、現状を見つめ直し、「あるべき姿」に修正を加えております。その結果、成長できるための課題がまだまだ沢山あることは確かです。
 ここ近年、そのような繰り返しの中で社員の成長をフツフツと感じています。厳しい環境下において人は強くなり育つもので、社員達がこれまで潜りぬけてきた修羅場の経験は嘘をつきません。現在、弊社は人財の底上げが急務なので、次世代の人達が台頭してくれることついては願ったりで、本当に感謝していますす。
 という訳で、今年一年を対峙するためには、成長している社員達の活力で会社の目標を成功させ、最終的には経営者である小生が結果を残さなければなりません。 お客様、仕入先様、そして愛する社員のために全身全霊で頑張る所存です(^ ^)
2012年1月8日(日)
新年明けましておめでとうございます。
 さて、いよいよ今年もスタートです。
ここ数年来、世界が迷走する中、日本も多くの問題を抱えた中での船出です。
今年一年、天災・人災なき世のもとで、活気ある一年となりますよう心より願う次第です。
 本年におきましても、何卒、弊社への変わらぬご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


 1月6日(金)、イワサキ北広島工場におきまして初出式をとり行いました。
世の大局から、弊社が現在置かれている状況を冷静に見つめ、今から何が求められるのか?今から何をすべきなのか?などを整理・整頓したうえで、今年すべき内容について全社員達と意思統一を図りました。
大きくは、2本柱を軸に舵を切ってまいりますが、そのためには人財の底上げが必要不可欠となるため、新たな取り組みや様々な経験を通して社員一人一人が主役となってくれるよう一年間対峙してまいります。

 一方で政治の今年はどうなるのでしょう・・・一個人の勝手な希望としては・・・。
ここまで見てきた与党民主党の政権運営能力は、拙速・幼稚・虚言で責任政党の資格なしの一言です。このまま民主党政権を先延ばしにすることは、国民にとって不幸以外の何ものでもありません。野田内閣は、まずマニフェストが大風呂敷だったことを国民に素直に謝罪し、一度解散して国民の真を問うことが肝要です。その際、新たに志・政策を共にする同志での政党再編・組替えを希望します。その上で総選挙を行い、新しい政権与党を作って欲しいと思っております。(現在の民主党・自民党のように、身内での政策対立があってはいつまでも政治決断はできないためです)
 昨年暮れ、民意を味方につけて大阪市長に当選した橋下氏の手法を汲んで、政党再編・組替えで政治に新風を吹かせてくれることを期待するばかりです。 
 ともあれ、日本経済の復活を願いながら今年も一年宜しくお願い申し上げます。
2011年12月30日(金)
今年一年の御礼を申し上げます。
 早いもので今年も残リ少なくなってまいりました。
こと近年に関しては激動期が続いているせいか、月日の遷り変わりも特に慌ただしく感じてしまいます。
そのような時代の中、今年も変わりない皆様からのご厚志・ご厚情にたいし心より感謝を申しあげます。

 皆様におかれまして、今年はどのような一年でございましたでしょうか?
今年の日本列島は、「東日本大震災」に始まり、「欧州金融危機」、「史上最高の超円高定着」、「タイ洪水」など、何百年単位でやってくるような未曾有の危機が一度に押寄せてきました。かつて誰も経験したことのないような時代に生きている私達は、その困難から目を背けるわけにはいかず、そこに身を委ね、苦悩し、精一杯の抵抗をしながら立ち向かい、一年を過ごしてきました。
依然、世界経済の負の時流は続いており、来年も油断禁物なのは言うまでもございません。弊社におきましても、世の動向に細心の注意をはらいつつ、改善と改革を同時に進めながら大胆なチャレンジも心掛けたい一年にしたいと考えております。
 来年は「辰年」です。三年間に渡りNHKが放映してきた「坂の上の雲」で描かれていた明治時代の日本人ように、”昇り龍”のごとく活気づく一年としたいものです。

 末筆となりますが、今年一年お世話になり大変有難うございました。来年も変わらずどうぞ宜しくお願い申し上げます。
皆様におかれまして、ご家族団欒の笑顔で楽しい年末年始をお迎えされるよう心よりお祈り申し上げます。

 尚、㈱イワサキの年始営業日は、1月6日(木)からとなっております。
2011年12月17日(土)
「壬生の花田植」世界無形文化遺産に登録。
 弊社・北広島工場の所在地は北広島町の川東・壬生地区にあります。
その川東・壬生地域の人達が中心となって地元企業も一緒に育んできた伝統行事が「壬生の花田植え」です。
この度、その「壬生の花田植え」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産として登録されることとなり、これからは人類の遺産として後世に伝えられることになります。これまでの努力が報われた関係者方々は感無量のことだと存じます。

 花田植えは、日本の稲作文化を示すための農耕行司の一つで、田植え歌で息を合わせて苗を植え、田の神に豊作を祈ります。この壬生の花田植えは、中国地方で脈々と受け継がれてきた中でも最大規模を誇っております。
 起源は中世にさかのぼりますが、明治から大正にかけての農耕作業の近代化により一時は途絶えかけたそうです。しかし、地域の伝統を守り、後世に伝えていくために昭和初期から復活させました。今では、川東田楽団と壬生田楽団が、毎年6月の第一日曜日にこの行事を大勢の見物客の前で披露しています。
 花田植えの概要は、水の張られた田に両田楽団の100人が入って田植え歌を響かせます。早乙女や、腰から太鼓を掲げた大太鼓役の男性たちがすげがさをかぶり、紺のかすりに赤や黄の帯、紅白のたすきなどで着飾ります。華やかな早乙女の作業とは対照的に、大太鼓はダイナミックな動きで魅せ、両端に房がついたばちで太鼓を打ちながら舞い、ばちを回したり、宙に放り投げてつかんだり、後方に大きく反り返る動作もあります。田植えに先立って行われる飾り牛の代かきも見せ場の一つ。黄金に彩られたくらを載せ、のぼりや花飾りを付けた牛がゆっくり田を進みます。田に入る前、牛は近くの商店街を練り歩きます。
 壬生の花田植えは、来年6月が無形文化遺産としての初披露となります。北広島町は、「来年の来場者は最大1万5千人」と想定し、外国人の関心も高まるため、インターネット専用の英語、中国語、韓国語版での紹介も考えているようです。(以上、中国新聞の特集記事から抜粋しております)

 2009年にユネスコ登録候補となって2年半、登録まで数年後との見方もあったので地元関係者は盛り上がっております。
世界遺産の登録により、この伝統行事が守られ続け、代々継承していくことには大きな意義があることでしょう。その上で、北広島町の存在を沢山の人達に知ってもらい、町おこしや地域活性化に繋がっていく事を歓迎し、心より祈念を申し上げます。
2011年12月10日(土)
「佐賀北の夏(日記と靴)」
 11月25日「佐賀北の夏」の続きで、(日記と靴)編です。

 百崎監督の野球は、打順の2番と9番を「接着剤」と呼び、特に重要視しています。
中学時代、強肩、俊足、巧打の三拍子揃ったショートとして県内でも名の通った選手だった馬場崎選手は、プライドも高く、接着剤という地味な役回りになかなかなじめなかったそうです。普通に打ちにいくと”何でバット振るんだ!”という雰囲気で、徹底的にバントだけにこだわらされたそうです。練習中、わざと百崎監督に聞こえるよう「打てん、打てん、言うくせに、バッティング練習させんでなんかとよ!」と叫んだこともあったそうです。そんなたまりにたまっていたフラストレーションが爆発して日記に書いたときの気持ちを、「あんときは、ぶち切れてました」と暴露する出来事がありました。
 大分・日田藤蔭高校との練習試合でのこと。途中から出場していた馬場崎選手は、1-2と1点ビハインドで迎えた9回表、2死1塁の場面でセーフティーバントのサインが出たことに腹を立てて日記にこうぶちまけました。
「正直、やけくそのサインだと思った。相手のミスを狙うよりは、自分が打つのを期待してほしかった。相手が打つしかないだろうと思っているなかでの意表をついてのものかもしれないが、打つしかないと自分は思う(後略)」と。
結果、馬場崎選手は、サインを無視し、打って出ましたが結果はセンターフライとなります。
 その行動に対し、青ボールペンで書かれた百崎監督の答えの筆跡は荒々しく、こう書かれていました。
 「なぜそこでそんなサインなのか」と不満を持つより、まずそのサインをしっかりこなせる力をつけよ。何回も言う。我々は可能性を求めて打撃一つも様々な試みをしている。「あそこはバントはないよな」は一般人の発言。選手は監督、部長を信じて動く。その繰り返しの中から揺るぎない関係、攻撃ができるようになる。
 そして、次のような二つの注文が記してありました。
①送りバント力、全く進歩なし。あれでは甲子園を決める大切な場面では決められない。バントは100発100中となれ。
②追い込まれてからの大振り、空振り三振が目立つ。絶対当てよ!絶対に転がせ!
 この時の事を百崎監督は、「覚えていないなあ。2死1塁で送りバントのサインを出したことならあるけど。恥をかかせるためにね。大事なところでミスをしたから。ランナーなしの場面で送りバントを出したこともありますよ。」と忘れていたふりをされます。
馬場崎選手が日記をさぼった時のコメントも、「グラウンドに入る資格がない。お前にコメントする気もなくなる。ふざけすぎている。試合に負けたらお前の責任だ」と、容赦なく叱りつけます。

 百崎監督は、チーム勝利のために容赦なく鬼となり、次のようにも規律を重んじます。
「妥協しないこと。これに尽きるんじゃないですかね。ついつい許してしまうとか、流してしまうとか、そういうことをしないことが大事。365日もあると、一日ぐらい、まあいいかって許してしまう時がある。でも、靴をそろえていないのを見たら、それだけは許さんぞと。ほころびなんて、いつでも最初は小さいものじゃないですか」と。
 同じ指導者の吉丸氏も、「百崎監督が車を運転しているとき、たまたま自転車に乗っている野球部の生徒がガムを吐き捨てるのを目撃し、それから真っ暗な中、それが見つかるまで探させたりすることができる先生なんです」と、些細な事ほど見逃さない指導方針に、徐々に共感され始めたそうです。

 そんな百崎監督は、この日記を10年日記と称し、現在も15年書き続けられています。数年後、数十年後、積み重なり形となって現れた時にようやくその重みがわかり、その最たる例が2007年夏の全国制覇なのだそうです。もし家が火事になったら、真っ先に持ち出すのは銀行通帳じゃなくてこの日誌です。これがなくなったら、自分の過去は何もなくなっちゃう。と、言われておられます。
 百崎監督のこの気持ち、少なからず小生にも理解できます。この夢日記も書き始めて7年目。色々な出来事が詰まっているこの日記は自分にとっても宝物です。この日記を継続し続け、豊かな未来になって形現れたとき、更に重みが増してくることを信じて頑張って書こうと勇気づけられております。
2011年12月4日(日)
第38回 宮島クロスカントリーマラソン全国大会。
 先週末、毎年恒例の宮島クロスカントリー大会に出場してまいりました。
宮島マラソンは、前レース江田島MIKANハーフマラソンとは違い、10kmが最長距離となっていますので少しは気が楽ではあります。とは言え、ここのコースは標高差100mを3km間で駆け登る難所があるため、いつも走る前から緊張感でいっぱいです。

 さて、レースの方はと言いますと、この頃はタイムの事よりも、マイペースで運動を楽しみたいと切り替えております。
ただ、標高差100mを登りきる難所だけは途中絶対歩かないよう拘りたいと思っていましたので、そこまで余力を溜め込んでおいて臨みました。おかげでレース後半も苦しくなることなく、比較的順調に走りきることができました。
 結果の方は、1時間2分。この数字は、一昨年よりも9分も遅くなっているタイムですので、いかに体力が落ちたかという証拠にもなります(汗) やはりタイムを見てしまうと気になるのですが、まずは参加することに意義がある思い頑張り続けます(^ ^;
 一方、もうひとつ参加したくなる楽しみは、会場に設置されている売店。
地元の地御前カキがごろごろ入っている名物「カキ汁」や、本場焼きたての「もみじまんじゅう」がふるまわれますので、この日も舌鼓に長い列ができていました。勿論、小生も、レース後の一杯のカキ汁を楽しみにしていますので、今年からおむすびを持参のうえで「カキ汁」と一緒にご馳走になり、おかわりもいただいて疲れた身体もポカポカとなりました。
いつもながら、大会関係者方々の暖かいおもてなしに心より感謝申し上げます。大変ご馳走様でした。

 マラソン後、大会会場近くの温泉に浸かって身体を労わり、その後、真っ盛りの紅葉狩りに出掛けました。
大会会場から紅葉のの名所である「紅葉谷」まで、色づいた景色にも舌鼓を打ちながら紅葉散策し、宮島桟橋に辿り着いた時には夕暮れになっておりました。結果、ハーフマラソンぐらいの距離は十分こなしていたと思います・・・。
  

  
2011年11月25日(金)
「佐賀北の夏(甲子園最大の逆転劇)」 著者・中村 計。
 まだ記憶に新しい2007年夏の甲子園大会。佐賀県の無名公立校・佐賀北高校が初優勝を果たしました。
準決勝では優勝候補筆頭の帝京高校を下し、決勝では強豪・広陵高校を劇的逆転満塁ホームランで下し、「ミラクル佐賀北」として大きな話題を集めました。その「ミラクル」の裏側には、徹底してチーム規律を重んじた百崎監督の指導がありました。
 佐賀県が、歌「L・O・V・E・SAGA」でブレークした時期がありました。ここでは佐賀県の特徴がこう書かれています。
東側は福岡市・北九州市と二つの百万都市を擁する経済都市・福岡。西側は鎖国時代も貿易が認められていた国際都市・長崎。その真ん中の、九州で一番人口が少なく、一番面積も小さい佐賀は実に慎ましやかなところ。偏見だと分かっていながらも、才能ある兄弟の真ん中で萎縮している次男坊を連想してしまい、一見すると大人しく遠慮深いが、その実、ジクジクたる思いを抱えながらいつか見返してやろうとその機会を虎視眈々と狙っているのが佐賀県民の特性。
そんな佐賀県人像と百崎監督の野球像が多くの点で重なっているように見えるのだそうです。

 チームが、明らかに格上と思えるチームに破れることき敗因はだいたい決まっているようです。怯え、自分を見失い、持っている力を出し切れぬまま散ってしまう。佐賀北は決して強者ではありませんでしたが、どんな時でも凛然としていました。
 百崎監督の求めているチームとは、「俺が求めているのは、でっかい象を、ちっちゃいアリで倒すイメージ。一対一なら負けるけど、束になれば倒せないはずはない。相手を見ただけでビビるやつは絶対に許さない。おまえは足をかじれ、おまえは砂をかけて目潰しをやれ、おまえは後ろに回ってタマを蹴り上げろ、と。言葉は汚いですけどね」のようなイメージだそうです。
 二回戦で再試合の末、苦杯をなめた三重・宇治山田商業の中井誠監督は佐賀北の印象をこう話しています「選手ひとりひとりが自分ができるのはこれだけだからという開き直りを感じた。普通は、こう打ちたい、こう投げたいっていう欲がでてくるもんなんですけど、それを捨てさせている強さを感じましたね。選手たちの腹の据わり方が違った。相手がどうこうよりも自分たちの野球を徹底するんだ、と。正直、こら勝てんわと思いましたね」。 東京・帝京高校の前田三夫監督も、「長打の選手は長打、単打の選手は単打と、役割分担がはっきりしていた。それがあの集中力を生んでいたんじゃないかなあ」と、奇しくも同じことを感じていたようです。
 アフリカに「陸のピラニア」と恐れられている軍隊アリは、数万匹から多いときには数千万匹単位で行動し、ときにはライオンや象なども倒して食べてしまうそうです。「最強のアリ軍団」-----そんな姿が佐賀北のイメージのようです。

 百崎監督は、入部してきた選手に、まず二つのことを約束させます。一つは、毎日日誌を提出させること。もう一つは靴をそろえることです。「全部言うことはないんですよ。ひとつのことができれば他の事にも波及する。日誌と靴も、それがねらいでもあるんです。だから守れないやつには、俺は二つのことしか言ってないのにそれを守れないんだったら辞めろとはっきり言います」 
百崎監督は、些細な事ほど見逃さないそんな集団で勝負できるチーム作りを考えられていました。
 この先、日記と靴の内容について書きたい思っておりますが、長くなりそうなので引き続き今後の日記で記入してまいります。
2011年11月20日(日)
環太平洋経済連携協定(TPP)に正式参加表明。
 インドネシア・バリで開催された東アジア首脳会議(ASEANサミット)において、野田首相が正式にTPP参加を表明しました。(弊社は自動車向け製造業であるため、日本国のTPP参加にはおおむね賛成です)
今後、日本が成長しながら、世界中で存在感を高めていくためにTPP自由貿易は避けては通れない問題です。その点で、今サミットにおいて日本が明確にTPP参加を決断したことに一定の評価ができるのではないでしょうか。
また、それ以上に、日本の決断が東アジア諸国の意識を活性化させ、この地域の経済・安全保障の枠組みや連携までに話が展開され、外交下手の日本の存在感も久しぶりにクローズアップされたことに驚きました。
 TPP参加の有無で揉めていた日本が正式参加を表明したことにより、それに誘発されるようにカナダ・メキシコもTPP参加への表明をしました。その他、フィリピン・パプアニューギニアなども強い関心を示しているようです。
カナダにおいても、日本と同様に乳製品など簡単に自由化できない農業分野を抱えているため、日本の参加が呼び水となったことは間違いありません。日本にとっても農業分野のルール作りに同調者が現れてくれたことに願ったりの展開です。

 TPP協定は、当初、アメリカが提唱を呼びかけての「アメリカと小国の連合体」での枠組みでしたが、ここに新たに日本・カナダ・メキシコが加わって12ヶ国となることにより、経済規模は一挙に世界の四割となります。
EU連合の26%、ASEAN+3の23%と比べても、極めて大きな市場になります。
オバマ大統領は、環太平地域最大の同盟国である日本の参加に対し、「日本、カナダ、メキシコのTPP交渉参加を歓迎する。アメリカで数千万人の雇用を生み出す画期的な出来事だ」と、経済大国・日本の名を真っ先に挙げ歓迎してくれております。
 また、TPP協定におけるアメリカの目的は、貿易促進だけではありません。軍拡を続けて周辺諸国を威圧し、知的財産を遵守せず、貿易不均衡の規制を続ける中国に対してのメッセージでもあります。そういう意味では、「アメリカ 対 中国」という構図がこのサミットではっきりと示されたと言えるでしょう。
中国の影響力が急速に強まっていることへの警戒感は、親中とされるミャンマーも含めて多くのASEAN諸国からも、「もっと日米豪の東南アジアでの存在感を高めてほしい」との声が日本側に寄せられているようです。その背景には、「日米の狙いは中国包囲網だ。そこに参加するのか。その動きにのってはいけない」と、東南アジア各国への中国の恫喝があるようです。
ゆえに、日米同盟が、ASEAN諸国連合を中国の圧力から守り、環太平洋地域の安全保障と経済発展・安定に寄与することがバランスのとれた東アジア形成に繋がることとなります。

 近年、中国の影で存在感が薄れていた日本ですが、この度のTPPに参加により、これからアジア地域において重要な役回りを果たす立場になったと言えます。長年ASEAN諸国と良好な関係を築いてきた経験と、米中の間を調整できる大国は日本をおいてほかにありません。環太平洋地域での有利な立場を活かしながら指導力を発揮し、是非とも日本の国益に結びつけて欲しいものです。
今回の東アジア外交においては、大局を見据えた野田総理の決断に敬意を表します。
2011年11月12日(土)
「国防」 石破茂。
 国防の安定なしに、外交、及び、経済・財政の安定が語れないことは、「尖閣諸島」の中国、「北方領土」のロシアの行き過ぎた行動や圧力でしっかりと確認されました。日米普天間関係がこじれただけで、明らさまに他国が干渉して来るわけですから、あらためて日米安全保障条約の抑止力を証明できた訳です。言うなれば、民主党の国防政策の無知と失敗が、これまで積み上げてき日米普天間関係をゼロまで戻してしまい、国益を損なった訳です。
 自民党の前・政調会長の石破茂氏は、国会議員きっての防衛政策通であり、長官在任期間歴代二位、第四代防衛大臣です。その石破氏が、著書「国防」の中で、これらの経緯を語っておられますので、すじがきの部からの抜粋をしてみます。
 
 「我々が政権にあった時の反省も込めて言うのですが、日本の政治には面倒なことを先送りする体質が染み付いています。それも含めて”政権交代”で刷新したい、というのが国民の思いではあったのではないかと思うのですが、政権が変わり皮肉にも先送り体質の極致のような政権運営となり、”私は何も悪くない、すべて悪いことはひとのせい”という責任転嫁、自己正当化体質が加わり、物事は全く前に進み見ません。政権交代から2年以上が過ぎ、国民もいつしか異常な状態に慣れてしまい、国中に無力感が蔓延しています。
 政権交代後、私は野党・自民党の政策責任者として、ほとんどの予算委員会で質疑に立ちました。
普天間基地移設問題に関する議論の中では、鳩山総理に対して、”総理は普天間基地移設は国外、最低でも県外だと述べているが、移設先に具体的なあてはあるのか”と問いました。
これに対して鳩山総理は、”具体的な移設先のあてはなかった”旨を答弁し、私がさらに、”ではなぜあのようなことを言ったのか”と追求すると、”沖縄の思いを大切にしたかった”という趣旨の答弁をしたのです。そして”あなた方自民党は、十三年かかって杭一本すら打てなかったではないか”と開き直りました。
 馬鹿を言ってはいけない。環境に対する影響評価を行っている最中に、建設のための杭など打てるはずがありません。橋本龍太郎総理、小渕恵三総理、梶山静六官房長官が、この移設実現のためどれほど心血を注いだか。地元がどれだけ苦しんだか。
 また、来日したオバマ大統領に対して”トラスト・ミー(私を信じて)”と発言した直後に、この言葉をあっさり覆して決定的な不信感を与えました。そして、いよいよ国外・県外移設が困難な状況であることが判明すると、”学べば学ぶほど沖縄における米海兵隊の重要性が分かった”と言ってのけ、挙句の果てには”あれは方便だった”と呆れ返るような発言をしたのです。
 先人のまさしく命をかけた努力を嘲笑し、不勉強のまま思い付きを口にして幻想を振りまき、怒りと絶望と不信感だけを残した鳩山総理は、万死に値すると私は断じます。
 その鳩山総理が退陣し、菅直人氏が総理になっても、状況が変わらないどころか悪化の一途を辿っています。
国防の任に当たっている制服組のトップである統合幕僚長、陸、海、空の幕僚長たちの揃う会議の冒頭で菅総理は驚きの発言をします。”昨日改めて調べてみたら、総理大臣は自衛隊の最高指揮官であると規定されていた。そして防衛大臣は自衛官ではないのだね”
 これには一同、さぞ仰天したことでしょう。憲法の文民条項も、文民統制の意義も、全く理解していないことは明白です。会の後、統合幕僚長は”冗談でおっしゃったものと思う”と弁護していましたが、仮に冗談であったとしても、これほどたちの悪い冗談を口にする総理大臣を私は他に知りません。
 総理が二代続けてこのありさまですから、国防の視点から見た時に、対外的な日本の立場は恐ろしい状態になっています。日米関係では信頼感が失われ、中国・ロシアからは侮られ、すべてが近年最悪の状況になってしまっています」

 少々長くなりましたが、新聞やマスコミで取り上げられていない話題もまだまだたくさんあります。
一国を自らの思いつきで操るようなペーパードライバー政権・総理に全権を預けている日本国は大丈夫なのでしょうか?
2011年11月6日(日)
揺れる世界・・・。
 ギリシャ金融危機で世界が揺れに揺れています・・・。
もしギリシャが破綻すれば、リーマンショック以上の激震が世界を駆け巡り、イタリア・スペインをはじめ世界恐慌への引き金になるであろうとの観測が大です。G20首脳国サミットでは、ギリシャ発の金融恐慌を回避しようと、欧州主要国の独・仏・英らと米国が中心となってユーロ安定に躍起になっています。勿論、その日本も対岸の火事ではなく、この問題が解決しない限り超円高という重い十字架を背負い続けることとなり、日本経済の復活もありません。という意味では、世界第二位の経済大国である日本の役割も責任重大です。
 ところが今の日本政府は、そのような力量も余力も備えておらず、今回のG20サミットでは円高為替介入での言い訳をするために参加したような感があり、欧州危機での積極介入など全くないような風です。他国、いや世界が揺れている今だからこそ、欧米諸国に日本が積極的に協力することが日本の美徳であり国益に値すると思うのですが・・・。本当に淋しい限りです。
 現与党・民主党は、超円高を是正するための日銀のコントロールもままならず、TPP通商交渉においても民主党反対派が政府方針に従わず断固阻止の構え。ほか重要方案においても、もはや官僚の言いなりになってしまっているのも周知の通り。
いったい何がしたくて政権与党についているのでしょう?まずは、党内方針をしっかりまとめて、与党として一枚岩にならなければ何をやっても上手くいくはずがありません。毎度、新しい党首を選んでおいてこれでは無責任政党にもほどがあります。できないのであれば即刻政権を返上してほしいものです。

 現与党である民主党について、次のような記事が書かれてあります(産経記者・高橋昌之氏の「高橋昌之のとっておき」から)

 『日本は、国の行く末を大きく左右する出来事ばかりで、まさに大きな岐路に立たされているといえます。そのかじを取るのは、野田佳彦首相と政権与党である民主党なのですが、あまりにも心もとないので、今回はそれを書きたいと思います。

 まず、民主党の現状を象徴する出来事が10月31日にありました。同日の民主党代議士会で、平野博文国対委員長が本会議中に席を離れる議員が多いと指摘し、「緊張感を持つように」と要請しました。さらに山井和則衆院議院運営委員会理事は「ヤジが行き過ぎている。子どもの教育上もよろしくない」と注意しました。

 それでもその日の衆院本会議では、多数の議員が席を離れ、ヤジも個人攻撃のようなレベルの低いものが飛び交いました。さながら小学校か中学校の「学級崩壊」の様相ですが、これが政権与党である民主党の現状なのです。

 欠席、途中退席、下品なヤジにとどまらず、居眠りや談笑など、国会での議員の態度の悪さは今に始まったことではありません。ただ、これほどの国家的危機に直面しているにもかかわらず、政権与党がこの体たらくでは困ります。

 そして、その「学級委員長」である野田首相は、ほとんど国民にメッセージを発しない「だんまりどじょう」と化していて、「学級」を引っ張るリーダーシップはほとんど発揮していません。というよりは、財務省を中心とする省庁という「先生」の言うことばかりを聞く「良い子」に徹しています。これでは「学級」をまとめることはできず、こんなことで国家的危機に対応できるはずがありません』


 と言うような、目を覆うような政治家達の低落が日々進んでいるようです。政権運営能力の欠如している党にこのままやらせておくのは不幸の先延ばしにほかなりません。一刻も早く衆院解散総選挙をして国民の真を問うべきだと感じている次第です。
2011年10月29日(土)
「政治の混迷と日本経済展望」 岸博幸氏。
 先日、某金融機関主催による「政治の混迷と日本経済展望」との講演会が催されました。
講師は、昨今、新進気鋭の経済評論家として脚光を浴びている岸博幸氏です。
岸氏のご経歴は、小泉政権時代の経済官僚、総務大臣秘書官として、竹中平蔵大臣のもとで補佐官や秘書官としてご活躍をされていました。その後、「官僚国家日本を変える元官僚の会」を立ち上げ、自らも脱藩官僚となられ、現在に至っておられます。

 さて、講演内容のほうですが、冒頭から、「自分はご存知のとおり”TVタックル(東京)”や、”たかじんのそこまで言って委員会(大阪)”などにテレビ出演しています。主に右寄りの論客として出演していますので、これから野田総理や民主党の悪口になると思います。ですから、そちらの支持者の方がいらっしゃれば今から退席してもらっても構いません」と、いきなり歯に衣着せぬ物言いで場内は爆笑です。
 続いて、「現在の日本政府の経済方針は、①東日本大震災復旧対策②原発の是非を含めたエネルギー対策③包括的な日本経済景気対策。の3点が柱となっています。その3点とも、大学の試験で例えると、どれも落第点です(現・慶応義塾大学教授)
また、財政再建は経済再建とセットにしないと絶対に景気回復は望めない。特に、景気低迷の原因は15年続いている”デフレ”が要因である。今の経済状況下で増税したら更にデフレになる。経済が成長する中で増税することがベスト。なので、まず”デフレ”を脱却することが一番の良薬である。
 デフレを長引かせている一番の元凶は日本銀行です。日本銀行は豊富な手元資金を要しているにもかかわらず市場に円を供給しない。アメリカなどは、経済活性化のためにドルの流通を大胆に増やしている。また、スイス銀行もフラン高を阻止するために大胆な為替介入している。そんな中で日本だけが安全策をとっているので日本買いが増えて円高が定着している。なので、市場に円の供給量を増やせば他の国々とのバランスがとれ、円高を防ぐことができる。
 それを日本銀行しないのは、財務バランスシートの劣化を防ぐためです。しかし、ユーロ各国やアメリカが危機的な状況で且つ、日本がデフレから脱却するためには、日本銀行だけが内向きになっていてはますます活路が開けない。それを変える事ができるのが政治の力なのです。が、しかし、今の民主党にはそんな力はない。既に官僚の言いなりになってしまった。民主党の掲げていた国家公務員給与二割削減もいつの間にかどこかに無くなってしまった。
 いずれにしても今は、デフレ脱却のために政府・日銀、官僚がスクラムを組んで思い切った策を打つことである。
世界の投資家達は、日本のものづくり現場力が世界に誇るものだということを知っている。そこを分かっていないのが逆に日本人だけなのです。デフレ脱却が進んで行けば日本の経済力は再び揺るぎないものになるはずでしょう」とのお話でした。

 欧州・米国金融不安、タイ大規模洪水、東日本大震災、超円高、デフレ定着など、私達の前には次々に課題が山積しています。しかし、夜明けは必ず来ます。この貴重な経験を未来に活かしながら日本人は誇りを持って立ち向かいましょう( ̄∧ ̄)
2011年10月23日(日)
第26回ヒロシマMIKANマラソン大会。
 春に出場した呉とびしまマラソン大会に続き、ヒロシマMIKANマラソン大会に出場してまいりました。
自称ランナーの呼声にこだわりたいがため、トレーニング不足にもかかわらず、またもやハーフマラソンに強行出場しました。
呉とびしまでは制限時間ギリギリ(2時間29分)でしたので、今レースも制限時間内での完走が目標となります。

 さて、本マラソン開催地は江田島町です。
広島港から高速艇に乗船し、約30分くらいで中町港に到着。そこから無料送迎バスに乗車し、目的地まで約15分です。
エントリーの受付を済ませてからスタートまでの間、いつもより念入りにストレッチ体操で筋肉を揉み解しておきます。
と言うのも、この大会はハーフマラソンに初挑戦した思い出の大会なのですが、ペース配分が分からずにがむしゃらに走った結果、復路で足が攣った苦い経験がありました。それだけに今回は、念入りなストレッチを心がけ、復路で体力を消耗しないようペース配分に十分注意して望もうと考えていました。
 いよいよ10時35分。号砲が鳴りハーフのスタート。
「今回は完走できるだろうか?」と、不安な気持ちが入り混じる半面、「絶対に完走してみせる!」と、自身に言い聞かせながら走ります。と言うか・・・、その思惑と自身の身体が相談しながら走っているという感覚でしょうか。
レースが始まって最初の3kmぐらいまで、身体が重く、息継ぎも苦しくすでにピンチ。(ウエイトが増えているためです(^ ^;)
しかしここを乗り越えると、徐々に身体が馴れてきますので、ここからマイペースを意識しながらレースを運べます。
約11km地点での折り返しを迎え、身体はまだまだ快調。しかし、復路からは足の痙攣を恐れながら慎重に足を進めます。
残り7km過ぎあたり、身体の節々が痛み始め、息がきれはじめました。ここからが自身との戦いです。
走りながら何度もリタイアの思いが過ぎりながら、あと6km、5km、もう少し頑張ってみよう・・・4km、3km、ここまで来たら完走できる・・・2km、絶対に歩いてはいけない!1km、声援に励まされているので恥ずかしくない走りを!など、常に自問自答しながら走っているような感覚です。
そして、約21km間での様々な葛藤を乗せて、最後は念願の完走!となる訳です(^〇^)
完走タイムは2時間24分。呉とびしまタイムよりも約5分向上していたのでとりあえず満足しました。

 この3年間、5km、10km、ハーフ、フルマラソンと、レベルを上げながら全てを走破することができました。
40歳を過ぎてからでも、身体を鍛えれば鍛えるほどまだまだできることも経験できました。
ただ小生の場合、フルマラソン完走の達成感をピークとすれば、その後のタイムは下降線を辿り、現在では完走を目標に切り替えておりますが・・・(^ ^ゞ
これからも、自身で自称ランナーと言えるよう、制限時間での完走にこだわって頑張ろうと思っています。

 ・・・と、それらしい心構えはここまで。やはり息抜きの必然性も考えなければなりません。
早速、広島港から自宅の帰路に着くまでの約4km間。酷使した自身の身体に、「お好み焼き、ビール、銭湯」のご褒美をやるための寄り道が必要となりました(^ ^;
2011年10月15日(土)
「ありがとう」 笹田雪絵。
 先週の日記で、”人生の成功とは、困難な時代を長生きした人に贈られるもの・・・” との、五木寛之氏の話でした。
ただそれは、日本全体が鬱病のような状態の中、一般健常者向けの誰もが共感できるような励ましのエールです。
自ら生きたくとも生きることの適わない方々、適わなかった方々も沢山いらっしゃいます。そのような方々が、限られた人生の中で精一杯努力する姿、一生懸命努力した姿で周りを勇気づけてくれる姿もまた賞賛される成功者ではないでしょうか。
 タイトルの内容については、感動プロデューサー作家・平野秀典氏の書籍から引用してまいります。

 「ありがとう」笹田雪絵さんのインターネットホームページ上のハンドルネームは”すのう”
中学生のとき、MS(多発化硬化症)という手足が突然動かなくなる難病にかかりました。病に負けずとびきりピュアな感性と類まれな表現力で、日記やエッセイを書き、そのエッセイは「幸せ気分」というタイトルで本にもなりました。
 その中で「ありがとう」というエッセイに次のように書かれてあります。
 「私決めていることがあるの。この目が物をうつさなくなったら目に、そして、この足が動かなくなったら足に”ありがとう”って言おうと決めているの。今まで見えにくい目が一生懸命見ようとしてくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。いっぱいいろんなもの、素敵なもの見せてくれた。夜の道も暗いのに頑張ってくれたんだもん。足もそう。私のために信じられないほど歩いてくれた。一緒にいっぱいいろんなところへ行った。私を一日でも長く喜ばせようとして目も足も頑張ってくれた。.なのに見えなくなったり、歩けなくなったとき”なんでよ!”なんて言ってはあんまりだと思う。今まで弱い目、足がどれだけ私を強くしてくれたか。だからちゃんと”ありがとう”って言うの。大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから”ありがとう。もういいのよ。やすもうね”って言ってあげるの。たぶん誰よりもうーんと疲れていると思うので・・・。でもちょっと意地悪な雪絵はまだまだ元気な目と足に”もういいよ”とは絶対に言ってあげないの。だって見たいもの、行きたいところ、いっぱいあるんだもん。今までのは遠い遠い未来のお話でした」

平野氏は、彼女のこのホームページ・”すのう”の日記を見ては勇気をもらっていたそうです。しかし、初版の本を執筆、出版という慌しさに追われて当分の間見ることができなります。やがて、その忙しさから解放され、再びホームページを開いてみました。
そこには、当時こんな言葉が書いてありました。。
 「2003年12月26日4時30分、すのうさんはお亡くなりになられました。10月初め頃から体調に異変があり、意識のない状態が続きました。しかし、最後にはお母さんに見守られ、さほど苦しまず息を引き取られたそうです。友達で看護婦の方からも、”冬に生まれ、雪や12月28日を大切にしていたすのうちゃん。すのうちゃんはSNOWになれたんだなあ、と私は思えてなりません。”とメールをいただきました。12月28日はすのうさんの誕生日でもあり、お葬式の日になりました。謹んで皆さんにご報告申し上げます」
 雪絵さんの友人の方が書き込んでくれた文章を見て、何かかけがえのないものを失った大きな喪失感を覚えた平野氏。
それから何度も大好きなエッセイを読み直したそうです。
 「いい日」
小さな女の子が言いました。昨日転んだところでまた転びそうになった時、”また転ばないように気を付けなきゃ。今日はいい日にするんだ”こんな小さいのに”いい日”というのは、自分の手でつくれることを知っています。
 「生きるとは」
私の言う”生きる”とは、自分を最大限に発揮するって意味。とことん生きたい。もっと生きたい。

 以上、死と隣り合わせの中で一生懸命頑張っていた雪絵さんの姿を思い浮かべると、なんと自分の軟弱なことか・・・。
今一度、この世に命を授かった重みを感じながら、悔いのない人生を送らねば・・・と考えさせられます。

2011年10月9日(日)
「いまを生きる力」 作家・五木寛之氏
 作家・五木寛之氏が広島で講演会をされました。
「いまを生きる力」という題目で、現在置かれている日本の状況を次のように述べられています。

 戦後六十数年で最も大きな出来事となった東日本大震災を含め、日本全体が「うつ」のような状況に陥っている。
その理由として、これまで歴史上、どのような苦しい時代にも必ずリーダーが存在していたのだが、残念ながらこの時代、そのようなリーダーが見当たらないことが大きな要因である。
 誰にも頼れない時代だから、誰もが自分で乗り切らなければならない。その時はこう思えばいいのだそうです。
「この時代、生きているだけで私たちは尊く偉いのだ。このような生きづらい時代を生きているだけで価値があることなのだ。だから本当は、たくさん長生きした人が一番偉く、尊いことなのだ」と、話をされました。
 また、「良い人生を送るためには、思いっきり泣いたり悲しんだりすることが大切である」と言われています。
長生きするためには、笑ったり楽しいことだけが秘訣なのではなく、「目の前の悲しみから目をそらさず、自然にまかせること。悲しい時には楽しい歌を聴くばかりではなく、悲しい歌や泣く歌を聴くことでも悲しみはやわらぐのです」と。
 
 五木氏の考えておられる人生の評価とは、裕福だとか、仕事が忙しいとか、楽しいとか、というようなことばかりでなく、困難な時代を生き抜く力。すなわち長生きをした人が一番の成功者なのです。という、至極原点のような考えでした。
確かにこの時代、成功のモノサシは難しいものですが、このように考えると納得させられるものがあります。
そして、私たちが人間として命を授けられたこと自体がすでに成功なのであり、この成功を更に成長させるためにも、一生に一度の人生を横臥しながら長生きをしましょう(^ ^)
2011年10月2日(日)
石川家の教育方針
 主題は、プロゴルファー石川遼君のお父さん・勝美氏が執筆された「石川遼・ゴルフのゆりかご」からのコラムです。
決して豊かではないと書かれている石川家の家庭環境。そのような中でご両親は、生活の全てを遼君に捧げられています。
その一例を抜粋しながら記述してまいります。

 ご両親は、遼君が誕生する前、埼玉県内の東武伊勢崎線沿線の駅に近い便利なアパートに住んでいました。
しかし、子供には伸び伸びと暮らせる住環境が必要だと考え、JR武蔵野線の駅までバスで20分以上もかかる場所にもかかわらず、30坪の庭のある念願のマイホームを購入したそうです。
その後バブルが崩壊して不動産価格は半減し、重いローンが残って一家の生活を圧迫したそうですが、「もしこの家がなかったら子供たちはゴルフクラブを握れていない」と、今ではようやく後悔せずに振り返れるようになったそうです。
 遼君が生まれてからは、高額なローンのこともありましたが、自分の好きな遊びもすべて中断したそうです。
旅行、読書は言うに及ばず、80台のスコアが出るほどの腕前になっていたゴルフ、釣り、油絵、そして競馬。競馬については、全国ほとんどすべての競馬場に惚れ込んだ馬を見に行くことや、新婚旅行に函館競馬場を組み込むほど好きだったようです。
 しかし、「私には家がある。遼のために買った家が」と、遼君がまだよちよち歩きのころ、そこそこの広さの庭に芝を張り、わずかに残った片隅に家庭菜園を作り、芝に穴を掘りミカンの缶詰の空き缶を埋めてホールカップに見立てて、その頃からゴルフごっこを始めたそうです。雨が降れば水が溜まるお粗末なものだったそうですが、遼くんは嬉々と庭で遊び、大人用のパターを40cm切ってもらって得意げに遊んだようです。

 「貧しいから分かる喜び」のコラムからは、
 我が家は、家のローンのこともあって、いわゆる贅沢をしたことがない。家族で外食するなどもってのほか。夏のラウンドには、ディスカウントショップで大量に買い込んだスポーツドリンクをペットボトルに小分けにして持参する。昼食は家内のおにぎり。移動は、中古で買った製造から16年を経たワンボックスカー。
 遼が小学2年生の夏休みのことだった。あるゴルフ場で親戚の者と一緒にプレーした。昼食をレストランで摂ったのだが、遼にとってそのようなレストランでの食事は滅多にない贅沢なこと。注文したハンバーグを前に、「お父さん、これはお母さんには内緒にしておこうね」と言うのだ。また、あるとき、いつもはゴルフショップの片隅やディスカウントストアで売られている安いロストボールばかりを使わせていたのだが、たまたま手に入れたニューボールを試合前に「使っていいよ」と渡すと、遼は、「お父さん、本当に使っていいの!お父さんは使わなくていいの?」と目を輝かせた。前述したように、ゴルフクラブも私のお下りを改造したものや、中古クラブを使い続けたので、新品の道具を使う時の遼の喜びようは大変なものだった。

 「2つのゴルフクラブに恵まれて」のコラムからは、
 早朝、家内が作った2人分のおにぎりと飲み物を持って、小学2年生で慎重20cmにも満たない子供を快く受け入れてくれた”しもふさカントリークラブ”に向かう。到着するとまずフロントで挨拶。ラウンドは小学2年生の遼一人なので、毎回、誰かの組に入れてもらってプレーすることになる。組み合わせが決まると、「石川遼です。宜しくお願いします」と挨拶する。私もカートを引いてキャディー役を務めて一緒に歩くので「父です」と頭を下げる。しもふさカントリークラブは、従業員はもちろん、来場者も含め一緒に回る小学2年生の子供に誰もが優しく接してくれた。
 昼食のときには、私は1人車に戻り、おにぎりを食べるようにしていた。プレーヤーの中に遼を入れて、私を交えない会話をさせたかったからだ。それがひいては遼を、プロトーナメントの中で、ひとりのプロゴルファーとして、仲間として、受け入れられる下地を作ることになる。アマチュアとしてのプロトーナメントに出るようになった当初は、私はクラブハウスのレストランには滅多に入らないようにしていた。食事のテーブルに私がいては、同伴のプロたちも何かと遠慮してしまう。プレーヤー同士、気軽に話したり、声をかけやすい環境に遼を置いておきたいと考えたからだ。

 以上、子供に対する石川家の教育方針でした。
 現在の優しい遼君があるのは、おじいちゃん、おばあちゃんと同居する大家族という教育環境もあると書いてあります。しかし、人格は一朝一夕にできるものではあらず。まさしくご両親が愛情一杯で包み込んできた成果の賜物だと思います。
益々変貌を遂げてほしい石川遼プロの成長に、今後も注目してまいりましょう。
 この本の中には、他にも沢山素晴らしいことが書かれてありましたのでご興味がある方は是非どうぞ(^ ^)
2011年9月24日(土)
当て逃げ御用!
 先日の朝、イワサキ本社での出来事からです。
Iさんから、「トラックが、会社の塀と接触して壊して逃げていきました」と報告がありました。
すぐに外に出て見ると、塀のタイルが割れて崩れている様を目にしました。
しかし、当て逃げをした相手がおらず、なんともやり場のない憤りが込み上げてきます。
すると、Iさんは、「トラックの看板名を見ました。そのトラックは近くのスーパーマーケットに出入りしている業者に間違いありません」と、自信を持って答えてくれました。
それを聞き、「よーし!でかした!」と早速警察に連絡し、現場検証してもらい、その業者名と近くのスーパーマーケットを伝えて一報が入るのを待ちました。
 それから一時間もたたないうち、交番から「当て逃げ者が判明しました。今、交番にきて事情徴収していますので、終わり次第そちらに向かわせます」とのTELが入りました。内心、「許さん!」という半面、どんな人間なのかも興味津々になります。

 数十分のち、弊社に加害者がやってきました。
玄関にでてみると、やまが悪そうに二十歳ぐらいの若者が一人で立っていました。
こちらと対面しても何も声を発っしないので、ため息交じりで、中の部屋に入るよう促しました。
左手の薬指に輝くリングをしている若者は、部屋の中に入っても一言も声を発っしませんので、いよいよこちらも怒りを交えながら、しらじらしく「どうしたんですか?」と聞きました。すると、やっと「すいませんでした」と小声で一言。
もう頭にくるやらあきれるやら、再び、「一人できたんか?会社の責任者は一緒に来ていないんか?」と質問すると、「外にいます」との事。 ・・・・・・・・「はあ~?」というようなやりとりです。
 もうお解かりでしょう。ここからは、礼儀のできない子供を叱るような説教部屋となりました。そして外にいる責任感のない責任者も部屋に入れて、「他人に損害を与えて逃げた部下のミスを詫びるのが責任者の勤めではないのか?」と、こちら側にも同じような説教をする始末・・・。しかもその責任者は、六十歳前後の年長者だったため、大変複雑な気持ちになりました。
 若者の将来のため、この失敗を是非とも今後に活かしてほしいと思い、一生懸命に道徳心を伝えました。
別れの頃には、若者は自分の思いをきちんと言葉で伝え、謝罪し、返事をし、目の色は最初と変わっていました。
そして部屋を退出する際、若者は、「ありがとうございました」と自ら握手を求めてきましたので、こちらも握手で握り返したあと肩をたたいて、「これからも頑張れよ」と声をかけておきました(^ ^)
 ただ、どうしても最後まで引っかかったのが責任者です。
部下の過ちをフォローできず、会社の看板を背負っている自覚も感じられず、他人事ながら大変憂慮を覚えました・・・。

 その後、ひと回り小さいトラックに乗って元気に運転している若者の姿を、Iさんが報告してくれました。
実は、事件後、あの責任者が若者を会社から辞めさせていないだろうか?と、少々心配しておりましたので、ホッと胸をなで下ろている次第です(^ ^;
2011年9月18日(日)
たかが「おにぎり」 されど「おにぎり」
 自分の興味本位で始めた料理作り。
毎日コツコツ続けているうちに生活習慣となり、現在では家族の朝食作りを担当してから早や5年が経ちます。
週末には、近所のスーパーマーケットに出掛け、一週間分の献立を考えながら買い物をしております
まさか自分が、このようになるとは予想すらしていませんでしたが、「ええことじゃ!ええことじゃ!ずっと続けんさいよ!」と、もう一人の自分がいつも応援してくれているので、仕事で留守のとき以外は必ず作るようにしてます。

 そのような料理作りにおいて、最近「おにぎり」作りにはまっています。
これまでは、「俵むすび」の経験はあったのですが、王道である「三角むすび」は、難しそうで挑戦できずにいました。
休日の朝、何気なく握ってみると、我ながらまずまずできたので家族に出してみると、OKサインが出たので自信を持ちました。
それからというもの、大きさ、握り具合、三角形、塩加減など、「おにぎり」作りの奥深さを堪能しているとともに、具材においても、昆布、鮭、かつお、納豆、とろろ昆布、鳥そぼろ、ウインナーなど、バラエティーに入れて楽しんでおります。
たかが「おにぎり」、されど「おにぎり」。日本食の象徴である「おにぎり」は小生の心を揺さぶってくれます(^ ^ゞ
 また、今年の個人目標に「魚の三枚下し」も家族に宣言しておりました。
そして本日、スーパーで大特価の「やず」を手に入れて、早速三枚に下してみると・・・、”大成功”です(^^)v
今夜は、「ぶり」ならぬ「やず」の照り焼きで乾杯をしてみます(^ ^;
 以上、ちっぽけな出来事なのですが、出来ない事が出来るようになると、案外、自分に自信がつくものです。

 最後に、禅林類聚の「歩歩是道場」という次のような説明で締めくくります。
「歩歩」とは、一歩一歩自分が歩いていることを感謝することだ。禅では、この一歩一歩が道場だという。一歩一歩と歩いて行く動作の素晴らしさに感動しつつ、実は、自分だけの正義が死んでなくなり、次の正義が現れる。
今まで見えなかったことが見えてくる。今まで耐えられなかったことが、平気で耐えられるようになる。
死んでしまったらもう歩けない。歩きながら、一歩一歩の足の素晴らしさが身にしみる。草原であろうが、丘であろうが、会社の階段であろうが、ただひたすら、一歩一歩と確認して歩く。すると気持ちが落ち着いてくる。
2011年9月9日(金)
政治は無能なのに経済最強な不思議な国ニッポン(海外メディアより)
 この5年間でコロコロ6人の総理大臣が替わる政治後進国の日本。しかし、その一方で、経済は依然最強であると海外メディアでは報じています。普段、日本では取り上げないような視点から上手く説明してあります。

 韓国メディアはこう書いています。
 日本では奇妙なことに、世界的な金融危機が発生するたびに円高傾向がもたらされる。普段は日本を蔑んでいる世界の国々も、危機が起きると「やっぱり日本だ」という羨望のまなざしで見るようになる。格付け会社は今回「国家の債務が国内総生産(GDP)の200%を超え、先進国で最悪の財政赤字となっている」との理由で、日本の国債の格付けを引き下げた。しかし、日本が米国やイギリスよりも危機的な状況にあると考える専門家はいない。無能な政治家たちが招いた長期間の低迷を意味する「ジャパニフィケーション(日本化)」という造語が生まれる一方、日本の現実はそれとは正反対に向かっている。
 世界的な危機が発生するたび、日本円が「安全な資産」として急浮上し、円高傾向につながるという「逆説」が繰り返されるのはなぜだろうか。その理由として、まずは「貯蓄の力」が挙げられる。日本国内の資金に占める国債の割合は95%に達し、家計金融資産は1400兆円を超える。外国資本が国債を売れば、それだけで混乱に陥る米国とは異なり、日本は海外に資金を貸し付ける債権大国だ。高齢者の増加により、平均貯蓄率は下がったというが、30‐40代の貯蓄率はむしろ上昇傾向にある。
 その上、製造業は依然として強さを見せている。米国アップル社のスマートフォン(多機能携帯電話)「iPhone」のような世界的ヒット商品こそは誕生していないが、日本企業はその部品を生産している。「iPhone4」の部品生産国別の付加価値率(売上高に占める付加価値の割合)を調査した結果、日本が34%で1位を占めた。

 同様な分析を中国メディアでもしています。
 根本から言えば、日本経済には「失われた20年」は存在しない。1985年のプラザ合意後、円は2.4倍も切り上がり、大量の資金が株や不動産、土地取引に流れ込んだ。そして、政府の支持と指導の下、これらの資金は国内から海外へと移動していったのである。日本は1987年末、国内の株や不動産取引への融資を取りやめたが、海外では無利息で融資を続けた。
その結果、この20年、日本の海外における経済力は国内の1.8倍にも膨れ上がった。海外資産は40倍、海外純資産は60倍も増加。世界中のすべての市場、業界で日本マネーを見ることができる。こうした状況の下、日本国内の経済成長も緩慢ではあるが、20年間ほとんどマイナス成長が見られなかった。これだけですでに奇跡だといえる。
この20年は日本にとって「失われた20年」ではなかったのだ。むしろ、「海外で高度成長を遂げた20年」といって良い。巷では良く、「日本は海外に『1.8個分の日本』を持っている」という例えが用いられる。海外にそれだけの資産を持っているという意味だ。それに、日本は世界最大の債権国。世界の95パーセントの債権を日本が握っている。
 今回、日本国債が格下げになったが、日本の経済成長に具体的な影響は現れていない。世界最大の債権国が国債を返済する能力がないなんて、全くのナンセンスである。「1.8個分の日本」と言われるだけあり、日本には長年積み上げてきた財産がある。これは日本のグローバル化戦略にとってかなり有利なこと。決して軽く見てはならない。
 経済のグローバル化で本当に得をするのは日本だ。多くの国がグローバル化の波を感じ始めたばかりなのに対し、日本はすでにその準備が整っているのである。
 また、日本はなぜ首相がこれほど頻繁に代わっても、経済や社会に大きな影響がないのか。それは、体制(官僚機構)が国を治めているからで、人(政治家)が国を治めているわけではないからだ。重大な政策や方針はほぼ固まっており、合理的な制度や健全な政治体制も整っている。制度が成熟した国はたとえ「無人運転」でも、社会の秩序は保たれるのである。

 以上、日本の政治はどうしようもないが、社会と経済が安定しているのは、国民の貯蓄や技術の蓄積、債権大国、プロが集まる強力な官僚機構など、構造的にしっりしたシステムが成熟しているからだという、海外メディアの視点からでした。
普段、日本国内では世界一の借金大国という後ろ向きな報道ばかりをします。が、海外メディアからの視点では、世界の95%を握る債権大国でもあるので何ら問題ないとの話です。「ところ変わればなんとやら」で、見方は色々あるということです。
 バブル崩壊後、自虐的になった日本人にとって、久々に勇気づけられる内容だと感じて見たのは私だけ・・・?
2011年9月3日(土)
第95代内閣総理大臣・野田佳彦氏
 民主党代表選挙において野田佳彦氏が選出されました。
立候補した五名の中では、てっきり三番手ぐらいだと思っていましたので、意外な結果に驚きでした。
しかし、小沢派の海江田氏が選出されなかっただけ、まずはホッとしております。

 野田氏についてですが、失礼ながら全く素性を知りません。知っているとすれば、野党時代、政治番組に出演していた時の顔と、超円高に対する具体的な政策もなく為替相場を放置し続けてた前・財務大臣というイメージです。
議員経歴について野田氏と前原氏はまだ置いといても、他の三名においては、”こんなに重責経験の浅い政治家達に日本を任せなければならないのか・・・”と思うほど民主党の人材不足が理解できました。

 さて、その野田氏。翌日の日経新聞の特集を見てみると松下政経塾の第一期生です。
その日経新聞一面「春秋」に、松下政経塾を創設した松下幸之助の言葉を交えて次のように書かれてありました。
 「誰でも自分を養うだけの金儲けをしなければならない。力のある人はそれ以上の金儲けが必要。そう松下幸之助さんは説き、”金儲け省を置くくらいでないと駄目だと主張した(松下幸之助が考えた国のかたち)
 ”経営の神様”は国家の経営を企業経営に見立てた。企業は社員に賃金を支払って余るほどお金を稼がなければ成長はない。国の成長も同じというわけだ。”首相は日本産業株式会社の社長”も持論だった。100万円納税した人は150万円分の見返りを得られるようにすることが、国の役割だと言っていた。
 民主党新代表に就いた野田佳彦さんは、松下さんが国家経営を担う人材を育てようと設立した松下政経塾第一期生だ。が、代表選での発言は物足りなかった。行政改革に全力を挙げ、徹底して無駄を省く。それには勿論期待しているが、富の創造や成長への執念がうかがえる言葉は、あまり聞こえなかった。
 この20年間、日本の経済は停滞し、賃金は伸び悩んだままだ。企業は毎年、コスト削減に追われ続け、経営者や社員には疲れが見られる。このへんで閉塞状況に区切りをつけ、企業も国も成長する力を取り戻したい。新首相になる野田代表には”日本産業株式会社の社長”として、その道筋を力強く語ってほしい」
 以上、「春秋」コラムからでした。

 経営の殿堂・松下幸之助塾から、めでたく総理大臣が初輩出されました。
野田氏が幸之助氏の教えを忘れていないのであれば、国民にお金をばら撒くような無策ではなく、国民に勤労を奨励しながら日本産業株式会社を発展・成長させていくことが重要な努めとなります。
その際、忘れてほしくない事は、”世界トップレベルのものづくり技術”が日本産業株式会社のエンジン(生命線)だという事です。
 民主党政権にとって、これが最後のチャンスとなるはずです。「どじょう内閣」とやらのお手並みを拝見させて頂きましょう。
2011年8月27日(土)
日本人の感性 Part2
 さて、7月6日に記述していた「日本人の感性」の最終コメントに、”どうして現在のような統率のとれない日本になってしまったのしょう?”と、書き残しておりました。その続きを、作家・藤原正彦氏の文献「国家の品格」にもとづいて記述します。

 現在のアメリカや日本は、いずれも主権在民の民主国家ですので国民が政治を決定します。
主権在民とは「世論がすべて」ということです。そして、国民の判断材料はほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、マスコミが第一権力になっているということです。
そうなると国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。
 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということで、この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。
真のエリートには二つの条件があります。第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていること。そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。
第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。この真のエリート、いま日本からいなくなってしまいました。
昔はいました。旧制中学、旧制高校は、こうした意味でのエリート養成機関でした。旧制一高の寮歌の中に、「栄華の巷、低く見て」という歌詞があって、時に、「悪しきエリート主義」の象徴みたいに言われますけど、この歌詞はある本質を衝いていて、真のエリートには、俗世に拘泥しない精神性が求められるからです。
 戦後、わが国を統治したGHQすなわちアメリカ最大の課題は、「日本を再び立ち上がってアメリカに刃向かわないような国にする」ということでした。下手にエリートをつくると、底力のあるこの民族は再び強力な国家を作ってしまう。そこで、まずエリートを潰さねばというわけで、真っ先に旧制中学、旧制高校を潰してしまった。それは慧眼と言おうか、彼らの思惑通り、六十年後の現在、真のエリートが日本からいなくなり、国家は弱体化してしまいました。
確かに永田町や霞ヶ関には、東大を優秀な成績で出た人がいっぱいいます。しかしそれは、いわゆる「偏差値エリート」にすぎません。それは片足ケンケンが上手いのと同じようなもので、国のためにはあまり役立たない。先の二つの条件を満たす「真のエリート」がどうしても必要なのです。
 先進国家は、一万人の殺人犯がいても何ともありません。しかし、一万人のエリートがいなかったら潰れます。イギリスやフランスでは、そのようなエリートをきちんと養成しています。イギリスにはパブリック・スクールやオックスフォード大学・ケンブリッジ大学の出身者、フランスには大学よりも格上のグランゼコールの出身者など、真のエリートが健在です。イギリスの政治家には真のエリートが多いので、賄賂や汚職の話はほとんど聞きません。国民のために命を捧げるような者は、国民を欺くようなことはしないのです。 

 その真のエリートを頂点とした国作りにおいて、日本国民が大切にしなければならないものが、「四つの愛」です。
「四つの愛」は何かと言うと、まず、「家族愛」です。それから、「郷土愛」、それから「祖国愛」です。この三つがしっかり固まった後で、最後に「人類愛」です。
順番を間違えてはいけません。家族愛の延長が郷土愛、それら二つの延長が祖国愛だからです。日本ではよく、最初に人類愛を教えようとしますが、そんなことがうまくいくはずがありません。「地球市民」なんて世界中に誰一人いない。そんなフィクションを教えるのは百害あって一利なしです。まずは家族愛をきちんと整える。それから郷土愛。それから祖国愛です。このうちどれかが欠けていたら、世界に出て行っても誰も信用してくれません。
祖国愛に対して不信の目を向ける人が多いかもしれません。「戦争を引き起こす原因になりうる」などと、とんでもない意見を言う人が日本の過半数です。しかしそれはまったく逆で、「祖国愛のない者が戦争を引き起こす」のです。

 以上、長文となってしまいましたが、統率のとれなくなった日本の現状について上手く捉えてあると思い記述しました。
ご興味のある方は、文献をご覧になってみて下さい。忘れられた日本人の高潔な姿が沢山ちりばめてあります。

 一方、現政治に戻り、昨日26日、ようやく菅首相が辞任表明を行いました。
その会見のなかで、自らの一年余りの政治運営について成果を誇り、自画自賛する姿を大変驚いて受け止めました。
成果・結果は周囲が評価するものであって、「去るもの多くを語らず」が日本人の潔さです。
日本国総理大臣が、自ら花道を作るために、不十分きわまりなかった政治空白を、あたかもやり遂げたような手柄として自作自演をする姿を見て、ここまで日本は落ちぶれてしまったのかと情けなく見たのは私だけではないと思います。
 また、辞任表明にこんなコメントがありました。
”自らの責任で国民の皆さんに理解を得ながら進めていく。そういう方が、やはり日本のリーダーとしてはふさわしい”.と。
この言葉が元市民運動家だった菅首相、いえ政権与党・民主党の姿を表していると思いました。
国民の声に耳を傾けながら政治をするというのは一見聞こえはいいのですが、いつも国民やマスコミの様々な声や顔色を伺いながら理解を得ながら決断するようなリーダー達では、この難局を乗り切れるわけがありません。
最悪な事態から日本を復活させるリーダーとは、藤原正彦氏の言葉を借りれば、マスコミや一部の声に惑わされず、祖国愛を根底に揺るぎない信念・持論で国家・国民を強引に引っ張る勇気をもっている真のエリートリーダーだと思います。
 日本危機的状況のなか、首相後任に五名が立候補しておりますが、再び同じ過ちを繰り返すことはすでに明白です・・・。
2011年8月20日(土)
広島カープの躍進。
 夏季休暇も既に明けておりますが、皆様におかれまして充実した余暇を満喫されましたでしょうか。
小生は、日頃なかなか手をつけることのできなかった草刈り仕事を2日間にわたり満喫してまいりました(^ー^;)

 さて、タイトルの広島東洋カープの躍進ぶりですが、久しぶりに野球を楽しませてもらっています。
8月のこの時期、2位まで順位が上昇したのは1993年にカープが優勝して以来、18年ぶりとのことです
昭和50年のカープ初優勝以来、小生は強いカープしか知りませんでしたが、ここ18年間は万年Bクラスが定着しており、昔の強い面影はまったくありません。
 強かった広島カープの第一次黄金期は、名将・古葉監督が率いての江夏豊・山本浩二・衣笠幸雄・等々を要する”投打にバランスのとれたチーム”でした。第二次黄金期は、阿南監督や山本浩二監督が率いての大野豊・北別府学・佐々岡剛・達川光男・等々を要する”投手主体のチーム”でした。第一次・第二次のいずれにおいても強力な投手陣で黄金時代を築いてきました。
 ですから、この18年間の低迷については、おもだった投手が育っていないことに一つの要因があります。

 それが、今シーズンより様相が変わってきております。
昨年度セリーグ投手部門6冠を得とくした前田健太が投手陣の柱に育ち、セットアッパーの2年目ルーキー・今村猛の台頭、新外国人・先発バリントンの安定感、クローザー・サファテの圧倒的な存在感。などなど他にも計算できる投手が徐々に育ってきており、これまで接戦に弱かった試合をものにできるようになってきております。
ただ・・・、首位ヤクルト以外の4チームが勝率5割をウロウロする低次元な争いをしているので、それに助けてもらっている一面もありますが・・・(^ ^;

 チーム力が徐々に向上している理由は色々ありますが、やはり新球場効果が一番でしょう。
新球場は、テーマパークのような楽しさとサービスの充実、広島駅への交通アクセスも良いので随分と観客数が増えました。観客が増えると選手のモティベーションが上がるのは必然となりますので、相乗効果は間違いありません。。
 また、広い天然芝球場となったことで、広島野球の真骨頂である”守り”と”走り”の強化、そして強い投手力の復活が望まれました。そこで、名球界メンバーである巧肩攻守の野村謙二郎氏を監督に据え、投手コーチには球界を代表する名ストッパーだった大野豊氏を据えました。両者とも、カープ第二次黄金期を支えていた生え抜き選手で、球団からの信頼も厚く、カープ再生のための切り札的登用でした。そのような目で見てみると、現在のカープは、野村監督・大野投手コーチの目指すプレースタイルが色濃く出た野球をしており、守って走って投げ勝つスピーディーなチーム作りになってきています。

 カープがあと50試合息切れせずにどこまで頑張れるのか?
いずれにおいても簡単に諦めず、ここでもうひと踏ん張りすれば上位進出が可能な位置にいるので、このチャンスを活かしながらチーム作りの自信へとつなげ、来期の球団・選手・ファンにとっての期待に繋げて欲しいものです。
是非とも、最後まで頑張り抜いて好成績を残してほしいと願っております。
 ともあれ・・・、野球に熱くなるのは小生も18年ぶりなので、久しぶりに興奮しております(^ ^ゞ
2011年8月8日(月)
夏季休暇のお知らせ。
 これまで、週一の日記更新を心掛けてきましたが、遂に記録が途切れてしまいました。
というのも先月、デスクトップからからノートパソコンに変更、出世したまではよかっつたものの、ここまでシステムトラブルで苦しんでおりました。まだノートの操作にも慣れていないせいか、ぎこちないなかで使用しています。

 さて、弊社の夏季休暇についてお知らせいたします。
今週8月12日(金)~16日(火)までの5日間を予定させていただいております。何卒ご周知のほど宜しくお願い申し上げます。
 広島では、記録的な長雨と台風の後、8月に入って暑い日が続いておりますが、「暑さ寒さも彼岸まで」。
お盆を過ぎるまではどうにか乗り切りましょう。
皆様の休暇が、思い思いの余暇となりますよう心よりお祈り申し上げます。「よい余暇をどうぞ」
2011年7月30日(土)
「中国高速鉄道」衝突事故。
 この度の鉄道脱線衝突事故により、不慮な事故に遭遇された方々に心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。

 いやはや・・・、中国高速鉄道大事故ニュースの一報に、まずは耳を疑ってしまいました。
というのも、事故の数日前、中国の威信をかけた高速鉄道として全世界に国威高揚をアピールしていたからです。
またそれは、フランスやドイツ、そして日本の新幹線技術をふんだんに模倣した揚句、独自の特許技術として他国へ高速鉄道の売り込みをかけて問題になっている矢先だったので、国家のメンツは丸潰れになっております。
 それにしても、事故後の中国当局の対応を見ていると、この国がつくづく恐ろしくなってしまいます。
国家がマスコミを情報統制し、事故を包み隠そうとする旧態依然の手法。しかし、昨今のメディアがこれだけ発達してはもはや情報統制にも限界があります。今回の事故後、次々と新たな真実が明るみになるにつれ、中国当局も後手に回っています。
 そこでは、人命救助よりも国家の面子を最優先する姿があらためて浮き彫りとなり、生存者(子供)がいるにもかかわらず車両を埋めようとする隠蔽体質。その上、各車両にはもっと多くの客が乗車していたにもかかわらず、死亡者が約40名とは本当なのでしょうか。また、事故後の現場検証もろくろくせず車両を撤去し、数時間後には運転再開するような非人道鉄道会社です。

 あらためて、人命や安全を軽視している「秩序なき大国」が力を持ち、世界で幅をきかせてきていることに憂慮を覚えます。
しかし隣国の日本は、経済関係上においても、今後も付き合わなければなりませんのでその対策を練らなければなりません。
 そこで、まず自由主義の価値観を共有する日米同盟を基軸にし、ここに日本と親交の深い東南アジア諸国、オーストラリアを含めた環太平洋ラインの安全保障を結ぶことが望ましく(現在各国も同じ考えです)、それではじめて中国とのパワーバランスが築けます。と言っていたのが、自民党・安倍元首相の構想でした。
 しかし残念なことに、現与党の民主党は、その逆を売りにしてきた党で、鳩山前首相(小沢一郎)のもと、日米同盟から中国寄りにシフトをすすめました。その結果、これまで築いてきた日米安全保障に亀裂を生み、その弱体化を衝くかのように中国漁船尖閣問題で中国につけ入れられ、ロシアには北方領土問題で、韓国には竹島問題で、その揚句、三国にタッグ組まれて日本国土を脅かされる羽目に。最終的に、民主党はアメリカ沖縄基地の県外移設を撤回し、国民の高い授業料を費やしてやっと日米安全保障の重要性を理解できた訳です。
 結果として、民主党の絵に描いたお人好し外交は通用せず、絵に描いたマニフェスト公約も実現不可能だったことを先日の国会で岡田幹事長が認めました。
そのような幼稚な政党が今も国家運営を続け、そして辞めるはずの総理大臣が居座り続けるコメディーのような政治。日本がリーマンショックと大震災で傷の癒えない中、今度は史上最高値の円高が追い討ちをかけているのもかかわらず、、レームダック状態の政府は何もできずに指をくわえている赤ん坊のようです。
 なんと酷い政治になったのでしょう・・・。船頭のいない日本はどこに向かって航海しているのでしょう・・・。
綺麗ごとばかりの人気政治はもうこれくらいにして、これから本音で本物の政治ができるよう願うばかりです。
2011年7月23日(土)
なでしこジャパン世界頂点に。
 今年になって暗いニュースが多い中、久しぶりに日本国民の明るくなるニュースが飛び込んできました。
FIFAワールドカップ女子サッカーで、日本女子チームが優勝を果たしてくれました。大震災後、日本全体が暗く沈んで傷の癒えない中での優勝ですから、素晴らしく価値のある朗報でしょう。

 アメリカとの決勝戦は、小生も目覚ましをセットして、眠い目を擦りながらテレビ観戦しました。
試合展開は、常にアメリカ優勢のなかで、失点してもおかしくない場面もたくさんありましたが、運にも恵まれながら日本のデフェンスもよく守りました。一方、日本はというと、数少ないチャンスをモノにしたような神がかり的な印象で、なにかが後押ししてくれていたような幸運も感じました。それはPK戦の結果にも現れていたように思います。
 死力を尽くした日米決戦は見応えがありました。太平洋戦争以来、主要スポーツの決勝戦において日米が戦ったことが案外なかったように思えます。日本もそうでしたが、米国マンハッタンでの街頭応援も相当な盛り上がりのようでした。
個人的な意見を言わせてもらえば、延長戦で決着がつかない場合、PK戦で決着をつけるのではなく、その時点で両国同時優勝にし、共に健闘を称えあい笑顔で抱擁できるような表彰式があればいいものだと感じました。

 今回大会のマスコミ報道を見ていると、開催国ドイツを含めた各国から、”なでしこサッカー”高評価の論調が多かったようです。それは、小さい身体でも互角以上に勝負でること。絶対に諦めないこと。フェアプレーに徹したこと。などが挙げられるでしょう。そして、他国とは異なるパスサッカーの確立がセンセーションをまき起こしたのでしょう。
 しかし、そんなことより嬉しかったことが一つ。
それは、毎試合終了後、彼女たちが国の代表として横断幕を掲げスタンドに向け感謝の意を表したことです。
「To Our Friends Around the World Thank You for Your Support」(世界の仲間へ、支援をありがとう)と、震災後、支援の手をさしのべてくれた各国に対してメッセージを発信してくれました。
それは、「どんな困難があろうとも、日々歯を食いしばり、周りへの感謝を忘れず頑張っている人達」からのメッセージにもなると思います。”なでしこ”の奮闘に負けないよう、私たち日本国はへこたれず一歩一歩復活を目指して頑張りましょう!
優勝おめでとうございます。そして夢をありがとうございます。
2011年7月16日(土)
日本人の感性。
 東日本大震災発生直後、日本人の冷静に振舞う姿や、我慢強く助け合う精神に対し、世界各国から感動・賞賛の声が挙がっています。日本人にとってそれが自然な振る舞いなのでしょうが、それは他国とどう違っているのでしょうか?
作家・藤原正彦氏は、次のような事を書かれています。

 「無常観」という類いまれな血が日本人には流れている。
「無常観」とは、インドのお釈迦様が説いている哲学です。万物は逆転する。永遠に不変なものは存在しない。いまあなたがいる建物も必ずいつかは朽ち果てる。あなたの周りの人間も百年後には誰もいない。何もかも永遠に同じ形を保つことはない。
また、日本という土地は、台風や地震や洪水など、一年を通して自然の驚異が絶えません。他国よりも余計に「悠久の自然と儚い人生」という対比を感じやすいため、「無常観」というものが生まれやすい風土とも言えるのでしょう。
 「平家物語」の中に、源平合戦の有名な一場面があります。
一の谷の合戦の際、熊谷直実が敵の平家の武将を捕まえた。殺そうと思って顔を見るとまだ若い。十五歳の平敦盛だった。
自分の息子ぐらいの歳である若者を殺していいものかどうか。熊谷直実は思わず逡巡するわけですが、さすが平敦盛は「首を討て」と直実に命令します。直実はしかたなく首を討つ。その後、手にかけてしまった若者を悼んで直実は出家してしまう。
このような敗者、弱者への共感の涙。これが日本の無常観にはある。能の「敦盛」が今でも延々と演じられているのは、こういう無常観、武士道でいう惻隠に近いものが今も日本人の心の中に流れていて心を揺さぶられるからでしょう。
 「情緒観」もその一つ。
日本人は虫の音を音楽として聴き、虫の音で心を洗らい、憂愁に心を静まらせ、そこに”もののあわれ”をみいだしている。
十年ほど前に、スタンフォード大学の教授が私の家に遊びに来ました。秋だったのですが、夕方ご飯を食べていると、網戸の向こうから虫の音が聞こえてきました。その時この教授は、「あのノイズは何だ」と言いました。スタンフォード大学の教授にとっては虫の音はノイズ、つまり雑音であったのです。その言葉を聞いたとき、私は信州の田舎に住んでいたおばあちゃんが、秋の虫の音が聞こえ、枯葉が舞い散り始めると、「ああ、もう秋だねえ」と言って、目に涙を浮かべていたのを思い出しました。「なんでこんな奴らに戦争に負けたんだろう」と思ったのをよく覚えています。
このように、虫の音を楽しむというのは、欧米にはもちろん中国や韓国にもないことだそうです。
 また、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という有名な松尾芭蕉の句があります。日本人なら、森閑としたどこかの境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛び込む光景を想像できる。その静けさを感じ取ることができます。
しかし、日本以外の多くの国では、古い池の中にドバドバドバッと集団で飛び込む光景を想像するらしい。これでは情緒も何もあったものではありません。
 日本の中世文学を勉強するイギリス人に、「日本の文学をを勉強するうえで何が難しいですか」と訊ねたところ、彼はただちに「もののあわれだ」と答えました。「もののあわれ」に対応する英語は存在せず、それに近い英語も存在しないからだそうです。
悠久の自然と儚い人生との対比の中に美を発見する感性、このような「もののあわれ」の感性は、日本人がとりわけ鋭い。おそらく世界中の人が持っている感性なのでしょうが日本人がとりわけ鋭い。このように思うのです。

 以上、私達の日本は、どこの国の植民地にもならず、日本人特有の研ぎ澄まされた言語を持ち、自然や四季から享受する独特な文化を築いてきました。今の時代、国や政治が頼りにならないと言っても、日本人一人一人の健全なDNAは健在なのですから、それほど心配せず日本人としてもっと自信を持つべきでしょう。あとは、方法論の問題だと思います。
では、どうして現在のような統率のとれない日本になってしまったのしょう? それはまたの続きという事で(^ ^)/
2011年7月9日(土)
「郷に入っては郷に従え」 Part2
 先週に引き続いて「郷に入っては郷に従え」Part2です。
再び、関東の食文化について。今回は「納豆」です。
 おそらく西日本では、「納豆」を常食として食べている習慣は関東地方より確実に少ないと思います。
あの「納豆」独特のニオイとネバネバ・・・。初めて食べる人にとって相当強いインパクトのある食品であることは疑いの余地もございません。小生もその一人で、「こんな腐って悪臭漂うもの食べられるわけがない!」と、近寄るのも嫌いでした。

 関東での就労生活で上京したての頃、独身の健康を支え唯一バランスのとれた食事と言えば昼食の仕出し弁当。
ついつい偏りがちになる食生活において、会社の仕出し弁当は有りがたく、単身者にとってのバランス食として大変貴重です。
 そんな昼食風景のある日、楽しみにしている弁当のフタを開けると、”なんと!”弁当のおかずの一角に「納豆」の容器が入っているのです。それくらい関東地方では、違和感なく「納豆」が常食として定着しているという事です。
 ところが、小生にとっては考えられないような仕打ちで、おかずが一品食べられなくなってしまうのです(><)
その後に解ったことは、「納豆」は弁当屋の定番メニュで一月に二回は必ず入っているという事でした・・・。
それはしょうがなく我慢するとして、食べられない「納豆」の行き先について。それも全く心配する必要もなく、先輩や同僚達が喜んで食べてくれるのです(^ ^;

 それから毎度食べてもらうようになった「納豆」を、”こんな旨いもの”と、ズルズルと食べてくれる先輩・同僚達。
不思議なもので、だんだんその食べっぷりが美味しそうに見え始め、”皆が旨いというには何かの旨さがあるんだろう?”と思うようになり、初めて一口食べたのがキッカケです。それからは「納豆」の虜となり、様々な食材との組み合わせを試したいくらい大好物となりました(^ ^;
これまで、ニオイと見た目だけで食わず嫌いだった自分に反省することしかり・・・。
 それ以降、「郷に入っては郷に従え」の言葉が染み入り、食べ物に限らず、その地域・文化に根ざしているものについては、まず何でも受け入れる事が大切であると思い始めました。
そういう意味では、住みなれた場所から外にでる事って、本当に大切なことですよね(^ ^ゞ
2011年7月3日(日)
「郷に入っては郷に従え」 Part1
 先週、関東地方へ行きがてら、いつも決めている食パターンをこなしてまいりました。
突然、わたくし事で恐縮ですが、関東地方に行くと必ず食べて帰らないと気のすまない食べ物があります。
さてそれは何でしょう?

 答えは、「蕎麦」です(^ ^;
西日本は「うどん」文化で、普段から「蕎麦」を食べる習慣はあまりありません。一方、東日本は「蕎麦」文化で、「うどん」を食べる人は少数派です。(最近、徐々に讃岐うどんも流行ってはいますが・・・)
「そば屋」は、関東地方のどこにいっても店があります。特に「駅そば」や「富士そば」など、安いうえに味の良さも格別です。そのそば屋には、もちろん「うどん」も置いてありますが、ほぼ8割~9割方の人は蕎麦を食べていると思います。

 小生は、関東地方で5年間就職していた時期がありました。
上京当初、「駅そば」で周囲の人が「蕎麦」ばかり注文してる中、小生は習慣のように「うどん」を注文していました。しかし、”何か美味しくない?” ある時、周囲があまりにも旨そうに食べているので、試しに「蕎麦」を注文して食べてみると、”なるほど旨い”と唸ってしまったのを覚えています。その違いは、やはり”だし”の違いです。関東のだしには「蕎麦」が合い、関西のだしには「うどん」が合います。また、「ざる蕎麦」においては、蕎麦の風味を味わい、音を立てながらすすり、つるつるした喉越しを楽しんだ後、残ったつけだれに「蕎麦湯」を注して飲みほします。このつけだれをも無駄にしない「蕎麦湯」で割るアイデアに、江戸っこの「粋」を感じとることができます(現在、ラーメンのつけ麺もブレイク中で、最後に割りスープで飲むと格別です)

 それ以来、上京した時には必ず「蕎麦」か「つけ麺」を食べるのが自分流の「粋」になっています(^ ^;
関東と広島では、”え・・・どうして?”という食文化の違いを多く発見しました。折を見ながら「郷に入っては郷に従え」Part2以降として紹介してまいります。
2011年6月24日(金)
放射能被爆について・・・。
 3月11日の忌まわしい大惨事から、早や3ヶ月以上が過ぎました。
震災後の課題の中でも、とりわけ、人災とも言える福島原発については大きな波紋を呼び、原発から半径30km区域に関しては強制的な避難勧告が出されています。
 そこで放射能被爆について・・・、広島、長崎では人類史上初の原子爆弾を投下された被爆地であるにもかかわらず、現在のような放射能数値(シーベルト)は示されず、人体への影響も知らされず、市民は何も教えられないまま、「百年間草木も生えないだろう」と言われていた土地を復興させ住んでいるということ。
当時、敗戦国となった日本は、GHQ統治化のもと情報を統制され、国内外にその実態は詳しく伝えられず、ある意味、実験台のごとく様々なデータが集積されいるはずです。
わたしの住んでいる実家は、爆心地から約6kmぐらいの距離で、父親と親兄弟も被爆していますが、幸いなことに誰も放射能に関わった病気にまで至っておりません・・・。
 そのようなことですから、今回の福島原発の30km圏内の強制避難はやり過ぎではないのか?それとも広島・長崎市民に対する人命軽視だったのか? 同じ被爆地として少々複雑な心境ですが、今更それらを掘り起こすつもりも毛頭ありません。
 最後に、広島・長崎で原爆を浴びた一次被爆者には原爆手帳(医療費免除)が支給されています。
そこで、原発で被爆された方にも、原爆手帳ならぬ原発手帳なるものを支給して、少しでも心と健康の負担を軽くしてあげてほしいと願っています。
2011年6月18日(土)
「混迷続き」
 民主党政権が与党の座について約2年。世界における日本の存在感は大きく後退し、多くの国益を損ないました。
もとはといえば、自民党55年体制(金権政治)との決別ということで始まった政党間の権力闘争。
その末、クリーン政治と友愛(生活密着社会の実現)を掲げ、ようやく政権奪取した民主党。しかし、今ではことごとく看板倒れとなり、政治はますます停滞するばかり。民主党には何かが足りないような気がします・・・。いったい何なのでしょうか?
 好きに言わせてもらうと、もちろん国民目線も大切ですが、それよりももっと大きな国家観や愛国観や品格などが欠如しているのではないでしょうか。いくらまともな絵空事をならべても、国家トップからそれがないと上手くいかないのは至極当然です。
 特に、万年野党気分の民主党議員が選んだ二人の首相にはそれを感じを得ません。
鳩山前首相は、「基地県外移設は方便だった」・「議員辞職する(嘘)」・「菅さんは嘘をついている。政治家は嘘をついてはいけない。もし本当であればペテン師だ」など、元国家トップの品位ない発言に恥ずかしくなります。首相在任時には、ワシントンポスト紙に「the hapless and increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama=哀れでますます頭がいかれている日本の首相・鳩山由紀夫」とまで酷評された始末。
菅首相は、場当たり的な思いつき行動で周囲を混乱させ、官僚や党員の反発を買い孤立無援の人望の薄さ。そして終いには”イラ菅”で恫喝し、逆ギレするなど、国家トップの器ではありません。
過去、ここまで日本総理大臣の言動が軽く、品位が落ち、嘲笑されたことがあったでしょうか・・・。

 前置きが長くなりましたが、主題の「混迷続き」は、自民党政調会長・石破茂オフィシャルブログからです。
実は、以前から石破氏の国家観(外交・安全保障・経済・財政)に共感を覚え、ひそかに応援しています。
個人的には、この人であれば日本を託してみたいと思っているジョーカー的存在です。最近の首相候補アンケートでは、いきなり堂々の2位に入っていましたので、驚きとともに「いよいよ石破さんの出番か・・・」という心境です。
 
「混迷続き」
 石破 茂 です。

 菅総理の退陣時期を巡って混迷が続いた一週間でした。
菅総理は「辞める」とはまだ一言も言っていません。行けるところまで行こう、できれば来年秋の代表選挙まで続けよう、と本気で思っているのかもしれません。「この顔が見たくなければ早く法案を通せ」などという発言は一国の総理がするものとはとても思えません。もはや常軌を逸しているとしか言いようがない。菅総理がかつてつかえた市川房江氏が「菅直人にだけは権力を渡してはならない」と語ったと伝えられていますが、実際その通りなのかもしれません。
 本当に被災地、被災者のことを考えているのであれば、二次補正予算や瓦礫処理促進、二重ローン救済のための法案をもっと早く出すべきでした。自民党がいくら言っても何も手を付けず、これが延命に繋がると気付いた途端に突然言い出し、これに反対する自民党が悪いのだと言い募る様は、醜悪というよりもむしろ恐ろしささえ感じます。

 自民・民主・公明の三党政調会長会談が昨日からスタートしましたが、見通しは全く不透明です。会期末も迫り、延長を巡っての議論や総理辞任への思惑も錯綜して、来週は混乱する一週間になりそうです。

 再び自民党政権に回帰すれば、いずれ首相の座に就かれる方だと思います。
その暁には、国際社会から賞賛される国益を復活させ、再び世界をリードできる日本に導いてほしいと願っております。

2011年6月11日(土)
「遼に伝えておこう お父さんが大切にしてきたこと」
 表題の言葉は、今をときめくゴルファー石川遼プロのお父さん・石川勝美氏です。
石川勝美氏ご自身は、プロゴルフ経験がなく、現在も地元信用金庫で勤められている普通の会社員の方です。
そこからどうやって現在の石川遼プロが出来上がったのでしょう? 
一冊子には次のようなことが書かれています。

 生きていく中で、「自分に自信がある」ということは、何よりも大きな武器になる。
特技をつくって自信のもてる人間になってほしいと思ってきました。「僕もやればできるんだ。算数は苦手だけれど、ゴルフはうまいんだ」と思うことができれば、生きていく自信になる。特技があれば、成人して、親がかばってやれなくなっても、強く生きていくことができるのです。我が家では、遼が小学生の頃から、土日になると朝の5時には車のエンジンをかけて、僕と二人だけでゴルフに出掛けて、夜10時過ぎに帰ってくる生活。子供にそこまでさせて、という意見もあるかもしれませんが、何が一番大切なのかを親が判断することは重要です。
 厳しかったですよ、ゴルフに関しては。でも、僕が怒ると妻が、「遼は一生懸命やっているんだから、お父さんそんなに言わないで」と。でも、妻はしつけのほうでかなり厳しい。ご飯をこぼすなと(笑)。僕は、食事を早く済ませれば、早くお風呂に入って寝られると考える。そうすれば、疲れが取れやすいわけですよ。極端に言えば、食事に掛ける時間は5分でいい。ご飯はこぼしたっていいと思うんですけれど。だから妻がしつけのことで怒ると、僕が、「そんなの気にするな」と。役割分担はありますね。
 夫婦とは、雪景色みたいなもの。初めは美しいけれど、やがてぬかるみになる(笑)。夫婦って一致しないですね、全然。妻が全部仕切ったら、のんびりし過ぎて子供の人生はどうなっちゃうんだと思いますが、妻のほうでも「こんなスパルタは育児じゃあない」と思っている。もちろん、友達を傷つけるようなことがあったら二人で怒りますが、いつでも、どちらが子供のことを理解してあげることは大事です。
 好きな人だったら、ぬかるみになっても報われます。家庭はお互いの尊重で成り立っていますが、それは苦労する尊重ではなくて、愛情による尊重です。深い愛情があれば本気叱ることがができるし、強いしつけもできる。子供が育つのに最も必要なものは愛情です。お金はちょっとだけあればいい。お金で育てた子供は、人との付き合いを全部お金で解決しようとするんです。買ってあげたもので子供が喜ぶのを見て嬉しいと思うのは親の満足でしかない。子供にとって本当に楽しいことを教えるのはとても大変だけれど、それが子供のためになる。愛情で育った子供は、全て愛情で解決できる。言葉とか、友情とか、そういうもので。裕福でなかった我が家は、愛情でしか育てられなかったから、かえってよかったかもしれない。
 初めは誰でもゼロからのスタート。みな同じスタートラインにいて、そこから人間形成されていく。生まれたときにその人の将来なんかちっとも決まっていない。あらゆる人にチャンスがあるのです。僕はトンビがタカを生んだとは思っていないんですよ。生んだのはトンビです。タカが生まれていたら、大変なプレッシャーがかかっていたと思いますね(笑)。人間、大半はトンビ。でもタカに勝てるトンビも育つのです。

 この話を聞いてみると、まず、親が遼くんの適正能力を計ったうえで、プロゴルファーのレールに乗せていたことが理解できます。遼くんの意思にかかわらず、小さい頃から既に親が進路を決めており、遼くんも小さい頃からそれが当然のようにお父さんを信じて着いていっています。
 最近、「子供の将来は自由に決めさせる」という親の言葉をよく耳にしますが、小生はこの言葉があまり好きではありません。これから困難な時代を生きていく子供のことを本気で考えるほど、将来食いっぱぐれない人生を送らせてやりたいと思うのが親心というもの。ですから、早くに子供の未来レールを敷いてやるという勝美氏の考えには至極共感するものがあります。
遼くんを作り上げたのは、早い時期からゴルフと教育に投資を惜しまなかったご両親の先見性。
まさにご両親あっての遼くん。そして、その遼くんも親の教え守り尊敬しているところが素晴らしい。
 親の存在が、子供に絶大な影響を及ぼし、良好な親子関係を築いている典型ではないでしょうか。
2011年6月4日(土)
現場目撃!・・・その後。
 前回の日記で書いた”現場目撃!”の続きです。
実は、若者二人への空缶置きについて、”もう少し優しく注意してやればよかった・・・”などと少々気にしておりました。

 そんな矢先、いつもどおり会社に向かって歩いていると、弊社隣の酒屋さん前でスクーターにまたがった二人を目にしました。今回は、場所が移動していたので、”二人とも気に掛けたのだな”と思いました。
徐々に会社へ近づくにつれ、二人ともこちらの存在に気づきました。
 ”白い目でこちらを睨んでいるのかな?”と思いつつ、こちらの側も自然な流れで”おはようございます”と声を掛けると・・・
”おはようございます”と、ちゃんと声が一人の方から帰ってきました。
それは、前回空缶を置いた方ではなく、前回食入るような目で見ていた方の一人でした。意外・・・(ー_ー;

 おそらく二人は、こちらに向かって構えていたと思われましたが、朝の声かけにより気持ちよく一歩前進です。
次は、もう一人とも自然な挨拶が交わせられるよう再度声かけを続けよう思った次第です。
 それにしても、知らない人ともコミュニケーションできる「挨拶」って、万国共通つくづく素晴らしい習慣だと感じませんか?
2011年5月28日(土)
現場目撃!
 ”現場目撃!”って何の現場? とお想いかも知れませんが・・・
実は、小生がイワサキ本社まで徒歩出社している間での小さな話です(^ ^;

 出社のため本社に近づくにつれ、会社の花壇前に、スクーターにまたがった二人の20代男性が目に入りました。
そこで、”ピーン”と反応しました。というのも、先日、その場所に缶コーヒーの空缶が置かれていたのです。遠目からも見ても缶コーヒーを飲んでいるのが分かりました。
先日の犯人がその二人だとは限らないので、気乗りはしませんが一応声を掛けておこうと、その2人に近づいて行きました。
 すると、一人は缶コーヒーを片手に、そしてもう一人の側には、先日と同じ場所に空缶が置かれているのが見えました。
”現行犯目撃!”です。これで遠慮なく注意できると切り替わりました。
 
そして、次のような短い会話のやり取り。
 小生「こりゃーあんたの空缶か?」
 相手「・・・」 
 小生「この前も同じ空缶が置いてあってワシが捨てたんじゃが、持って帰ってくれ!」 
 相手「あ・・・はい」 
と、ふて腐れ気味に言い、スクーターのモノいれに空缶を収めました(そこには二つの空缶が他に入っていました)
その間、もう一人の方は言葉を発せず食入るような目でこちらを見ていました。
もちろん、”すいません”の言葉は聴けませんでしたので、スクーターの後ろに回って、ナンバープレート番号を記憶しました。
数分後、エンジンをかけて去っていきましたが、おそらく近所の住人のはずです。

 いつの時代も、若者の非常識なマナーを見かけることはあります。だだ、誰もがいつかは親になり子供ができて人格形成される日が必ずくるはずです。それまで、できうる限り周りの大人たちが注意をうながすことが大切でしょう。
しかし、社会構造が希薄になってきている世で、シチュエーションを考えて行動を起こさないと、様々なケースが発生している事も考えておく必要はあるのでしょう。
今回の場合では、弊社内でのゴミ捨てを目の前にして”現行犯注意”した小さな話からでした。
二人には、ちょっと怖いおじさんに見えたと思いますが、あとで理解してくれればそれだけで嬉しいです。
 話は変わりますが、上の広島弁の言葉を冷静に見てみると、まさに仁義なき戦いが日常的に繰り広げられているかのように見えるのは私だけ・・・?(^ ^;)ゞ
2011年5月22日(日)
広島のプロスポーツ。
広島のプロスポーツチームと言えば、広島東洋カープとサンフレッチェ広島。

 こともあろうに、開幕からこの2チームが首位争いを展開してくれております。
2チームとも久しく優勝しておらず、毎年Bクラスの常連なのですが、今年は少し様子が違うようです。
新人選手、新外国人選手、2軍からの新星組、故障からの復活組など、バランスよくチーム構成され選手層が厚くなりました。

 しかし、シーズンはまだ始まったばかりで、これから夏場にかけてチーム力が試される時です。どうにかチーム一丸となって乗り越え、久々の優勝争いを見てみたいものです。今年の2チームについて、是非とも注目してまいりましょう。
2011年5月14日(土)
「夢」
 僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学や高校で全国大会へ出て活躍しなければなりません。活躍するのには、練習が必要です。
僕は三歳の時から練習を始めています。三歳から七歳までは、半年くらいやっていましたが、三年生の時から今までは、365日中360日は厳しい練習をやっています。
だから、一週間中、友達と遊べる時間は五~六時間の間です。
そんなに練習をしているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして、中学、高校で活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
そして、球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
ドラフト入団では契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。
去年の夏、僕達は全国大会へ行きました。
そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会NO1投手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームランを三本打ちました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。
そして、僕が一流選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。
とにかく一番大きな夢は、プロ野球選手になることです。

6年2組 鈴木一郎 

 以上、メジャーリーグ・現シアトルマリナーズのイチロー選手作文からでした。
久しぶりに、イチロー選手の「夢」に目が留まってしまいました。何度見てもこの作文には脱帽です。
夢というより、長期計画のお手本のようであり、ここには入団したい球団名から契約金・入団後のやりたいことまで計画してあり、これを小学6年のときに予言し、「夢」以上のことを実現しているのですからモノが違うというほかございません(^о^;
 小学6年生の長期計画に刺激を受けつつ、弊社も「夢」の実現に向けて一段一段クリアせねばと決意新たにした次第です。
2011年5月8日(日)
人口密度の増加。
 6日から、設計部と営業部が北広島工場に入居して2日経過。
北広島工場の現場事務所は、1F・2Fの人口密度が増加して活気づきました。
 1Fは、これまで技術部が独占して贅沢に使用していたのですが、そこに製造部が同居することとなったものですから、人口密度は約2倍に増加しました。部屋の真ん中に仕切りを隔てて、仲良く半分づつ使用しています。
実は、技術部と製造部が同居するということは大変意義のあることで、意思の疎通が容易になり、コミュニケーションが格段に向上するはずで、お互いの能力向上にもつながるので大変嬉しい限りなのです。
 2Fはというと、設計部が占領しております。
ここでは、仕切りで組み合わせた打ち合わせルームを2部屋確保したうえで、設計者が互いに向かい合って丁度良いスペースができ上がっています。見慣れるまでもう少し違和感を感じそうですが、程好い人口密度です。
早速、設計担当者は、現物を手元に現場担当者と相談をしていました。こんな光景を沢山見られるようになると、思わず顔がほころんでしまいます。これまでは、電話・メールや画像でのコミュニケーションしかできなかったので温度差があったことは否めませんでした。しかし、これからは自分の設計した金型が、どうなっているのか興味を持ち責任を持つようになるでしょう。
 一つの場所でやるというのは、至極当たり前の姿になっただけなのですが、弊社ではこの体制が憧れであり念願でした。
これまで距離で制限されていた壁が取り払われ、これからの様々な可能性への試みを噛み締めながら、会社の成長・発展を目指してまいりたい所存です。

 しかし、もとはと言えば、現在、海外に飛んでいるスタッフの穴埋めを補完するために工場への一元化に辿り着きました。
まさしく、「瓢箪から駒」とはこの事です。早く、海外のスタッフに見せてやりたいものです(^^)
2011年4月30日(土)
ゴールデンウィークのお知らせ。
 早いもので、いつの間にかのゴールデンウィーク到来です。
春の大型連休として、ご家族・ご友人と行楽にお出かけされる方々も多いと存じますが、くれぐれも怪我や事故等がございませんよう、また皆様が充実した休暇となられますよう、心よりお祈りを申し上げます。
弊社では、4月30日(土)~5月5日(木)まで6日間の休暇を頂いております。ご理解の程を宜しくお願い申し上げます。

 連休明けの6日(金)からは、いよいよ設計部と営業部が北広島工場での新たなスタートをきります。
これまで本社・工場間の大半だった電話コミュニケーションが、「百聞は一見にしかず」の”諺”どおり、今後はお互いが現場現物で一見しながら、Plan→Do→Check→Actionのサイクルにおいて大きな効果がでることを期待しています。
弊社は、この”諺”の確かな重みをあらためて思い知ると同時に、それは、近江商人の理念にある「三方(売り手・買い手・世間)よし!」にも続いてゆく大切な一歩になると考えております。
 昭和39年、北広島工場開設以来、設計部・営業部と製造部・技術部の初融合となります。
㈱イワサキは、未来志向の明るく楽しい企業を目指すため、今後も積極的なチャレンジと技術革新を推進してまいる所存です。
これからもどうぞご期待下さい。

 入居場所について・・・設計部→工場現場事務所2F、営業部→正面事務所1Fに入ります。
 始業時間について・・・AM8時30分からの時差出勤となりますので、ご容赦願い申し上げます。
2011年4月23日(土)
業務移転のお知らせ。
お客様・お取引先各位

拝啓 平素は格別のお引き立てを賜りまして、まことに有難く厚く御礼を申し上げます。
 さて、弊社ではこのたび、昨今の自動車業界の激しいうねりに対処を図るべく、業務の効率化を目的として、本社設計部及び営業部の主業務を、5月6日(金)より北広島工場に移転することと致しました。
今後、市場の求めている海外現地要請に備えるためにも、まずは社内一元化を図りながらよりフレキシブルに対応できるスタッフ体制強化を急ぐとともに、従前からお客様に不自由をおかけしていた本社・工場の距離間において、よりいっそうのスピードアップをご提供しながら、更なるサービスの向上を可能にしたいと考えております。
設計部及び営業部とも、これまで以上のよりよいサービスのご提供を目指し、フレッシュな気持ちで業務に励んでいく所存でございます。なにとぞ、倍旧のご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
 尚、本社経理部におきましてはこれまでどおり本社機能に変わりございません。
また、設計部及び営業部の必要不可欠な業務に限っても、これまでどおり本社機能を部分併用してまいりますので、今後とも変わらずご愛顧のほどを宜しくお願い申し上げます。
 まずは略儀ながら書中をもちましてお知らせ申し上げます。           敬具

平成23年4月23日
株式会社イワサキ
代表取締役社長 岩崎俊之
2011年4月16日(土)
「津波10メートル 海上で死覚悟」
 タイトルは、ローカル新聞(中国新聞)のコラムに掲載されていました。
そこには、漁船で大津波を乗り越えるために想像を絶するような状況が書かれてあります。

 福島県いわき市の漁師、阿野田さんの証言より。
 「 はだしで家を飛び出して車に家族を押し込んだ。痛えなんて感じねえ。目の前の車乗んのも、はっていくのが精一杯。家族を山に避難させて港に走った。津波から船を守るには沖に出すしかねえからね。海水が渦巻いて引いていった。ただごとでねえと思った。
 ふつう、エンジンは暖機運転しないとアクセル全開にできねえんだけど、暖気もへったくれもねえ。時速40キロほどの全開で沖に向かった。1.5Kmくらい走ったところで高さ10メートルの津波が来た。
 (ありえ)ねえ、ねえ、ねえ。夢を見ているよう。全速力で走らせても元に戻される感じ。この波を乗り切れなかったら終わり。よろよろで九分九厘諦めてた。もう駄目だってなると家族のこと考えんのね。山さ逃げた家族に会えねえのかなって。
これまで台風も突風も食らったけど、津波はおっかねえってもんじゃねえ。想像を絶する恐怖だねえ。
 津波を越えたらその場で座り込んじゃった。九死に一生を得たって。きっと数分の違い。しょんべんむぐす(失禁した)のも分かんねかった。津波を越すと、海は鏡のような別世界だった。
 後ろを向いたらおれげの(私の家)がある方に津波がぶつかって土煙が舞い上がった。うちに家族がいなくてよかったなあ。「千年に一回」なんていうけど、何で俺が生きてる時代に来るのかなあ。
 俺は家族が無事だって知ってたから安心だったけど、家族は心配してた。夜になると船は明かりつけんのね。高台からみんな明かりでで船の数を数えんの。仲間12隻。その中に俺がいるのも分かったみたい 」
 以上、漁師さんのからの生々しい津波の証言です。

 日本、いえ、世界においても、ここ十数年来大地震が頻発しています。また今後、二十数年来の間にも関東、東海、南南海において大地震が予測されています。
現在、東日本の復旧活動を最優先のもと、同時に今後の大自然災害を想定した安全な国造りも早急に求められます。世界各国も日本復興・復活に注目しており、今ほど、政治の存在意義が問われている時はありません。
そのためにも、全く機能していない政権末期の菅政権には速やかに退陣してもらい、一日も早く安定した政治の組み換えが必要なのではないでしょうか。
2011年4月9日(土)
昇格人事のお知らせ。
 4月5日付けで4名の昇格人事を行いました。

 製造部  三戸一弘    課長代理 から マネージャー に昇格

 技術部  藤本真一    課長代理 から マネージャー に昇格

 設計部  山中聡      リーダーに昇格

 技術部  住田真二    リーダーに昇格

 4名は、勤続年数10年以上の中堅どころでございます。
30代で脂がのっている仕事ぶりもさることながら、人格的にも成長してくれました。
イワサキの掲げております社是 「はい という素直な心、 ありがとう という感謝の心、すみません という反省の心、おかげ様で という謙虚な心」 を体得し、自分軸をしっかり持っておりますので、今後のお客様サービス向上にも力を発揮してくれるものと期待しております。
 とはいえ、まだまだ若輩の4名でございます。
引き続き、皆様からの暖かい叱咤・激励を宜しくお願い申し上げる次第でございます。 
2011年4月3日(日)
関西弁の魔力。
 あるお話から・・・。
 関西の人が東京の知人のところへ来て、二人で町の散歩をしていると、「ここにゴミを捨てるな! 地主」と書かれた看板が掲げてありました。最近、家庭ゴミのコンビニ持ち込みが問題になっているように、この地主さんもゴミの不法投棄に頭を痛めているようです。
それを見た二人のやりとり。
 「やはり 東京の人は言い方がきついな」、「仕方ないよ そのくらいマナーが乱れているということだよ」、「それにしてもきついわ なおさらゴミを捨てるようになるかもしれない」、「へえ それじゃあ関西の人はこういう書き方しないのかい」、「ああ しないだろうね」、「じゃあ なんて書くんだ?」、「”あんたがいらんもんは、わしもいらん”と書くよ」・・・。
 思わず、関西弁の茶目っ気には笑みがこぼれ、相手に対する敵意を感じないからこれまた不思議です。

 「ボケたらあかん、長生きしなはれ」という愉快な文章にも唸ってしまいました。
 「 年をとったら出しゃばらず 憎まれ口に泣き言に 人の陰口 愚痴言わず 他人のことは褒めなはれ 聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってることでも知らんぷり いつでもアホでいるこっちゃ
 勝ったらあかん 負けなはれ いずれお世話になる身なら 若いモンには花持たせ 一歩さがってゆずるのが 円満にいくコツですわ いつも感謝を忘れずに どんな時でも へえおおきに 
 お金の欲は捨てなはれ なんぼゼニカネあったって 死んだら持っていけまへん あの人はええ人やった そないに人から言われるように 生きているうちにバラまいて 山ほど徳を積みなはれ
 というのは表向き ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても お金があるから大事にし みんなベンチャラ言うてくれる 内緒やけれど ほんまだっせ
 昔のことは みな忘れ 自慢話はしなはんな わしらの時代はもう過ぎた あんたは偉い わしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ
 わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われる ええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために 頭の洗濯 生き甲斐に 何か一つの趣味持って せいぜい長生きしなはれや 」
 
 この文章はお年寄り向けに書かれているようですが、どっこい誰にも共通したテーマであり心を揺さぶられてしまいます。
東北地方と日本国中が苦しみ傷ついている現在だから、自我を捨て相手を思いやれる優しい日本人になりたいものです。
 以上、ユーモアと説得力を兼ね備えている関西弁の魔力・・・恐るべし(^ ^;
2011年3月26日(土)
がんばろう日本!
 東日本大震災から2週間が経過しました。
現在も自衛隊・救援隊などの懸命な捜索活動が続いていますが、未だ多数の行方不明者の方がおられ、そのご家族・ご親族のことを想うと胸が張り裂けそうな気持ちになります。
そのうえ、被災地は未だ衣・食・住に支障をきたしており、一刻も早くインフラ・燃料が整い、全国からの物資が届くよう願うばかりです。そして、LIFEラインの完全復旧を心より祈っております。
 もし自分達の住んでいるところで・・・、と考えてみると到底考えられないような現実です。
そのような厳しい現実に日本人の心は病んでおり、何かしてあげたい、力になりたい、役に立ちたいと誰もが想っています。
被災地まで遠く力の及ばない弊社ですが、臨時集会で黙祷を捧げ、これから一人一人の出来うる援助や節約、また沈んでいる被災地のために日々精一杯のベストを尽くすことがそれに報いることへの確認をしました。

 一方、国は23万人という避難者のため、全国各地の受け入れ準備を整えてきているようです。
総務省によると、東日本大震災で被災者が身を寄せるために用意された施設の収容規模は岩手、宮城、福島の3県をのぞく44都道府県で計約20万人に達しているようです。内訳は都道府県の公営施設9万8000人、市町村営施設7万5000人、民間施設3万人程度。長期間にわたって受け入れ可能な公営住宅戸数は、44都道府県で計1万7000戸です。東京都においては、3月末で閉館予定だった東京「赤坂プリンス」全客室を避難所として提供し、約700室、最大1600人程度の収容を実施する模様です。
 この大震災は日本が戦後初めて経験する未曾有の有事ですが、僅か2週間足らずで20万人の受け入れ先を揃える国力の凄さに驚きました。そして、まだまだこの国も捨てたものではないと確信した次第です。

 これから日本は厳しい復興が待っておりますが、震災犠牲者の辛い運命に報いるためにも、一人一人が力を合わせて立派な国づくりをしてまいりましょう。 がんばろう日本!
 動画 「地震で生まれた心に残るつぶやき」 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=ycRxtWHXOFA (ボリュームにご注意下さい)
  

2011年3月20日(日)
東日本大震災の死者・行方不明者2万人超。
 巨大地震発生から約1週間が経過しました。
実態が明るみになるにつれ被害はますます甚大となり、20日現在で死者・行方不明者2万人超に膨れ上がり、日本を揺るがす未曾有の事態になっております。
自衛隊、消防隊、レスキュー隊、警察隊など、現在も懸命の行方捜索をしていますが、そこに原発災害、ガソリン不足、電力不足、インフラ災害などが行く手を阻みます。救援隊は大変なご苦労のことと思いますが、被災者家族のため、そして日本国のために頑張っていただきたく陰から応援するばかりです。そして一日も早い多くの不明者の安否解決をお願い致します。
 その一方で、約23万人といわれる避難者への当面の生活支援と今後の復興生活支援、そのほか日本国には難題が山積みとなりましたが、これから日本人が助け合い力を合わせてこの難局と立ち向かってまいりましょう。

 世界中の約100カ国あまりからも日本に向けて有難い救援部隊の手が差し伸べられております。
特に、同盟国のアメリカからは、空母3隻を含む最大の支援部隊を送りこみ、「トモダチ作戦」なる手厚さです。
 また、モスクワ共同で次のような報道もされています。
 「クリール諸島(千島列島)の四島を今すぐ無条件で日本に返さなければならない。ロシア大衆紙は、東日本大震災に見舞われた日本人の悲しみを和らげ、日本人への同情を示すため北方四島を返還すべきだと主張する異例のコラムを掲載した。同誌政治評論員のユリア・カリーニャさんは、日本が北方領土返還を求める法的権利はないとし、日本が順調だったときには返還に反対だったと心情を明かした。しかし、大地震と津波が全てを変えた。壊滅的被害の前ではロシアの国益など小さいことだ。広大なロシアのほんの一部にすぎない北方四島を日本に慈善目的で引き渡すことがそれほど惜しいだろうか」と問いかけているそうです。

 人道支援については、あらためて世界人類みな繋がっている家族ということが理解できます。
そのような理解ある声や暖かい支援の手に対し、感謝の念に耐えません。
日本は、その支援に応えるべく国を早期復興させることが世界各国への恩返しとなることでしょう。
 しかしながら、神様は乗り越えられない試練は与えないと言いますが、なぜここまで大きな試練を日本人にお与えになったのでしょうか・・・。いずれにしても日本人の心の傷は深いままです。
2011年3月12日(土)
東北地方に巨大地震マグニチュード9.0。
 昨日、国内最大級M9.0の巨大地震が発生致しました・・・。
不慮の災害に見舞われ命を亡くされた方々に対し、心よりお悔やみと深い哀悼の意を捧げます。
また、救援・救助を待たれている被災者の方々に対し、一刻も早く救出の手が届くことを心よりお祈り申し上げます。

 TVの映像を見て、思わず言葉を失ってしまいました。
大自然の猛威の前では、人間の力ではどうにも防ぎようもなく、無抵抗で受け入れざるをえない現実を。
容赦なく襲いかかる大自然を責めても解決する問題でなく、ただただ「神様はむごい試練を与えられた」と感じてしまいます。
 政治・財政を含め問題山積み中の日本国ではありますが、ひとまず目の前の大きな代償に立ち向かい、この試練を乗り越えなければなりません。その意味において、災害発生後すぐに与党・野党が連携する姿勢を見せたことに少し安堵を覚えました。
日本の危機に瀕し、各政党が政策の域を超えて一致協力する姿に、「まだそこまで腐っていなかった」という安堵でしょうか。

 「目の前の危機」と「将来への危機」、どちらも同じ危機には違いありません。
しかし、今災害のように危機が突然やってきたり目の前に迫ってからでは手遅れとなります。将来に向かって、いかにしっかりした備えをしておくかが大切になるでしょう。そのうえで今回、各政党が目の前の共通危機に立ち向かっていることは善いことであり、これから日本が将来の危機を解決していくための試金石になれば良いと思っています。

 いつも自己主張を押し通すばかりでなく、危機的・重要項目を最優先に、近い思想であれば、助け合い、譲り合い、折り合う。それくらい度量の広い政党であれば、きっと国民の支持も上がってくるでしょう。
 まずは、日本に大災害(試練)を与えた大自然(神様)と向き合い、日本国民が一つになって乗り越えるしかありません。
2011年3月5日(土)
第2回 呉とびしまマラソン大会。
 先週末、呉市上蒲刈町県民の浜で開催された、「呉とびしまマラソン」に出場してまいりました。
風光明媚な瀬戸の島々を眺めながら走る大会ということで、ロケーションとしては最高のコースです。
第2回大会という、できてほやほやの大会ですが、約1800人の多くのランナーがエントリーをしていました。

 小生の今大会へのエントリーはハーフ。
昨年11月28日、「宮島クロスカントリー大会」10km出場して以来、距離を格上げしてのエントリーになります。
 ただ・・・、相変わらずトレーニングも全く積んでおりません・・・。ウエイトも増加しており無謀なチャレンジになります。
しかしながら、たるんだ自分の気持ちに渇を入れたいがため、どうしても体力の限界に挑戦したいと思い。
制限時間の2時間30分以内に走りきれるのかどうか?はたまた、タイムオーバーで回収車に収容されるのか?などなど。
走る前から不安だらけで一杯なのですが、個人的には、完走を目標に目一杯身体をいじめぬきたいというのが正直な気持ちです。 ^ ^;

 午前10時、レースが始まりました。
これまで5km、10km、ハーフ、フルと、ひととおりの経験は積んでいるので、まずはいつもよりペースを落とし、周りのランナーに惑わされないよう、体力を温存しながら走ることにしました。
 島を走るコースは眺望が素晴らしい反面、アップダウンも多く、海風の抵抗をもろに受けるのが難点です。
その点、ペース配分のおかげでどうにか凌いでおりましたが、往路途中の巨大な吊り橋を渡りきると、そこには長い下り坂が待っていました。余力を残して駆け下りながら、「復路でここを上る体力が残っているだろうか・・・」と、ここで少し不安がよぎりました。
 中間地点を折り返すと、徐々に足の変調が出はじめました。そして問題の吊り橋への上りにかかると、いよいよ足が悲鳴をあげ始めました。ここで仕方なく上りを歩きに変え、上りきったところで約2時間経過。制限時間内での完走はまだ十分可能です。
ここで再び走りだすと、いよいよ足の痛みが酷くスピードを上げることができなくなってしまいました。
そこからは、時計と足で相談しながら走ることを余儀なくされ、いつの間にか制限時間ギリギリのペースになっていました。
体力の限界を感じつつ、そのまま意地と気力だけで走り続け、そのまま執念のゴール!
なんと、タイムは2時間29分30秒のギリギリでした(* *)

 ここ最近、トレーニング不足がたたりタイムが落ちてきているのは否めないのですが、ここで挫けず、頑張り過ぎず、地道に続けていることが大切であると固く自分に言い聞かせている次第です。
そしていつの日か、東京マラソン or ホノルルマラソンに出場してみたいものです・・・。

     とびしまマラソン開催地            県民の浜海水浴場               巨大な吊り橋    
2011年2月26日(土)
太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男- 
 只今、映画館にて大ヒット上映中の「太平洋の奇跡」
なかなか映画館まで足を運ぶのが億劫なので、いつものことながら単行本にて目を通しました(^ ^;

 ストーリーは、第2次世界大戦サイパン島において、日米間の壮絶な激戦が描かれています。
この物語の興味深い点は、65年前のアメリカ側の記録によりアメリカ人の視点で書かれている実話だという事。
そこには、これまで日本側には知られず語られていなかった史実があります。

 終戦も間際となり、ジャングル奥地に追い詰められていく47名の日本兵と民間人。
限られた食料・薬・武器しかない中、最後まで抵抗を続ける日本軍により、多大な損失がアメリカ軍にも及びます。
民間人や赤ん坊を守るため、神出鬼没な作戦で勇猛果敢に指揮する一人の日本軍大尉の存在は、アメリカ軍からも怖れられ崇められ、いつしか”フォックス”の愛称で呼ばれ始めます・・・。
これから先にご興味のある方は、是非、映画か本をご覧下さい。
 
 この作品の舞台は戦場ですが、内容としては日米合作のヒューマンドラマと言えるでしょう。
それにしても、アメリカ軍にも多くの犠牲者を出させたにもかかわらず、敵の大尉を讃えてくれるアメリカ社会の度量の大きさには、いつもながら感心させられます。 一方で、様々な恨み辛みが簡単に消えないのもまた事実です・・・。
2011年2月19日(土)
米軍海兵隊の抑止力については「方便だった」
 「国民の生活第一」の旗印で国民支持を集め、政権与党となった民主党。
それから国政を担うようになってから早一年余り、政権公約のマニフェストというパンドラの箱の中身は、何の根拠もない偽物(方便)だったことが解りました。現在では、「できないのだから協力してください。国民のために協力しないのならば国家に対する反逆行為だ!」など居直り、本末転倒な話のすげ替えに首を傾げたくなるばかりです。
 与党発足当初は、官僚との全面対決に息巻いていましたが、結果的には事業仕分けの財源捻出は不可能でした。
にもかかわらず、人気取り公約の子供手当てや高速無料化などばら撒き(いや、公約上ばら撒かざるをえず)、国の借金も急加速して900兆円まで膨れ上がっています。
その民主党の未熟政策のツケの穴埋めに、今度は消費税のアップとは・・・、ほとほと呆れて言葉を失います。

 さてタイトルは、日本国前首相・鳩山氏からの言葉です。国益を損なう酷い発言に驚かされるばかりです。
この日記でも以前から述べていたように、日米安全保障と外交を軽視していた鳩山前首相、及び、それを支えていた民主党全体の責任だと思います。
 2月18日付けの日本経済新聞社説には、「放置できぬ鳩山氏”方便”発言」として、次のように記載されています。
 「このような政治家が昨年6月まで首相を務めていたかと思うと、背筋が寒くなる。普天間基地の県外移設を断念した理由として、学べば学ぶにつけて海兵隊の抑止力の大切さが分かったとして、昨年5月名護市辺野古への移設を定めた日米合意を交わした。
 ところが、沖縄地元紙のインタビューで、抑止力を理由にあげたのは方便だったと発言した。沖縄に米軍がいる意味を理解しないまま、後付けの理由で抑止力という言葉を使ったことを認めたわけだ。
日本の安全保障に責任を持つ首相は、在日米軍の役割を熟知していなければならないのは当然だ。鳩山氏は最後まで安全保障の基本知識を身につけず、首相に必要な最低条件を満たしていなかったことになる。
 鳩山発言は、すでに各方面に波紋を広げており、沖縄では日米合意の見直しを求める声が出ている。外交への影響も気がかりだ。米政府は今のところ静観の構えだが、北方領土問題で攻勢を強めるロシアや、尖閣諸島や軍拡を加速する中国に、日本の安全保障がぐらついている印象をあたえかねない。
 こうした事態を抑えるため、菅政権に求められるのは行動だ。まずは在日米軍が日本の安全に果たしている役割をもっと詳しく国民に説明し、沖縄をはじめとする人々の理解を得る努力を尽くす必要がある」

 現在も、小沢問題をはじめ、党内抗争で激しく争い、統治能力を失っている民主党政権。
日経新聞にも、「国民生活第一という看板を下ろさないのであれば、政策実現より党内政局を優先するような対応は許されない」と、手厳しいコメントです。
 政治空白のような異常事態が続いている現在において、もし、民主党が「国民の生活第一」という意思がまだあるのならば、衆議院を解散して国民の信を問い、一刻も早く政治不信からの脱却を図るべきでしょう。
2011年2月12日(土)
海外から見る日本人。
 先日、企業向けに海外経験豊富な女性講師の講演会がありました。
世界10カ国以上の主要都市で生活をされながら、日本人の良し悪しを話されました。
 話題の中で、日本人は英語が下手なうえ、自己主張も少ないため損をしている部分が多い。他民族は、自己主張や宣伝に積極的であり、日本人も是非見習わなければならない部分である言われています。今後のグローバル社会において、日本が世界で大きく羽ばたくためには英語力を向上させて、海外経験を積み重ねることが大切だと力説されていました。

 日本人の特徴は、個人主義より集団主義やチームワークを美徳とするところがあります・・・。
そこで、「世界の日本人ジョーク集」から面白い例え話をひとつ。
 「早く飛び込め!」ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように指示しなければならなかった。船長は、それぞれの外国人乗客にこういった。
 アメリカ人には、「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
 イギリス人には、「飛び込めばあなたは紳士ですよ」
 ドイツ人には、「飛び込むのがこの船の規則となっています」
 イタリア人には、「飛び込むと女性にもてますよ」
 フランス人には、「飛び込まないで下さい」
 日本人には、「みんな飛び込んでますよ」( ̄~ ̄; 

 再び話題は女性講師に戻り、海外に出てみると日本及び日本人への信用力の高さにも気づくそうです。
礼儀正しく、犯罪の少ない日本の赤パスポートを持っていれば世界のどこへでも行けます。
特に、日本人はいつも笑顔で礼儀正しいので、どこへ行っても人気者なのですと言われていました。
 また、難しい仕事を受注する場合を例にとってみると、他国は「大丈夫!できます!」と簡単な安請け合いした揚句できないことが多い。日本人の場合は「ちょっと考えさせてください」と慎重なものの、最後は引き受けて必ず完璧な仕事をやり遂げるイメージなのだそうです。
 講師の先生からは、「日本人はもっと自信を持って、積極的に海外経験を積めば宜しい!」とのお話でした。

 最後に、米エクスペディア調べ「世界最良の旅行者は日本人」の記事をです。←クリックして下さい。
2011年2月5日(土)
「お伊勢さん」
 先週末、三重県伊勢市近くに立寄った足を利用して、「お伊勢さん」で親しまれている「伊勢神宮」までお参りをして来ました。

 「伊勢神宮」は、言わずと知れた日本全国神社の総本山であり、神道における二人の最高神がま祀られています。
一人は太陽の神である「天照大御神」、もう一人は衣食住の神である「豊受大御神」です。
古くは、朝廷や皇室の氏神として崇拝され始め、徐々に日本全体の鎮守として武士に崇拝されるようになり、現在では内閣総理大臣も毎年参拝に訪れており、日本人の心の故郷として崇められている神聖なる場所です。
 「日本書紀」や「古事記」に記述されている内容では、伊勢に内宮が祀られてから現在まで2000年という気の遠くなるような月日がここまで脈々と受け継がれています。

 とにもかくにも、日本人のルーツに一度足を運びたいと思っていた場所にようやく訪れることができました。
と、降り立った伊勢市は、高層ビルや繁華街などない、しっとりとした町並みで、由緒ある風情を守っていました。
神社参道に足を踏み入れると、そこはスギ、クス、ケヤキなどの巨木で陽を遮られ、外界とは違う冷気が感じられるようです。
そのまま参道を進んでいくと、地味で高い木壁が見えてきます。鳥居の門からその内側にある建物を覗いてみると、これまた飾り気のない高床式で茅葺屋根の小さく古い建物が見えます。そこの前で次々と人が入れ替わり参拝をしています。
そうです!そこが「外宮の正院(本殿)」なのでした。
てっきり黄金に輝く立派な神殿を想像していたのですが、その神殿は昔のままの木造りで、一般的神社のような煌びやかさがないので逆にあっけにとられてしまいましたが、あらためて正院の中ををじっくり眺めてみると、その佇まいには歴史の重みを感じてしまいました。
また、その正院(本家)近くには、別宮(分家)である「風宮」「土宮」「多賀宮」が同じようにひっそりと祀られていました。

 そのような神聖なる場所ですから、参拝されている方々も特別な面持ちに見え、特に隣で参拝されていた男性は、頭を垂れたまま不動で動かず、延々と祈願をされていました。それを見た自分自身も思わず特別な気持ちになり、心が震えるような貴重な参拝というものを経験した次第です。

 と、大満足で「お伊勢さん」を後にしたまではよかったものの・・・。
実は、自身が参拝したのは「外宮(豊受大御神)」だけだったようで、もう一箇所の「内宮(天照大御神)」の存在をを知らずに帰ってしまっていたようです(*_*)
無知というのは本当に恐ろしいものです。いつの日か・・・、近く参拝しなければと再度誓った次第です(-_-;
  
          正院                       土宮                       多賀宮
2011年1月30日(日)
サッカーアジアカップ優勝。
 ザッケローニ監督率いる新生ザックジャパンが見事アジアカップで優勝です。
選手・監督・コーチ、そして日本サッカー協会関係者には、心よりの祝福を申し上げる次第です。

 昨年、南アフリカワールドカップで好結果を残した岡田ジャパンを引き継ぎ、この短期間で有り余る好チームを作り上げてくれたザッケローニ監督の手腕には脱帽です。
岡田ジャパン以降、良い方向で日本サッカーが成長してきていると実感しております。
特に、メンタル面とフォア・ザ・チームの充実が挙げられ、そのようなポテンシャルをもっている選手が増え頼もしい限りです。
これも、海外環境で厳しい経験を積む選手が増え、個々のモティベーションが向上していることに尽きます。

 ただ、チーム戦術といった部分については一朝一夕にはいかず、日本サッカーの悩み多き問題でした。
日本サッカー協会は、日本人に適したサッカーがどのようなスタイルなのか?という事を、常に模索しながら、数々の監督に託してきました。
 そして、白羽の矢をたてたのが、カルチョの国イタリアの名将・ザッケーローニ氏。
これまでの日本サッカーは、無駄な横パスを回したり、サイドから簡単にセンタリングを上げたりと、”技術はあるのだが点が取れない。怖くない”との世界の強豪からは酷評を受けていました。
 早速、ザッケローニ氏は、無駄な横パスは封印させ、縦へ繋ぐ必要性を説いて強化してきました。
それが今大会ピタリとはまり、攻撃のバリエーションが増え、俊敏性の高い日本人の能力が生きて得点力アップを図れました。
あとは、今回の即席ディフェンスを強化していけば、もっと試合を優位に進められるであろうと推測できます。
 今回の日本サッカー協会の監督人事は、まずは的中で、これからの日本サッカー成長に期待を持たせてくれそうです。

 いずれにしても、フレッシュな若手で構成されたザックジャパンの船出は、ブラボー!の一言です。
一つ一つの戦略に基づいたチームワーク、そして個々の闘争心。会社組織としての大切なことを教えてくれているようです(^ ^)
2011年1月22日(土)
「肥後熊本城」
 日本三名城と謳われる「熊本城」。
”本能寺の変”での織田信長没落後、天下統一をもくろむ豊臣秀吉の賤ヶ岳7本槍の一人に数えられた加藤清正。
秀吉死後には、東軍の家康方について関が原を戦い、その後、家康から肥後一国を拝領します。
 そして「熊本城」は、加藤清正により江戸時代初期に築城され、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建て、一大名の城としては「日本一」と評価されています。
 明治初期までは、さかんに改築工事を行いながら現存しておりましたが、残念ながら西南戦争の折に天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失してしまいました。しかし、荘厳な防壁の石垣においては、一部改修された部分はあるものの、今でもほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめており、その城跡は特別史跡に指定されています。

 また、清正公においては次のような言われもあります。
西南戦争で天守が焼失する様を見た地元の人は、「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…」と悲しんだそうです。
そして、西南戦争の際、50日かけても官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛は、「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言ったそうです。
 武者返しといわれる石垣を要した難攻不落の名城「熊本城」。
お城のスケールもさることながら、清正公における見事な石垣の造りに圧倒された次第です(^ ^;
  
       熊本城天守閣               お城を守る強固な石垣          西南戦争前の貴重な写真 
2011年1月15日(土)
「原点」 相田みつを
 アノネ 
 人間にとって
 一番大事な
 ものは何か?
 そこを
 原点として
 考えてゆけば
 あとは自然にわかって
 くるよ
        みつを

 「原点」について、下記の注釈がついています。

疲れたなあ。
このところ上手くいかない日々が続き、海が無性に見たくなった。
初春の海はPさんをやさしく包んでくれた。
涙が頬を伝った。
人生50年。
人を疑うことを知らない善良なPさんが初めて味わった挫折だった。
「あなた!」
所在不明になってしまった夫を心配し、夢中で居所を探して駆けつけた妻の声だった。
また涙がこぼれた。
二人して眺める久しぶりの海。
小さな幸せを思った。

近年、私たち日本人は、自分を大切する生き方を模索しようとして、あまり幸せになれないでいるように思えてしかたがない。
人間は誰かを幸福にしながら生きているという実感をなくしてしまったら、決して幸福にはなれないものだということを、しみじみ思う。人それぞれに生きかたの「原点」をもてば、それでよいのである。

 以上、相田みつを氏の著書 「いのちのことば」からでした。
2011年1月8日(土)
謹賀新年。
 新年明けましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

 皆様方におかれましては、さぞ充実したお正月になったここと存じます。
仕事の方では既に幕が開いておりますが、今年一年、兎年にあやかり是非とも実りある飛躍の一年に致しましょう。

 さて早速ですが、新年の幕開けスタートダッシュを試みるべく、社内の昇進・人事異動を行いました。
次世代へのバトンの渡しと、業務の効率化を同時に図るため、下記のような顔ぶれになります。

 浜田浩二  技術部部長 → 取締役工場長に昇進

 三浦一哉  技術部課長 → 技術部部長に昇進

 高梨隆二  設計部課長代理 → 設計部課長に昇進

 三戸一弘  設計部課長代理 → 製造部課長代理に人事異動

 社内からの信頼も厚い4名を含め、全社一丸となってお客様にいつでも満足して頂ける会社造りを目指してまいります。
あらためて新顔4名を宜しくお願いするとともに、行届かない際には、何卒ご指導・ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。
2010年12月30日(木)
今年一年の感謝を申し上げます。
 今年もいよいよ残すところ2日となりました。
毎度の事ながら、あっという間の一年でございましたが、いつも応援を下さっている全ての方々におかれまして、心より今年一年の感謝を申し上げる次第です。来年も引き続いてのご愛顧を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
 年末年始の弊社の暦については、本日30日(木)より冬期休暇に入り、仕事始めは年明け6日(木)からとなっております。

 来年の干支は「兎」。
過去のデータによる兎年は、安定した年であるほうが多いようです。
もしそれが繰り返されるのならば、来年は「ピョ~ン」と反転する一年になるという事でしょう。
来年から、「ホップ・ステップ・ジャンプ」と順々に飛躍させていくためにも、まずは兎年を「ホップ」させる一年にしたいものです。
明るい未来を常に願いつつ、是非とも良き一年と致しましょう。

 末筆ながら、皆様がよき年をお迎えとなりますよう心よりお祈りを申し上げ今年締めのご挨拶とさせて頂きます。
2010年12月25日(土)
今年も残すところ一週間。
 今日は聖なるXmas。皆様がご家族団欒の一日となることをお祈りしてメリークリスマス(^◇^)♪
わが家のXmasは、当日まで待ちきれず、既にケーキ食べてXmasイブで完全燃焼しております・・・(・_・;
そのXmasケーキについては、昨年に引き続き、このわたくしが担当してチョコレートケーキを作りました。
デコレーションにはまだまだ納得しておりませんが、確実に手際よく早く作れるようになっております。
家族の感想では、「サイズも大きく、美味しく、トッピングもユニーク」で、お店で買うケーキより断然勝っているとの評価を頂いております。お世辞も半分混じっていますが、この褒め言葉にのせられてまた作ってしまうのが素人職人の性なのです(^_^;
 ただ・・・、昨年のこの頃もそうだったのですが、またしても包丁で負傷してしまい人差し指の爪から皮膚までをざっくりと削ぎ落として哀れな指になってしまいました。皆様よく切れる包丁には十分注意いたしましょう(+_+)

 Xmasが終わるといよいよ今年も大詰めです。
今年もあっという間で様々の一年でしたが、やはり日本経済の景気浮揚までには至っておりません。
来年いよいよ浮揚するのかどうか?待ち遠しいところですが、そのためにはやはり政治の安定を欠かすことができません。
 昨年、夢のようなマニフェストを掲げ、国民の支持をとりつけて政権交代を果たした民主党。
フタを開けてみると、案の定マニフェスト公約は守られず、財源上成り立たず修正を余儀なくされ、外交・安全保障では大きく国益を損なう大失態を演じてくれました。
その上で、民主党執行部と小沢派閥の党内抗争も忙しい模様です。派閥争いのない一枚岩だと豪語していたのはいったいどこのどの政党だったのか?天に向かって吐いたツバが自分に帰ってきた酷い有様・・・。
現在、体をなしていない菅内閣には一刻も早く退陣してもらい、有志と官民が一体となった国造りを切望するばかりです。

2010年12月19日(日)
「龍馬伝」完結。
 一年が経つのは本当に早いものです。
ついこの前始まったような気がしていた大河ドラマ「龍馬伝」も、11月末に全放映が終了しました。

 どのような龍馬が描かれているのかを毎週楽しみに見てまいりました。
画面に映っていた主演の福山雅治氏は、色男で清清しく笑顔一杯の龍馬を演じてくれていましたので、さぞ多くの女性視聴者を虜にさせたことだと思います。実は、もっと男くさく無骨で苦虫を潰したような顔の龍馬を見てみたかったのですが・・・。

 筋書きについては、やはり司馬遼太郎氏の「龍馬が行く」を参考にした内容になっていました。
ただ、少し風変わりだったのが、龍馬と岩崎弥太郎(三菱造船創始者)が旧知の親友で結ばれ、弥太郎の回想でストーリーが出来上がっていたこと。そして、龍馬を引き立てるため対照的に描かれていた弥太郎像は、あまりにも酷い姿でした。
世界有数の財閥会社を築きあげた功労者の扱いに対し、三菱関係者から苦情が殺到したのは当然でしょう。
岩崎弥太郎像だけではなく、他にも一橋慶喜像、近藤勇像が悪人的に表現され、武市半平太像も龍馬の引き立て役として酷い姿で描かれていました。
 私個人的な思いとしては、お国お家のため一心不乱に志を貫いてきた方々に敗者はおらず、誰もが勝者たる扱いに描いてほしかったと思っております。そういう意味で、今回の「龍馬伝」原作・演出手法については物申す!でした。
(人それぞれの見解があるため、一個人の戯れとしてお許しください)

 大河ドラマが終わってからは、現在、「坂の上の雲」で明治維新後が描かれ、来年の大河は再び戦国時代に戻るようです。
しかし、龍馬暗殺後の幕末から明治維新にかけても沢山の尊い血が流れております。「白虎隊」や「西南戦争」ほか・・・、日本人の志を以心伝心するために、龍馬暗殺後の日本がどうなっていくのかを着目してほしいと思っているのは私だけでしょうか・・・?
2010年12月11日(土)
邇保姫神社 「遷座祭」
 邇保姫神社の主祭神である邇保都比売神は、遡ること仁和元年(885年)、宇佐八幡宮の母体から正八幡宮と称し現在に至っております。
その長い歴史の中、社殿は享保年間に再建されて以来、原子爆弾の被災にも負けず力強く現存しておりました。
しかし、2007年9月27日未明。謎の不審火により、本殿、拝殿など全て焼失してしまう惨事に見舞われました。
ただ不幸中の幸いは、本殿のご神体が金庫に保管されており無事だったという事でありました。
 そんな計り知れない失意の中、地元の氏子たちは「邇保姫神社復興造営事業奉賛会」を結成し、再建費用約5億3千万円のうち、約5億円を集めて再建を誓いました。

 そして去る11月30日、ついに社殿が完成し、ご神体を仮本殿に戻す「遷座祭」が執り行われました。
滅多にお目にかかることのできない儀式では、近くの会館に仮安置されていたご神体を神職と私達氏子がたいまつの明かりの中を厳かに運び出し仮本殿へ無事遷座することがました。

 邇保姫神社は、我社と我家の氏神様となっておりますので、この度の完成した社殿を拝見させて頂き、私達氏子の喜びもひとしおであると共に、ホッと安堵したような心境です。
立派な社殿に遷座された氏神様におかれましては、いつまでも心のよりどころとして、私達地域住民を鎮守の山から見守り続けてほしいと願っております。
  
2010年12月4日(土)
広島市民球場建設事業 感謝状贈呈式。
 去る11月30日、広島国際会議場にて広島市民球場建設事業の感謝状贈呈式が執り行われました。
既に19日に銘板除幕式は終わっておりますが、今回はその寄付企業への感謝状の贈呈式でありました。
アメリカの球場にも負けないくらい素晴らしい球場完成に対し、秋葉忠利広島市長より出席企業への御礼の言葉を賜りました。

 感謝状贈呈式の後は、今年カープを現役引退したばかりの高橋健投手がゲストとして呼ばれていました。
インタビュー形式の講演会の中では、これまでの現役生活を振り返った話をされていました。
 選手としては高校時代からそれほど図抜けた素質ではなかったとの事で、高校~大学~社会人を経てから広島カープの門を叩かれています。
入団後、貴重な左腕として大野投手二世として期待を賭けられますが、なかなか期待通りに芽が出ず、先発、中継ぎ、抑えなど転々と経験されました。現役生活の終盤に差し掛かり、ようやく大器の片鱗が開花し始めます。30代後半からはリーグを代表する左腕に徐々に成長されます。そして40歳になったところで、憧れだったメジャーリーグで自分を試そうと渡米されました。
残念ながらメジャーでの成功は収められませんでしたが、人生においての貴重な経験が沢山できたそうです。
中でも、日本とアメリカの野球感の違いは、緻密な作戦を多用する日本野球に比べ、メジャーは大雑把な作戦のみである。例えば、日本ではバントのサインは10種類以上あるが、アメリカでは3種類くらいしかない。チームプレイに徹する日本野球に比べ、自分が目立つためのパワープレイがアメリカ野球である。練習も個人管理に任されているので楽しようと思えばいくらでもできる。
 などなど、アメリカにいると日本野球の素晴らしさに改めて気づかされるそうです。
また国際試合で強い日本野球は、メジャーのチームメイトからその秘訣を聞かれるくらい興味をもたれているようです。
高橋氏は、そのチームメイト達に「チームプレイを重視したちチームワークの勝利」だといつも話していたのだそうです。
来年からの高橋氏は、地元RCCテレビの解説者やデイリースポーツと契約され、グラウンド外からのご活躍されるようです。
  
   広島市民球場建設の感謝状           秋葉忠利広島市長             元カープ投手の高橋健氏 
2010年11月28日(日)
第37回 宮島クロスカントリー全国大会。
 いやはや・・・、約半年ぶりにマラソン出場をしてまいりました。
5月9日の朝霧湖マラソンを最後に、夏場の過酷なレースを避けつつ、秋からのレースに備えておく予定でした。が!
実はその間、トレーニングをさぼり続けていたため、それはそれはお腹回りが大きくなっておりました(>_<)
そんな不甲斐ない準備の中、強行出場をして来ました。

 この大会は、6Kmと10Kmの2コースからなっていますが、今回のエントリーは勿論!「6Km」の方です(^ ^;
レースの方はというと、2Km過ぎあたりから息継ぎが苦しくなり、中間地点では足が進まなくなり、復路においてスピードアップするどころか減速してしまう始末・・・。やはり、半年間のトレーニング不足が当然のように現れてしまいました。
結果タイムは、「33分 4秒」。
体力づくりをするには時間が掛かりますが、逆に体力が落ちるのは早く、元に戻すには強い覚悟が必要です。
師走の寒さの中、これから果たして自分自身に打ち勝てるのか?自分のみぞ知る結果なのでしょう。
ただ、ほぼ毎年出場をしているこの大会は、自身のマラソン出場の原点となっているので、なにかにおいて初心に戻るキッカケを教えてくれる大会となっています。どうしても続けねばなりません!

 レース後は、参加者が毎年楽しみにしている「カキ汁」と「もみじ饅頭」が振舞われます。
「カキ汁」は、カキがゴロゴロ入って野菜も具沢山。最高に旨いので2杯も頂いてしまいました。
「もみじ饅頭」は、勿論!焼きたてを食べさせていただきました。
毎年の事ながら、大会主催関係者、及び宮島町ボランティアの方々に心より感謝を申し上げます。
  
      ゴール右前の直線               具沢山のカキ汁               安芸の宮島紅葉
2010年11月19日(金)
広島市民球場 建設事業寄附者 銘板除幕式。
 本日、広島市民球場にて建設事業寄附者の銘板除幕式が行われました。
寄附に参加した弊社も招待されているため、除幕式に出席してまいりました。
 
 広島市民球場は、昨年4月の開設以来、広島の新たなシンボルとして定着してきています。
球場の建設に当たり、市民からの「たる募金」や、広島経済界からの16億6千五百万円の寄附金が寄せられました。
 この度、その球場正面玄関ロービーに、寄附者企業208社の銘板が掲示されることとなりました。
除幕式には、秋葉広島市長、広島商工会議所会頭ほか経済界の代表者が参加され、賑々しく銘板の幕が下ろされました。
幕下の銘板は金色で眩しい輝きを放っており、”(株)イワサキ”の名前もそこにしっかりと刻まれておりました。
 あとは、広島カープの奮起を応援するばかりです(^ ^)
  
2010年11月13日(土)
ゴールデングラブ賞。
 広島市民にこよなく愛されている広島東洋カープ。
今年は、野村新体制のもと、スピード感溢れる野球を目指して戦いましたが、残念ながら順位は5位となりました。
ただ、例年と違っているのは、広島カープからタイトルホルダーの選手が増えているということです。
 守備のスペシャリストに与えられるゴールデングラブ賞では、12球団では最多の4人(前田健太・広瀬純・ソヨギ英心・赤松真人)が広島カープから選出され、中日・巨人からは一人も選出されていない意外な結末です。

 広島ファンが特に喜ばしいのが、広瀬選手と赤松選手の二人ではないでしょうか。
長い間レギュラーをなかなか奪えず、足掛け10年の苦労をしてきての初受賞です。心よりの賛辞を贈りたいものです。
 そして、前田選手とソヨギ選手については、入団当初から将来を嘱望され若くしての初受賞となり、更に自信を深めてくれることだと思います。
特に、前田健太投手においては、最多勝利・防御率・奪三振・沢村賞・ゴールデングラブの5冠に輝き、出来過ぎというくらいのタイトル奪取となり、一人異次的活躍で球界を代表する投手に急成長してくれました。喜ばしい限りです。
結果に慢心することなく、是非来期に向けて良い準備をしてほしいものです。

 広島カープの成績は、例年通りのBクラスではあったものの、来期に期待を繋げる受賞になったと思われます。
今期は、スピード力・守備力の強化が実った一年であったと受け取れるでしょう。
来期は攻撃力・投手層の厚みに磨きをかけてAクラスを奪取、いや優勝を目指して欲しいものです(^^)v
2010年11月6日(土)
「日ロ交渉と2本の大根」
 いやはや・・・、朝起きてテレビをつけてみると、もの凄い映像が映っているではありませんか。中国漁船が海保船に体当たりしてくるショッキングな映像に目が点になってしまいました。後から、その映像はネットから流出したビデオとの事・・・。
海上保安庁幹部は、「中国漁船への警告から逮捕まで胸を張れる対応だった。その証拠がこんな形で国民の目に触れることになるとは・・・」と、落胆の色を隠せないようです。ビデオ流出についても海上保安庁内部からにほぼ間違いないようです。
 この一件で言えることは、ビデオが流出した政府与党の危機管理がどうの以前に、命がけの国防をしている海上保安庁内部から政府に対する国防・国益への危機メッセージだと受け止めるべきでしょう。
また、政府主導を掲げながら外交や内政で混乱を続ける政府に対し、霞ヶ関からも異論・反論が出ており、尖閣沖での衝突事件をめぐって日中間の調整に奔走した外務省幹部は、「日中関係が緊迫した時に首相官邸が日本外務省を信用せず、中国外務省に相談したことに衝撃を受けた」と漏らしています・・・。

 さて、題目の「日ロ交渉と2本の大根」は、日経新聞2面の風見鶏欄に掲載されていた内容です。
 「ロシアに詳しい外務省幹部は10月上旬に”大統領は近く北方領土に行くだろう。そこから対ロ外交をどう立て直すかだ”と語っていたが、首相官邸は危機感を共有していたのだろうか。もし今後、ロシア大統領が歯舞、色丹両島に入れば、1956年日ソ共同宣言で確認した”平和条約の締結後に両島を引き渡す”の合意すら危うくなり、戦後積み上げた日ロ交渉の成果が一気に崩れかねない。
 北方領土問題が最も解決に近づいた瞬間は、98年の川奈会談とされる。当時の橋本龍太郎首相にエリツイン大統領との交渉で印象に残った出来事を尋ねたとき、橋本首相はやや考えて、”2本の大根かな”と答えた。それは周到に準備した外交行事ではなく、橋本首相とエリツイン大統領が同じ車で移動中に起きた。沿道で農作業をしていた年配の女性が車列に気づき、両手に大根を持ったまま手を振った。大統領は苦笑いし、”日本はおれを本当に歓迎してくれているようだ”とつぶやいたという。この会談で日本側は、”北方四島の北に国境線を画策する一方、当面はロシアに施政権を委ねる”との新提案までこぎつけ今日に至っている。
 そして民主党政権への交代後、鳩山由紀夫前首相は”北方領土問題は十分進展できる。できれば半年で期待に応えたい”と語った。だが何ら具体的な行動を伴わないまま辞任し、ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問という結果を招いた。
民主党は政権交代から一年余りで、戦後の日本外交が重視してきた対米、対中、対ロのすべての関係をきしませている。米軍普天間基地の移設問題でひびを入れ、中ロにつけいる隙を与えた外交戦略の甘さには目を覆うばかりだ。
海外では”日本が領土問題で中国とロシアの挟み撃ち”と報じたメディアも多い。菅政権への批判を声高に叫ぶ野党議員も、国会を離れれば沈痛な表情を見せている。日本の北と南の島で起きた事件の衝撃度はそれぐらいに大きい」と、手厳しい内容です。

 コラムは、最後にこう締めくくっています。
「”敵と味方はどう決まるか”という問いかけに対し、答えは”敵だと思った瞬間本当の敵になる”ので、中ロの挑発に乗って対立を深めるのは何の特にもならない。日本は硬軟両様で相手国をけん制できるカードを増やしながら、米国や他の周辺諸国との結びつきを深めていく必要がある。戦後の平和国家の歩みを堅持しつつ、静かに外交や安全保障の基本戦略を練り直す時が来ている」
2010年10月31日(日)
第25回JIMTOF2010(日本国際工作機械見本市)
 2年に一度、東京ビッグサイトにて開催される「JIMTOF2010」の見学に行ってまいりました。
産業用工作機械の分野は、日本が世界に誇れるお家芸のブランドでもあり、世界各国からも常に注目されています。
言うなれば、ものづくり立国日本を支えているのは、裏方の優秀な工作機械メーカーのお陰だと言っても過言ではありません。
この分野の進歩・発展なくして、未来の日本国の成長は望めないと言ってもいいほどで、他国からすると喉から手が出るほど欲しい技術分野だと思います。

 その会場に足を踏み入れると、工作機械が所狭しと展示され、実演をしている機械には人だかりです。
普段、なかなかお目にかかることのできない工作機械メーカーの実機を触ったり、説明を受けたり、質問できたりと、売り手側・買い手側の両者にとって、絶好の宣伝効果の場となっています。
 今年の見本市では、有名メーカーによる大型機械の出品に目を引かれました。
が、やはり一際目を引いているのは「FANUC」の黄色いブース。自動制御ロボット実演による様々な可能性には目を見張るものがあり、この分野においては、他国の追従を許さないとび抜けた優位性を感じました。
 しかしながら、市場がアジア新興国に移っている中で、安い労働力との価格競争が日本企業の課題になっております。
他国への技術流出を防ぎながら、高付加価値商品の価値を落とさず、どのように新興国の安い労働力と勝負するのか・・・。
大変難しい時代の局面にあることは確かだと思います。

 今回のJIMTOF見学は、国内・海外に拠点のある工作機械商社「日本産商株式会社」のツアーに参加させて頂きました。
交通機関、宿泊、食事、懇親会などの段取り、及び、きめ細やかな心配りに感謝申し上げます。
また帰り便においては、台風のアクシデントにより飛行機が飛ばなくなり心配しておりましたが、迅速なる新幹線への変更により、予定どおり広島まで戻ることができました。何から何まで心より感謝申し上げる次第です。
  
   新日本工機の大型門型マシン          お馴染みファナック           ファナック大型制御ロボット
2010年10月24日(日)
空港快速モノレール。
 21日(木)、羽田空港は国際線ターミナルが開港し、東京国際空港としてリニューアルを果たしました。
それに合わせ、羽田⇔浜松町間を結ぶ東京モノレールも、18分という大幅な時間短縮を図っております。

 羽田国際線開港の翌日、関東地方への渡航予定があったため、丁度利用することとなりました。
わくわくしながら羽田空港に降り立ったものの、空港内はいつもの景色と全く変わらず、普段のままです?
「何にも変わってない・・・」と、首を傾げながらモノレール乗り場に向かいました。
今度は、18分に短縮されたと聞くモノレールに期待を抱いて行くと、ホームの両サイドに普通列車がしか停まっていません・・・。
またしても、「何にも変わっていないではないか!」と思いつつ、結局は席に座ることもできず立ったまま普段どおり約25分を揺られながら、「やはり京急線を使えばよかった・・・」と、他の乗客達も恐らく感じていたはずです(+ +;

 帰り便において、やっとその謎が暴けました。
浜松町からもう一度モノレールを試してみよう切符を買いホームに出てみると、、普通便の一つ後に「空港快速」という便が表示されていました。それこそまさしく18分で羽田に到着する快速列車でした。
ただ、京急線に比べると、快速列車の運行本数がまだ少ないのだろうと思われます。乗り合わせタイミングが悪ければ、少々待たなければなりません・・・。
 さて、「空港快速」に乗り込んでみると、これまでよりも若干スピードが早くなっているようでした。が、なによりも時間短縮のプラスになっているのは、途中「天王洲アイル・大井競馬場・羽田整備場など」全て通過駅とし、空港までの直行便としている効果でした。直行便の停車駅は、「羽田空港国際ビル・羽田空港ビル1・羽田空港ビル2」の3つになっています。
そうです・・・。
駅名のとおり、羽田国際線ターミナルは国内線ターミナルとは違う場所に設けてあり、駅も建物も別々になっているのでした。
駅から望む国際線の建物は、それはそれはモダンな仕上がりになっておりました(^ ^;

 ただ、今後「京急」と「モノレール」どちらを利用するのが便利なのでしょう?
乗車時間だけを見ると「モノレール」に軍配が上がるのですが、それだけではないこともよく垣間見えました・・・。
2010年10月16日(土)
チリ鉱山落盤事故の終結。
 8月6日の鉱山落盤発生から約2ヵ月あまり、ついに33名全員の救出が完了しました。
全員大きな怪我もなく、無事地上に出てこれたのは奇跡という言葉しか見当たりません。
本当に、ご家族も安堵と嬉しさでいっぱいのことだと思います。

 作業員の話によると、事故直後に作業員が混乱するなど、地下700メートルでの過酷な生活は「希望」を訴えつつも救出の困難さを自覚していたようです。

 8月5日の落盤事故発生直後には、坑内に大量の粉じんが舞い上がり、視界をふさぎ、「状況を把握するのに約3時間かかった」と、33人のうち最後に救出されたリーダー役のルイス・ウルスアさん(54)が振り返っています。
取り乱した一部の作業員は脱出を試み、現場は混乱しましたが、「助けは必ず来る、絶対に希望を失うな」。そう言い聞かせて皆で神に祈ったそうです。

 それから、長い「生還」をかけた挑戦が始まり、まずは手分けして周囲を調査し、閉じこめられたという事実を冷静に認識したそうです。特に、食料や水が生命線で、避難シェルターに保存されていた食料も乏しく、少しでも長持ちさせるため食事は48時間に1度しか取らなかったそうです。

 事故発生から17日後。捜索で掘り進められたドリルがシェルターまで到達。
もし万が一、救出の手が届いた際の対応手順を話し合っていた作業員達は、その時、すべて吹き飛んでしまうくらい興奮し、「皆、ドリルに抱きつきたい気持ちだった」と言っています。

 それからは、地上へ届けるメッセージを考え、「食料を送ってくれ」「空腹だ」……など。伝えたいことはいくつもありました。

結局、ドリルにくくりつけられて地上に引き上げられたメッセージは、シンプルに「(33人は)全員元気だ」でした。

リーダーのウルスアさんは、「神が届けるべきものを届けてくれた。必要なことをすべて言い表していた」と語っています。と同時に、鉱山の救出作業がいかに困難かも理解しており、決して楽観もできず、「突然、心が折れてしまってもおかしくなかった」と心境を吐露しています。

 地上から食料が届くようになって作業員たちは、体調管理のため食事を1日に5回に分けて生活。
しかし、救出に備えた肥満防止も必要なため、1人当たり1日2600キロカロリーに徹底管理され、作業員の体調を地上で把握できるよう、最先端の「生体測定ベルト」も配備されました。そして、閉鎖空間での70日間に及ぶ生活で最も懸念されたトイレの問題は、シェルター近くの簡易トイレで化学薬品を使って排せつ物を分解。地上から供給される水を利用して処理していたようです。

 また、作業員らが最もうれしかったこととして、地下の様子を地上に伝える高解像度の小型カメラが届いたことを挙げています。悲劇の中でもユーモアを忘れさせないため、冗談や笑い話が詰まった8時間分もの映像も送られていたそうです。
 その後、待ちに待った奇跡の救出活動の甲斐があって、全員が無事に生還を果たすことになりました。
生還後、精神的負担を強いられた作業員達は、退院後も半年間は心身のケアを受けることとなり、トラウマ(心的外傷)への、「心の癒やし」が必要とされています。

 今回事故にあった作業員の中には、今後も別の鉱山で働くことを希望している人もいるようですが、家族の大半は反対をしているそうです。

 いやはや、凄い人たちです(*_*)
小生は、なにを隠そう、閉所・暗所・高所のトリプル恐怖症であります(^ ^;
地下700メートルの暗く閉ざされたあの空間に、もし自分が居ることを考えたら気が狂いそうになります。
おまけに閉所恐怖症の人間にとって、あの救出カプセルの狭さはたまったものではなく乗りたくもありません・・・。
と同時に、絶対にあのような苦手な場所に近づくはずがないという自分が居ます(^ ^) 

2010年10月10日(日)
「十三人の刺客」
 現在、東宝シネマズで全国大ヒット上映中の「十三人の刺客」
テレビでの予告ワンシーンや、「十三人の刺客」というフレーズに大変興味をそそられます。
 グーグルのウィキペディア(フリー百科事典)を覗いてみると、「十三人の刺客」は、1963年既に一度映画化されています。
今回の映画化は、監督が替わってのリバイバル映画ということで、ベネチア国際映画祭にも出品しているようです。

 という訳で、映画の方ではなく、本の方を手にとって見てみました(小学館 全237ページ)
スラッスラッと小気味よく読める痛快時代劇で、映画化されたら間違いなく面白くなると思いました。
 内容は、十三人の刺客が様々な攻略を練り、「暴君(松平斉韶)」の暗殺を成し遂げるストーリです。
しかし、どろどろした殺し合いではなく、それぞれの生き様を描いたヒューマンドラマに仕上がっています。
お家に対する武士の忠義、生き様。そしてそのお家の掟に背いた場合の潔い身の処しかたなど。
とにもかくにも、現代人の私達が見失っているものを教えてくれます。
そして、手柄や名声よりも、命を賭してでも「義」を貫く武士の美徳が描かれています。

 この筋書きはフィクションではありますが、味方も敵方も、それぞれ武士としての忠義を尽くし通す見事さ。
是非とも、ベネチア国際映画祭において、「武士の美徳」が受け入れられることを心から祈っている次第です。 
2010年10月3日(日)
千里の道も一歩から。
 先日、NHK番組を見ていると、「禅」のことが取り上げられていました。
日本の「禅」は、欧州でも「ZEN」と呼ばれるほど認知され一目を置かれています。
そういう意味では、近年脚光を浴びている「クールジャパン」の先駆けなのかもしれません。

 その「禅」で著名な、京都大仙院和尚・尾関宗園氏が、「千里の道も一歩から」について次のように解読されています。
 「この道を行けばどうなるものか。すべてはそこから始まる。道は必ずそれから始まる。危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一歩が道となり、踏み出せば、その一足が道となる。危ぶむなかれ。迷わずに生きろ。行けばわかるさ。」
 千里の道も一歩から。その一歩一歩が大事で、自分の足で歩いていく、そういう習慣を若いうちにしみこませる。
そうやって身につけた、勉強するくせとか、運動する習慣とか、努力するくせは、歳をとってから生きてきます。
自分をどういうふうに鍛えていくのか、自分をどう作っていくのか、自分がなりたいのは何なのか、そこに意識を集中させる。
人にやってもらうことではない。あいつが悪いからできないんだ、と言っている場合でもない。あいつは悪いやつだとか、こいつはいいやつだとか、周りの景色を見て、あれこれいっている場合でもない。
 夜討ち朝駆けで、寸暇を惜しんで勉強する。「それ、ちょっと私にやらせていただきたいんです」といえる自分になる。そういう習慣がつかないと、歳をとってから何の役にも立たなくなる。老いて、ただ生きているだけでは屑と同じ。人生アウトになってしまう。
 人生とは、千里の道を一歩一歩歩いていくようなもの。千里は遠い。しかし、恐れることなどない。一歩を踏み出せば、次の一歩が見えてくる。

 また、沢庵和尚は、「禅」を下記のような表現で説かれています。
 「水のことを説明しても実際には濡れないし、火をうまく説明しても実際には熱くならない。本当の水、本物の火に直に触ってみなければはっきりと悟ることができないのと同様。食べ物を説明しても空腹がなおらないのと同様で、実際に自身の内なる仏に覚醒する体験の重要性を説明し、その体験は言葉や文字を理解することでは得られない次元にあると説き、その次元には坐禅によって禅定の境地を高めていくことで到達できる」と。
2010年9月25日(土)
「中秋の名月」
 22日(水)は「中秋の名月」でした。
広島地方の夜空はというと、残念なことに「ぼんやり曇りがかった十五夜お月様」でした(^^;
とはいえ・・・、とりあえずは携帯でパチリ☆

 さて、少し気になっていた「中秋の名月」の言われを覗いてみました。
旧暦の8月15日は、現在の9月18日。この前後にちょうど満月となります。
また、旧暦では7月から9月までが秋で、8月を「中秋」と呼んでいました。
そういう言われで、「中秋の名月」と呼ばれます。
また、この日を「十五夜」とも呼び、満月の日にお団子のお供え物をして「お月見」をする風習があります。
 この時期「十五夜」をする風習は、古くは中国・唐の時代から行われていて、野菜や果物などを供えて月を拝み観賞したという記録が残っているそうです。それが、平安時代ごろ日本に伝わり、貴族階級の間で観賞するようになり、やがて一般庶民まで広まって全国的な行事となったようです。                               以上、「日本人のしきたり」より抜粋。
 古くに生まれた年中行事やしきたりは、そのように日本人の生活や人生観の中に今もしっかりと息づいているようです。

 その日本文化の先輩たる中国ですが、近年の目覚しい成長とともに、日本に外交圧力をかけ始めています。
尖閣諸島での中国船拿捕事件をきっかけに、領土問題をめぐり、政治と経済を絡めて恫喝してくる未熟な超大国・・・。
与党民主党は、日米安保同盟を軽視し、逆に中国に擦り寄り、その揚句に領土問題で中国につけ込まれている始末・・・。
その結果、民主党は想定どおり、再び日米関係を再構築するため、日米論者の前原さんを外相に据えて対峙することにしました・・・。
政権交代してから丸一年、勿論ここまでの経済政策の無策さにおいても空いた口が塞がりません。そして、成長著しいアジア諸国の中、日本の競争力及び存在感が従来より薄くなってきていることも確かです(><)
 個人的に、民主党は危機管理を含め、政権運営能力に欠如しており、資質がないと判断しております。
2010年9月19日(日)
ちょっとした三つの人間模様。
 先日、お葬式に出席してまいりました。
たいした出来事ではないのですが、お葬式の行き帰りの間、なぜか脳裏に残った三つの人間模様からです。

 一つ目は、葬儀場での出来事です。
かなり広いホールでの葬儀は、お坊様約10名が揃い、輪唱で重厚なお経がホールに響き渡っていました。
すると、その最中、右手の方から、”スースー”というイビキが聞こえ始めました。
そのイビキは段々とエスカレートし始め、ついに”グガッガッ”という大音響がホール中に響き渡り、参列者の方々も顔を歪めて振り返られていました。その後も寝続け、一時的にイビキは止まるのですが、再び”グガーッ”の大音響が響きわたりました(++)
周りに座っている方が、肩でも叩いて教えてあげれば・・・。

 二つ目は、電車内での出来事です。
電車に乗ろうと、終点折り返しのこの駅で待っていました。
数分後、電車が終点に着くと全ての乗客が先に下車し、入れ替わりで小生達が電車に乗り込みました。
余裕をもち座席を確保して安堵していると、右席の方から、またも!”スースー”というイビキが聞こえてきます。横を見ると、まだ下車していない客が寝ていました。
それを見て誰も声を掛けないようなので、小生が立ち上がり、肩を叩いて「終点着きましたよ」と教えてあげました。その方は、恥ずかしげな顔で、ピョコリとお辞儀して下車されていきました(^ ^)
お葬式での重苦しい”イビキ事件”を払拭したような清清しい気持ちになりました。

 三つ目は、バス内での出来事です。
広島駅から、イワサキ本社行き(旭町終点)のバスに乗り込みました。
このバスは周回しているので、旭町終点とはいえ、呼び鈴を押さないとバスは止まりません。
バスに乗客は約10人。次の旭町終点が近づいてきても誰も呼び鈴を押す気配がありません。誰も降りないのだろうか?
しかたなく小生が呼び鈴を押し、”ピンポン次止まります”が発声されました。
そしてバスが旭町終点に着くと、なんと!計7人は下車するではありませんか・・・(++)
なにか引っかかるものを感じました・・・。

 以上、ちょっとした三つの人間模様からでした。
この世は、他人に対する思いやりや親切心がだんだん薄れてきているのか・・・。
反面、自分の行動に満足すれば、あまり相手に求めたり見返りを求めるべきではないとも言われます・・・。
2010年9月12日(日)
西郷隆盛の龍馬への想い。
 前日記に引き続き、龍馬に関わるエピソードから。
本日号の「龍馬伝」、寺田屋にて襲撃された龍馬は、薩摩藩の保護により一命を取り留めます。
その後、身の安全、怪我の療養、亀山社中、そしてお龍と日本初の新婚旅行のため、九州薩摩に身を寄せます。
 下記の内容は、寺田屋以降、龍馬に対する西郷のエピソードです。(とある文献からです)

 1865年春、薩摩を訪れた龍馬を西郷は自宅にもてなした。
龍馬は下帯の着替えをもっていなかった。友人の自宅に泊めてもらいながら下帯を替えないのはまずいと思い、西郷夫人におずおずと、「もうお使いにならない下帯があったら、貸してもらえんじゃろうか」と申し出た。お安い御用と西郷夫人は夫の下帯を龍馬に貸したが、このやり取りに西郷は激怒する。
 「お国のために命を賭けている方に、古い下帯をお出しするとは何事か」
そして、すぐに夫人に新しい下帯を交換させたという。
 たかが下帯ごときで温厚な西郷が怒ったのは、大切な客人に対して夫人が心得違いをしたという単純な理由ではなく、故郷を捨て、天下に安息の地をもたない漂白の浪士に対する配慮のなさを西郷は叱ったのである。国事に奔走するため家族の団欒を投げ打った若者に、束の間でも家族の温かさを味あわせてやれなかった不手際を責めたのだった。大藩を背景にしながら浪人の哀しみを知る西郷に、龍馬は大事を託すに足る度量を感じたに違いない。

 また、龍馬暗殺に至るまで身の危険は誰の目にも明らかだっただけに、西郷の悔根は特に深かったようです。
龍馬と中岡の訃報を耳にした西郷は、「怒髪天を衝くの形相凄まじく」、怒りを示した。普段言葉遣いが丁寧で、誰に対しても辞の低い男が、この時ばかりは、土佐藩士後藤象二郎に対して、「おい後藤。貴様が龍馬を藩邸にかくまっておればこんなことにはならなかったものを。土佐の奴らは、なんと薄情なんだ!」と、激しい怒りをぶつけている。剛腹な後藤も西郷に怒鳴られては肝を冷やしたそうで、「いや、実はいろいろと事情があって・・・」と弁解するが、西郷は許さない。
「何がいろいろだ。土佐にも薩摩にも、あれほどの男はおらんぞ。返す返すも惜しいことをした」
そう言って西郷は、あたり構わず落涙したと伝わるそうです。

 西郷隆盛に限らず、その後、薩摩閥からは、大山巌陸軍大将など・・・近世も優秀な人物を沢山輩出してきています。
論理的な多弁よりも、言葉の重みや人心・誠意を重んじる薩摩人。
幕末後の国づくりにおいて、情報や議論が長州人に劣ることを認識していながら、多弁を戒ため、あれこれ理屈を述べると、「議を言うな!」と長州人も一括されていたそうです。
 実際、そんな気風は今も生きているようで、鹿児島には「チェスト!教育改革」という看板も掲げられ、これは、教育改革には取り組むけれど、ぐだぐだ言わない。とにかく実践あるのみという意味で「チェスト!」なのだそうです(^ ^)
2010年9月4日(土)
薩長同盟と龍馬。
 早いもので、NHK大河ドラマの「龍馬伝」も、そろそろ大詰へと向かってきております。
先週の放送では、坂本龍馬仲介のもと、ついに薩長同盟が締結されました。
これから後、約300年続いた武家社会の徳川幕府の世から、いよいよ「近代日本国」が誕生していく訳です。

 さて、その薩長同盟において、なぜ仲介者が脱藩浪士の坂本龍馬であったのか・・・。
西郷(薩摩藩)や、桂(長州藩)のように、自藩の軍事力や経済力を持っていない龍馬が、なぜ幕府から敵視され、その言動が時流を左右するほど大きな発言力をもったのか・・・。
 この当時、龍馬と同じ時代を生きた志士たちは、脱藩の意味合いを痛いほどわかっていたようで、龍馬があえて故郷を捨てた勇気と行動力に絶対的な信頼を感じていたようです。
多くの志士たちにとって、自らを顧みればほとんど不可能な脱藩に踏み切り、社会的な背景と絶縁する気迫を示したからこそ、脱藩浪士たちは世間からある種に畏敬の念を勝ち得ていました。
その代表的存在が坂本竜馬であり、その龍馬が浪士を率いて組織した海援隊は、新たな藩に匹敵するほど一目置かれる存在だったそうです。
 そう考えると、西郷と桂が薩長同盟の仲介者として龍馬を立てたのは、龍馬が単に薩長に中立していた事だけが理由ではないようです。故郷を捨てた龍馬は、私利私欲を超越したフェアな人物としての象徴的存在だったとも言えます。
薩長同盟もまた、そうすることで私欲に発した野合でないことを天下に宣言できたとも言えます。
まさしく、龍馬の裏書なくして薩長は官軍たりえなかった訳です。  以上、とある文献からの抜粋です。

 ほんとうに大きな人物です。
日本国の将来を憂うがため、故郷、家族を捨て、私利私欲を捨てさることで実現し得た国造りです。
 それ以来、現代の国造りに目を向けてみると・・・、相も変わらず金権政治が蔓延し、未だその責任も取らず政権にしがみつき、党代表に立候補するような事がまかりとおる情けない世になっています・・・。
 個人的には、是非一度、国造りを託してみたい好きな政治家がいるのですが・・・(* *;
2010年8月28日(土)
民主党政権の行き詰まり・・・。
 再び、民主党党首選挙が行われるようです。
それも、金権問題で幹事長を辞任したばかりの小沢氏が党首に立候補し、それを鳩山前首相が支援するそうです・・・。
民主党員の総意で2ヶ月前に菅首相を選んだ経緯はいったい何だったのでしょう?
そして、あれだけ世間を騒がせたうえに説明責任を未だ果たしていない小沢氏を党首に祭り上げるとは・・・。
いやはや・・・、空いた口が塞がりません。国民を愚弄するにも程があります!

 民主党政権になってからというものの、経済政策は未だ無策状態で、日本経済は日に日に窮地に立たされている一方です。
その間、ここにきて為替は、1ドル=83円までの円高が進み、株価も9000円を割り込んでいる状況です。
アジア諸国の躍進ぶりを横目に、日本経済は下落に向かっております。
これ以上の円高が続くと、大企業の6割以上も減益を余儀なくされるというアンケート結果が出ており、一刻も早い経済対策を打つことが必要になってきております。
 こういう時こそ、経験豊富で優秀な官僚を使いこなし厳しい状況を打破してほしいものですが、民主党は官僚達と対決することを歌い文句に政権を奪取した経緯があります。
また、過度の円高を防ぐため、日銀の為替介入も望まれていますが、これも日本単独で実施しても効果は限定的なため、アメリカや欧州との協調介入が必要になってきます。
しかし、中国重視の民主党政権は、普天間基地追放のようなアメリカ軽視策をとってきたため、アメリカとのパイプが以前より細くなってしまい不安な関係が覗きます。

 政権与党の座には着いた民主党ですが、経験に乏しいマニフェストはどれも実現できずに行き詰っております。
そして、再び、民主党首選挙までの間、経済政策は先延ばしになる訳です。
 毎年のように首相がコロコロと変わるこの国は、他国の信用が得られず一種異常な国になってしまいました。
いったい、いつ?どの政党の誰が?再びこの国を復活させてくれるのでしょう・・・。
2010年8月22日(日)
お盆のしきたり。
 弊社の夏期休暇も16日で終わり、17日(火)より後半戦のスタートをしております。
毎度の事ながら・・・、これから年末に向かい、あっという間に時が過ぎていくと思われますので、そのスピードの早さに乗り遅れることのないよう、皆様、お互い気を引き締めて参りましょう。

 夏期休暇中は、ご家族揃ってお盆のお墓参りは如何でございましたでしょう。
年に一度、ご先祖様がこの世に戻ってこられる「お盆」・・・。
日本人として大切にしなければならないこの風習は、次のように説明されています。

 先祖供養をするお盆は、「精霊会」、「盂蘭盆会」などと言います。
精霊とは、祖先の霊の事。
盂蘭盆は、釈迦の弟子である目連が、「死んだ自分の母親が、地獄に落ちて逆さ吊りの罰を受けて苦しんでいますが、どうしたら救われるでしょう」と釈迦に教えを請うたところ「7月15日に供養しなさい」といわれた、という話に由来するらしいです。
そこで目連は、この日に手厚く母親の供養をしたところ、母親は救われて極楽浄土に行くことができたことから、盂蘭盆会の行事が生まれたといわれています。
 お盆の清式は、13日夕方に、精霊迎えといって祖先の霊が迷わずに帰ってこられるようにと、家や寺の門前で迎え火をします。そして、仏壇の前や野外などに盆棚と呼ばれる臨時の棚を設け、仏壇から位牌を取り出して置きます。
この盆棚には、果物・野菜などの季節ものや、ぼた餅などを供え、また朝昼晩の三回、ご飯と水も供えます。
さらにここに、キュウリで作った馬や、ナスで作った牛を飾ったりします。これは祖先の霊が馬にまたがって”この世”に戻ってきて、帰りは牛に乗って帰っていくと考えられているそうです。
 16日には、家や寺の門前で送り火を燃やして、祖先の霊の帰り道を明るく照らして送り出します。
この時、盆棚に供えた野菜や果物などを川や海に流す「精霊流し」や、灯篭を流す「灯篭流し」も行います。
川や海に流すのは、精霊が川を下って海に出て、さらに”あの世”に帰っていくと考えられているためだそうです。
 以上、「日本人のしきたり」からの抜粋でした。
2010年8月15日(日)
夏期休暇のお知らせ。
 残暑続く毎日ですが、皆様、お盆休みを如何お過ごしでございましょう。

 弊社の今夏期休暇につきましては、12日(木)~16日(月)の5日間を頂いております。
仕事始めは、17日(火)より通常通りの営業開始となりますので宜しくお願い申し上げます。

 さて私事ですが、連休前、ついに「親不知」を抜きました(><)
就寝中・・・、突如!、歯全体がジンジン痛み始め、「こりゃ大嫌いな歯医者に行かねば・・・」と、思ったほどです。
 早速、歯医者に掛かることに決めましたが、今回は新しい歯医者に行ってみることにしました。
まずレントゲンを撮って虫歯を調べると、いきなり「あ~あ・・・上奥歯の親不知が駄目ですね・・・抜きますか・・・?」の突然告知。
これまで親不知を抜いた経験もなく、抜くとかなりのダメージが残る噂もよく聞くため、先生に、「抜かずにどうにかなりませんか?」と、恐る恐る聞くと、「抜かなければ恒久治療とならないので、いずれ抜くことになるでしょう」と、遠まわしに抜歯を薦められるので、潔く観念することにしました。
 いよいよ抜歯です。まず嫌なのが一番大きな奥歯の歯茎に注射をすることで、そのダメージたる想像をしただけで油汗がでてしまいます。そして、ついに歯茎に注射!「チクッ」として「プスップスッ」と数箇所を注射。
これまで経験してきた痛さはなく、「あれっ?」と、いうような予想に反して痛みを伴わない注射でした。
その後は、麻酔の効いた治療により、痛みもなく抜歯をしていただきました。

 昔に比べて注射の痛みが和らでいるのは、注射針が細くなっているおかげだと体感しました。
そして、痛くない注射針の裏側には、超精密プレス金型を利用したミクロン単位の技術向上があることを、”ふっ”と思い出しました。巷で有名な、東京都大田区の若干5名の岡野工業が、医療用機器メーカー・オムロン向けに作ったのが先駆けです。
 世の中には、様々な種類や大きさの金型が存在しますが、人類が存在し、進歩する以上、金型は必要不可欠な道具であり、と同時に金型の技術も日々進歩しなければならないと痛感した次第です。
2010年8月7日(土)
第65回平和祈念式典。
 6日、広島平和公園にて原爆死没者慰霊式展が営まれました。
今回式典でのこれまでと違う変化は、原子爆弾の当事国アメリカ合衆国・ルース駐日大使の初参加や、現核保有国のイギリス、フランスからの代表初参加や、国連事務総長の初参加などが挙げられます。
 米オバマ大統領が就任以来、超大国であるアメリカとロシアが核兵器削減に向けた一歩を踏み出し始めるなど、核兵器根絶に向けた気運が徐々に高まってきている事は歓迎するべきことです。

 今年の秋葉広島市長からの平和宣言は、広島弁で感情を込めて、「ああ・・・やれんのう、こがあな辛い目に、なんで遭わにゃあいけんのかいのう。こがあな いびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」と言う、独特の第一声からでした。
 他の平和宣言では、菅直人首相、バン国連事務総長、湯崎広島県知事からの言葉がありました。
そして、”平和への誓い”として、小学生からの子供宣言がありました。

 その一方で、広島市の各小・中学校においても、記念日の前後は登校日にして平和学習集会を開いています。
小生の通った中学校の平和集会から、今年の追憶のことばです。
 「ヒロシマ・ナガサキに原子爆弾が投下されてから、65回目の暑い夏がやってきました。1945年8月6日8時15分、人類は、原子爆弾投下という大きな罪を犯してしまいました。その大きな罪により、ヒロシマの街は瞬く間に炎に包まれ、放射能の汚染により75年間草木も生えないといわれるくらい荒れ果て、二十数万人もの人々が犠牲となってしまいました。その中には、建物疎開に参加していた、私達母校の先輩方と先生方210名の尊い命も含まれています。
 私達は、平和を訴え続けるために、平和学習に取り組んできました。生徒会が中心となって、100人以上の生徒が参加した慰霊塔清掃や、学校全体で千羽鶴の作成をしたり、空白の学籍簿の朗読をし、慰霊祭に向けて歌練習もしました。
 私達の目の前にあるアオギリは、一度は命を終えてしまいましたが、もう一度芽を出し、たくましくしっかりと育っています。1メートルよりも小さかったエノキの苗木は、親のエノキの想いを受け継いで、原爆の酷さや悲惨さを私達に訴え続けてくれています。
この二本の木は、これからものびのびと成長し続けることでしょう。私達はこの二本の木に負けないくらい平和や核廃絶を訴え続けたいと思います。そして、もう二度と戦争が起こらないような平和な世界を作るために、私達に何が出来るのかをよく考え、行動していくことを改めてここに誓い、追憶の言葉とします。 安らかにお眠りください。
                                                        平成22年8月4日 生徒代表 」
 以上、恥ずかしながら、My son の”追憶のことば”からでした(^^;
2010年8月1日(日)
松下政経塾・元塾頭 上甲 晃氏。
 ”国家百年の計に立つ政治家を育てたい”と、日本の未来を憂い創設されたのが「松下政経塾」です。
創始者は、言わずと知れた、松下電器(現・パナソニック)の故・松下幸之助氏です。
 その松下幸之助氏が、松下政経塾・初代塾頭として託したのが、上甲晃氏です。
現在、松下政経塾からは、四十数名の政治家と、国会議員に二十名以上を輩出しています。

 上甲氏は、まず政治家を育てるために、「志」のあり方を説かれています。
その「志」には三つの条件があり、①人生のテーマを持つこと、②生きる原理原則を持つこと、③言行一致であること。
これらの条件を土台にして、おのれ一身の損得を超えて、相手の損得・みんなの損得・国全体の損得・子や孫を含めた損得・地球全体の損得を考えることが、生き方の一流人であり、そういう人材を育てることが松下政経塾の使命となっています。
 
 そのような使命感のもと、毎年、水俣病の語り部・杉本栄子さんの所へ勉強に行くそうです。
 「水俣病は、有機水銀で汚染された魚を食べたために、人間に被害が及んだ悲惨な病気です。
栄子さんと、母親がこの病気を患いましたが、特に、当時の母親の病状は重症で直らなかったそうです。
母の病気が町に知れ渡ると、誰一人も家に来なくなり、母が病院から帰ると、”病気がうつるので病院に帰れ”と、母を突き飛ばされたりしたそうです。それで、家族は全員家の中に逃げ込み、固く戸締りをして、十年間、雨戸があけられなかったそうです。近所を歩いても全く無視され、野菜や肉を買うこともできないので、ゲジゲジを天ぷらにしたこともあると言われています。
 その中で唯一の救いは、栄子さんに婿入りしてくれたご主人が”死んでもええ”と言ってくれたことだそうです。ご主人は、お母さんが食べ物を落とすと、自分の口に運びながら”お母ちゃん、おなかいっぱいになったか”と言って優しくしてくれたその姿が栄子さんの一番の救いだったそうです。
 またあるとき、道を歩いていて糞尿をパーっと掛けられたこともあるそうです。あまりに悔しいので、栄子さんは、お父さんに”仕返しをして死なせて”といったそうです。お父さんは、”人を恨むな、人を恨むのは人の道やない。人を恨み、人に仕返しをしても人間は幸せになれない。ウンコは洗ったら取れる”と、頑として仕返しをさせてくれなかったそうです。そのお父さんが亡くなる時に、最後に残した一言が、”栄子、人さまは変えられんぞ、自分が変われ。そのほうが楽や”という言葉だったそうです」

 上甲氏は、現在の日本人にとって何より大切なことは、どのようにして人より贅沢をするとかいうことではなくて、いかに自分自身が日本人として誇り高い生き方ができるかという事。日本人は、もう自分の贅沢においてほぼ世界最高レベルに立った。
これからは是非、「常に自ら変わる勇気をもって歩むことが、自分を育てることになる」という精神を持って、子供や孫達が「2000年ごろに生きた日本人は立派な人達だった。素晴らしいものを残してくれた」と言われるように生きざまを示そうではありませんか。と、締めくくられています。

 以上、上甲氏の著書「続・志のみ持参」は、宝石箱のような人生の指南書となっています。
本文では、松下政経塾出身の政治家が、出世して初心を忘れ、道を踏み外している人間がいることも指摘をされています。
やはり、毎日厳しい環境に自らを処し続けないと、誤った人生をおくるいう意味では、毎日が勉強と言えるでしょう。
勿論、今夜の大河ドラマ「龍馬伝」からも、毎週、日本人の誇り高い生き方を存分に勉強できますよね(^^)
2010年7月25日(日)
餃子の王将。
 ここ数年来の不景気といわれる最中、繁盛し続けている飲食店・餃子の王将。
その繁盛の裏側には、各店舗経営を店長に権限委譲することで、その店独自のサービスやメニューなどを考案させ、全店舗で競争をするシステムになっているので、どの店舗もほどよい活気があり、見ているこちらの方も元気をもらえます。
勿論、元気だけでなく、定番メニューの餃子は、どの店でも本当に安くて旨いので、あえて説明するまでもございません。

 さて先日、そんなことで出張先の夕食に、一人ふらりと餃子の王将に入りました。
毎日猛暑が続いている中でしたので、やはりお目当ては、定番の「大生ジョッキと餃子」です。
注文後、数分で「大生ジョッキと餃子」が運ばれ、早速このコンビで喉を潤すと、”やはりこれに限る!”の爽快感(^◇^)
 至福のひと時を一人味わっていると、隣に30歳前後の男性がドカンと座ってきました。
その男性は、「餃子2人前、パーコー飯、レバニラ炒め」と、ぶっきらぼうに注文したので、他人事ながら”そんなに食れるんかいの?”と、少々興味津々になりました(^^;
 まずは、餃子2人前が運ばれてきて、旨そうにパクパクと勢いよく食べ始めました。
次に、パーコー飯が運ばると、ウマウマガツガツとかっ込むように口の中に。
最後に、レバニラ炒めが運ばれてくると、ゆっくり食べ始め、そして急に食べている箸がすすまなくなりました・・・?
”やはり、食べきれないのだ”と、勝手に考えていると・・・、
 男性はおもむろに店員を呼びつけ、大きな声で、”レバニラが酸っぱすぎる!”と、クレームをつけ始め、そして言い終ると、男性は会計からレバニラを値引きしてもらって店を出て行きました。
 その重苦しい光景を間近で見て、”安く料理を提供している餃子の王将側に軍配が挙がるのではないか・・・”と、引きづりながら店を出てみると、男性が車に乗り込んでいるところでした。
その車は、「最高級車レクサス」・・・・・・・・・・・・・。 
この光景を見た瞬間、”レクサス乗っている身分で400円相当のレバニラに文句をつけんじゃねえ!” と、呟いてしまいました。
餃子の王将に対してのクレームが、接客マナー、注文漏れ、料理遅れなどではなく、味覚で文句をつけた相手がレクサスだということに、ついつい熱くなってしまった出来事でした(^^;
 その後、レクサスの男性が、”レバニラを数口食べて値引きしてもらったのも偽装だったのでは?”と、謎は深まるばかりです・・・。
2010年7月17日(土)
民主与党、参院選で過半数割れ。
 昨夏、民主党が念願の政権交代を果たしてから、今回が初の参院国政選挙。
国民が突きつけた審判は、自民党の51議席に対し、民主党が44議席となり、与党が過半数を割り込みました。
 マスコミは、菅首相の掲げた消費税引き上げ論が敗北の原因であるとの論調ですが、果たしてそれだけでしょうか?
民主党が与党の座に着いた10ヶ月間、「政治とカネの問題」、「米軍普天間基地問題」、「家計支援の充実」、「官僚政治の排除」、「事業仕分け、廃止等による大幅予算の捻出」などなど、マニフェストの選挙公約をしたにもかかわらず、ことごとく方針転換し、都合が悪くなると「生き物」と公言しながら責任を転嫁する有様で、空絵事の多さに疑問符がついた事も大きな要因だと思われます。
 このような空白な時間を浪費していては、日本の国益が失われていくばかりです。

 7月12日付けの日本経済新聞のコラムに、次のような記事が書いてありました。
 「橋本龍太郎元首相が、生前、首相時代で一番自慢したいことに挙げたのは、消費税の引き上げを実施を明言して、1996年の衆院選を戦ったことだった。
 橋本政権の業績とされる中央省庁の再編や米軍普天間基地の返還合意は、世間の注目を浴び、政権の浮揚材料にもなった。半面、3%から5%への税率上げは、誰も望まなかったのみならず、翌97年秋に始まった金融危機の引き金を引いたとも批判された。
 ただ、不人気な政策を下ろさず、逆に大減税論を掲げた当時の小沢一郎新進党党首に圧勝した96年選挙こそ、政治家としての本懐だった。と、生前の橋本氏は振り返った。」
 「今回、もっとも感心できなかったことは、菅氏が首相就任直後、高支持率を背景に、自民党の提案している消費税10%を参考にするとの発言をし、その評判がよくないと見るや、一瞬にしてひるみ、しかも自分は、”一ミリたりともぶれていない”と言い募ったことである。消費税引き上げに際しての軽減税率適用や低所得者への還付、あるいは法人税、所得税、さらには環境税と、演説のたびに球を散らして見せた。」

 普天間基地県外移設というプランについても、民主党が方針を撤回しブレた結果、良くも悪くも筋目を通していた社民党の方が連立離脱という事態になったことは、まだ記憶の新しいところです。
いずれにしても、与党内の方針や政策が閣内一致していないために、なるべくしてこのような事態に陥ったわけです。
依然、与党内では、現在も政策がねじれており、まとまりきれておりません。
 そんな間に、今回の参院選で野党が巻き返し、再び衆参の両議院でねじれが復活しました。
この国を救う政治家、政党は、いったいどこにいるのでしょうか?
2010年7月11日(日)
大相撲・野球賭博問題。
 いやはや、大相撲の野球賭博問題については、言葉もでません。
処分された人達は、次のとおりです。
[解雇] 大嶽親方(元関脇貴闘力)大関琴光喜
[降格] 阿武松親方(元関脇益荒雄、2階級)時津風親方(元幕内時津海、、1階級)

[謹慎] 〈親方〉武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)出羽海事業部長(元関脇鷲羽山)陸奥生活指導部長(元大関霧島)九重審判部長(元横綱千代の富士)八角親方(元横綱北勝海)佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)境川親方(元小結領国)春日野親方(元関脇栃乃和歌)宮城野親方(元十両金親)木瀬親方(元幕内肥後ノ海)阿武松親方

 〈幕内・十両〉隠岐の海、若荒雄、豊ノ島、雅山、豪栄道、豊響、大道、清瀬海、普天王、千代白鵬、春日錦

 〈幕下以下など〉光法、古市、大和富士、松緑、能登桜、大瀬海、松乃海
まったく・・・、書くのにほとほと疲れました(・_・;

 大相撲の歴史は、古墳時代までさかのぼり、現代まで国技として続いています。
その長い歴史の中、相撲は、これまで賭け事の対象となってきました。
しかし、今回の事態については、相撲界内で自分達が賭博に手を染めていたという情けなさ・・・。
また、その前には、力士の大麻所持の問題・・・。
 こんな有様で、大相撲が盛り上がる訳もなく、力士が成長するわけもなかく、大相撲協会の在り方自体が問われるのは当然の事と言えるでしょう・・・。
貴乃花親方が旧来の大相撲協会に意を唱えている事が良く理解できました。
何れにせよ、一刻も早く事態の収拾と、大相撲協会の刷新を願うばかりです。


    大相撲協会の処分者一同

    鎌倉時代からの大相撲絵巻
2010年7月4日(日)
東京スカイツリーと・・・。
 出張先への移動中、浅草を下車・・・。
てくてく次なる駅に歩いていると、吾妻橋から向こう彼方に見えるのは・・・、東京スカイツリーではありませんか!
初めて見る光景に興奮し、鞄からいそいそとカメラを取り出し、建設途中の東京スカイツリーをパシャり(^^)v

 東京スカイツリーは、2012年春に竣工予定です。
東京下町の墨田区に建設されており、完成すれば高さ634mで自立式電波塔としては世界一の高さになります。
今後、東京の新名所になることは間違いなく、完成するまでワクワクです。
 一方、気になるのが東京タワーの今後の行方・・・。
問題はワンセグ放送なのだそうです。ワンセグをより確実に受信するためには、東京タワーの2倍の約600mという高さが必要になるため、新電波塔のスカイツリーが必要となったそうです。
ただ、東京タワーに10m間隔でアンテナをつければ事足りるという議論もあるようです。
来年から一斉に始まる地上デジタル放送については、そんなに大きな問題はないそうです。現在の高さ333mに対し、あと25mほど高く改修すれば十分に用を足せ、工事費も40億円程度で済み、放送機器などがそのまま流用できる大きなメリットもあるそうです。
 いずれにしても、テレビ局から賃料をもらいながら経営している東京タワーも、「はいすぐに壊します」という訳には行かない事情があるようなのですが、これまで日本の歩んできた「昭和の象徴」と考えると、是非とも残して頂きたいものです。

 東京スカイツリーの右横にそびえる”金色の建物”と”謎の物体”、皆様ご存知でしょうか?
浅草吾妻橋に拠点を構える「アサヒビール本社」と、「スーパードライホール」です。
左の”金色の建物”は、泡の溢れるビールジョッキをイメージしたデザイン。そして、右の”謎の物体”は、アサヒビールの心の象徴である「炎のオブジェ」なのだそうです。 いつ見ても、独特でユニークなデザインです(^^;

  吾妻橋から望む東京スカイツリー
2010年6月27日(日)
岡田ジャパン16強進出!
 週一度の夢日記ですが、先週所用のために、久しぶりにお休みをとらせていただき失礼を致しました(^_^;
 その空いていた二週間、参議院選挙は熱を帯び、マツダ構内でひき逃げ自動車が駆け回ったりと・・・、話題性には事欠かない毎日です・・・。
 そんな中で、注目の話題は何といっても!4年に一度のFIFAワールドカップの開幕でしょう。
開幕してから、はや2週間経過しておりますが、われら日本代表はというと、グループ突破し、初の16強進出!
一時は・・・、黒星続きで、岡田監督の進退問題にまで発展していましたが、フタを空けてみると・・・、あれよあれよという間に名乗りを挙げています。

 今回の16強は、これまで岡田監督の思い描いた日本独自の戦術と、選手起用法の決断が大きく光っております。
 戦術においては、これまで一対一の体格差に劣る日本人の欠点を克服するため、ボールを持った相手選手に対し、一人ではなく数人で囲い込んみ、相手に自由を与えないことで日本独特の守りを構築しました。
ただ、この戦術は90分間走り回らないといけないため、後半ばてて失点を許すところがこれまでの課題でした。
16強に進出し、それを克服した岡田監督は、「選手達がスタミナ配分の方法を試合の中で掴んでくれたようだ」と、選手を称えて嬉しそうに答えている姿が印象的でした。
 選手の起用法については、これまでの個人実績に捉われず、戦術を最も理解してくれるコンディションのよい旬の選手を人選して活路を開いております。しかし、レギュラーに選ばれなかったプライドの高い選手達は勿論腐ります。
そこで、岡田監督は、ベテランGK川口能活をベンチのまとめ役として人選し、調和を取らせています。

 そして今、チームの雰囲気はレギュラーもサブも一体となり、「これまでのどのチームよりも団結力があり素晴らしいチームになって負ける気がしない」とのチーム内の声です。
 確かワールドカップ前、「ハエがたかるように戦う」という岡田監督の言葉に、「表現が不適切である!」というマスコミの論調もありましたが、とにかく「勝てば官軍」のごとく、そのような声は結果で打ち消したようです。
ともかく、日本サッカーの底上げに一身を捧げ注力をはらってきた岡田監督には、「よく我慢して頑張った!」の一言です。

 2日後の29日には、8強をかけたパラグアイとの試合ですが、ここまで来たら目標の4強を目指してほしいものです。
しかし・・・、16強進出で、これまでのワールドカップで勝てなかった日本サッカーの呪縛がとけたような気がするのは私だけでしょうか(^^;
2010年6月13日(日)
世界中が涙した奇跡の歌声。
 休日の日曜日、ひとり何気なくテレビのチャンネルを回していると、NHK-BSで手が止まりました。
映像には、丸々と太った中年のおばさんが一人たたずみ、大観衆の前でしっとりと歌っていました。
初めて聞く歌声に、有名なオペラ歌手だろうと思い、そのまま聞き入っていると、いつのまにか熱いものがこみ上げていました。
 その人とは、現在、巷で時の人となっている、イギリス人歌手の「スーザン・ボイルさん」です。
日本でも既に、昨年暮れの紅白歌合戦にもスペシャルゲストで登場しています(小生は見ていませんでした +_+;)

 スーザン・マグダレイン・ボイルは、イギリススコットランド出身で、1961年生まれの49歳。
ここにくるまでの道のりは平坦ではなく、子供のときに学習障害を患い、学校では生徒、先生からもいじめを受けていました。
そんな中でも、何よりも歌が好きだったスーザンは、教会やお店などで歌い、一部の人たちにはその実力は知られていました。
 しかし、最愛の91歳の母親が2007年に亡くなり、スーザンは一人ぼっちに。
愛猫(ぺブルス)との寂しい生活が続きましたが、生前に母親が言っていた”歌手になる夢に挑戦しなさい”と、いう言葉に背中を押され、ついに意思が固まります。
 2009年4月、イギリスのオーディション番組「ブリテンズ・ゴッド・タレント」に出場します。
が、舞台に出てきた48歳の垢抜けないスーザンを見るや否や、審査員や会場は失笑し、誰も期待している人はいません・・・。
そんな空気の中、スーザンはミュジカル「レ・ミゼラブル」から”夢やぶれて”のスタンダードナンバーを堂々と歌い始めます。
その途端、審査員や観客は口をあんぐり空けて驚き、信じられない歌声に酔いしれ、涙、笑顔、興奮のるつぼに入ります。
 そこからが、スーザンのサクセスストーリーの始まり。
その奇跡の歌声は、瞬く間に全世界に広まり、動画配信サイトYouTubeでは3億のアクセスが殺到します。
そして、昨年末にリリースしたCD「夢やぶれて」は、全世界で既に300万枚のトリプルプラチナムアルバムに輝いております。
 
 誰に恥じることもなく、何歳になっても夢を諦めず果敢に挑戦する姿に、小生も胸を打たれました(><。)
48歳での遅咲きスーザン成功は、見ている誰もが嬉しくなり、そこからハッピーと勇気をもらえます。
まだ見られていない方は、是非ご覧になってみてください。 

  スーザン・ボイル奇跡の画像はこちらをクリック←ボリュームに気をつけて、仕事中に見ないで下さい!
  ポール・ポッツも不幸な境遇からこの番組でオペラ歌手になったお一人です。

 人に涙させる歌の魔力って本当に素晴らしいものですね(^_^)
2010年6月6日(日)
鳩山総理辞任。
 日本の政治は全くどうなっているのか・・・。情けないやら悲しいやら・・・。空いた口が塞がらないとはこの事・・・。
諸外国から見ると、滑稽で幼稚な政治運営しかできない国と思われてもしかたのないような醜態。
遅かれ早かれ、日米安全保障問題でつまづくことは予想できていましたが、やはり現実のものとなりました。

 国民の期待を背負い高支持率で発足した鳩山内閣ですが、在任期間8ヶ月で前自民党内閣よりも短命政権となりました。
特に、選挙公約だった沖縄米軍基地の県外移設の件について、いったい何を根拠におし進めていたのか理解に苦しみます。
しかも、これは鳩山総理自身の考えだけではなく、民主党の総意だったと思います。
それが最終的に、”沖縄の皆さん期待を抱かしてスミマセンでした”で、済ます無責任な感覚が信じられません(・ ・;
 そして、参院選前に、鳩山総理にその責任をとらせ、すぐさま菅新総理に変えて選挙戦のイメージアップを図り、今朝の新聞の支持率を見てみると、なんと!57%に大幅アップです。
鳩山内閣発足後、日米基地問題や政治とカネ問題の陰に隠れ、経済空白をまねき、高速無料化などの絵に描いた施策も実現せず、本当にこんなに点数をあげても良いの?という気持ちです(*_*)

 一方の自民党はというと、第二野党としてすっかり影が薄くなっています。
やはり、一度野党となってしまうとマスコミへの露出も減ることもありますが、アピール下手という感もうけます。
しかも、新人議員の小泉進次郎氏ばかりがマスコミで目立っているようでは、頭の痛い話です。
 勿論、人柄やクリーンなイメージは重要なファクターには違いありませんが、目の前の綺麗事や、ばら撒きでの人気取り政策ばかりではどの政党も長続きしないでしょう。
まずは、目の前の現実をしっかりと受け止めたうえで、日本の未来を構築するために段階を追って実現性のある施策を討ってもらいたいものです。そういう意味で、マスコミや新聞が放つ情報提供とは、人々が一番信用を置くメディアだけに責任重大な情報源だということは云うまでもありません(・_・)
2010年5月29日(土)
居酒屋「てっぺん」 大島啓介氏 
 先日、出張先ホテルの前に、居酒屋「てっぺん」の看板が!
知る人ぞ知る、飲食業界では有名な居酒屋さんです。
 大島氏は、「外食産業から、日本中に夢を発信していきたい」という理念のもと、元気のある居酒屋をつくって、世の中を笑顔でいっぱいにして活力ある社会づくりに貢献して行きたいという大きな夢を持たれています。
特に、異色な「元気朝礼」は、巷で有名となり、今では沢山の会社関係者やマスコミが訪れるまでになっております。

 大島氏が、まずそこに至った原点は、父親の影響なのだそうです。
警察官だった父親は、年中忙しく、遊んでもらった記憶はあまりないそうです。
ある日、父親は激務の疲れから脳溢血になり、そのまま意識が戻らず帰らぬ人となり、享年37歳、予想もできない早い殉職となりました。
大島氏が小学校3年生の時です。
 父親の死後、父親の仲間や親戚たちから、沢山の話を聞く機会があったそうです。
父親は刑事になるという一つの夢があり、その夢を実現させるために、人一倍一生懸命働き、人の悪口や、弱音、言い訳などを一切せず、仲間から信頼される存在だったことがわかりました。
母親からは、「もう一度生まれ変わっても、私はお父さんと結婚するよ」と、プロポーズのことや、父親の好きなところを毎日聞かせてもらえ、大島氏は本当に嬉しくて、今でもハッキリとそのときの父親への尊敬が心に刻まれているのだそうです。
当時10歳だった大島氏は、それをきっかけに、「父親のように生きよう」と、心から誓ったのだそうです。

 また、居酒屋「てっぺん」が、日本中にたくさんの影響を与え、世界中にいっぱいの夢を与えたいと思うようになったきっかけは、経営の神様・松下幸之助氏(松下電器創業者)の話だそうです。
 ” ある日、しらけたような顔で電球を磨いている社員さん一人一人に対し、松下さんが言いました ”
「この電球はどこで光っているかしってるか?」
「子供達が絵本を読んでいる。すると、外が暗くなる。家の中はもっと暗くなる。そうなれば、どんな物語も途中で閉じなあかん。でもな、あんたが磨いている電球一個あるだけで、子供達のドラマは続行や。あんたは電球を磨いているんやないで。子供達の夢を磨いているんや。子供達の笑い声が聞こえてこんか?物づくりはな、物を作ってはあかん。物の先にある笑顔を想像できんかったら、物を作ったらあかんのやで。子供達の夢のために、日本中、世界中にこの電球を灯そうや。」
 明るい子供達の未来を実現するためには、まずは夢をもつ大人たちが先頭に立って見本となり、団結する重要性を説かれています。

 さて、「てっぺん」店内に入った印象ですが、10代~30代までの若く元気なスタッフ達が、笑顔と大きな声で対応してくれます。
ビールを一口飲もうとすると、タイミングを図ったように、「今日も一日お疲れ様です!」と、スタッフ全員が大きな声で労ってくれました。(ちょっと照れてしまいます^^;)
メニュウに目を通すと、”無料”の文字に目にとまりました。
そこには、「笑顔」「一発ギャグ」と書かれてあり、「スタッフにご遠慮なくご注文下さい」と書いてありました(^▽^)
 笑顔で礼儀正しい店内は、元気をもらいに来るお客さんで賑わっていました(^ー^)
ここに抜粋したのはほんの一部なのでまだまだ話は尽きませんが、ご興味のある方は本を読んでみるもよし、お店に行ってみるもよしです!

    居酒屋「てっぺん」の店内

  来店されたお客さんの笑顔写真

    トイレ写り鏡のメッセージ

    ロール手ぬぐい表フタには・・・
2010年5月23日(日)
「負ける練習」・相田みつを
 先週末、子供の所属する剣道クラブの南区民剣道大会を覗いてきました。
クラブ対抗の団体戦では、決勝戦で惜敗はしたものの、チームが一致団結を心がけた結果、2位の好成績でした。
 それでは、あと一歩というところでの差は何だったのでしょうか?
それを思うに、日記前号で書いた中国電力・坂口監督の言葉で、「たすきを渡す選手が、次の選手に少しでも楽をさせてやろうという気持ちになってくると、自然にチームは強くなります。それが駅伝であり、団体競技なのです」が頭の中の残っています。
 この言葉から考えてみると、まず団体戦は、出場選手だけでなく、チーム全員が欲をもってフォア・ザ・チームに徹する事。その上で、選手が次の選手のために、”引き分けよりも、勝ち。勝ちでも二本勝ち。”と、いう思いやりをもつことが勝利に近づきます。
 確かに、優勝決定戦も大将戦までもつれる好試合でした。
その時、副将だった息子が引き分けで満足するのではなく、後ろの人のために、より強くそんな気持ちを持っていれば展開も変わっていたはずです・・・。
あと一歩の差とは、やはり、チーム一丸となって仲間のことを思いやり、仲間を好きになり、目標に向け互いに切磋琢磨できたかどうかの紙一重のところなのでしょう。
個人競技とは違い、団体競技のあり方やメンタル面などは、会社にも勿論、あてはまりますので、いつも興味深く刺激を頂いていたりします(^~^)

 勝ち負けについて、「負ける練習」という、相田みつを氏の詩があります。
 「 柔道の基本は受け身 受身とは投げ飛ばされる練習 人の前で叩きつけられる練習 人の前でころぶ練習 人の前で負ける練習です。  つまり人の前で失敗をしたり 恥をさらす練習です 自分のカッコの悪さを 多くの人の前で ぶざまにさらけ出す練習 それが受け身です。  長い人生には カッコよく勝つよりも ぶざまに負けたり だらしなく恥を さらすことのほうが はるかに多いからです。  そして 負けかたや受け身の ほんとうに身についた人間が 人の世の悲しみや 苦しみに耐えて 他人の胸の痛みを 心の底から理解できる やさしく暖かい 人間になれるんです。  そういう悲しみに耐えた 暖かいこころの人間のことを 観音さま、仏さま、と呼ぶんです。 」
 この詩ついて、長い人生、負けたり恥をさらす生きかたを本当に身につけた人が、”やさしく暖かい人間になれる”。また、強い人とは、本当のやさしさを持ち合わせている人で、”優しきことは強きことである”と、言われています。
最後に、観音さま、仏さまで締められているのは、”人間は、誰もが未完成のままでこの世を去っていく。そういう悲しみに耐えた、暖かいこころの人間になれるのは、本当は死後のことかも知れないのでしょう。”との事からなのだそうです。

 南区民剣道大会の団体優勝決定戦
2010年5月15日(土)
中国電力陸上部監督・日本陸連男子マラソン部長 坂口 泰氏。
 先日、某金融機関の総会に出席した折、講演会講師として、中国電力陸上部監督・坂口泰氏が招かれました。
小生にとっては、リーダー論と、趣味であるマラソン、両方の実益を兼ねた有意義な聴講となりました。

 さて、坂口氏の略歴からです。
広島世羅高校) 500m高校新記録・インターハイ優勝、全国高校駅伝一区 区間賞受賞
  早稲田大学) 故・中村監督のもとで箱根駅伝4回フル出場、2年・3年生時に区間賞を2度受賞。
ヱスビー食品) 全日本実業団駅伝で4年連続優勝。
          びわ湖毎日マラソンを2時間11分21秒で2位。ソウルオリンピック最終選考会(福岡国際)で7位。
   中国電力) 監督に就任し、全国実業団駅伝で2度の優勝。常に上位成績を残す強豪チームに育てる。
          油谷・尾方・佐藤など、数々の選手を育てあげ、世界大会でメダルを会得するなどの好成績をあげる。
以上、陸上エリートコースを歩まれ、ヱスビー食品時代では、当時のスター・瀬古選手と同僚だったそうです。

 中国電力では、陸上部創設時にコーチ参加し、その2年後、監督として初就任されます。
監督就任当時は、同好会のような弱小チームで、高校生チームに負けても悔しくない選手達ばかりだったので、いつ廃部になってもおかしくない危機が続いたそうです。
 そこで坂口氏は、環境整備(練習時間・活動費用)と、選手強化(意識改革・有望選手採用)を最重要課題と掲げ、会社に援助のお願いを訴え続けたそうです。その熱意に答えてくれたのが、経営陣の有沢氏であり、陸上部部長も勤めながら、チーム強化に鬼となって支え続け、、この方なしでのチームは存続できなかったそうで、心よりの感謝を述べられていました。
 選手の意識改革については、まずは挨拶、時間厳守、身だしなみなどについて、粘り強く言い続けることにより少しづつ変わってくる選手が増えてきたそうです。それでも直そうとしない選手は、次々と辞めてもらったそうです。
 有望選手採用については、次のような面白い傾向があると言われています。
「学校の先生が一押しするような選手に限って、例外なく自分勝手な選手が多く、そのほとんどが辞めて行ってます。逆に、なにか引っかかったように紹介される一癖ある選手のほうが、実はダイヤの原石なのです」との事です( ̄ー+ ̄)

 その後、3年間は全国実業団大会予選で惨敗し続けます。
そして、ようやく出場にこぎつけたレース。
20位以下の順位で負けはしたものの・・・、五十嵐選手が一区において、見事トップに一秒差の2位で入ったそうです。
レース後、五十嵐選手は、「すみませんでした!私がもっと早く走って貯金をつくっていたら!」と泣いて皆に詫びたそうです。
その姿を見た選手達は、これまでの不甲斐なかった自己姿勢を反省し、そこからを境に自覚と責任が出始めたのだそうです。
 その事について、坂口氏はこう言われています。「たすきを渡す選手が、次の選手に少しでも楽をさせてやろうという気持ちになってくると、自然にチームは強くなります。それが駅伝であり、団体競技なのです」と。
 それからは、徐々に有望な選手も加わり始め、今度はチーム内に競争心が芽生え始めたことで、油谷選手、佐藤選手、尾方選手などがメキメキと頭角を現し、現在では、日本代表選手を輩出する強豪実業団チームに変貌を遂げております。
 
 また、坂口氏の目指しているチームとは自立したチームを作っていくこと。そのためには次の3項目を重視されています。
1)細かな規則や決まりをなるべく作らない。
2)選手に与えすぎない。かまい過ぎない。教えすぎない。
3)チーム・個人の目標設定など、PDCAのマネジメントサイクルを回す。
 その上で、チーム内において競争をさせ、ヤル気のある選手にはチャンスを与え、ヤル気のない選手は辞めてもらう。
そして最終的には、目標にコダワリ、結果を出すことが活性化につながる一番の方法だと言われました。
 最後になりますが、伸びる選手とは!次のように言われています。
「常に目標を持つ素直な人で、現状に満足せず上位に向かって努力し、最後まで諦めず、絶対に人のせいにしない人」と、言われていました(^^)
 まだまだ良い話もあり、全部書き切れないのが大変残念なのですが、早速ここまでのわが身を振り返って反省せねば・・・(^^;
2010年5月9日(日)
第19回 朝霧湖マラソン大会。
 ゴールデンウイーク、皆様いかがお過ごしだったでしょうか。
連休中は好天にも恵まれ、史上3番目の人出が記録されたようで、高速道路も大渋滞の模様でした。

 小生はというと、愛媛県西伊予市まで「朝霧湖マラソン大会」に出場してまいりました。
まあ~遠い遠いこと・・・。広島県尾道市と愛媛県今治市をつなぐ”しまなみ街道”を通って行くのですが、まさに、「行きはよいよい 帰りは怖い」のとおり、帰りの”しまなみ街道”は大渋滞。
伯方島から尾道市までの15kmの間で、約1時間は車が動きませんでした(* *;

 さて、今回のレースはというと、ハーフにエントリーしました。
コース設定は、往路が標高差150mの厳しい上りで、復路はそれを一気に下ります。
実は、先月フルマラソンで往路330m上りを経験していたので、今回のハーフを少し舐めておりました。
 この日の気温26℃。レース前からじわじわと額に汗がにじみ出ます。
スタートをきると、約1kmを走ったぐらいで早くもバテ始めました。
そして5km地点、暑さと上りの辛さでついに歩いてしまいした。このまま走り続けると最後までスタミナがもたないと同時に、身の危険を感じたため苦渋の決断をしました。
そこからも延々と続く上りのきつい事苦しい事。
こんなコースにする必要が果たしてあるのだろうか?と思ったくらいです(>_<)
 それを感じてからは、タイムより安全完走第一に切り替え。
給水所ではその都度、水分補給。頭には水をかぶりながらの暑さ対策。
復路はフラフラになりながら、ゴールまで”我慢我慢”と言い聞かせながら完走し、タイム2時間21分でゴール(+_+)

 今回、久々に充実感の薄いレースとなってしまいました。
しかし、今レースにおいて学習できたのが、5月以降の夏季マラソンについて。
夏場のハーフマラソンは身体への負担がかかるため、今後は10kmまでにしておこうと決意した次第です。
 でもいつもながら、完走後の爽快感だけはどうしても止められないんです(^ ^)

         開会宣言

     ヘトヘトでフィニッシュ

  今治市から望む”しまなみ街道”
2010年5月1日(土)
5月1日(土)~5日(水)まで、5日間をお休みさせて頂きます。
 いよいよゴールデンウィークが始まりました。
皆様、思い思いの充実した休暇となられますよう、リフレッシュ下さいませ。
 尚、弊社では、5日間のお休みを頂いておりますので、この間、何卒ご容赦の程を宜しくお願い致します。

 さて、行楽週間中、高速道路の大渋滞が予想されております。
土、日、祝祭日の1000円高速道路有効期限も5月一杯まで?が関係しているのか?どうなのか?
いずれにしても、自動車での遠出には、覚悟をもって出かけたほうがよさそうです。

 そのGW前に合わせるかのように、4月26日(月)、広島高速2号線・3号線が同時開通しました。
山陽自動車道より広島中心部まで、これまでより更に広島市内大動脈の国道2号線や、宇品地区、呉市までが結ばれます。
 これまで何度も頓挫しては長引いてきた広島高速道路計画。
待ち望まれていただけに、「やれやれ、ようやく実現したか」という印象ではありますが、今後は、この利便性を活かして、大きな経済効果が期待されるところです。後は、広島駅までの直通の高速5号線が待ち望まれていますが、この間は、まだ地域住民との確執が続いておりますので、もう3年ぐらいは長引くのではないでしょうか。
 弊社からは、新ジャンクションの東雲ランプまで約5分となります。
今後は大変便利になるのですが、民主党の高速道路料金規定によると、近距離や都市高速道路の料金値下げのうたい文句は無さそうな気配で、勿論、「高速無料化」などと言うような”でっち上げ選挙公約”もどこへ行ったのやら・・・。
話が政治に向かってしまいましたが、与党である民主党の政権能力の幼稚さ。また、それを切り崩せない自民党の結束力の無さ。ここ近年の、政党政治の不甲斐なさには言葉が出ないやら情けないやら・・・。
 当初より述べていたとおり、民主党は、内需のばら撒きで国民の支持を取り付けたまではいいもの、どれも公約どおりにならず、その間、日本経済を放置し、日米安保は悪化を辿り、日本の国益を衰退させている責任は重いと感じております。
  
      つき庭の二色紅葉               社宅の八重桜                   満開の蕾     
2010年4月25日(日)
第18回 津山加茂郷フルマラソン全国大会。
 前回の”そうじゃフルマラソン”リタイアに懲りることなく、リベンジを果たしに行ってまいりました。
今大会は、前大会の制限時間より30分延びて6時間。そして途中の関門時間は、中間地点の3時間以内のみで、またとない初完走のチャンスに意欲満々で望みました。
 が、しかし・・・、コース図を見てびっくり!
中間地点21kmまでの4/5が上り坂(高低差330m)になっています。
コース図の横には、”コースはきついぞ頑張れ!”という張り紙が・・・。
察するに・・・、本大会は、あきらかに一般的なフルマラソンではなく、町おこしのための名物コースみたいな設定だと思われます・・・(><。
そんないきなりの試練に意気消沈でしたが、嘆いたところでどうなる訳でもなく、気分を切り替えてのスタートとなりました。

 走り始めると、いつもの大会と何か違う?
道幅は確保されて走りやすく、コース景色も、満開の桜から、山々の新緑、清流の傍を走っているとウグイスの囀りも聞こえてきたりと、抜群の環境です。
給水所においては、5km毎に設置があり、スポーツドリンクと水だけではなく、チョコパン、クリームパン、アンパン、バナナ、かりんとう、水スポンジ、エアーサロンパスなどなど、物凄い手厚さです。
 その上、最も力を与えてもらえたのが、人々の温かさ。おじいちゃん、おばあちゃん、子供達からご家族総出で応援して盛り上げてくれます。給水所以外では、家の前で熱々のお好み焼きを焼いて食べさせてくれたり、豆腐、おむすび、みかん、りんご、バナナ、飴、梅干など多数、あらゆる場所で食べることができます。そのお陰で、好きなときに栄養補給ができ、感謝の連続でした。
 実は、このマラソン大会、日本マラソン100選に選ばれている大会の一つでした(^^)

 さて、レースの方はというと、中間地点までの上り坂をコツコツ走り、折り返しタイムが2時間19分。自分的にはまずまずのタイム。
 折り返してからの復路については下り坂となるため、すぐに足の痙攣が始まり動けなくなりました。(この現象は、急に足を使う筋肉が逆転するからだと思われます)
そんな場合は、立ち止まり、痛みを我慢して、屈伸し筋を伸ばし痙攣を抑えます。
 そんな訳で、復路は痙攣との戦の始まりとなりました。
足に負担を掛けてしまうと動けなくなり、リタイアすることとなるので、前回レースの反省をふまえ、給水所と、痙攣で立ち止まる以外は、とりあえず走り続けて、できるだけ貯金をしておこうと思いました。
 そして騙し騙し足を引きづりながら38km地点。
タイムは4時間20分。なんと、5時間を切れるタイムなのですが、喜びも束の間。
ここから、ほんの数百メートルの上り坂があり、それを走って上る体力は残っていなかったため、ついつい歩いてしまったのが運の尽き。
様々な足の筋肉が痙攣を起こしはじめ一歩も動けない状態に陥りました。屈伸しても、筋を伸ばしても、走ると痙攣は続き、痛みが治りません。
 ここからはもう意地とプライドの世界の始まりです。
這ってでも絶対ゴールに辿り着いてやろうと、ここできっぱり歩きに切り替えました。

 そしてついに、残り1kmぐらいになると、アナウンスや競技場が見えてきました。
不思議なもので、目標が近づき始めると人間思わぬ力が出てくるものです。
痙攣もピタリと止まりましたので、最後の力を振り絞り、走り始め、競技場トラックに飛び込みました。
 これまで経験したことない辛さだった42.195km。
その終局までいよいよあとトラック1周半。
自分で自分の顔を見ることはできませんが、おそらく酷く歪んだ顔で力走していたと思います。すると、トラックを囲んだ応援の方々、大会関係者、競技後のランナーなど、「頑張れ!」「良く頑張った!」「あともう少し!」「負けるな!」など、温かい激励や拍手のオンパレード。
思わず感極まり、トラックを一周しながら自然に目頭が熱くなるのがわかりました(多くの初ランナーも泣いていたようです)
そして最後、痙攣してよろけながらフニャフニャゴール(^ ^; タイムは5時間29分!
本大会の難コースと、前回”そうじゃマラソン”制限時間内タイムだったことを考えると、個人的には満足なタイムでした。

 マラソンの頂点である距離の42.195km。
これを走りきると、何物にも変えがたい宝物を手に入れることができると信じて走り続けてまいりました。
時間が経ってしまうと辛かったことはすぐに忘れてしまいますが、ゴール前後で目頭が熱くなった出来事はこれからもきっと忘れないでしょう。体力の限界に挑戦して掴んだ感動は、確かに一生の宝物になりました。
 最後に、津山加茂郷フルマラソンの大会関係者、町民の皆様の温かいサポートに心より感謝!感動!です。
町の応援で、”また来年きんさいよ!”という言葉どおり、来年も必ず帰ってきます。
有難うございましたm(__)m

   津山加茂郷フルマラソン大会

      マラソン大会のぼり

       トラックに入場

    足が痙攣しながらゴール

       出店の餅つき

    津山名物”ホルモンうどん”
2010年4月17日(土)
山形新幹線のカリスマ販売員。
 東京~山形間(3時間半)を7両400席で結ぶ”小さな新幹線つばさ”。
その車両には、”斉藤泉さん”というカリスマ販売員がいます。
 車内でワゴン販売される、お弁当、飲み物、お土産など、普通の販売員が片道で売れる平均金額は約6万円程度・・・。
そんな中、斉藤さんは、お弁当187個、売上げ26万5千円というケタ外れの記録を持っています。
今では、サービス・商品開発の企画から後輩指導、そして講演や取材など、依頼が殺到しているカリスマ販売員です。

 短大を卒業したての斉藤さんは、山形新幹線開業に合わせ、ごく普通にアルバイト採用され今の道に入りました。
仕事にだんだん慣れてくると、仲間同士での販売後の情報交換に興味が湧いてきて、売れた人のやり方を取り入れ真似をすると、今までよりたくさん売れ、売れれば仕事も面白くなり、今度は自分で工夫するとますます売れるようになったそうです。
 その斉藤さんがこだわったのは「量」の追求。
普通の販売員が片道平均3往復のところ、斉藤さんは6往復以上することで販売機会を増やしました。しかし、人の2倍以上往復するには相当の工夫が必要になります。そこで、斉藤さんは無駄な時間をなくすことで時間の短縮を試みます。
 まず、ワゴン販売での無駄な時間ロスは、品切れを起こして商品を取りに戻ることなので、それを解決するため、斉藤さんはワゴン車を工夫して搭載量を増やしました。
しかし、それでも欠品することがあるので、商品を取りに戻ってワゴンに帰るときには、売りながら帰り、決して手ぶらでは帰らないようにしました。その他にも、お客様の男女比率や年齢層から売れ筋を予測しながら、その都度、商品の取り揃えを変えることなど、勿論、言うまでもございません。
 彼女をそこまでさせるのは、山形新幹線に乗車してもらい、”快適な旅で美味しいものが食べられた”と、喜んで頂きたいという使命感や、”人と人の一期一会を大切に、販売員と乗客という枠を飛び越えた人間同士の心の触れ合いを大切にしたい”。などからなんだそうです。(以上、某コラムからの抜粋でした)

 斉藤さんのずば抜けた販売量は、一期一会のお客様に喜んでもらいたという素朴な思いが原点にあることが理解できました。
斉藤さんのような行動を模範に、同様な人が増えてゆくと、きっと豊かな社会が生まれるのでしょう。
仕事の種別や接客スタイルは違えど、わが社もそういう人財の栄える会社でありたいと常に願いながら、社員達と一歩一歩あゆんでいる毎日です。イワサキの”斉藤泉さん”がたくさん社内に増えるよう頑張ってまいります! 
2010年4月10日(土)
「槌指」
 一昨日の事。
なにかしら右手薬指に違和感・・・。第一関節から指先までに力が入らず、指先が下を向いたままで動きません?
時間が経てば直るだろう。と、翌日になっても動きません・・・。

 しぶしぶ外科病院に行って診断してもらうと、「槌指」というポピュラーなケガでした(><)
症状としては、手指の第一関節が曲がったままで腫れや痛みがあり、自分で伸ばそうとしても伸びず(自動伸展不能)。しかし、手伝ってやると伸びる状態(他動伸展可能)。
原因としては、突き指の一種で、ボールなどが指先にあたったときなどによく起こるそうです。
病態は2種類あり、一つは筋が切れた状態、もう一つは骨の一部が折れた状態です。
小生はというと・・・、レントゲン撮影の結果、筋が切れたほうの状態でした。
治療方法としては、指に添木を固定しておけば約1~2ヶ月で完治するのだそうです。

 とりあえずは”ホッ”としたのですが、ただ自分自身、突き指や、何かに当たって指を痛めた覚えがありません?
ドクターも、「槌指の原因が不明なことだけが解せませんね」との引っ掛かるコメント。
 そして本日、やっとその原因が思いあたりました!
昔から、指の関節を鳴らすことがクセになっており、その時、第一関節が鳴らず「痛っ!」と叫んだのを思い出しました。
突き指などではなく、自分で自らの筋を絶ったようです・・・(* *;
 しかし、薬指一本の自由が利かないことが生活にこんな不自由な事とは・・・、情けなく、自責の念でいっぱいです。
「槌指」という間抜けな先行事例ではございますが、皆様!指を鳴らすことには十分お気をつけください。
2010年4月3日(土)
「長ねぎ」の調理法。
 包丁の魅力にとりつかれ、かれこれキャリア約4年になる「にわか料理おたく」でございます(^^)
自分的には、基本的に料理を作ることがそんなに嫌いな方ではなく、様々な調理法を組み合わせて料理を進化させていくことが面白く、それが旨くできて、食べた人が”おいしい”と言ってくれたり、あたりまえに頼ってくれていることがまた嬉しいのです(まさに・・・、「豚もおだてりゃ木に登る」ですよね(^_^; )
こんな小さな満足感なのですが、その前程には、やはり”人の役にたちたい”という人間の性が働いている気がします。

 そんなこんなで、料理への可能性も追い求め、週に一度、自ら買い出しに出陣するのが日課になっております。
その買い出し食材の中での「ねぎ」。万能食材で大変重宝するので必ず購入します。
 しかし、みなさんご存知だったでしょうか? 
「関東は白、関西は緑」という”ねぎ文化”の違いがあります。
昔から、関東では主に白い部分を食べる「根深ねぎ(長ねぎ)」が栽培され、関西では緑の葉の先端部まで食べられる柔らかい「葉ねぎ(青ねぎ)」が栽培されていました。
今では輸送の発達のお陰で、東西自慢の「ねぎ」を料理によって使い分けるようになったそうです。
 例えば、ラーメンやそばに入っている「ねぎ」ですが、関東では「長ねぎ(白髪ねぎ)」が一般的なのですが、関西では「青ねぎ」が使われています。

 広島で「長ねぎ」というと、斜めにたんざく切りにして鍋や汁の具材というイメージが強いので、ついつい持て余してしまいます。
そんな中、とある料理人から、「長ねぎ」を万能に活用する調理法を教えてもらい、”目から鱗”でした。
 その方法とは、「長ねぎみじん切り」にすれば、料理各種の旨味を増すアクセント食材になるということ。
例えば、中華では、マーボ豆腐、チャーハン、ラーメン、餃子、スープなど、何に入れても抜群の相性になりますし、一味違ったプロの技と同じような隠し味になります。
早速、「長ねぎのみじん切り」にトライし、マーボ豆腐、ねぎスープなどを作ってみましたが、こりゃ・・・「うまっ!」の一言です。
 実は、ここだけの話(・_・| 
「長ねぎのみじん切り」自体、これまで全く存在すら知りませんでしたので、それを知った衝撃と、みじん切り方法を知った感動で、「されど長ねぎ」の境地を発見し、今後、「青ねぎ」と共に、「長ねぎ」も常にストックしておこうと思った次第です。
 もし、「長ねぎ」を持て余しておられる方があれば、どうぞ是非一度お試しあれ!(にわか料理おたく推奨)
2010年3月27日(土)
「三文の得」  第五期 岩戸 康次郎 
 「お仕事は昼型ですか、夜型ですか」
これは私が他人から訊ねられる、最も多い質問である。
一昨年の園遊会の折に、皇太子殿下から同様の質問を賜ったときに、「いえ、どちらでもなく朝型でございます。執筆はだいたい午前中におえます」と、私は答えた。殿下は意外に思われたご様子であった。

 ところで私は、同業者には珍しい朝型人間である。この原稿を書いているのは午前六時三十分、ちなみに起床は冬ならば六時、夏は五時ときまっており、しかも起床と同時に完全覚醒するので、ただちに仕事にとりかかる。原稿執筆はほぼ午前中におえ、午後は読書三昧となる。
 まさか歳を食ったからこうした時間割になったわけではない。若いときからずっとこの調子である。在校時にはしばしば遅刻をしたが、原因は朝寝坊であったためしがなく、確信犯的に一時間目をパスしていた。そもそも私の体内には原始の仕組みが残っているらしい。陽が昇れば自然に目が覚め、覚めたとたんに脳みそも筋肉も活動を開始するので、いわゆる「まどろみ」という時間を知らない。で、日没とともにはや眠気がさす。
 国語の山崎先生もいまだに首をかしげておられるように、私には文学的才能などこれっぽっちもないのである。結果として小説家になったのは、才能でも努力でもなく、早寝早起きの賜物にちがいない。つまりそれくらいこの習慣は威力をもっているのである。
 午前中になすべき仕事を終えてしまえば、午後はヒマである。ヒマだから本でも読むほかないというのが真実で、何も仕事の延長として読書をしているわけではない。ヒマだから本を読むというのは、読書の王道と言える。この優雅なる読書タイムは一日に五時間か六時間、すなわち毎日一冊のペースが習慣となっていれば、仕入過剰の商店のようなもので、小説のネタに困ることなどはない。
 実は小説家に人生経験など必要なく、勝負どころはひとえに読書量、それも雑学的知識なのである。ちなみにきのう読んだ本は、「十七世紀におけるフランス宮廷料理のレシピ」という、訳のわからん代物で、ひどくつまらぬうえにやたらと難しかった。
 同業者のほとんどは夜型である。稀に午後スタートの昼型もいるが、私のような朝型は聞いたためしがない。ということは実にここだけの話だが、前述の合理的理由により「まさに無人の野を往くが如き」観がある。ましてや後進の世代はさらに不摂生な輩なので、まったく怖るるに足らない。
 ともあれ早起きは三文の得。才能もかけらもなく、さしたる努力などしなくとも、早起きのならわしだけで三文文士ぐらいには誰でもなれるのである。

 以上、母校に贈られた文筆から抜粋させていただいたのは、岩戸康次郎氏改め、「作家・浅田次郎氏」の文章からでした。
1951年生まれの浅田次郎氏は、憧れていた三島由紀夫に影響を受け、高校卒業後自衛隊に入隊。その後、企業舎弟とよばれる暴力団の構成員やネズミ講を経験されたり、競馬で生活をされていた過去もあるようです。
その後は、持ち前の文才を生かされ、「鉄道員」で直木賞を受賞。「壬生義士伝」はじめ代表作がずらりの稀代小説家です。

 ここまで夜型人間で通してきた小生にとっては、少々耳の痛い話ではありますが、心底憧れる生き方であります。
「早寝早起きは三文の得」とは有名な格言ですが、それでも小生は早寝しても睡眠し続けるような気がしてなりません(^ ^;
 一方、読書については、知識を増やし、人間性を高め、人財を育成するため重要なことは、誰にも疑いようもない事実。
常に活字とふれあう生活の中、読書、新聞の時間を増やしてまいろうではございませんか!
2010年3月21日(日)
花粉症(祝)
 冬から春への変わり目のこの時期、花粉症の方にとっては地獄の季節です。
小生もいつ頃からか・・・、もうかれこれベテランの部類に入ります。
毎年この時期は、鼻水、クシャミ、目の痒み、目の下のクマ、肌荒れなど、散々な目に合っており、一年で一番憂鬱な季節です。

 先月、会社でのミーティング時での出来事からです。
花粉症のYさんが、目が痒くて辛いと言いながら、「花粉症患者のうち、3~4年たつと免疫力がついて、直る人もいる」というような信じられないような話をしました。
それを聞いた小生、「え~!本当に直る人がいるのか~?」とびっくり仰天。
すると、隣のAさん、「本当の話だよ」との、またまた信じられないような発言。
 そういえば・・・、周りを見渡してみると・・・、既に皆さん花粉症で患っておられます。
自分はというと、その時点でまだ症状が出ていません?「もしや!」と淡い期待を持ちながらニヤリ(^~^)

 それからは、花粉症の完治を祈り続け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日現在に至る。
もうそろそろ桜の時期が近づいている季節にもかかわらず、いつもの辛い症状は未だ出ておりません!
これは!どうやら!免疫力がついて!花粉症が完治したようです(^◇^)
花粉症患者にとっては、ものすごく嬉しい出来事なのです(祝)

 自分の生活で何か変化があったとすると、2年前ぐらいから始めているマラソンぐらいしか思い当たりません。.
.やはり、運動のお陰により、身体の新陳代謝があったのだと考えられます。
 皆様、花粉症は本当に直りますので希望は捨てずにまいりましょう(^^)v
2010年3月13日(土)
2009年度イワサキ杯結果発表。そして、「時庵康幸様」元工場長の定年退職式。
 2009年度イワサキ杯、受賞部署が決定致しました。

  *最優秀賞*  「製造部」   対象者は上野部長が率いる製造部一同です。 

 今年で第4回目となったイワサキ杯。
ここまでの製造部は、2位続きで惜敗を舐め続けておりましたので、今回初受賞です!
 ”上野部長、池田課長、部員の皆さん”、本当におめでとうございます(祝)

 上野部長率いる製造部は、今回初受賞となりましたが、実は毎年、斬新なアイデアにチャレンジし続け、常に社内の注目と期待を集め、そして結果も出していましたので、いつ受賞してもおかしくないポジションにはついておりました。
それだけに今回の初受賞は、これまでの努力がようやく報われ、製造部以外の関係者も喜びひとしおなのです(嬉)
 これでひとまず、各部署の受賞が一回りし、これで本当の横一線。
今年においては、どの部署が受賞してくれるのか?
全く予想のつかない展開には違いありませんので、引き続き、今年のイワサキ杯も社員達と力を合わせながら進化発展を続け、お取引様により良い貢献が出来ますよう、頑張ってまいる所存です。何卒宜しくお願い申し上げます。


 同日、時庵康幸様の定年退職式を行いました。
時庵様は、イワサキでの勤続年数42年。
弊社工場が北広島町に移転してきてからの生え抜き社員でした。
岩崎会長と共に歩んで下さった人生には、私などでは言い尽くせない様々な思い出で一杯だと思いますが、現在の弊社が存在しますのも、これまで支え続けて下さった時庵元工場長の献身的なご協力のお陰だと感謝しております。
長年にわたるご精勤、誠に有難うございました。また、お疲れ様でございました。
 これから第二の人生の始まりでございますが、どうかお身体には気をつけて充実した人生をお楽しみになられますよう、心よりお祈り申し上げる次第でございます。

     最優秀賞 「製造部一同」






   時庵元工場長を囲み記念撮影
2010年3月6日(土)
2010そうじゃ吉備路フルマラソン初出場。
 夢日記で予告することなく、不言実行において、そうじゃ吉備路フルマラソン初出場を果たしてまいりました(^^)v
実は、この日が来るまで本当~に待ち遠しく、現在の自己体力がどこまで通じるのだろう? 
と、言うような、「自分自身の限界を一度知りたい」「感動してみたい」妙なワクワク感で一杯でありました(^^)
 この日は、注目の東京マラソンも同時開催されていましたので、こちら側は裏マラソン的な存在でありました(^^;
とは言っても、総社市を挙げた一大イベントは、約8000人参加の華やかで大きな大会には違いありませんでした。

 本マラソン大会(42.195km)の制限時間は、5時間30分となっております。
通常、6時間~7時間の大会が多い中、初心者には少々厳しい大会です(ちなみに、東京マラソンの制限時間は7時間です)
未知なる長丁場なため、周りのランナーに惑わされず、ゆっくり5時間以内の完走を目指して出発をしました。

 スタート後、ハーフマラソンよりも意識的にペースを落としながら、まずは10km地点に到達。
なにか・・・いつもより身体が重く感じられます・・・。
 慎重な走法で走っていると、20km地点まで物凄く長く感じられ、残距離を考えると気が遠くなるような疲労感に・・・。
その後、20kmを超えて未知なる距離に突入すると、案の定、足が痙攣をおこし始めました。
その都度、立ち止まってストレッチを加えながら30km地点までを騙し騙し走るようなレースを余儀なくされます・・・。
 30kmを超えてからは、ついに足が悲鳴を挙げはじめ、今度は走る事が困難な状況に・・・。
ここからは、痛みを耐えて早歩きと歩きの繰り返しです。身体もついていかず、気力だけで向かっている状況です・・・。
 その気力だけで35km給水所地点に到着し、ここで4時間25分が経過。もう、5時間以内の完走は無理です。
残り7.195kmを制限時間一杯の55分で戻らなければいけません。
 と、係員が、”はい!ここまで!”の声で、ゼッケンに付いている計測器をむしり取ったのでビックリ!
”なぜ?”と聞いてみると、35km地点での制限時間4時間20分という関門がありました・・・。
ここまで、15km、27km、35km、50km、計4箇所に制限時間のあることなど全く知らずにレースをしていたようです(+_+)
なんとも自分に不甲斐なく、やりきれない不完全燃焼とはこのことです。レース後は灰のようになりガックリです(*_*)

 落ち込みながらバスに回収され、競技場に着いた時、もう腹がペコペコでレース結果などそっちのけになってしまいました。
一目散に屋台を駆け回り、口に掻っ込んでいると、見知らぬランナーが”お疲れ様です”と笑顔で横に座られ、今度は一緒に食事をしながらの即席反省会です(その方は、35km地点をギリギリ滑り込み、結果5時間27分で完走されたそうです(凄)
 お互い話をしているうちに、”ここの大会は制限時間が短すぎる”という意見で一致。
また、”フルマラソンは長すぎるので、一年に何度も走る距離じゃないですね!普段はハーフぐらいが丁度いいですね!”と、いう言葉に、”うん!うん!”と同感するばかり。
だけど、”少し経つと忘れて走りたくなるんですよね~(笑)”と、またまた共感(^^;

 初フルマラソンはほろ苦い思い出となりましたが、自分の体力不足、未熟さを改めて思い知ることができました。
特に、ここ数ヶ月間、走りこみを全くしていなかったため、体重もオーバーし、足にくるのは当然の報いでした。
次回、フルマラソン初完走を目標に、体力作りを怠らず、ペース配分の教訓を活かし、改めての再挑戦を誓っております(^ー^)
2010年2月27日(土)
バンクーバー五輪閉幕間近。
 あっという間の競技期間でした。
メダル数においては、なかなか思うようにいかなかった感もありますが、考えようによって選手達は、競技結果以外にも様々な宝物を手に入れることができたことと思います。
選手の皆さんには、今回得た宝物を糧に、次へのステップアップとしてさらなる飛躍を遂げて欲しいものです。
「本当にお疲れ様でした」の一言です。

 しかし、メダルを得とくする難しさには”つくづく”痛感させられます。
メダルを得とくするためには、やはり、”ダントツの強さ”と”強靭な精神力”の両方を持ち合わせていないと難しいのでしょう。
特に、金メダルを得とくするような選手を見ていると、つくづくそれを感じます。
 今回の日本人選手には、その”ダントツの強さ”を兼ね備えた選手”が少なかったように思います。
”強靭な精神力(集中力)”という面でも、本来の力を発揮できない選手も多かったようです。
そういう点で、まずは現実をしっかりと受け止め、次へ向け足りなかったものを探求し続けて欲しいものです。
勿論、メダルを得とくすることだけが目的ではないので、自己ベスト更新が出来た選手達には心より賞賛の拍手でしょう(^^)

 毎回、冬季五輪を見ていて思うのですが、日本ではいつも、メダル可能性の高いスケート競技に脚光があたります。
個人的にはスキー競技に頑張ってもらいたいと思っております。日本は、恵まれた雪の環境を持ちながら、スキー競技は今一歩・・・。そのうえ、毎年スキー人口も減り続け、90年をピークに半分以下になっているそうです。
”利用する手はないがなあ・・・もったいないなあ”と思っている次第です(*_*)
 あと、「チーム青森」で人気を博しているカーリング競技を見ていると、ついついのめり込み、奥深さを感じてしまいます。
案外、手先が器用で頭脳系の競技は、日本人の性に合っているような気がするのですが・・・、如何なものでしょう(^^)
2010年2月20日(土)
ユニセフカップ2010神戸バレンタインデー・ラブラン。
 14日(日)、神戸市ポートアイランドでのマラソン大会に出場してまいりました。
参加者数10000名を超える大会規模で、ハーフや10km種目のほか、バレンタインデー・ラブランなる名のとおり、男女カップル種目や混合駅伝種目なども含まれ、大変華やいだ雰囲気でした。
本日の出場者男子には”一輪の花”を、出場者女子には”チョコレート”のプレゼントがありました(^ ^)

 今回の出場レースですが、10kmへ距離を下げての参加にしました。
と、言いますのも、昨年12月末からここまでというもの、寒さに負け、ろくなトレーニングをしていない自分自身に不甲斐なく・・・、今回の10kmは、徐々に身体を馴らす腕試し出場と致しました。とは言え、自己ベストの更新も密かに狙っております。(ちなみに自己ベストは、初出場に出した50分29秒。その後のレースでは、52分~54分台をウロウロ・・・)

 さて、レースの方ですが、いつも通りスタート直後は団子状態(*_*;
そのため、前もって道路端に寄っておき、端をくぐり抜けながらいち早く抜けるように心掛けております。
とりあえず団子状態をクリアし、いつもより早めのペースを意識しながら走り続けてみると、なんと走やすいコースではありませんか!埋立地なため、平面で道幅が広く、大変気持ちよく走れます。
 と、順調なペースだったのですが、早くも3km地点において、息切れの兆候・・・。
しかしこの日、我慢!我慢!と自分に言い聞かせながら踏ん張り、悪戦苦闘していると、今までのそれを忘れさせるような海の景色が目の前に飛び込み、後押しをしてもらうと、あっという間に残り3km地点に。
 今レースの目標では、ここからペースアップに挑戦してみようと考えていました。
すると・・・、苦しくとも走れるものです!ゴールまで常に限界を感じつつ、自分を出し切りゴールしました(+_+:
 そして、ついに出ました。結果タイム”49分43秒”で自己ベスト(^ー^)v
これまでどうしても破れなかった50分の壁だったので、やり遂げた充実感で一杯です。
心の中では、「苦しさを乗り越え良く頑張った!」と、自分を称えるもう一人の自分がいました。

 このレースで感じた事は、本気で挑戦すればできたという事実。
できないと決めつけ、”逃げていた自分”を見つけることができました・・・。
これを明日からの糧に!さあ!次の目標がまた高くなってしまったようです(^_^;

  ポートアイランドより三ノ宮を望む

      混合リレーの模様

   セーラームーン?も特別参加
2010年2月13日(土)
バンクーバー冬季五輪開幕。
 いよいよ今日の開会式をかわきりに五輪開幕です。
冬季大会史上最多の82カ国が出場予定で、日本からは94名の選手団が参加しています。
これから約二週間、選手達の積み重ねた努力と夢舞台が結実し、熱い冬の熱戦が繰り広げられます。
選手の皆さんには、是非、”全てを出し切れた”と言えるよう頑張ってもらいたいものです。

 そんな華やかな話題の中で、スノーボードの国母選手が服装の乱れで厳重注意を受けています。
マスコミ会見では、あまり意に介していないような無愛想な受け応えにも見え、大変残念です。
 ここ最近、日本人の礼儀・作法・身だしなみの乱れなどについてよく取りざたされるようになっています。
日本人ではありませんが、大相撲の横綱・朝青龍についても、文化の違いが物議をかもしだし、引退という結論に至りました。
 私は、朝青龍はともかく、国母選手の生活環境も知らないのでとやかく言う立場にありません。
ただ、このような問題が取りざたされる度に虚しく、元を辿っていくと戦後の学校教育に行き着くのでしょう。
戦後、GHQ占領下の元、日本の教育制度が見直され、戦前の徳育がなされなくなったことにも起因すると言われています。
親・兄弟を思い、先祖を思い、地域を思い、国を思い、最後に自国の歴史に辿りつくその過程は、最も大切な部分だと思います。
 現在、学校の実態は、徳育を受けていない時代の大人達が作り出した産物です。
その結果、当然のごとく礼儀・作法・身だしなみなどが軽んじられ、学校教育は力を失い、親も教師も過保護で育てられている(勿論小生も)ため、子供もわがままになり、言うことを聞かなくなっているのが実態なのではないでしょうか・・・。
日本の社会がそれを黙認してきた証であると思うのですが、そんな中、少しづつそれらが変だという声が出始めてきていることに、安堵し、何かのキッカケになればよいなと願っている次第です。

 今後、民主党には、国づくりの原点である教育改革をしっかりと”洗濯をしてもらいたく候(竜馬風に)”
特にお願いしたいのは、国旗を掲げることができず、国歌斉唱もできないような国を作ることだけは避けていただきたい!
良い国とは、子供達が、自国・郷土を誇れ、愛することができる国だと思っております。
2010年2月6日(土)
免疫学者・藤田紘一郎氏
 先日、日本医科歯科大学名誉教授・藤田紘一郎氏の講演を聞く機会がありました。
難い話で退屈するのかと構えていましたが、大変楽しく愉快な講演で、沢山勉強になる話が聞けました。

 藤田氏のご専門は、寄生虫学・感染免疫学などで、アレルギー・アトピー・気管支喘息・花粉症などの権威です。
自らの腸内にサナダムシの”きよみちゃん”を飼いながら、寄生虫と花粉症などの因果関係を解いていくユーモラスな研究をされています。
 研究をされたうえでの結論として、アレルギー性などの病気はきれい社会が引き起こした近代・先進国病のようです。
日本では1965年ぐらいから徐々に出始め、それ以前、人の体内に当たり前のようにカイチュウやサナダムシの居た時代には存在しなかった病気だったそうです。
健康体なためには、外部の細菌攻撃から抵抗力をつけるため、体内の善玉細菌が必要となります。
藤田氏は、それを”キヨミちゃん”と仲良くすることで自ら実証されています(・ ・;

 生活上での注意点では、次のように話をされました。
 防腐剤・殺菌剤・添加物などを含んだ食事が多くなると、体内の善玉細菌を殺してしまい、抵抗力がなくなりアトピーや花粉症にかかりやすくなります。それを防ぐために、野菜類(穀物・豆類・果物)などの植物性を中心にすること。発酵食品(納豆・味噌・漬物・ヨーグルト)などの善玉細菌を含んでいる食品を摂取すること。そして、それを手作りの食事に変えることが最も大切です。
ガン細胞を抑制するためには、色のついた野菜・渋味・辛味・香りの食品を取ることも抗酸化作用があり良いです。
 また、風呂やトイレや手洗いなど、過剰な潔癖性になると、細菌や栄養素が不足しがちになり、アトピーやドライスキンのような皮膚病になります。その点、間逆のアフリカ人達は、いつも肌つやがピカピカで、このような病気とは無縁です。
ちなみに、O157に感染し下痢をする子には大腸菌が少なく、下痢しない子は大腸菌がウヨウヨいるそうです。

 全くもって、細菌万歳な話です(^^;
最後になりますが、ストレスを溜めないことも健康の秘訣だそうです。
特に、”笑う”という行為は、MK細胞を発生し、ガンなどの細胞をやっつける効果があると言われています。
ご飯をきちんと食べて、明るい生活をしていれば免疫力がつき病気になりにくいので、ポジティブに生きることが何よりも効果がありますよ!との締めでした(^^)
2010年1月31日(日)
「龍馬伝」
 昨年の大河ドラマ「天地人」では、上杉家の”義”を旗印とした”人間愛”や”絆”の美しさ・大切さをあらためて教えられました。
その反面、綺麗ごとですまない戦国時代、”義”を貫ぬくがゆえの苦悩、決断の難しさも多くとらえられておりました。
一歩間違えばお家おとりつぶしにつながる”直江状”など、豊臣家への忠義を守るためにリスクをも省みず、堂々と徳川家と渡りあうところなど、まさに”義”の向くままに行動した結果なのでしょう。
最後には、晩年の家康に対し、上杉家の筋目を通した”義”を認めさせ、お家の安泰を勝ち取りました。
ブレることなく、何事も筋目を美徳とする上杉家。学ぶべきことが沢山ありました。

 今年の大河ドラマは、「竜馬伝」
激動の時代を切り開いた人物として、また日本史でも名高い人物として、いよいよ!”坂本竜馬”の登場です。
いよいよ!といえば、伊予が舞台の司馬遼太郎原作「坂の上の雲」も年末3部作で始まりました。
今年は観光名所として四国の当たり年になりそうな予感です(^^)

 100年に1度といわれる社会情勢の中、これから竜馬が一年間の船出をしてまいります。
閉塞感包まれる世で、竜馬は、何を想い、何を考え、何を行動し、そして刃に倒れ、私達に何を残し・教えてくれるのか・・・。
(ちなみに竜馬は、28歳で土佐藩を脱藩し、33歳で若くして命を落とし、たった5年間の表舞台なのです)
これから一年間、”美男の竜馬”を見て、人間・坂本竜馬を学び、ひとつでも何かを吸収したいと思っております。
 また、大河ドラマでは、複雑な幕末の歴史がわかり易く描かれ、人気役者も抜擢され、壮大なスケールに仕上がっております。
何かを変えるため、一人でも多くの人に観てほしいと願っております。(別にNHKの回し者ではありませんが・・・)
実は・・・、わが社の社員にも「竜馬伝」を観るようにゴリ押ししております(^^;
2010年1月23日(土)
民主党・小沢幹事長の政治資金問題。
 ここ数日間、政治資金問題は、東京地検から小沢氏への任意聴取という、新たな局面に入りました。
小沢氏の公設秘書など3名が逮捕されるという、前代未聞の事態に発展している中、渦中の小沢氏は自身の潔白を公言し、検察と徹底的に戦うと断言しており、鳩山首相もその対決を応援しているような有様。
真実はまだ闇の中にありますが、検察が数々の証拠を掴んだから3名の逮捕をしたのであり、その長たる小沢氏だけが責任を取らないというのは、身の処し方から逸脱しており、おそらく世論も納得しない事でしょう。

 ある次のようなコラム事が書かれていました。

 『 江戸時代、白隠(はくいん)禅師という立派な指導者がいた。白隠は駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)出身。その生涯で三十六回の悟りを得たといわれ、当時すたれていた臨済宗をみごとに復興させたことから、臨済宗中興の祖といわれる。
 「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでいわれた白隠。そんな白隠にとんでもない濡れ衣を着せられる事件が起きている。

 ある日のこと、白隠の寺の近くに住む独身の娘が妊娠した。その親はひどく怒った。はじめのうちは、娘はおなかの子の父の名を明かそうとしなかったが、追い詰められて遂に明かした。
それは「白隠」だった。激怒した両親は白隠をはげしく批判した。
白隠はそれをきいて、ただ、「ほぉ、そうか」と応えるだけだった。
 やがて娘は出産し、白隠がそれを引き取って育てた。このうわさはあっという間に近隣に広がり、白隠の評判は地におちた。
だが、白隠はそのことをあまり気にかけず、いつものように生活し、子供の面倒もよくみた。
 一年後、娘は耐えかねて真実を告白した。赤ちゃんの本当の父親は市場で働く青年だと。
娘の両親はおどろき、すぐに白隠のもとに向かってその話を告げた。
長々と謝り、白隠の許しを乞い、「子供を連れ帰りたい」と言った。
白隠は子供をゆずり渡しながらこう言った。「ほぉ、そうか」。

 自分の身の回りに好ましいことが起きても、好ましくないことが起きても「ほぉ、そうか」。
自分の評判が上がることでも下がることでも「ほぉ、そうか」。本当のことでもウソのことでも「ほぉ、そうか」。
 もちろん白隠は出家した身である。利害得失に生きる政治家や経営者とは別次元の人だと言ってしまえばそうかもしれない。だが、私たちもこの白隠の態度に学ぶことはあるはずだ。
自分自身や自分が所属する組織の損得を優先しようとするあまり、保身に走って詭弁を弄するようになれば、すでにリーダーとして破綻している。小沢幹事長はきっと実力のある政治家なのだろう。だが、日本の将来を思うのであれば、「ほぉ、そうか」と退場すべきだし、再起したければ、もう一度、人間力の修行を積んで出直してほしい。それが日本のためだ。 』

 以上、コラムより。

 悟りを開いた白隠のような行動はなかなか出来ることではありません。
しかし、首相や幹事長が、自身のカネ問題で世間を騒がせ続け、政治の安定が図れない異常事態です。
上文のように、黙って謝罪をし、金権からの脱却を宣言をしたうえで、潔く責任をとることが、未来政治へのステップなのでしょう。
2010年1月16日(土)
今年の運勢 『きち』
 新年の元旦、家族揃って近くの神社にお参りすることが、毎年の風習となっております。
ここでは勿論、会社・社員・そして家族の一年間の商売繁盛・安全祈願・無病息災などへの祈願をしてもらいます。
 神主様からの厳粛なるご祈祷、お祓いをしていただくと、身も気分も引き締まり、新しい幕開けをひしひしと感じつつ、毎年恒例の仕事を一つクリアし、”ホッ”とした気分にもなります。

 祈願を終えた後は、甘党・岩崎会長がお気に入りの屋台で「鯛焼き(あんこ・クリーム)」を買って帰り、家族全員で頬張るのが”ひとつの楽しみ”になっております。
 ”もうひとつ楽しみ”は、言わずと知れた「おみくじ」
昨年は、”大吉”を引いて、リーマンショックを払拭できると縁起を担いだのですが、効果の方はそれほどでもなく・・・(^_^;
 そして、今年運試しの「おみくじ」を引いてみると!
字が大きく”ひらがな”?よく見ると、「こどもおみくじ」を引いていたようです・・・(*_*;
 
 中身を抜粋すると次のようです。
『うんせい きち』 へたなことでも まごころ こめて、がんばり ぬいて かちましょう。
 「おねがい」   よいことも おねがいすれば かなうでしょう。
 「おべんきょう」 くるしくても がんばれ せいせきが あがる。
 「おともだち」  いけないこを よくする よいこの おともだち。

と、いうような可愛らしい文面が書かれていました(^ー^)
もう一枚「普通のおみくじ」を引こうか?とも思ったのですが、これを見てやめておきました。
出てきた現実を直視し、”初心に戻りなさい!”と素直に受け止め、そのまま財布の中へしまい込んで置くことにしました。
生まれて初めての「おみくじ」引き間違いは、新風を吹き込んでもらったような境地です(-_-)  
2010年1月5日(火)
2010年謹んで新春のお喜び申し上げます。
 さあ!いよいよ新年のスタートがきっておとされました。
今年が景気上昇の輝かしい一年になることを切に願いながら、弊社も新たな一歩を踏み出してまいります。
全社員一同、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 新聞で記載されていた今年の各企業景気予測はというと、”横ばい”の一年という見方が多いようでした。
昨年に引き続き、今年も新興国需要に左右される形での景気回復となりそうな中、円高・デフレがジワジワと日本の経済構造をむしばんでおり、企業はそれに身をゆだねざるおえないような閉塞感から、”横ばい”予測も頷ける気がします。
 資源に恵まれない日本は、今後においても、”技術立国”で国際貢献を続けることが国益になる事は明白の理でしょう。
民主党には、早急に外需政策を柱とした長期戦略を打ちたててもらい、”環境技術立国”への国家協力・国家支援・国家外交を惜しまず、官民を挙げたスクラムを組ませてリーダーシップを発揮して頂きたいものです(平成の文明開化と言われるくらい)
 もしこのまま、内にこもった政策や、偏った外交が続くと、景気不安が増大し、参議院選挙の議席も危うくなってくるはずです。
そういう意味で、今年正念場の鳩山政権は、外需・外交政策が注目ではないでしょうか。

 しかし、弊社も他力本願ばかりでは片付けられません。
今年、掲げた目標を全社全力で取り組み、常に挑戦を続け、いつの時代も挫けず前向きに荒波を乗り越えてまいります。
その際、今日からまた一年間を通し、ゆき届かない部分には、皆様からの暖かい叱咤・激励を宜しくお願い申し上げます。
2009年12月29日(火)
今年も一年間お世話になり有難うございました。
 早いもので、今年も残すところあと3日となります。
2009年度においては、100年に1度といわれた不況で、世界経済に激震が走り、歴史の一ページとして深く刻みこまれた年となりました。しかしながら、このような時代を経験できたことは、未来へと続く過程において、貴重な勉強ができた感謝の一年になったことにも違いありません。そして、今年の努力が来年に実ることを信じてまいりましょう!

 皆々様におかれましては、今年も一年間お世話になり、心より感謝申し上げる次第です。
来年も、弊社は全社一丸となって山あり谷ありの難局に立ち向かう所存です。
皆様からの暖かい叱咤激励の言葉を頂戴しながら、何卒、今後とも変わらぬご愛顧のほどをよろしくお願い申し上げます。

 それでは、今年最後のご挨拶となります。
新年が皆々様にとって幸せな一年となりますよう祈念しつつ、ご家族団らんの良いお年をお迎えくださいませ。

*弊社の今年度営業日は本日29日(火)まで。仕事始めは1月6日(水)からとなります。
2009年12月24日(木)
第21回 三田国際マスターズマラソン。
 今年最後の走り納めをしてまいりました。
三田国際マスターズマラソンは、兵庫県三田市で開催され、ハーフコースのみの大会となっております。
スタートから15km地点まで、高低差およそ100mを緩やかに上り、ゴールまで残り約5kmを一気に駆け下りる難コースです。そのせいか、当日現地に向かう足取りも気乗りせず、半分恐怖心を抱きながらの参加でした。

 さて、レース本番。
昨日まで、日本列島を覆っていた雪寒気団の影響で、地獄のようなコン(寒)デションです(+_+)
そんな天候の中、容赦なく号砲が鳴り響き、約4000名のランナーが一斉にスタート。
 順調なレースの滑り出しで、体調も至って軽快。スイスイとマイペースを保てます。
が、その矢先の3km地点、トイレ(小)をもよをしはじめる事態に!これから2時間の長丁場になるため、しかたなくトイレに直行しておくことにしました(いきなり約1分以上のタイムロスです(*_*)
しかし、その後は順調に推移し、上り坂も無事クリア(15km地点)
が、今度は両足のふくらはぎに痙攣がはしり始める事態に!途中、絶対にリタイアすることだけは避けたかったので、両足に意識を集中させ、しかたなくペースダウンを試みることにしました(今までのペースの約2割の減速です(*_*)
それからは、”足よ!頼むからゴールまでもってくれ!”と、祈るような気持ちで駆け下りていくと、なんとか無事ゴールインできました(^_^;
 記録を見てまたびっくり!2時間55秒!前回の笠岡マラソンの自己ベストを上回っているではありませんか!難コースで且つ、トイレロスや痙攣ロスのアクシデントがあったにもかかわらず、自己ベストを更新。地味に成長していたようです(^ー^)
しかも、2つのロスがなければ2時間以内で走れたことは間違いなく、次への期待が大きく膨らんだレース結果でした。

 と、いうわけで今年のマラソン出場もこれで終わり。
今年の年初目標では、なるべく、「シーズン月1回のマラソン出場」と、「ハーフマラソンへの初挑戦」を掲げていました。
結果として、どちらの目標もクリアし、特に、ハーフマラソンに3回出場したことは、自分への大きな自信となりました。
さあ!この時勢にまかせていよいよ来年!
夢の○○マラソン挑戦は相成りましょうや(?_?)

       女性白バイ誘導隊

     先頭グループスタート

     スタートは込み合います
2009年12月19日(土)
「覆面おばさん」
 ついに、覆面おばさんが警察の御用となりました。
この覆面おばさんとは、ゴミ不法投棄の常習犯です。
赤いジェットヘルメットをかぶり、白マスクで鼻と口を覆い、目だけ出ている井出達でスパーカブ(バイク)にまたがっています。
バイクの荷台には、ゴミ袋満載の段ボール箱がくくられ、段ボールに入りきらないゴミ袋は足元やハンドルにぶら下げて町内を走り回っています。
主に夕詰め以降に出没し、あらゆるゴミ捨て場に不法投棄しては逃げ去ります。
これまで、不法投棄現場を発見されて注意しても絶対に耳を貸さず、逆に大声をからげながら、無理やりゴミを放り投げててバイクで走り去っていくのです。

 そして、昨日の午前中。
 会社の外から大きな声で同じ言葉の繰り返しが聞こえてきます。窓からのぞいてみると、近所のおじさんと覆面おばさんの口論がおこなわれています。その口論の言葉を聞くと、「自分が警察を呼べと言ったんだろ!呼んだから逃げるな!警察がくるまで逃げるな!」と、おじさんの繰り返す声でした。
バイクで逃げようとするおばさんの腕をつかもうとすると、振り払い、蹴りを入れながら向かってくる凶暴さです。
 そこへ、ついにパトカーやバイク含め総勢7名ぐらいの警察官が駆けつけました。
そこから、警察官の尋問が始まったのですが、覆面おばさんはそれでもゴミを持ち帰ろうとしません。逆に、警官と対等にやり合い始め、さすがの警官も怒鳴り返している状況。
いやはや・・・覆面おばさんの度胸と常識外れの感覚には白旗です・・・(+_+;
 結末は、覆面おばさんに調書を書かせて不法投棄のブラックリストに登録されたのだと思います。
投棄したゴミも自宅に持ち帰るまで警官が最後まで追尾して見届けました。
とりあえず・・・今日のところは?一件落着です。

 この日の出来事から、少し前にテレビで話題になっていた、騒音おばさんや、ゴミ屋敷の主人などを思い出しました。
当時は、「人の迷惑顧みず」の非常識な行為に、”どういう感覚の持ち主なんだろう?”と、ごくごく他人事のような感覚でした。
 しかし、今回の「覆面おばさん」の一件で、近隣に住まれてる方々の気持ちを少し理解することがでたような気がします。
それは、常識が全く通用しないことへの不気味さ。そして、自分の行為を否定された腹いせに、”仕返しを図ってくるのではないか?”というような最悪の事態への恐怖感。ほんとうに厄介な方々だと思いました・・・。
 最後に、現場の警察官は言われました。「ああいう人はいくらでもいるんですよ。特に珍しくはないんですよ」と。・・・・ゾ~(・_・;
2009年12月12日(土)
今年も残りあとわずか。ですが・・・
 いやはや、今年もそろそろ差し迫ってまいりました。
毎年恒例の、今年の一字は? と、いう事で、「新」が決まったようです。
昨年は、「変」という”納得”の一字でしたが、今年の「新」については、”?”というイメージです。
確かに日米共に、「新」政権発足という大転換がありましたので、”そういう事か・・・”と、頷けるのですが、その反面、日本経済の立ち直りはまだまだ遅く、デフレも進行している中では、納得しなける一字です。

 政治において、自民党政権から鳩山新政権に成り代わり、早4ヶ月が経っております。
が、ここまで民主党が公約に掲げていた目玉政策や、鳩山首相の献金問題に対し、ブレが生じ始めている事は否めません。
 特に、注意深く見なくてはならないのは、日本経済は株価指数がマイナスであり、下記指標にあるように、G7およびアジア各国のなかでも、一カ国だけのマイナス国ということで、回復の遅れが際立ったております。
 

■2009年 G7の主要株価指数の年初来変化率(11月18日時点)

アメリカ : +22.87%
カナダ : +29.65%
イギリス : +20.48%
ドイツ : +20.32%
フランス : +18.96%
イタリア: +19.91%
日本 : -1.07%

■2009年 アジアの主要株価指数の年初来変化率(11月18日時点)

中国 : +81.42%
香港 : +58.75%
韓国 : +42.64%
台湾 : +69.16%
タイ : +57.18%
インド : +76.20%
ベトナム : +75.47%
フィリピン : +62.99%
パキスタン : +55.92%
スリランカ : +97.66%
マレーシア : +45.43%
シンガポール : +55.83%
インドネシア : +83.28%
バングラディシュ : +45.88%
日本 : -1.07%

 日本は、8月末までは、麻生政権時代の経済政策により+12.39%と頑張っていたのですが、9月から民主党政権が成り変わり、内需刺激策に赴きをおいた政策に力を入れてきました(事業仕分けなど)。 その間、経済政策をほったらかしにし、日本企業にはひときわ重い温暖化数値目標を課しました。
 そのような背景で、世界の株式投資家達は、日本経済の成長力に不信感を持ち、投資を見限りました。その結果、世界の中で日本の株価変化率だけがマイナスに落ち込んでいるのです。9月からここまで、日本が事業仕分けで1兆円の埋蔵金発掘に精を出している間、実に、TOPIXの時価総額35兆円の富が失われているのです。既に、経済音痴なる鳩山不況の言葉も出始めてまいりました・・・。
ちなみに、世界主要国のなかで、株価変化率がマイナスなのは2カ国だけ。その一カ国は、もちろん経済破綻危機がささやかれる日本。そしてもう一カ国は、昨年末に本当に経済が破綻してしまったアイスランド。この2カ国だけです。(以上、他文からの抜粋含む)

 ここまで日記の中でも、鳩山政権の政策に憂慮をしてまいりましたが、やはりというか・・・、日本経済と日米安保の両輪において大きな火種に発展してきております。
これからアジア市場の発展が叫ばれる中、日本がその中で存在感を示すためには、日米同盟の堅持なくしては成り立たず、日本経済の成長もその安全の上に成り立っていることを念頭に置き、問題解決を急いでもらいたいものです。

2009年12月4日(金)
第36回 宮島クロスカントリー全国大会。
 笠岡マラソン出場から2週間を置き、今回は宮島マラソンを走破してまいりました。
この大会は、自身マラソン参加のキッカケを作ってくれた大会なので、個人的には思い出深い大会なのです。
6kmコースと、10kmコースの2コースが設定してあります。6kmは海沿い街道の折り返し。10kmは海沿い街道+山岳道の折り返しとなっています。
 2年前、初参加で6km走破した達成感を今も鮮明に覚えている傍ら、その時10kmを走っているランナー達が超人のように見えました。
それから2年経っての今レース。今ではハーフまで走れるようになって凱旋帰省したような感慨深いような感覚です(^^;

 なにはともあれ、スタミナに自信をつけての宮島10km初参戦となりました。
絶好のマラソン日和のもと、10kmのスタートがきられ、レースも順調に運んでいました。が、山岳コースに事のほか苦戦を強いられました。1kmの間で100mの標高を上りきる、これまで経験したことのない急勾配・・・(>_<)
 それから急坂を折り返し、ゴール間近に迫った海沿い最後の直線になりました。
すると、後方から「フッ!フッ!」という血気盛んな息継ぎが聞こえてきます。
その息継ぎが横に並んだ時、ふと見ると”180cm以上の白人ランナー”でした!
思わず、なぜか「これは負けるわけにはいかん!」と、闘志が点火し、ゴール直前で思わぬ日米対決が展開されました。
沿道からは、それを見て盛り上がっている人達の歓声が聞こえてきます。
白人が横に並んでからは、100mぐらい並走しながらの意地のぶつかり合いです。
そこから状況打破のため、”ハーフで培った余力ギアー”をもう一段上げてみると、自分でも信じられないようなトップスピードに入りました。沿道の人たちからも「凄い!」とか「ウオー!」とういようなどよめきが聞こえてきます。
さすがの白人ランナーもスピードについてこれなくなり、「クソッ!」と、言うようなセリフを吐きながら後方に遠ざかっていきました。
 ここに日米対決の終止符が打たれ、「小さい日本人が白人に勝った!」というような、空気が沿道で出来ていたように思え、小生もその勝利に、何ともいえない”小さな優越感”を感じられた瞬間でした(^^;
 その後、無料サービスの”カキ汁”に向かうと、列に並んでいる白人ランナーを発見。
思わず、互いの激走を称えたくなり、こちらから近寄り、声を掛けると、白人もそれに応じ、笑顔で握手を求め合い、互いの労を称えあい、暖かいふれ合いができました。
めでたく、ここに民間レベルでの日米同盟が締結されたのでした(^^)

 結果として、10kmの走破タイムについて、53分台止まりで自己ベストはでませんでした・・・が、ハーフのお陰で体力がついたことは間違いないので、今後において、更に期待が持てそうな気がする次第です。
 しかし、マラソンに参加すると様々なサプライズが発見され、いつも新鮮になれます。
そこから新たな活力をもらい、また次を頑張ろう!と感じている今日この頃です(^^)

      厳島神社の大鳥居

       厳島神社入り口

       厳島神社本殿内
2009年11月29日(日)
チームを元気づける名監督の会話術。
 先日、元NHKスポーツアナウンサー西田義夫氏の講演会が催されました。
西田氏は、高校野球・プロ野球の実況からオリンピックまで、各スポーツ番組に長くご活躍されてこられました。
特に、広島は、NHK就職後、最初の勤務地で、深い思い入れがあるとの事でした。

 題目のテーマにおいて、西田氏の言われた高校野球の名監督とは3名。
一人は、池田高校・蔦監督。一人は、箕島高校・尾藤監督。そして、もう一人が、「木内マジック」で有名な茨城県・取手二高、常総学院の木内監督。
 本講演会では、その中の木内監督にスポットをあてられていました。
木内氏は、取手二高の教員ではなく、用務員として就職し、自分のやりたかった監督業に従事されます。
この経緯には訳があり、教員が監督をすると様々な拘束をされるため、それを嫌って用務員となり、夫婦で用務員室に住込んでの情熱指導をされます。(それは、慶応大学への進学を蹴っての決断だったそうです)
 木内氏の、指導方法は”伸び伸び野球”で有名で、上下関係や礼儀作法にもそんなに厳しくしないそうです。
しかし、その反面、選手をけなし倒して反発・闘争心をうえつけながら競争心を育てていくようです。
また、茨城弁丸出しの朴訥な語り口で、”木内節”と言われ、沢山の人に愛され続けています。

 さて、初めて取手二高が甲子園決勝までに出場した際のエピソード。
決勝相手は、超高級の清原、桑田を要する優勝候補筆頭のPL学園。
片や、大舞台慣れしていない上、とびぬけた選手のいない取手二高選手や関係者達は、ガチガチに固まったそうです。
そこで、木内監督はミーティングをひらき、頑張れ!勝て!とは言わず、次のように言ってみんなをリラックスをさせたそうです。
 「おめ~ら、こごまでよぐやった~。こごで負げても、旗は2本ある~。準優勝旗を持っで茨城に帰えれば、みんな喜んでぐれるから安心しろ~。最後の試合、おもいぎってやろう~!」と声を掛けて、気持ちを和らげたそうです。
 試合前、その話を関係者から聞いた西田氏は、”木内さん勘違いされている!”と、とっさに感じ、それを木内さんに言おうか?言うまいか?迷ったのだそうです。それから思い悩みながら、あっという間に時間は流れ、いよいよ取手ナインの試合開始前練習も終わり、ベンチからみんなで、PL学園・清原の強烈なバッティング練習を見ているとき、木内さんにポロッと言ってしまったのだそうです。

 西田氏   「木内さん。旗は二本ないんです。一本なんです」
 木内監督  少し間があった後、「うそだ~。準優勝しだとき旗もらってんの見だごとあるっぺ~」
 西田氏   「あれは春の大会だけで、夏の大会は一本なんですよ」
 木内監督  こんどは考え込んだ末、「んだ~。たしがにあれは春だった~。でも、もうみんなに二本あるっで言っでっぺ~。
         西田さん、どうしてくれっぺ~」
 西田氏   大人げないとばっちりを受け、困った揚句、「これくらいの大きさの楯がもらえますよ!」と言うと。
 木内監督  「そんなんじゃ~かっごつかねべさ~・・・・・・・・・・・・・・・・・」

そして、ベンチから清原の打撃練習をポカーンと口をあけて見ている選手達に向かって言ったそうです。

 木内監督  「おめ~ら。西田さんが旗一本しがねってよ~」と、あたかも西田さんの仕業のように言ったそうです。
 選手達   少しショックの間があり、「かんとぐ~。二本あるっでいっだっぺ~。なあ~いっだよな~」「んだ~。たしがにいっだ」
 木内監督  「しょがね~な~。おめ~ら。旗もっでかえるしがねぐなっだな~」

というような、子供のような会話のやりとりを見た西田氏。微笑ましい木内野球に、この時、好感をもったのだそうです。 

 その決勝戦の結果は、延長の末、取手二高が8対4で強豪PL学園を破り初優勝を飾りました。 
その後、取手二高から常総学院に監督を移り、2003年夏、今度はダルビッシュ要する東北高校を破り、再度優勝を飾ります。
優勝セレモニー後、選手達に木内監督は胴上げされ、アルプススタンドからは木内コールの大合唱が鳴り響き、木内監督がインタビュで次のような事を言っていたと思います。
 「私は何もしていません。子供達が頑張ってくれた。それに子供達はまだまだたいしたことないんです。今日はたまたま運がよかっただけです。ただ言えることは・・・、子供達は最高の舞台で最高の経験が積めた。これは何事にも変えがたい子供達の成長につながります。このことが何よりも嬉しいんです」と、甲子園のアルプスに響きわたっている声に、こちらのほうも見ていて熱くなりました。

 最後になりますが、西田氏が木内監督に”木内マジック”の真髄を聞いてみると、
「子供達は、それぞれ持ち味の違う子ばかり。それに、誰でも出来る子ばかりではないし、甲子園などにいくと技術うんぬんなど役に立たなくなる。自分は、いかに会話で子供達を方向付けをして、やる気を出させるようにすることしかできない」と、言われたそうです。
 ”木内マジック”とは、会話であり、そこに目的を持たせ、強い心を養うことが大切であると教えられました。
経験に裏打ちされた西田氏の体験談は、楽しく”目から鱗”の講義でしたm(__)m
2009年11月21日(土)
第13回 べいふぁーむ笠岡マラソン大会。
 先週末、岡山県笠岡市の「べいふぁーむ笠岡マラソン大会」に出場してまいりました。
今シーズンの目標として、月一度のハーフマラソン出場を自己に課しておりますので、先月のMIKANマラソンに引き続き二度目の出場となります。
 笠岡市といえば、国の天然記念物で有名な”カブトガニ”の生息地として広く知られております。

 この大会には勿論、初参加です。
大会規模は、約1000名ぐらいで、こじんまりしたような印象です。ハーフ参加者は約300人ぐらい。MIKANマラソンの半分以下の人数で、己と緊張感も高まります。と、言うのも、人数が少ないと、レベルが高くなるため、恥をかけないというプレッシャーが掛かるのです(^^;
 さて、本レースの目標ですが、それは、”自分のペースを守ること!”(前回レース、周囲のランナーに惑わされてペース配分に失敗し、レース途中で足の痙攣をおこす苦い経験がありますので・・・)
 そして、スタート!!
走り始めてみると、なんと、このコースは走りやすいことか!
とうもろこし畑の広い平地と、広い道幅、そして平坦な道。アップダウンも殆どなく、高記録が出そうなコースです。そんな甘い誘惑の中、周りに追い抜かれても、”まだまだ先は長い!マイペース!マイペース!”と、自分を頑なに信じて走り続けました。
 そして、レース途中の10km地点。時計でペース配分を計算してみると・・・。なんと2時間ペース!前回のレースよりも約7分弱も短縮する計算になっているではありませんか!!そのまま、”よ~し!”と、意気揚々に折り返し、あとは復路のみ。
しかし、残り5kmぐらいになると、やはり体が悲鳴をあげてきます。足の筋肉を含めて、体全体に”痛み”の点滅信号がでてきたことを感じながら、ただただ無心に走り続け、そのまま競技場になだれ込み、気力のみでラスト一周。
 結果は、2時間1分9秒。2時間切りには一歩及びませんでしたが、前レースよりも、5分半のタイム短縮となりました(^ー^)

 このレースを走り遂げて、あらためて大切な気づきを学べました。
それは、”相手は他人ではなく、いかに自分のやるべきことが貫けたか”と、いう事。
”マラソンは人生の縮図のようだ”と、よく聞かれますが、それを身に沁みて体験できたようなレースでした。
この貴重な体験を持ち帰り、早速、人生や仕事の励みにしようと誓った次第です。
 しかしながら、持ち帰ったものの中には・・・、我慢できない尋常な苦しみもありました。
それは、体中の痛み。レース後は親指が痙攣し、翌日からは普通に歩くことさえも痛みが伴う日々。
まだまだフルマラソンには遠・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・い道のりのようです(*_*;

      正面本部スタンド前

    笠岡総合グランドトラック

    競技受付と豚汁コーナー
2009年11月13日(金)
第13旅団創立10周年・海田市駐屯地創立59周年記念行事。
 8日(日)、海田駐屯地(広島自衛隊司令部)の一般開放日に足を運んでまいりました。
普段覗くことのできない自衛隊基地内は、まさに未知の場所であり、一般世間とは違う世界がそこにはありました。
 さっそく入場して、観閲式を見学してみました。
中国5県から集結した各部隊による、隊員パレードから始まり、軍事車両、特殊工作車両、戦車などの大行進です。
 そして、圧巻は大行進のあとの軍事演習です。
陸上からは、大砲、戦車、小銃、火炎放射器などを用いた実戦さながらの演習を披露してくれます。上空からは、輸送飛行機、ヘリコプターなどが、四方から海田駐屯地に向け飛んできて、上空よりパラシュートで降下してきたり、レンジャー部隊がロープをつたって降りてきたりと、鍛えに鍛え抜かれた本職の技の数々に圧倒されてしまいました。
 観閲式後は、様々な軍事車両や、軍備品を自由に見学して触ることができ、食事のほうも各部隊による特製屋台が沢山でていましたので飽きることなく貴重な経験ができました。
お爺ちゃん・お婆ちゃん・お子様連れなどの家族で行くには最適かと思います(敷地内は広くて歩きますが・・・)
 見学後の感想ですが・・・、立派で生々しい軍事演習を見たことにより、絶対にそれが現実にあってはならないと、強く感じたことも確かです。いつも世界平和で、軍事兵器を使用しなくてもよい安全な社会を、あらためて切望するに至った次第です。
  
観閲式パレードが始まり、楽器隊が演奏する中、歩兵部隊から各種車両の行進が続いていきます。
  
移動式大砲や、戦車部隊のパレードです。戦車のエンジン音は、スーパーカーのような轟音でやってきます。
  
上空輸送機からパラシュート部隊による、目標地への着地模様です。5人全てが任務完遂です。
  
レスキュー部隊によるヘリコプターからの着地模様と、大砲や小銃を使っての実戦さながらの演習模様。
  
輸送用ヘリと武装式ヘリ。戦車には乗車ができますが、長い順番待ちができていました。
2009年11月7日(土)
ヤンキース・松井秀喜選手、世界の頂点へ。
 海の向こうのメジャーリーグでは、ついに名門ヤンキースが9年ぶりのワールドシリーズ制覇を飾りました。
 松井秀喜選手は、シリーズ優勝決定戦において持ち前の勝負強さを発揮し、1本塁打を含む6打点の大活躍で、文句なしのシリーズMVPに輝きました。
この偉業に対し、心よりご祝福を申し上げるとともに、最高のアメリカ外交への貢献にもなった事に感謝申し上げます(政権が変わり、やはりというか・・・日米同盟が揺れている中ですので・・・)

 先日、新聞のコラムに興味深い記事が載っていました。
それは、「松井選手が、全国高校野球選手権大会で、伝説の5打席連続敬遠をされたことについて、本当にそこまで価値のある実力を持っていたのか?」という論議が、これまでも根強く残っていたのだそうです。
そして、それは、「ワールドシリーズという大舞台において、動じることなく自らの才能を発揮し、ひときわ光る勝負強さと大活躍により、やっとその議論に終止符を打つことができた」と、言うような内容で締めくくられてられていました。
 確かに、その当時、”高校野球レベルの勝負で5連続敬遠はやり過ぎた行為”と、いうふうに、小生も思っていました。もし、この時、ピッチャーが勝負を挑んでいたらどうなっていたのでしょうか?
今更ナンセンスな話です。が、しかし、”今だから言える”ことは、「MVPの栄誉についた松井選手は、5敬遠をするだけ潜在能力を秘めていた選手だったということで、勝負にこだわった相手監督(嫌味を沢山言われて気の毒でした)の敬遠指示は正しかった」と、言うことも証明されたのでしょう(^ ^)
 
 いずれにしても、メジャーの歴史に名を刻んだ松井選手、イチロー選手には、”日本人の美徳”においても、背中で教えてくれています。
 浮き沈みのある人生、まず明確な夢や目標を掲げ、常に平常心を保ながら周りの雑音には振り回されず、チームの勝利に向けて自己の役割を黙々とこなしています。プレー中においても、相手を憂うため挑発的なガッツポーズは控え、淡々とプレーしている表情、姿には、日本人特有の謙虚さ(武士道)を実践してくれています。
 また、彼らが、大っぴらに弱音や愚痴をこぼしたり、責任を他人に転嫁するのを見たこともなく、常に自己責任を全うしながら人生を切り開いている姿には、一言で言えば”近代の武士”を見ているような感覚です(ー_ー)

  MVPの松井秀喜選手

 マンハッタン祝賀パレード
2009年10月31日(土)
「21世紀の日本・政治と経済」
 スケールの大きなタイトルは、先日開催された講演会の題目からです。
講師は、テレビ朝日・サンデープロジェクトのコメンテーターでお馴染みの”草野 厚氏”です。

 冒頭から、”野党に落ちた自民党の復活は99%厳しい”という発言。
先の衆議院選挙で敗北した自民党の現在は、大物政治家の相次ぐ落選や、次世代のホープだった”中川昭一氏”の急死などで、所帯は激減し寂しいばかり。
広島の大物議員である”中川秀直氏”においも、比例でようやく当選。自民党党首候補だった”小池百合子氏”においては比例で最下位当選。一時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小泉チルドレンも、ことごとく落選。
新人議員では、小泉進次郎氏を含め約5名しか当選せず、残った古参議員の影響力が残り、高齢化のため体質改善が進まないという惨状。
 そのような中、来年に控えている参議院選挙。
野党に回った自民党は、大物政治家のマスコミ露出もめっきり減り不利な戦いを強いられ、さらに追い討ちをかるように分裂話も多く出ており、苦戦は必至となっている。(先日、既に中川秀直氏が町村派を脱会し、無所属に鞍替えする話も出ている)
その上、公明党と疎遠になったため、公明党の票もあてにできなくなってしまっている。
 一方の民主党。現参議院では社民党・国民新党を合わせての過半数を維持している。そのため、次の選挙では、単独過半数を目指し、社民党・国民新党との連立解消を狙ってくるのは間違のないところ。
もしも、万が一、自民党に風向きが変わるとすれば、それは民主党がスキャンダルで足元をすくわれた時であり、その時には、再び自民の”逆ねじれ”が生まれ、さらに政界は混沌としてくるだろうとの見方でした。

 ここまでの、国会論戦を見ていると、民主党は鳩山総理を中心に良くも悪くも”一致団結”しているという印象を強く受けます。この部分は、自民党も見習うべきで、自分達の党首を一丸となっても盛り上げている姿は美しく感じました(内容はともあれ・・・)
しかし、国会論戦がこれまでと違い、品が良くなったのは、野党に慣れていない自民党が戸惑っているのか?それとも野党時代の民主党が野次将軍の主だったのか?ともあれ、もっと活発な論戦を期待していたので少々拍子抜けでした。
 所信表明演説での鳩山総理の掲げた”友愛”では、誰もが望んでおり頑張って頂きたいものです。
しかし、そのための目玉政策である、税金無駄遣い廃止による、生活密着型支援は大変有難い事だと思うのですが、あまりにも内向きで過保護にし過ぎると、経済の成長性が損なわれる危うさをはらんでいます。もっと、視野を外に向け、世界のなかで日本が役立てるような具体的な成長戦略を打ち出して欲しいと切に願っている次第です。
新政権と経済界との連携による未来戦略が乏しいと思っているのは私だけでしょうか(??)
2009年10月23日(金)
第24回 ヒロシマMIKANマラソン。
 18日(日)、ついに念願のハーフマラソン(21km)に出場しました(^ ^)
想えば、2年前の宮島クロスカントリーマラソンで6kmに初出場してから、まさかハーフが走れるようになるとは思ってもみませんでした。途中、調整不足のため5kmに格下げしたり、新型インフルエンザのため大会が中止になったりと、実は挫けそうな時期もあったのですが、なんとかここまで辿り着けました。

 今回の開催地は、地元の広島県江田島市です。
AM7:00、広島港発のフェリーに飛び乗り、瀬戸の島々を眺めながら約50分で江田島に到着。そこから会場までは、無料シャトルバスで約10分。フェリーからの景色は、朝焼けの中、乱反射する水面とカキ筏が豊かな風情をかもしだし、朝のつかみはOK!
 さて、本番のハーフマラソン。約800名弱がエントリーしていたと思います。
ハーフコースは、海沿いの道を10.5kmで折り返し、ゴールに戻ってくる設定。
島のために急勾配のアップダウン多しです。
 レース本番、走り始めると予想以上に体調が良いので、普段、下り坂でしないスピードアップを図りました。そうすると、15km地点で反動がでてきました。
両足指に痙攣が始まり、続いてふくらはぎにも痙攣が出始めたため、ペースダウンを余儀なくされました。途中棄権も頭をよぎり始めたのですが、ここで止めるわけにはいかないという小さなプライドのみで、そのまま騙し騙し最後まで走りきりました。
 結果は、2時間6分44秒(フルマラソン世界記録と張り合えるタイムでした ^0^;)
2時間を切ることはできませんでしたが、途中のアクシデントを乗り越えた”安堵感”と、初めてハーフを走りきった”達成感”。そして、「まだまだ自分もやればできるじゃないか!」という”自己満足感”と、若返ったような”爽快感”で、体力・気力と健康に大きな自信がついた事は確かです(^ー^)

 今回初参加したヒロシマMIKANマラソンは、コースも海沿いで最高のロケーションのうえ、島民を挙げての運営と応援が素晴らしく、特に、歩道からの暖かい沢山の応援に励まされ、力を与えてもらい、心より感謝です。来年もまた出場したいと思える印象深い大会となりました。
 そしてマラソン後の楽しみは昼食。この日は自動車ではないため、前々から”お好み焼きとビールにしよう!”と、固く誓っていましたので、広島港に着くなり、一目散に近くのお好み屋さんに転がりこみ、待望のお好み焼きにありつきました。
甘口オタフクソースのたっぷりとかかった”肉玉そば入り”は、言うまでもなく運動後の身体が欲していた味。そして、そのお好み焼きと相性抜群の”ビール”は、初ハーフ完走後の一杯として忘れられない格別な苦味として身体に沁み込んだのでした(^~^)

  
  ヒロシマMIKANマラソン会場到着           会場案内図

       広島港を出発

    朝焼けに乱反射する水面

    広島湾の風物詩”カキ筏”

    完走証と参加賞のTシャツ
2009年10月17日(土)
「イワサキ前」停留所。
 イワサキ本社に、「イワサキ前」という乗合タクシー(ジャンボタクシー)の停留所が設置されます。地域の自治体と広島市が、半年間にわたる運用期間を設け、今後の導入有無を考えていくのだそうです。
いずれにしても、この地区のシンボルとして認知して頂けることは、誠に有難く嬉しい限りです。

 イワサキ本社の位置する黄金山周辺地域は、広島市の旧市街地にあたり、これまで区画整備をあまり受ていない地域です。特に、「イワサキ前」から黄金山に上っていく山沿い地域では、坂道で道幅が狭く車両の通行も少々困難なため、病院やお店の数が少ない場所となっております。
そのため、お年寄りの方々は、病院や買い物を利用する生活の足に、これまで大変不自由な想いをされていました。
 そのような背景を打開するべく、今回の乗合タクシーの試験運用が始まりました。
「イワサキ前」については、”周辺の病院”が目的の停留所だと考えられ、他の「マルショク前」・「かすみ一番街前」などは、”買い物”が目的の停留所として設置してあります。

 便利になる反面、この度の乗合タクシー運営を通じて、旧市街地での高齢化がじわじわと進行している事実も伺い知ることができました。少子高齢化社会をむかえ、これから地方自治体の様々な活動も増えてくると思われるのですが、今後においても、お年寄りや子供への暖かい支援活動については積極展開を図ってもらいたいものです。
そして、それは現与党のもっとも得意とする分野だと思うのですが・・・

  「イワサキ前」乗合タクシー停留所
2009年10月11日(日)
地域貢献でのひとコマ。
 先日、イワサキ本社に、”突然の訪問者”が尋ねられてきました。
受付の女性から、怪しげな困っているような内線が入ってきたので、玄関に顔を出してみると、”長髪、Tシャツ、半パン、素足の草履”という、会社では普段お目にかかれない格好の50代男性が立っておられました。
 聞いてみると、ご近所に住まわれている方で、弊社にSOSを求めて来られているようでした。
本社周辺は、住宅地で道幅の狭い場所があり、そのため軽トラックが脱輪し、タイヤが溝にはまって身動きがとれなく立ち往生しているとの事でした。
 早速、喫煙休憩をとっていた有志5名と共に、現場に直行。
軽トラックは、坂道を真横に塞ぎ、身動きのできない状態になっていましたので、前後手分けしてトラックを持ち上げ、あっという間の移動完了となりました。さすがに人数がいれば心強いものです。
 ”突然の訪問者さん”は、突然見舞われたアクシデントに、”一人ではどうにもならない”と判断し、”人数を効果的に集められる場所はどこか?”を冷静に考えられ、その結果、弊社に助けを求めてこられたのでした。ナイスな判断だと思います。
 後日、”突然の訪問者さん”からは、心ばかりのお礼とのことで、仕事上で一番重宝する”軍手”の差し入れを頂きました。社員達とありがたく利用させていただこうと思います。 ありがとうございました。

 また、定期的に行っている早朝町内清掃なのですが、最近は、意識的にこちら側から、地域の方々へ挨拶をするよう心がけるようにしています。最初は、知らない人に声をかけるので、相手方もびっくりしたような無反応が多いのですが、今では、気持ちの良い「おはようございます」という返事が確実に多くなりました。特に、大人以上に、”小学生・中学生”にその可能性を強く感じます。それを見ていると、子供達が人格形成される前に、大人達がしっかり挨拶の手本を示さないといけないなあ・・・と、しみじみ責任を感じる次第です。

 ささいな地域貢献のひとコマではありましたが、それらが少しなりとも地域に貢献でき、明るく心地よい社会につながって行けば、これほど嬉しい事はありません。
そんな社会実現のために、まずは大人ひとりひとりが襟元を正し、”自ら一歩を踏み出す勇気”で、家族・会社・地域社会と真摯に向き合う姿が何事も肝心であると、つくづく感じている日々この頃です(^ ^;
2009年10月2日(金)
フルマラソン完走への道。
 朝夕涼しくなり始め、これからいよいよ秋のマラソンシーズン到来です。
世はいま空前のランニングブームといわれ、日本でも350万人までランニング愛好者が増え、日本各地で毎週様々なマラソン大会が開催されております。小生もまだまだ及ばずながら、1/350万人のランナーに数えられているのでしょうか(^^;

 そのランナー達にとって、頂点に位置するのが、”フルマラソン”での完走です。
 本日の日本経済新聞の特集には、「フルマラソン完走への道」について、次のような記事が掲載されていました。
 42.195kmを走りぬくには、特別なセンスや運動神経が必要なわけではなく、最低限6ヶ月、正しい準備ができれば高い確率で走破できる。そして、マラソンの動機はなんでもよく、決して学校の持久走のように頑張らず、心地よさを味わうように、歩き出し、そのリズム、ペースのまま、いつまでも走れそうな速度でジョギングに切り替え、最初から無理をしないこと。
 一般的に、早歩き(時速5~6キロ)で、1kmにつき10分~12分のペースとなるので、これを少し早めて1kmにつき8分のペースでマラソンを走りきれば5時間37分でゴールできる計算です。(ちなみに主要大会の平均タイム4時間34分になると、1kmにつき6分30秒のペースになるそうです)
 そのような観点で、最初から張り切りすぎず、約2ヶ月30分のジョギングを楽しめるようにしていき、それがクリアできたら、距離やペースは気にせず、徐々に60分まで時間を延ばしていけばよいとの事。それにより、筋持久力が向上し、自律神経が活発化し、外見も変わってきて生活にメリハリがついてくるそうです。
 最後は、いよいよマラソンランナーへの仕上げとして、時間を60分程度でペースを意識しながら、1km何分と目標を設定して体にスピードを覚えこませること。そして本番前に1度ハーフマラソンを走っておくのがお薦めとの事。
 フルマラソン本番では、イーブンペースを意識し、ベテランでも毎回あえぐ30km以降は自分を信じて歩を進める事。
念願のゴールにたどり着いたとき、かけがえのない勲章を手に入れることが出来るであろうとの事です。

 この記事を見ると、フルマラソンが、いとも簡単に思えてしまったのは、私だけでしょうか?
これまで、フルマラソンは別世界だと思っていたのですが、この記事をみて背中を後押しされたような気分になりました。
そして、先日、お客様のK様がフルマラソンへ初出場するという、羨ましい話を聞いた矢先の今回の記事だったので、因縁めいた巡りあわせも感じている次第です。
個人的にも、いよいよ今月、ハーフマラソンに初出場することになっていますので、徐々に関門を越え、いずれはフルマラソンに挑戦してみたい気分にかられております(^^)
2009年9月26日(土)
「梅下村塾」 
 総理大臣就任後、国連総会やG20首脳会議への出席と、矢継ぎばやに外交デビューを果たした鳩山総理。
新政権にとっての初外交は、概ね内外の論評でも好意的に捉えられており、上々の滑り出しとの声が挙がっています。
まずは、”つかみはOK!?” が、「言うは易し、行うは為し」
今後の行動力と結果に新政権の浮沈がかかっているのは確かなので、これから民主党の公約した政策が本当に正しい結果を生むのかどうか目が離せそうもありません。

 さて、標題ですが、「松下村塾」ならぬ、「梅下村塾」
「平成の松下村塾たれ」というトップ経済界発案のもと、”梅”津昇一氏を塾長に迎えて1999年に発足し、これまで塾生から官民700名のリーダーが巣立っていっているのだそうです。
 その梅津塾長からの言葉を抜粋させていただきました。
 「政治の混迷と経済の低迷という閉塞感が日本を包み込んでいます。この元凶のひとつが”リーダーの不在”です。
 かつての日本は美しく凛とした、心豊かな国だったと思います。しかしながら近年は日本人の心がすさんでいます。国民は個人主義の下で、権利ばかりを主張し、自分の都合や勝手ばかりがまかり通っている。権利の前に義務や責任があることを忘れている。これでは社会の規律など確保できるわけがない。そして国民は夢や希望が見出せない。
 その一番の問題は”国家”という基本がないことです。国という基軸が安定してこそ地方があり、外国がある。国内だけしか目線が届かず、世界という枠組みで物事が考えられていない。
国家の独立と国民の生命、財産の保障は国家のみが実行できる使命です。100年先の国を展望し”世界の中の日本”という発想を持ちえるリーダーこそが今、求められています。
 その国のリーダーに求められる資質とは、一般国民とは比較にならないほどの正義感と、国家や社会のために働くという強い”公共心”が絶対条件。もちろんそこには、虚栄心や自己顕示欲を抑え込む強靭な精神力を兼ね備えなければなりません。権力というものは高くなればなるほど、すがすがしいものに昇華する必要があります。
 その上で、日本は世界的視野に立った”大きい政治”が必要です。その大きな政治を進めるにあたり、日本が優れている点はなにか。それは、わが国最強の”人材”です。戦後、世界最高峰の経済力を支えたのは人材であり、この人材を量・質とも豊かに再生産することこそ、わが国の国家戦略の要諦になります。例えば、人口一億人は死守するなど、明確な国家目標が必要でしょう。
 最後に、リーダーとは、自ら”率先垂範”、”実行なくして結果なし”を前提とし、物事を徹底して考えさせ、いやでもやらせるという教育が必要です。これで困難に耐える忍耐力が初めて身につくわけです。現代の人間は我慢というものができない。人生は”忍”の一字です。厳しい緊張関係だからこそ、辛い経験を共有するからこそ、始まる人間関係があり、深い愛が生まれます。家族、郷土、地域、そして国家。私は約700名の塾生と、この深い愛の絆を結んできたつもりです」

 重たい梅津塾長の言葉からでしたが、これをリーダーだけにあてはめるのではなく、国民単位でその立場・国家感を共有し、社会、郷土、会社、家族への”愛”の連鎖へと好転するよう一丸となって努力し、鳩山総理には政治理念である”友愛”の実現に向け精一杯頑張ってもらいたいと願っております。
2009年9月19日(土)
鳩山新内閣発足。
 いよいよ、念願の与党と相成った鳩山新内閣が動き始めました。。
新閣僚の顔ぶれも、それぞれの実務型タイプからなる重厚な布陣との評価で、鳩山政権への支持率も70%台と、国民からの期待の大きさが伺えます。
 その期待への焦点は、やはり官僚依存政治からの脱却ではないでしょうか。
新閣僚達は、マスコミに向け、様々なメッセージを発してきていただけに、官僚との全面対決に意を決したような力のこもった就任記者会見だったように見えました。
 ただ・・・、官僚=悪といような刺激の仕方もどうかと思います。これまで、戦後日本の躍進を押し上げてきたのは、自民党政権と、それを支えてきた優秀な官僚の存在でもあり、その恩恵にあやかってきたことに対する敬意も忘れてはならないと思います。
民主党は、国民からの高支持率という背景のもと、官僚達と力を合わせて国の形を共有し、マスコミに惑わされず、焦らず腰を据えて信念を貫き通してもらいたいものです。そして、政治と官僚がウィン・ウィンになってほしいと願っております。

 これから、経済対策の目玉になっているのは、国家予算207兆円の組み換えをはじめ、子供手当ての支給、高速道路の無料化、公立高校の無料化、年金改革、医療制度の見直し、消費税の据え置きなどです。
民主党の政策は、家庭の所得を増やすことにより、消費を押し上げ、内需を拡大していこういうもの。
片や自民党では、企業を支援・成長させ、市場経済を活性化させ、消費を押し上げ、外需を含めて拡大していこうというもの。
いずれが正しいのか?議論は尽きないところです・・・。
 しかし、国家予算を見直し、家計部門の所得に当てることだけでは、経済を長期成長させることに限界があるのは明らかです。
その上、少子高齢化の中で、内需のパイが減少していくことも考えると、今後、アジアを含めた外需に貢献していくことが日本の進むべき方向ではないでしょうか。
国が国民生活を援助することには大賛成なのですが、それが行き過ぎた仕組みになり、民間競争力が失われていくと、国が衰退していくことも歴史が物語っております。この部分のチェックは十分必要だと思います。
 高い民意を集める鳩山政権は、これから難題が蓄積しておりますが、これまで自民党のできなかった改革を目指し、堂々と采配を振るってほしいものです。(しかし、外交・安保は心配です(*_*)・・・・・・・・・・)
2009年9月13日(日)
第3回山口ふれあいクロスカントリー大会。
 2ヶ月ぶりにマラソン出場してまいりました。夏場を越し、これから本格的なマラソンシーズンに入ってまいります。
今回はクロスカントリー大会への出場なので、オフロードで、且つ、アップダウン付きの過酷なコースとなります。
このタイプのマラソンは今回初出場であるうえ、この2ヶ月間、暑さからくるトレーニング不足のためレース前日まで出場の有無を決めかねておりました。しかしながら、最後は駄目もとで開き直り、意を決して出場してしまいました(・ ・;

 今大会は、2km、3km、6km、9km、駅伝の5種目から構成されており、小生は、9kmへの出場でした。
競技場に付いて、早速感じ取れたのは、大変こじんまりした大会の規模ということ・・・。
早速、案内を見てみると、総勢337名の参加数となっており、9kmへの出場者数は132名となっておりました・・・。
参加者数が少ないというのは、実は”いやーな”もので、手を抜くとそれだけ目立つということ。そして、クロスカントリー初体験のうえに、トレーニング不足で駄目もと参加・・・。しかも、参加者の約8割が所属チームを持っているのが目につきます・・・。
なにかしら、心底”いやーな”予感になってしまいます・・・。

 ぐずぐず考えているうちにレースは始まりました。陸上トラックを一周してから、自然道を3周するコースです。
トラックを一周するだけで、この大会のレベルが感じ取れ、遊びや冷やかしでの出場者は一人もおらず、日ごろからトレーニングを積まれている方々ばかりでした。普段の大会だと、必ず脱落者が後位に落ちてくるのですが、この大会出場者はレベルが高く、小生の前に脱落者はほとんど落ちてきませんでした。と、言うか、きっと小生のレベルも低かったためでしょう(* *;
結果は、50分17秒。案の定、後ろから数えたほうが早い順位でした(^ ^;

 しかしながら、この2ヶ月間、走らずに歩いてばかりで、”本番で走りきれるのだろうか?”と思っていたことを考えると、今日の結果に満足しており、実は、自信もついた次第なのです。
 また、本大会コースも素晴らしく、最初から最後まで”芝”が張られた上を走るコースとなっておりましたので、爽快な森林浴にもなり、また帰ってきたいと思えるコースでした。
 今回の屈辱にもめげず、さあ!これからのシーズンに向け、また体を鍛えてまいろうと思います(^ ^)
2009年9月5日(土)
民主党に政権交代へ。
 いやはや、注目の衆議院選挙は民主党の圧勝となりました。
民主党は308議席へと大躍進し、かたや自民党は300議席から119議席に落ち込む歴史的惨敗となり、1955年の自民結党以来、初めて衆議院第一党の座から転落することになりました。
308議席については少々勝ちすぎのような気がしますが、それほど自民党への不信感が増していたことと、小選挙区・比例制度の絶大効果という結果なのでしょう。
 まだまだ経験の少ない議員が多い民主党は、今回圧勝の票を託してくれた国民の期待に答えるべく、これから責任政党としての重圧と戦っていくことになります。しかし、やるからには民主党の若さやクリーンさを前面に押し出し、自民党のできなかった官僚政治からの脱却に全力を尽くしていただきたいと思います。

 しかし、最近のマスメディアの影響の大きさに対し疑問を感じを得ません。
何気なくテレビから流れてくる様々な情報により、私たちはいつの間にか洗脳され、無意識で善・悪を感じ取っています。
今回の選挙においても、民主善、自民悪のような構図をつくりあげたマスコミ操作の影響も少なからずあると思います。
言論の自由だとか、報道の自由だとか、自由主義をかざしながら、視聴率稼ぎの高いトラブルネタを多く取り上げ、国益に関わるようなプラスネタを取り上げず、”ミスやトラブルが出たほうが負け”のような世を作り出しているように思えてなりません。
 そして、政権奪取した民主党に対し、早速、マスコミは、本当に政権与党が務まるのか?と、やる前から不安な事ばかりをはやし立てています。またこれから出る杭は打たれていくのでしょうか・・・。
 マスコミが世に多大な影響を及ぼすことを考えれば、良い事・明るい話題にも公平に目を向けてもらい、ミスやトラブルばかりで未来のの芽を摘まないよう、品格を携えた報道をしてほしいと願っています。
そして、もちろん私達も、溢れる情報量の中で、正しく見分ける力も問われています。
2009年8月29日(土)
「俺は、中小企業のおやじ」
 表記のタイトルは、スズキ株式会社・鈴木修氏の執筆で、今年2月に発表されている著書です。
スズキを世界有数の自動車メーカーに育てあげた鈴木氏は、昨年来、100年に一度の世界危機と対峙するため、昨年12月、急きょ78歳で社長の再登板をされました。
この著書では、鈴木氏が駆け出しの頃から、現不況への心構えまで、豊富な経験に基づいた説得力ある内容になっています。

 鈴木氏が、この本を執筆している間、サブプライム問題発生により世界が混乱し、スズキもこれまで経験したことの無い減産で大きな打撃を受けています。社長に再登板した鈴木氏は、今回の危機への心構えを次のように説かれています。
 「スズキの現在の幹部社員は、誰もが減産という意味を経験したことが無く、いざどうしたらいいかわからず、戸惑い、あわふためいている。こういう時には、外注先にコスト削減を強いるのはもってのほか。そんなことをしてはいかんのです。それは生産が増えているときにすることです。今みたいな時は、内なるコスト削減、すなわち、おのれのマイナスをいかに減らすかを努力する。材料の質を落としたりするのではなく材料そのものを変えたり、不良率を減らすといった工夫をする。あるいは、不要不急な設備投資をやめる、無駄な残業をやめる、カラーコピーを禁止するなどして、一人一人の社員が気を引き締めなければならないのです」

 そして、1円コストダウンへの重みを次のように説明されています。
 「2007年度、スズキの売上高は約3兆円、年産約300万台とすると、1台あたり100万円の売り上げになる。利益は約900億円なので、一台あたり3万円の利益にしかならない。さらに自動車1台あたりの部品点数を約2万点とすると、一部品あたりの利益は、わずか1円50銭にしかならないのです。だから一部品あたり、1円50銭のコストを削減できれば利益は2倍になる。そのため日々”銭単位”のコスト削減にに取り組んでいる。そんな状況だから、100万円の軽自動車を10万円値引きすると7万円の赤字になり、会社は倒産してしまいます」と、1円コストダウンする重要性への理解を求められています。

 最後に、世界危機により78歳での再登板において、次のような意気込みを示されています。
 「危機は常に社内にあり。このような時こそ、おのれを見つめ直すチャンスです。苦境に立たされれば立たされるほどファイトが沸いてくる。悔いや失敗の連続だったこれまでの私の経験で、この最大の危機を乗り越えていく」
 80歳になろうかという鈴木社長のこのバイタリティには感服です。
小生のような人生経験の浅い人間には、大変勉強になり、心強い言葉で勇気づけてもらえる内容になっておりました(^ ^)
 しかしその反面・・・、これから、鈴木社長の後継者には大変なプレッシャーだろうなあ(・ ・;
2009年8月22日(土)
「棚からぼた餅」
 先週までのお盆連休も”あれよあれよ”という間に終わってしまいました。
皆様方におかれましても、さぞご家族での充実した連休になったこととお察し申し上げます。
今週から既に通常業務も始まっておりますが、これから年末に向け、あと4ヶ月、積極的に追い込んでまいりましょう!

 夢日記をお休みしていた2週間の間、日本を震撼させた酒井法子逮捕~静岡地震・第64回終戦記念日・政権与党を目指す各党の熱い参院選活動・新型インフルエンザ再流行など、それ以外にも毎日さまざまな出来事が本当によく続くものです・・・。
そんな混沌とした毎日の中、個人的に大ヒットしている作品(出来事)が、表題の「棚からぼた餅」。

 お盆休暇最終日、わが家の団欒中での出来事。
 母、「おかしい?どこへいったんか?部屋のクーラーのリモコンを探してもどこにもない・・・」
その後、最後にリモコンを使ったのは小生か父という疑いをかけられる羽目になり、2人とも絶対に身に覚えがないので”潔白”を主張したところ、ついに嫁の大捜査網が張りめぐらされました。(しらみつぶしにローラー作戦を敷く嫁は、こういう時、案外頼りになります^ ^;) そうすると、
 嫁、「あー!あ~あ~。何本もでてくる」と、”見つけたー”の歓喜とは違う、”シテヤッタリ”の奇声。
確認すると・・・、リモコンではなく、何と!これまで幾度も無くしてきた”シャーボ”が次々4本も出てきました。
嫁の大捜索は、ソファーの座席・背もたれ・肘おき、それぞれのクッションの隙間を手探るにまで及んだため、思いもしない幸運にあやかることができたのです。
実は・・・、いつも神隠しに遭ったかのように次々と”シャーボ”を無くす不甲斐なさから、年齢からくる物忘れの始まりだと思い込んでいた小生でしたが、これでやっと謎が解けました。シャーボを作業服の腕にさしてソファーに寝転がったとき抜け落ちてクッションの隙間に入り、そのまま迷宮入りをしていたのでした(*_*; 
 さて、リモコンのほうについては、嫁の大捜索網にもかかわらず、なかなか出できません・・・。
一同、腑に落ちず落胆していると、壁に備え付けたリモコン返却場所にきちんと戻してあるリモコンを子供が手に取って見せてくれ、一同、一瞬言葉を失ったあとに大爆笑。
その時、捜索現場に居合わせなかったもう一人の子供が、定められた場所に、リモコンを戻していたことがあとから判明。
いたって当たり前のことを正しく実践していた子供を責めることは当然できず、逆に、親である大人が、定めた場所にリモコンを戻していなかったという結末にお後がついたようです・・・(^ ^;

 まことに些細な出来事でありましたが、「棚からぼた餅」ならぬ「ソファーからシャーボ」。または「ひょうたんから駒」ならぬ「リモコンからシャーボ」なる落ちということで、わが家の大ヒット作品からでした(^ ^)
2009年8月8日(土)
第64回平和祈念式典 「Yes, we can」    **イワサキ夏期休暇は12日(水)~16日(日)迄です**  
 広島に原子爆弾が投下され、今年で64回目の平和祈念式典が6日、広島平和公園でとりおこなわれました。
式典には、5万人が参列され、海外からは過去最多・59カ国の駐日大使や総領事が出席されました。
 残念なことですが、アメリカの代表が広島・長崎に参拝に訪れたことはこれまでありません・・・。
アメリカ政府には、太平洋戦争を早期終結させるため、”原子爆弾の使用はやむをえず、犠牲者が拡大しなかったのだからよし” とするような核正当化の政府見解、世論があります。

 しかし、今年の広島の式典は、例年以上に核軍縮の気運が高まっています。
というのも、オバマ大統領が4月のプラハ演説で、米国として初めて、「核兵器のない世界」を提唱したからです。 
 広島・秋葉市長は、これを核兵器廃絶へ向けたまたとない一歩と歓迎し、さらに、”オバマジョリティ”(核廃絶を願う多数派市民はオバマ氏を支持する)なる掛け用語で巧みに演出し、オバマ大統領を広島に出迎える活動を始めました。

 平和式典に出席された国連総長のデスコト議長は、式典後の記者会見で次のように話をされています。
 「日本は広島に保有国を集め、核廃絶に向けた大胆な一歩を踏み出させてはどうか。被爆国である日本は保有国に大胆な軍縮を働きかける権威がある。とくにオバマ大統領の広島訪問実現は大きな意義を持つことになるだろう」
 カトリック教会・司祭の顔を同時にもつデスコト議長は、祈念式典挨拶においては、「原爆投下については、神の教えに対する最悪の裏切りだと非難するとともに、自分と同じカトリック信者だったエノラ・ゲイ機長が原爆を投下したことを許してほしい」と陳謝をされました。親米とはいえないニカラグア国出身のデスコト議長のこの言葉に、「一人の人間として被爆地に立って宣言できる人こそ本物」という賛辞の声が参列者から挙がっていたそうです。
 また、広島を語り継ぐ教師会・会長の被爆証言者・松島圭次郎さんが、「米国は憎んでいない。原爆を憎む」という話をした際、デスコト議長や各国大使も、「その言葉に印象深く感動した。日本の和解の精神にならい、よりよい世界を目指したい」との共通した平和への思いに、松島さんは各国大使たちから最後に握手攻めにあったそうです(^ ^)

 秋葉市長は平和宣言の最後、次のように高らかに宣言されました。
「前文~、最後に英語で世界に呼びかけます。 We have the power. (私たちには力があります) We have the responsibility. (私たちには責任があります) And we are the Obamajority.(そして、私たちはオバマジョリティーです)Together, we can abolish nuclear weapons. (力をあわせれば核兵器は廃絶できます) Yes, we can.(私たちはできます)」
 核軍縮の気運が高まってきたこの期、広島市長のメッセージは必ずオバマ大統領に届くことでしょう。
そしてここから先は国の出番。各党首も祈念式典に参列していましたので、想いを強くして先導的な平和運動を果たして頂きたいものです。
 原爆記念日や、終戦記念日などは日本にとって平和を祈念する特別な日。欲を言うと、総理大臣のほか全閣僚の式典参加や、全国民にも黙祷を促すような行事を作ってもいいくらいだと思います。 
2009年8月2日(日)
昭和史と日本人。
 先日、慶大教授で日本近現代史研究者・保阪正康氏の講座が催されました。
講座内容は、題目の「昭和史と日本人」という、大変重々しいテーマです。
日本史の20世紀上、100年中2/3を占める激動の昭和期において、代表される日本人を挙げられました。

 その昭和期においては、大きく次の3期に分けられるだろうとの解説。
前期)第2次世界大戦の軍事政権代表・東条英機氏
中期)戦後、GHQとの歩みを築いた吉田茂氏
後期)国民主体の高度経済成長を築いた田中角栄氏
 確かに、日本の昭和を代表する大政治家なのですが、この3人には意外な共通点があるそうです。
それは、3人とも監獄に入っているということ。
東条氏はA級戦犯として、吉田氏は戦時中に親米派犯として、田中氏はロッキード汚職犯としてです。
吉田氏は意外だったのですが、やはり出すぎた杭は打たれているようです・・・。

 そして、天皇家の存在。
ここまで約2500年続いている天皇家においては、世界でも類をみず、わが国の誇るべき歴史となっています。
その天皇家の中でも、20世紀動乱の象徴になった第124代・昭和天皇は、大変なご心労があったことが”和歌”から詠みとれるそうです。戦後、詠まれた和歌には、国内・海外のどこに行っても戦争で犠牲になられた方々を想う歌が見受けられ、田んぼで一人農作業している女性の姿をみても、そこから悲しみを覚えられていたようです。
 また、ポツダム宣言による戦争終結後、天皇陛下とマッカーサーによる11回に及ぶ戦(会談)が繰り広げられたそうです。
昭和天皇から、”自分のことはどうなってもよいので罪のない国民を助けてほしい”と懇願されたマッカーサーは、他国の主君とは特異な立場にある天皇家に対し、敬意の念をもったそうです。
その後、ダグラス・マッカーサーは日本国の象徴である昭和天皇に配慮しながら、日本を統治・教育していったとの事です。
そしてその背景には、共和党だったダグラス・マッカーサーの米大統領就任という黒い野望もあったそうです・・・。

 昭和史と日本人論は、奥が深く複雑な内容でしたが、最後に、”長い日本史の唯一の汚点である戦争期を謙虚に反省して、世界に貢献することを美徳とする日本人のDNAを活かしていきましょう”という前向きな締めで終了いたしました(^ ^)
2009年7月25日(土)
大雨・洪水警報・雷注意報。
 昨夜から、九州・中国地方に大雨・洪水警報・雷注意報が発令されております。
数日前に豪雨災害で死者14名・不明者3名を出した山口県にも再び同様の警報・注意報が発令され、九州北部では既に死者・不明者4名の新たな被害者が出ております。 不遇にも被害にあわれた方々には、心よりご冥福をお祈りいたします。

 広島市内でも、昨晩の20時くらいから翌朝まで激しい雨が振り続き、一晩中不安な夜を過ごしました。
昨夜22時過ぎにバスで帰宅する途中にも、あんなに水で浸かった広島市内を見るのは初めての光景でした。
電車どおり沿いの道は、車道・歩道上にも増水し、道の境が見えなくなるほど。走るバスも水しぶきを上げ続けて走り、歩行者には気の毒な有様でした。さすがにあれほど降ると外を歩くのも怖く、恐怖感さえ覚えるほどでした。

 元警察官僚国債部長(CIAのような機密組織)で、その後、政治家の故・後藤田氏から天丼一杯でスカウトされて国政に携わり、青森市長選にも立候補を試みた大貫啓行氏の話からです。
 国政のトップを担っていた大貫氏が、天災や危機時の心構えを次のように示されています。
昔、桜島の噴火予兆があった時、島民は逃げようとしたそうです。その際、測候所から、”もう少し様子をみなさい”という指示が出てきたため、村役人は島民を踏みとどまらせたそうです。しかし、その後、桜島は大爆発をおこし、多数の逃げ遅れた島民が犠牲になりました。
この惨事のあと、当時の村長が記念碑に刻んだ訓示に、”知識専門家や学者の言うことを100%鵜呑みにしなくともよい。危険を覚った場合は自らの感性で判断し行動しなさい”というような言葉を残したそうです。
 また、まだ記憶に新しい阪神淡路大震災の翌日のこと、警察・自衛隊・レスキュー隊の95%は出社していたのですが、逆に、神戸市役所職員などは95%が出社していなかったとのことです。緊急事態時にもかかわらず、国家公務員が国民への責任感をおざなりにした実態を暴露したのだそうです。
 ましてや、政治が混迷を極めている現在、国の施策や役人の言うことを100%信じてはならないとの事。
もしもの万が一に備え、常日頃から様々な情報を収集し、子孫を守るために自らの本能を信じて、決断力と行動力を求められている。
ましてや、”真の安全はお金では買えない”との言葉です。

 今回の大災害にあった山口県防府市の実態においても、被災地からの度重なるSOSにもかかわらず、想定外の事態に備えのない防府市の対応は後手後手に回り、しだいに大きな被害につながっていったことが明るみに出ています。
 行政には、今回の教訓により、同じ繰り返しが二度と起きないよう、しっかりと対策・訓練の備えをお願いするとともに、私たち自身も、すべてを人任せにせず、自らの判断で先立って行動するという勇気も問われています。
7月23日(木)正午前の”皆既日食”
2009年7月18日(土)
「ISO更新審査」と「年度取組みの第2四半期」
 7月上旬、題目の2大イベントを計画しておりました。
各部とも余念が無いよう”せっせ”と事前準備を進めてくれ、その甲斐あってか両イベントともスマートにクリアでき、順調に事が運び終了致しました。
関係者方々のご苦労に厚く労い申し上げる次第です。

 「ISO更新審査」については、今回初めて9001(品質)と14001(環境)の同時更新を計画しましたので、前回よりも濃縮された準備が必要となり、社内の雰囲気も1ヶ月前くらいからピリピリしておりました。
しかし、そのお蔭でしょうか。審査結果は、軽い不適合4件の指摘を受けましたが、おおむねISOシステムは良好に機能しており、大きな是正処置もなく、無事審査を終了しました。

 「年度取組みの第2四半期」におきましては、毎回のごとく全体集会にて各部からの報告がありました。
ここまでのところ、昨年度より進化した姿が見て取れ、甲乙つけがたい横一線の好結果になっておりました。
あと、半年間でどれほどの差がついてくるのか?はたまた横一線で最後まで団子レースになるのか?まだ知る善しも無いところでございますが、今後において期待のもてる報告であったことには間違いありませんでした。
 まだまだ不安定な経済情勢の世の中ではありますが、へこたれず下を向かず、”いつも明るく前向きに協力してくれる社員の皆様に心より感謝します”(^ ^)
2009年7月11日(土)
すいか・ながいも健康マラソン。
 5日(日)、鳥取県北栄町の”すいか・ながいも健康マラソン大会”に出場してまいりました。
北栄町は、大会名称のとおり”すいか”と”ながいも”の名産地です。と同時に、人気アニメ”名探偵コナン”の作者・青山剛昌氏の故郷でした。
当日は、競技後に”すいか”と”ながいも汁”の食べ放題のおもてなしを頂きました(^ ^)
いつもながら、各地ボランティア団体方々の温かい運営管理に感謝・感激ですm(__)m

 温度32度の炎天下の中、10kmコースを苦闘してまいりました。
さすがに、7月開催のマラソンは暑さとの戦いとなり、これほど苦しいとは思いませんでした。
ここのところのトレーニング不足がたたっていた事も否めませんが、暑さで普段の倍以上の汗がふき出し、そのため水分補給を余儀なくされ、じわじわと体力を消耗されていきます。なんと距離を長く感じたことか・・・。
結果タイムは約54分。900人中450位の中間でした(*_*)

 この大会はハーフの設定が無く、10kmがメインの大会だったのですが、理解できたような気がしました。今回、真夏の大会に出場したのは初めてだったのですが、もしハーフであれば体力的にどうなっていたことか・・・?
あらためて、夏マラソンでは念入りな基礎準備が必要であることを怖さとして実感した次第です。
そのせいか・・・、8月、9月出場予定の距離に迷いが出ているのでした(×_×)

 すいか・ながいもマラソンゴール地点

     すいか食べ放題会場
2009年7月4日(土)
日本の思い出づくり。
 弊社には、ベトナム研修生(タインとチュック)が2人在籍してくれております。
7月中旬で3年契約満了となるため、2人と最後の思い出づくりに出かけてまいりました。

 彼らが、日本にやってくる前に抱いていた日本のイメージを聞いてみると、”夢の国”で”あこがれの国”だったそうです。
そこで、日本での3年間の感想を聞くと、「冬が寒い、生魚が無理、甘口の食べ物が無理、農家の人が車に乗っている、日本語をたくさん勉強した、生活が便利、米が旨い、水が旨い、弁当のおかずが少ない、テレビはNHKで日本語を勉強していた。などなど、まだたどたどしい日本語で的外れな答も多く帰ってきました(^ ^;
 湿度が高く、温暖でバナナが生る国からやってきた彼らには、寒い北広島町の冬は鬼門だったようです。その上、どこでもハイテクな日本を想像していたようですが、全てがそうではないことも理解できたようです。便利な都会での生活に馴れた研修生には行方をくらませる者もいるらしいのですが、彼ら2人に限っては既にベトナムに目が向いており、タインは結婚を約束した彼女と新しいビジネスを考え、チュックは日本企業関連での活躍を目指すため、母国に帰るのを楽しみにしているようです(^ ^)

 あっという間の3年間でしたが、礼儀正しく真面目なベトナム人の2人には好印象をもちました。その点、2人から見た日本人の印象はどう思われたのか?ほんとに小さくて短い間のつきあいでしたが、二国間を代表する外交もそろそろ終わります。
 今後、彼らが日本で身につけた技術力・経験力・語学力などを母国へ持ち帰り、将来の日本とベトナム間の架け橋となり活躍してくれることを期待し、心より願っている次第です。大変お世話になり有難うございました。

 
   岩国市”いろり山賊”七夕まつり1       ”いろり山賊”七夕まつり2     

 岩国市錦帯橋にてタイン、チュック

       錦帯橋上にて
 山陽道下り宮島SAより宮島を望む
2009年6月27日(土)
もう一つのプロチーム。
 広島には、二つつの誇るべきプロスポーツチームがございます。
一つは、言わずと知れた野球の広島東洋カープ。そしてもう一つは、サッカーJリーグのサンフレッチェ広島です。
今年は新球場元年ということで、ついついカープのほうに目を奪われがちなのですが、その陰でサンフレッチェがひたひたと快進撃を続けています。
 現在、サンフレッチェは勝ち点23で5位につけており、首位の鹿島アントラーズまでは勝ち点9差です(ちなみに2位のアルビレックス新潟までは勝ち点2差となっております)
ここまでのJリーグ消化試合数は、全試合日程の約半分ぐらいなので、十分これから期待できる順位にいるわけです。

 現在に至るサンフレッチェ広島は、一昨年にJ2降格という屈辱を味わいました。
日本代表のMF駒野選手がジュビロ磐田へ移籍する出来事もありましたが、その他の代表経験者だったFW佐藤選手・MF森崎選手・MF柏木選手・MF青山選手・DF槙野選手・GK下田選手などはチーム残留を決意し、再びJ1への復活を誓いました。
その折、各選手がチーム残留を決意した理由とは、J1残留に失敗したペトロビッチ監督の目指していたサッカーは間違っていないというフロント・選手達からよせられた熱い信頼からでした。
 そして昨年、ペトロビッチ監督率いる新生サンフレッチェは、J2開幕より全試合通して1位を一度も譲ることなく、J2チーム最多得点の新記録をひっさげ、最短スピードでJ1昇格を果たしました。また、ゼロックス・スーパーカップでも優勝を果たしております。この年、ペトロビッチ監督・フロント・選手達の目指した超攻撃的なチームが初めて花開いた一年になったと言えます。
 今シーズン一年ぶりのJ1復帰を果たしてからは、開幕当初モタモタしておりましたが、ここにきてようやくエンジンがかかり始めてきたようです。ここまでベテランと若手がうまく融合し、チーム得点数も18チーム中1位の28点で、J1に復帰してからも超攻撃的な姿勢は崩れておりません。若手選手には、U21代表組みの柏木選手・青山選手・槙野選手など、将来を嘱望される選手も多く、その他にも、有望な一押し選手としてMF高萩選手がおり、近い将来ブレイクしそうな予感がします。

 近年、サッカーどころの勢力図が変わってきており意外かと思われますでしょうが、もともと広島はサッカー御三家(広島・静岡・埼玉)と呼ばれ、日本サッカー界において全国大会で活躍し、多くの選手や、元日本サッカー協会会長の長沼健氏など数多くの指導者を輩出してきております(ちなみに、小生の小学校からも木村和司氏・金田喜稔氏、森島寛晃氏などを輩出しております)
また、昨年は久方ぶりに全国高校サッカー選手権で広島皆実高校が優勝を遂げてくれました。
 実のところここだけの話ですが・・・・・・、ここ近年の実績値でいうと野球よりサッカーのほうが、カープよりサンフレッチェのほうが勝つ可能性が間違いなく高くなっております。これからのサンフレッチェに是非注目しておいて下さい。
2009年6月20日(土)
「イチロー果てしなき夢」
 今では押しも押されぬメジャーリーグ・スーパースターのイチロー選手。
今シーズンも9年連続200安打の世界記録樹立に向け、邁進中です。
 標記のタイトルは、イチロー選手の親友でもあり、スポーツジャーナリストである義田貴士氏の書かれた著書です。
著書の中では、イチロー選手の少年時代から現在に至る生い立ちについて、普段知る事のできない素顔のイチロー選手が捉えられ、大変興味深い人生哲学に仕上がっております。
 
 イチロー選手が道具を大切にしているのは有名な話ですが、それは3歳のときに始まったお父さんとのキャッチボールが根底にあるそうです。
当時、お父さんに買ってもらったプラスチック製バットとゴムボールが何よりも宝物で何処にでも持ち歩いていたそうです。それから小学校に上がる前には、まだ子供には不釣合いな赤い皮製の高級グローブを買ってもらい、一朗少年は感激で胸が一杯になり、両親に心から感謝する意味もこめて、それから毎日丁寧に手入れをしてグローブを抱いて寝るほど大事にしたそうです。
この時から、今でも道具の手入れを欠かさない姿勢へと真直ぐつながっているとの事です。

 小学生時代になると、一朗少年は様々な特訓でレベルアップを図っていきます。
”スピード”ボールに対処するため、バッティングセンターでの練習を繰り返し、当時最速130kmの球も打ち返せるようになったため、今度はバッターボックスの2、3メートル前に立ち、これを100球~200球繰り返していたとの事。これは計算上150km以上の球速。イチロー選手も、「メジャーリーグのピッチャーたちの球は確かに早いんですよ。でも一番早かったのはバッティングセンターの球だったな。あれは速かった」と、小学6年生での語り草です。
 他にも面白い特訓は、自動車のナンバープレート遊びに夢中になり、無意識のうちに2つの能力を鍛えられています。
その遊びとは、車に乗って対向車がすれ違うその瞬間に、プレートの数字を一瞬にたし算する遊びで、イチロー選手は、「今思えばあの遊びは”動体視力”の訓練になっていたのかもしれないですね。それに”判断力”。例えばバッティングってことを考えても、一瞬でボールの球筋を見極めなきゃいけない。そういう意味では、今の自分にとってもプラスになっている気がする」と、jこれが一番続いた遊びだそうです。
 
 その後、順風満帆のように思えるイチロー選手の人生ですが、高校三年生時エースだった一朗少年は、交通事故で大怪我を負い、”イップス(送球恐怖症)”になり、キャッチボールさえ満足にできない大きな挫折も経験されています。
今ではレーザービームと恐れられる鉄砲肩をもつイチロー選手からは想像もつきませんが、今でも高校時代に陥った”イップス”の影響を気にされ戦っているのだそうです。

 最後に、イチロー選手の思いがまとめられています。
「自分の可能性を信じて、熱く生きよう。その際に自分の持っている能力を最大限生かす事。それができればすごく可能性が広がると思います。そして初心を大事にしよう。そのためには、進化し変わり続けることでしか初心を維持できないと思う。僕はとことんまで初心を大事にしたい。だから僕は今でも野球がもっとうまくなりたいんですよ」
 もう、スゴイの一言です。この思いに何も言葉はありません(^ ^;
2009年6月13日(土)
梅雨入り宣言。
 今週始め、広島地方で梅雨入り宣言が出ました。
広島地方は、今年に入っても雨不足が続いておりますので、この期にダムの水瓶が増えるといのですが・・・
北広島工場近くの土師ダムでは、一度増えていた水瓶も現在は見る影も無く、年々水位が低下している始末です。

 8日(月)北広島工場においては、梅雨期をむかえるにあたり、全社員参加の草刈りや清掃活動を実施しております。
雑草を刈ったあとは、たいへんスッキリして気持ちよい環境になりました。
 また、弊社工場敷地外においても、スッキリ喜ばしい河川改修工事が6月より始まっております。
弊社工場の横を流れている河川では年々水位が減ってきていたため、雑草が大木になり、竹林になったりと、手のつけようのない環境になっておりましたが、北広島町の環境事業整備の一貫から、ブルドーザーなども入れた大掛かりな工事を施してくれました。お蔭様で、河川沿いにあった沢山の大木は撤去され、格段に見晴らしも良くなり、北広島町様には心より感謝申し上げる次第です。

 前段での”環境”についての内容が保障されることにより、気持ち豊かに安心できることは誰もが認めるところ。
 その関連で、先日、ある方のお話より、この時代に求められる面白いキーワードを教えていただきました。
そのキーワードは「5K」。
その5つは、”健康・環境・感謝(感動)・価格・価値(こだわり)”との事で、この多く満たす商品が消費者に受入れられるそうです。
そして、100年に1度の不況時代に増収増益のキーワードが「ユニフーテンランド」。
そのキーワード企業は、”ユニチャーム・ヤフー・任天堂・オリエンタルランド(ディズニーランド)”だそうです。
 なるほどと思える一方、あれだけ強かったトヨタ自動車の名前が消え、あらためて絶対的な安定はありえないという課題を突きつけられている時代だと思います・・・
但し、絶好調の”インサイト・プリウス”については、「5K」の”健康”以外は全て満たしている優れものではないでしょうか(^ ^)
2009年6月6日(土)
ゼネラル・モータース経営破綻。
 6月1日(月)オバマ大統領より、GMを米連邦破産法11条に適用・申請するとの声明が発表されました。
先月のクライスラーに続き、GMも破綻に追込まれ、米ビッグ2の栄光の歴史に一時幕が下ろされる事となりました。
 オバマ氏は昨年の米大統領選挙のおいて、ビッグ3と雇用を守るという公約を掲げ民主党を勝利に導きましたが、まさかこのような結末で会社と雇用を守ることになるとは、想定外であり苦渋の決断だったのではないでしょうか・・・
しかし、皮肉な事にGM破綻発表後の株価・為替とも上昇に転じるなど、金融市場は予想されていたような大きな混乱も出ず、一応は投資家達もその方向性に好感を示したようで、一安心です。
これで市場におけるひとつの大きな懸念材料に決着がついたということで、一日も早く平時の状態に戻る事を期待してまいりましょう。

 今後、GMは、米政府を後ろ盾に、不採算ブランドの売却や、各種リストラ策などを積極的に展開し、早期再復活するシナリオを描いているようですが、順調に再建が進行すれば、相当の競争力をつけて巻き返してくることは必然です。
 対抗する日本自動車メーカーの現状はというと、昨年末からの在庫もようやく片付き、減産幅も緩和されてきております。
新興国の中国・インドなどの需要も徐々に回復傾向にあることや、お手頃価格帯のハイブリッドカー”インサイト・新型プリウス”の投入効果もあり、販売台数が大幅増になってきました。また昨日、三菱自動車が世界初の実用電気自動車”アイ・ミーブ”を発表し、エコカーのラインナップも活発になってきております。
 市場が上向きに転じかけている今だからこそ、環境技術や小型車で「一日の長」のある日本メーカーは、「眠れる獅子」の米メーカーが目を覚まさないうちに、確固たる地位を築いていなくてはならないはずです。
日本的価値観と世界的価値観が一致している貴重な時代、市場の役に立つチャンスであり、是非、積極展開を図ってもらいたいものです。

 そういえば・・・、新型インフルエンザの話題が終息してきたようなのですが、まだ約400名の患者がおられるようです。
まだまだ十分注意・予防をしてまいりましょう。
 小生も、念には念をということで、初のハーフマラソン出場を自粛した次第です(T_T)
2009年5月30日(土)
あわただしかった5月・・・。
 この一ヶ月、ほんとうにあわただしい出来事ばかりでした。
大きな出来事と言えば、新型インフルエンザの拡大に始まり、民主党・鳩山新代表の誕生、北朝鮮の核実験・ミサイル発射、そしてGM問題などでしょうか。

 民主党は、ようやく小沢秘書政治献金問題と脱却でき、これからいよいよ鳩山新体制での政権奪取を誓われています。
早速、後日の新聞各紙に出ていたアンケートでは、政党・党首とも民主党が自民党を大きく上回っており、民主党代表の交代は一応”吉”と出たようです。
将来への諸問題は山積しておりますが、豊かな国づくり実現に向けた二大政党の活発な政策議論を期待している次第です。
 
 その矢先に、タイミング悪く北朝鮮による核実験とミサイル発射です・・・。
というのも、民主党は、国家安全保障問題になると一貫性が無く、貝のように口を閉ざしてしまいます。
”国の安全保障なくして国の成長・発展はならない”とは、政治の定石です。
 すぐ隣国で、常識の全く通じない国が暴挙を働いている現在だからこそ、民主党はこの部分の指針を明確にしておく必要があり、そうする事が政権奪取に繋がっているのだと思います。
 さらにもう一つだけお願いしたいのは、安全保障を無視した政権欲しさの”票取り連立”だけは絶対避けて頂きたいものです。

 GMの経営問題においては、6月1日(月)にオバマ大統領より正式発表があるようです。
最悪の結果に落ち着いた場合、これからの自動車業界、はたまた日本経済・世界経済にどれほどの影響を及ぼすのか予想もつきません・・・。
 これまででは考えられなかったような百年に一度の激しい嵐の中、まずは現実から目を逸らさず、しっかりと受け止め、そして一喜一憂せず、正しい道を歩んでゆくことが一番尊いことだと信じ、立ち止まらず前進してゆくしかありません!
2009年5月23日(土)
新型インフルエンザの拡大。
 新型インフルエンザが徐々に国内各地へと拡大してきております。
関西圏から始まった新型インフルエンザは、現在では関東圏まで広がり、感染者数は300名に近づこうとしております。
しかしながら、今回の新型インフルエンザは弱毒性のようで、国内感染者もここまでのところ、病状も軽度なうえ、死亡や重症にまで至っていないのは不幸中の幸いのように思います。

 ただ・・・、安心するのはまだ早く、専門家は秋の第2波・3波が発生した方が怖いとも言っています。
インフルエンザ最初のパンデミックだったスペイン風邪の例では、第1波のインフルエンザの死亡が少なかったものの、その後突然変異で病原性が強くなり、第2波・第3波で大量の死亡者が出たそうです。今回の新型インフルエンザも同じような時期に始まっており、十分起こりうる可能性もあるとの予想です。
ちなみに、当時のスペイン風邪は全世界で感染者6億人、死亡者4000~5000万人で全人類の3割が感染したそうです。
日本では48万人の死亡者。現在の日本の人口に当てはめると108万人に相当する数なのだそうです。
 
 あとは、経済や企業活動にどれくらいの影響を及ぼしてくるのか心配なところです。
関西地区では、感染の拡大が広まった5月中旬くらいから、特に小売・飲食・サービス業においては大幅な減少になっているようです。
リーマンショックもまだ覚め病らぬ中、再び追い討ちをかけるような異常事態に、なすすべなく我慢を強いられる社会規範で本当によいのだろうか?と、どうにもできない資本主義制度に歯がゆくなる思いです。
ともあれ、関西地区の元気底力で、病原体を吹き飛ばしてもらいたいものです。

 目には見えない病原体相手に、今後も感染拡大が気になりますが、一日も早く事態が終息してくれる事を願うばかりです。
そういえば・・・、6月のハーフマラソン開催地は関西地区なのですが、開催の有無もまだ決っていないようなのです・・・(^ ^;
2009年5月16日(土)
”天地人”真田源次郎幸村。
 現在、大河ドラマで放映中の”天地人”。
上杉謙信公の掲げた”義”の旗印は、戦国の世でもひときわ異彩を放ち、常に他国から一目置かれていた上杉家。
原作(火坂雅志著)では、真田幸村も、上杉家から多大な影響を受けていることが記されています。

 信濃国小県郡真田郷の小土豪からはじまった真田氏は、天正十年からの一年間に、武田・織田・北条・徳川とめまぐるしく主君を変えています。その背景には、信濃・上野国境一帯の領有をめぐる上杉・北条・徳川のぶつかり合いが常に繰り広げられていたため、自国領を死守するためとった手段だといわれます。また、弱小勢力が生き残っていくために、早足・忍技・本草学や呪術者集団を育て、知恵と工夫で乱世を渡っていき、現世においても、”猿飛”や”真田十勇士”などの伝説が語り継がれています。

 まだ19歳だった真田幸村は、父・幸昌の命により、同盟を結んだ上杉家に人質にだされ、そこで直江兼続から”義”の教えを享受していきます。(しかし、幸村は真田家のお家事情でのちに豊臣家に鞍替えします)
持って生まれ才に恵まれているものの、生きる方向を探しあぐねている幸村に対し、兼続は次のように語りかけます。
 兼続、「分かれ道に立ったとき、人は何によって動くと思う?」、
 幸村、「真田家の格言に、”人は利に誘われば、忠義の心も、死の危険も忘れる”とあるとおり、利のあるほうへ人の心は自然に流れていくものだと、父・昌幸は口癖のように申しておりました」
 兼続、「たしかに人は利で動くものだ。しかし、人は時に利を超えた志(義)のために動くことがある。たとえば、溺れて助けを求めている子供をほうっておけるだろうか?心ある者ならば、おのれが溺れ死ぬ危険もあるのに、ためらわず海に飛び込む。それは利によって行動するわけではない。それが義の心だ」
 幸村、「・・・・・・・・」
 兼続、「この乱世、人は欲するものを手に入れるためなら、平然と主を裏切り、友を出し抜き、親兄弟でさえも殺し合う。暗殺、毒殺さえもいとわない。しかし、その果てに何がある。人の欲望にはきりがない。手に入れても、手に入れても、けっして心が満たされることはない。私利私欲を離れ、公というものを見据えて志に向かって突き進んだとき、人ははじめて真に生きたと実感できるのではないか」
 幸村、「たしかに・・・・・・・・」
 兼続、「不識庵さま(謙信公)は、”義”の旗印を掲げることによって生きることの意味をみなに問いかけたのだ。”義”をとなえる事はたしかに不利だ。ゆえに誰もが利に走る。しかし、難しいからこそ、それは光り輝く。”義”をおこなえば目先の利を追うだけでは得られない、まことの人の信頼を勝ち取ることができる。そうではないか」
 
 利を追い求める人間の欲望を巧みにつきながら、乱世を渡ってきた真田一族には、まったく存在しなかった価値観に大きな衝撃を受け、それ以降、幸村は”義”の精神を貫きます。
その後、2代豊臣秀頼を最後まで支え続け、みずからの信じる”義”を貫き通し、49歳で生涯を全うしております。
負け戦にもかかわらず”義”の徹底抗戦を貫いた幸村の武勇伝は、現世まで英雄伝説として語り継がれていることは説明するまでもありません。
2009年5月9日(土)
いざ中盤戦!
 さあ、早いもので今年もいよいよ中盤戦に差し掛かってまいりました。
弊社も7日(木)より営業を再開し、本日(土)も出勤日で元気に励んでおります。
 イワサキ本社は、今朝から町内清掃活動を済ませてきたところなのですが、土曜日のため閑散としておりました。
唯一、近所の中学生だけが授業参観日のため登校しています。その折に、ピカピカの新一年生の集団を見かけましたので、「おはよう」の声かけにくわえて、おせっかいとは思われつつ、「中学初参観日は頑張って親にいいところを見てもらえよ!」とハッパをかけておきました。中学生達はキョトンとしておりましたが、すぐにしっかりした返事が帰ってきました。
実は息子も同じ中学校に通っているので、思わず応援したくなった次第なのです(^ ^)

 皆様は、ゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?
 小生は、月1回のマラソン出場を目標に、3日(日)に懲りもせず山口県岩国市しゃくなげマラソンに出場してまいりました。
今回は10kmでのエントリーなのですが、このコースは上り坂が約半分を占める過酷なマラソン大会として知られています。
レース前に、その情報がアナウンスされると、辞退される方も見受けられました(・ ・;
コース内容は、序盤から上り勾配が延々続き、5km過ぎから駄目出しの急勾配が登場し、ここで耐え切れず歩き始めるランナーが増えます。中間地点過ぎまでは上り坂で、折り返してからは同じ道を戻っていくので下り坂となります。
 小生はというと、折り返し前の急勾配に備え、前半体力を温存しておいたので、急勾配を無難に乗り切れました。折り返してからは下り坂を滑り降りるようなスピードで走りぬけ、中間までの抑え気味のスピードが嘘のように爽快でした。
結果タイムは52分。前回の兵庫マラソンよりも過酷なレースだったのですが、逆にタイムは約3分向上しました。
やはり、週一度の20km走りこみで持久力が養われてきていると実感できたレースでした。

 さて来月ですが、いよいよハーフマラソン(21km)に初挑戦してみようと思っております。
自分の中ではハーフを走りきれる体力に憧れ、ひとつの目標となっていましたので、いよいよきたか!という気持ちです。
夏場に向けて陽差しも厳しくなり、またしても過酷なレースとなりそうなのですが、走り込み準備を抜かりなく進めておこうと思っております。ただ・・・、ここのところ陽に焼けて顔が真っ黒となっており、哀れな状態になっております(*_*)
2009年4月30日(木)
5月2日(土)~6日(水)迄の5日間を休業させていただきます。
 今年度の弊社ゴールデンウィークは、標記のような予定となっております。
翌7日(木)より通常業務に戻りますので、ご理解の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

 さて、今年のゴールデンウィークですが、既に各地とも例年以上の混雑が予想されております。
日本政府が経済対策の一貫として始めた、定額給付金や、高速道路料金の一律1000円などの押し上げ効果もあり、久しぶりの活況に沸く明るい話題なのではないでしょうか。このまま一歩づつ前進しながら景気回復に向かってくれる事を願うばかりなのですが・・・。

 その陰から不気味な伝染病(豚インフルエンザ)が迫ってきているようです。
 感染の拡大状況から考えても、いずれ日本にも上陸すると思われ、本日、警戒レベルも”フェーズ5”(複数国で人から人へ感染)まで引き上げられております。またWHOは、バンデミックの”フェーズ6”(世界的大流行)に差し迫っているとの強い警告も同時に出しました。
既に日本政府では、最悪で入院患者2000万人、死者は64万人に達すると想定し、感染の拡大防止策を盛り込んだ行動計画を策定しているようです。

 一難去らないうちにまた一難。次々と起こる世界危機への連続に、我慢強く順応していくしかないようです。
今のところは、手洗い・うがい・マスクの着用・人ごみを避ける、などの基本事項を心掛けながら、これから発表され出す正しい情報や知識をもとに、伝染・予防を心がけ、冷静な対応で努めてまいりましょう。
 ただ、期待できる部分は、日本ではこれから湿度が高まる梅雨時期になります。
インフルエンザウイルスは一般的に湿度に弱いとされているので、予防には恵まれている気候条件なのだそうです。
2009年4月25日(土)
ランニングの相棒。
 晴(愛犬)の年齢は、もうすぐ3歳。(人間様の世界ではもう立派な成人になっております)
この夢日記を書き始めたころには、まだこの世に存在しておりませんでした。
 それから3年間で、晴は、小生に思いもよらない激的な変化をもたらしてくれております。
それは、散歩から始まった健康づくりが、ランニングに発展していき、それがマラソン目的に変化していったということで、全くもって想定外でありました。
おそらく、相棒の晴がいなければ、このような未来になっていなかったことは確かです。
そういう意味で、健康的な未来に導いてくれている晴の存在感は大きく、真の相棒としても日々成長をしてくれております。

 晴の成長とは、ノーリードでランニングができ始めたということです。
2005年12月6日に記した日記で、”将来ノーリードで散歩をさせるのが目標”と綴っていたのですが、それが現実のものとなっております。
 最初は不安だったのですが、そろそろ思い切って試してみようとおもい、散歩でのノーリードから徐々に躾けていき、それからランニングでも同様に躾けてまいりました。
現在では、他人に近づかず飛びつかず、勝手に逃げ出さず、信号の合図で必ず止まり、小生の半径2メートル以内からは離れないように躾けております。
そして、小生も、これまでのように手に巻いたリードを持たなくて良いので、ランニングも快適になっており、賢い愛犬に心より感謝するばかりです(^ ^)

 これからもマラソン距離のアップを目指して、晴には引き続き日々ランニングの相棒をお願いするばかりなのですが、さすがに20kmをつき合わすのは愛犬虐待にもつながりかねないので、留守番をさせておこうと思っております(^ ^;
2009年4月18日(土)
ユニセフカップ2009芦屋国際ファンラン。
 12日(日)、兵庫県芦屋市10kmマラソン出場のため、長距離遠征に行ってまいりました。
閑静な芦屋の街並みの中を走り抜けていくコースは、快晴の中、高層住宅・住宅街・桜並木・川・海へと風景が移り変わっていくコースになっており、各風景に癒されながら大変気分よく走ることができました。
また、今月から施行されている高速道路料金1000円の恩恵もあり、懐にも優しく一挙両得の気分です。

 今回のマラソン連続出場目的は、先月の福山マラソンで距離を5kmに下げた自分への不甲斐なさと、今後のハーフマラソン出場へのランクアップを目指し、再び10kmへの挑戦を試みた次第です。
 そのための準備として、一週間前の日曜日、自分自身に試練を与えてみました。
それは、ハーフマラソン(20km)の距離を一度挑戦してみておこうということ。
早速、車で自宅から安佐北区可部の20km地点へ向かい、そこで放り投げてもらい、自宅まで帰ってみることにしました。
そうすると・・・、走れるじゃあありませんか!途中一度も立ち止まらず、約2時間で走りきれました!
 その一方、初めて経験する身体への酷使で、到着するなり両足のふくらはぎが攣って当分動けなくなりました。完走後の身体へのアフターケアを施さないと痛い目にあうということも、身を持って体験できた次第です。
しかしながら、日々練習を繰り返していれば、ハーフに挑戦できそうな大きな自信になったことは確かです(^ ^)

 さて、レースの方ですが、今回は40歳以上10kmマスターズへの登録となっておりました(^ ^;
1073人が参加中、小生のゼッケン番号は736番。スタート地点から番号順に並んでいくので後の方でした。
スタート合図とともに走り始めて分かったことは、コース幅がものすごく狭く、1km過ぎ迄は混雑で身動き取れない状況。そして初コースの距離感がつかめず事前の下見もしていないためペース配分にも失敗。また、一週間前にハーフを走りきったとはいえまだまだトレーニング不足。
 結果はタイム55分04秒で465位。昨年の福山でのタイム50分29秒を大幅に下回っておりました(><)
あとで気付いた事ですが、マスターズの順位タイムを見てみると標準レースの参加者とほとんどタイムが変わっていませんでした。今回、小生は若い部類に入っていたので、”普段どおりやれば順位は上だろう”と舐めてかかっていた自分に反省するしきり(+_+)
自身の”走破タイム向上を目指していかなければ順位アップにもつながらない”という事が、つくづく身にしみて分かった次第です。

 いずれにしても、練習量が如実に結果となって表れるので、日々の走りこみしかないようなのですが、実は、今期のマラソン大会も夏場に向けて減っていくばかり。次レースは今秋まで待たないといけないような気配・・・。早速、挫けそうです(^ ^;
2009年4月11日(土)
2009年度計画の第一四半期。
 早いもので、今年度も1/4までが既に終わっております。
そのような訳で、本年度計画の第一四半期までの発表会を7日(火)にとりおこないました。

 今年度のここまでの様相ですが、各部ともまだ横一線というところです。
施策結果やデータ取りは、これからずんずんと積みあがってまいりますので、やはり中間地点以降からある程度の雲行きが見え始めてきます。
 各部の施策においては、新しく原価低減や見える化のテーマもとり上げてくれております。
原価低減においては、このご時世避けては通れないテーマなので、まずはジャストインタイムや経費低減を心掛けてくれております。
見える化においては、作業現場の定置化や管理手法の改善などの精度アップを心掛けてくれております。
ともに昨年度、技術部がいち早く取組んで最優秀賞の栄冠を勝ち取ってくれた内容で、早速、各部によい伝染効果を与えてくれているようです。

 昨年度、驚異的な成果を残してくれたディフェンディングチャンピオンの技術部に対し、毎年2位の製造部と、前々年度覇者の設計部。
間違いなく今年度は、実力伯仲の競争になっており、様々な効果を期待できる年となりそうです。
不況真っ只中の世ではありますが、今できること、今しかできないことをしっかりやっておき、景気回復に合わせて万全の準備が整っているよう、「備えあれば憂いなし」を徹底しているところです。
2009年4月3日(金)
マツダスタジアム完成お披露目。
 プロ野球セリーグもいよいよ本日から開幕です。
マツダスタジアムも10日の本拠地こけら落としを待つばかりとなっております。
 そんな中、昨日、新球場のお披露目式が開催されました。
この日に限っては、秋葉広島市長の祝辞が終わったあと、球場の隅々までの開放、見学が許されましたので、滅多にないチャンスとばかり写真撮影をしてまいりましたのでご覧になって下さい。
 新球場は、開放感いっぱいの素晴らしい天然芝に、アイデア満載の設備・機能が随所に取り入れられており、噂以上の出来栄えにワクワクしてしまいました。現在のところ日本一のテーマ(ボール)パークになったと言えるでしょう。
今後の広島カープは、強くなっていくことに疑いようがありません(^ ^)

       球場正面玄関             カープ坊やのマンホール蓋            広島市長祝辞

      傾斜のない観客席          ダッグアウト両横の砂かぶり席           びっくりテラス席

       テラスシート席                 芝生エリア席                 ウッドデッキ席

   三塁側ベンチダッグアウト                監督室                 選手ロッカールーム

  ベンチ裏のトーレーニングルーム     ベンチ裏にある投手用ブルペン          ブルペンマウンド  
2009年3月27日(金)
祝・侍ジャパンWBC連覇。
 日本球界の威信をかけて招集された侍達は、見事、ワールド・ベースボール・クラッシック連覇を成し遂げてくれました。
球界関係者・監督・コーチ・選手達が一丸となって勝ち取った偉業に対し、心よりご祝福を申し上げるとともに、今後益々の野球界の発展を心より祈念申し上げます。
 大会期間中、日々試合を積重ねるほどにチームは結束し、そのファイト溢れる闘志から勇気や希望を分け与えてもらい、久々に野球の奥深さや醍醐味を味あわせてもらったような気がします。
なかなか明るい話題のないご時世の中、重責を背負っていた選手の皆さんに感謝するとともに、ねぎらいの声をかけてあげたいぐらいですが、そこから開放されたシャンパンファイトの画像では、選手・監督・コーチ達ともこれまで見たことのない子供のようなはしゃぎぷりで、こちらの方も嬉しく羨ましく思えた次第です(^ ^)

 今大会のような短期決戦では、やはりピッチャーを含めた守りがいかに重要であるかという事をあらためて伺い知ることができました。
今回の日本代表の戦術スタイルは、実力派の投手陣と、走・攻・守を兼ね備えた野手陣の構成になっており、失点を最小限に抑えながら、打線は振り回さずに確実につないで、足でかき回していくスタイル。
”打線は水もの”という事を十分熟知しているだけに、投手と守備を重視して失点1点台に抑えた日本チームは青写真通りになったと言えるのでしょう。
体格の劣る日本野球は、剛速球やホームランのポンポンでる大陸的豪快さはありませんが、緻密なスピード野球で互角以上に張り合えることは十分証明できたので、今後のアジア野球の可能性を感じながら、お国柄スタイルによる対戦で面白さも倍増していくような気がします。

 しかしながら、ベースボール発祥国で主催国のアメリカにとっては、2回連続の屈辱の事と思います。
このままで終われないアメリカは、次回WBCで是非とも主力級選手で万全の準備を強いてきてほしいものです。
そしてがっぷり4つに組んだ、ベースボール 対 野球の本気対決を何度でも見てみたいものです。
  
2009年3月21日(土)
福山マラソン2009。
 先週の日曜日、昨年に引き続いて福山マラソンに参加してまいりました。
当日は晴天の中、参加者も昨年より3000人増えて6000人規模の賑やかな大会となりました。
今年で28回目を迎えた大会主催の福山市も、おそらくホクホクの事だったと思います。

 さて今回のマラソンは、息子の初参加と、小生自身のトレーニング調整不足などもあり、昨年の10kmコースから5kmコースに距離を下げての出場となりました。と、同時に、息子とは同条件下での親子初対決となります。
息子は、学校授業でのトラック走や、日々剣道でのトレーニングなどで、体力には少々自信があるような口ぶり。
しかしながら、長距離走は日頃の走りこみとペース配分がものをいう競技なので、父親の面子としてもまだまだ負ける訳にもいきません。
 
 まず、マラソンのスタート地点に立って感じることは、参加者の多さに圧倒され、本格的な競技ウエア(格好)を着ている選手達に劣等感を覚え、場違いな自分が最後まで走れるのだろうか?というような不安ごと。
上下ウエアとも学校のジャージを着ていた自信満々だった息子も、スタート地点に並んだ途端、”途中辛くなったら歩けばいいや”などと弱気な発言に変わっておりました。
 レースが始まると、最初は団子状態となります。なかなか前に行けず遅いペースに巻き込まれてしまいますので、それを突破するまでに意外とペースを狂わされてしまいます。そんな混雑ですからスタート時から案の定、息子とははぐれてしまいました。
 小生のレース展開はというと、足は動くのですが、走っていると胸の動悸が激しくなり、思うようにスピードが出せません。
昨年に比べて後半のペースも上がらず、トレーニング不足からくる運動量の差となって現れてしまいました。
 結果はというと、小生がタイム24分48秒で810人中199位(ゴール前の2人抜きでなんとか百番台で・・・)
息子はタイム27分50秒の277位ということで、初めて挑戦する距離にもかかわらず立派な成績でした。
 今回は、どうにか父親の面目躍如となったのですが、伸び盛りの息子には要注意ということが改めて分かり、その成長に嬉しいような、寂しいような気持ちになります・・・。しかし勿論、今後においても負けるわけにはいかず、次回から息子の挑戦しないであろう10kmを選択するつもりであります(^ ^;

 いつもマラソンに参加して思う事ですが、最高齢85歳の方(5kmコース)、障害者の車椅子の方(10kmコース)、ファミリーの方(2.5km)、ウオーキングコースの方(4kmコース)、ハーフ出場の方(20kmコース)など、それぞれの方がそれぞれの目的をもって参加されており、それを見て頑張れる勇気を頂いたり、自己記録証を発行して頂けたり、家族・仲間との楽しい思い出づくりになったり。
しかし、何より参加者が明るい笑顔でつつまれるのが一番の特典だと思っております(^ ^)
2009年3月14日(土)
「両忘」
 題目の「両忘」とは、中国の儒学者・程明道の言葉だそうです。
”両方とも忘れてしまえ”という言葉の本質を、武田鏡村氏は次のように説明されています。

 内と外、あるいは生と死、苦と楽、善と悪などといった対立するものを、両方とも同時に捨て去れば、心が澄みきった穏やかな境地になる事ができる。逆に対立するものの一方だけに固執していれば、必ず行き詰ってしまう。
 例えば、愛にこだわれば、愛が満たされているときは世界がバラ色に包まれているように感じるが、いったん愛が壊れればその愛は憎しみの世界に急変してしまう。同じように、生にこだわれば、絶えず忍びよっている死の足音に脅えて苦しむ。
この苦しみを超えるには、愛と憎、生と死の両方を忘れ去ることであり、そこから自由で柔軟な生き方を選択できる。

 次に、鎌倉末期の禅僧・無住一円の言葉、「何事もよろこびず、また憂いじよ、功徳、黒闇つれて歩けば」という教訓話から。
 どんな状況になっても、手放しで喜んだり、憂い悲しんではいけない。幸と不幸はいつも表裏一体である。
ここに出てくる”功徳”とは幸運をもたらす美人の功徳天(吉祥天)のことで、一方の”黒闇”とは功徳天の妹で人に災いをもたらす醜い黒闇天のことを言う。二人はいつも一緒にいて、決して離れることはない。
 ある人の家に福をもたらす功徳天が訪ねると、主人は大いに喜んで招き入れた。すると、功徳天の後から不幸をもたらす黒闇天が一緒に入ろうとした。主人は黒闇天を追い出そうとすると、自分は姉と常に一緒だから離れることはできないという。そこで主人は二人とも追い出したとのこと。 
 無住一円は、二つの対立する一方に固執せずに、両方を忘れ去って生きることが本当の安心の境地になるとの教訓を説かれています。

 最後の締めくくりにに武田鏡村氏は、現在は歴史的な不況であるが、不況と活況にとらわれずに、その両方に固執する意識を捨て去った平静な境地から光明がつかめてくると信じたいものであると延べられています。
 武田鏡村氏の数々の教えにいつも感謝と共感を覚えつつ、敵は見えない自分の中にあることを自覚し、どんな時代においても不動心で前向きでありたいと再認識させられた次第です(^ ^;
2009年3月7日(土)
2008年度イワサキ杯受賞発表。
 昨日、全体集会にて2008年度イワサキ杯授賞式をとりおこないました。
社内の厳格なる審査の上、イワサキ杯の各賞は次のような結果となりました。

 *最優秀賞 「技術部」                     対象者(浜田部長率いる技術部一同)
 *特別賞   「製造部・作業工程の改善グループ」    対象者(松山・岩崎浩・平田・古家・松原)
 *努力賞   「設計部・図面不具合の撲滅グループ」   対象者(高梨・山中・松田・国政)

 イワサキ杯で最も栄誉ある最優秀賞には、173%という桁違いの達成率を残してくれた技術部が初受賞となりました。
著しい部内改革とダントツの達成率を成し遂げての成果には文句のつけようがありませんでした。
 特別賞では、機械工程間の改善により100%の達成率を残してくれた作業工程の改善グループ。
従来の手法をガラリと変革しながらチャレンジを進めた結果、これも抜きん出た成果を残してくれました。
 努力賞では、図面不具合の件数を前年比より49%削減してくれた図面不具合の撲滅グループ。
設計段階でのミス潰し込みを粘り強く実施した結果、製造工程でのトラブル低減にも大きく貢献してくれました。
 
 以上、受賞対象の方々においては、心よりの感謝とお祝いを申し上げるとともに、この深めた自信をますます進化させながら今期に望んで頂きたいと思っております。また今回、惜しくも受賞から漏れた方々においても、是非とも今期への巻き返しを期待している次第です。
 大変暗い景気感の中ではございますが、この日においてはコツコツ積重ねた成果を皆で祝福し合い、明るい笑顔と話題に包まれ、未来への活力としてお互いが再認識しあえました(^ ^)

     最優秀賞 ”技術部一同”     特別賞 ”作業工程の改善グループ”  努力賞 ”図面不具合の撲滅グループ”
2009年2月28日(土)
「おくりびと」「つみきのいえ」オスカー受賞。
 毎日マスコミから提供される話題は後ろ向きで暗い話ばかり。
そんな中、邦画の「おくりびと」が米アカデミー賞外国語映画賞、「つみきのいえ」が米アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞し、2冠同時受賞という快挙で、久しぶりに日本国が明るい話題で包まれました。
 絢爛豪華で権威あるアカデミー賞のイメージとして、ハリウッド映画のような大作や西洋映画などが優位で、逆に予算の少ない地味な邦画には全く無縁な世界だと思っていましたので、受賞には本当にビックリです。

 特に「おくりびと」は、西洋とは異なる日本葬儀の”納棺師”の姿を描いた異色の作品。
日本人であっても、”納棺師”という陽のあたらない職業にはもちろん無知で踏み込みにくい世界だと思います。
そのような特異な世界が、あらためて西洋人に評価され、日本人が普段忘れている事を逆に教えられるということに、少々複雑な想いがします。
 マーク・ジョンソンアカデミー賞委員長は、受賞について次のように評価されています。
 「今の時代にぴったり合い、発想が新鮮だった。新聞、テレビなどで毎日、戦争に直面し、米国人は戦争を見たくないと思っている。『おくりびと』は死者を送る行為だけでなく、主人公が自分を捨てた父親への怒りから解き放たれ、より完成した人間へと成長する物語。万人に通じる主題で、最も心を動かした」と解説されています。
 映画化までの道のりにも多くの苦難があったそうです。
主演の本木雅弘氏が1996年に原作の青木新門・著「納棺夫日記」を読んで感銘を受けたことがきっかけとなり、そこから粘り強く青木氏との交渉を繰り返しながら、ようやく十数年越しでここまで辿り着いたようです。
そして本木氏の情熱が実を結び、一番旬な時期に作品の発表ができた運命のイタズラに、恐らく本木氏自身は感無量なのではないでしょうか。
 また、映画監督は滝田洋二郎氏。
以前、この夢日記の2007年2月24日号で滝田氏の記事も書いていましたので、小生も、ことのほか嬉しくなってしまいました。

 今回のオスカー受賞で思ったことは、お金のかかった大作でなくとも、心の通った作品であれば万国共通で受入れられると証明できた事。そして、日本人の感性が世界の心を動かしたという意味でも、日本人に勇気を与えてくれ、あるべき姿を示してくれ、また今後の日本の姿勢にもヒントを与えてくれたような気がします。
そういう大きな意味を持った今回の受賞に、心より感謝と敬意の念を感じている次第です。
 今度映画を見る前には、是非、原作の本を読んでおきたいものですね(^ ^)
2009年2月21日(土)
MAZDA Zoom・Zoomスタジアム広島の完成間近。
 昨日、新幹線の窓から新広島市民球場の途中経過を撮影致しました。
広島市や地元経済界などの支援を得ながら約90億円をかけて建設されいる「夢の器」ですが、球場外観や内部のメイン工事を含め9割方出来上がっており、いよいよ4月10日のプロ野球開幕を待つばかりとなってまいりました。
 ちなみに”ズーム・ズームスタジアム”という球場名は、広島県外の方にはまだ馴染みがないと思われますが、地元の㈱マツダ様が5年間の命名権を取得されたので、”ズーム・ズーム”となっております。
まだ聞き慣れないせいでしょうか?、しっくりこない球場名なので、多分これまでどおり愛されている”広島市民球場”と呼ばれるような気がします・・・。

 新球場の基本構造ですが、収容人数は30350人、広さは中堅122m・両翼101m、照明灯6基、そして天然芝を採用しております。
 これまでの日本球場は営業面優先のドーム、人工芝が主流となっておりましたが、新球場は、おもいっきり天候に左右されるオープン球場(市の予算不足のためでもあります・・・)で、選手達には身体に負担をかけない天然芝を採用している”今時のアナログ球場”です。
 しかしながら昨今、自然に沿った環境面が求められる世になっておりますので、新球場の方向性には十分理解・満足できますし、大リーグの歴史ある各球場を参考にしながら様々な新機能も取り入れておりますので、実は世界で一番進化しているボールパークということにもなるのではないでしょうか。

 ただ・・・、新球場周辺の再開発事業・複合施設開設を請け負っている三井不動産側から広島市に対し、当面の事業計画の延期が発表されました。経済不況により複合施設のテナント探しが難航していることや、経済情勢が不透明なため、事態が好転するまで待ってほしいとの事なのだそうです。
大変残念な結果ではありますが、将来性のある抜群な立地だけに、計画が早期再開されることを願ってやみません。

  マツダ・ズーム・ズームスタジアム

    当初スケッチイメージ図
2009年2月14日(土)
「心をとどめざれば敵なし」
 今年も例年通り、マラソンのエントリーをしております。
そろそろ開催が近づいてきておりますので、毎日の愛犬とのトレーニングにも熱が入ってきているところです。
 しかしながら、トレーニング途中に様々なアクシデントもつきものです。
先日も愛犬が用を足したあとの黒い物体を採集するときに、おもいっきり物体の中に親指をめり込ませてしまい、まさに、オーマイゴー!オーマイゴー!です。そんな時は、次なる目的地の公園水飲み場まで我慢して走り続けるしかありません・・・(>o<)

 ここで話題はがらりと変わり、表題は幕末の剣豪”三舟(勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟)”といわれた方々の中の、山岡鉄舟の言葉です。(武田鏡村氏著書より)
 山岡鉄舟は、剣を磨くために二十歳の頃から禅道に励み、剣は人を殺すためのものではなく、人を活かすためのものであるという「活人剣」の境地を習得します。
勝ち負けや損得にこだわっていると、心が落ち着かず適切な判断ができなくなり、自分の心が剣の道を妨げる事になるため、鉄舟は、立合う相手に刀を用いず、心を鍛錬して相手を圧倒する事が大切だと悟り、刀を使わずに相手を倒す「無刀流」の極意に達します。
 その教えは、「無刀流と称するは、心外に刀なきを無刀という。無刀というは無心というが如し。無心は心をとどめぬという事なり。心をとどむれば敵あり、心をとどめざれば敵なし」と説かれています。
剣の道から人生論に通じた鉄舟の教えは、混沌としたこの世に、何が大切なのかを異彩を放ちながら教示してくれているように感じるばかりです。

 小生も、まずは自分の心を無心に保ち、広い心で相手に接し、真の敵は自分の心の中にあるということを自覚しながら、仕事と日常生活に勤しみ、そして愛犬とのコミュニケーションにも大らかな気持ちで努めてまいる次第です(^ ^;
2009年2月7日(土)
昨年度の社内成果発表会。

 先日は、北広島工場にて全社員が集まり、社内成果発表会をとり行いました。
対象部署は、設計部・製造部・技術部の3グループです。
各部は、一年間取組んできた施策の成果を、練り上げた資料を駆使しながら順番に説明していきます。

 この日は、弊社にとって一年間の中でも特別な日でもあります。
適度な緊張感の中、一年間続けてきた成果発表を全社員が楽しみにしてくれています。
 今期途中までの成果は各部横一線の様相でしたが、本日の成果発表では各部の達成率に面白い変化が出ておりました。
昨年までのディフェンディングチャンピオンの設計部が73%、2位であった製造部が103%、3位だった技術部が127%と、達成率を見てみると、見事にひっくり返ってしまいました。しかも、嬉しい事に製造部と技術部においては100%以上の成果を出してくれており、その奮闘ぶりをうかがい知る事ができました。

 ”100年に1度、200年に1度、いや1000年に3度もない”などと様々に言われている世界不況ではありますが、そんな閉塞感の中でこれまで取組んできた内容には一つとして無駄な事はなく、弊社内では何物にも変えがたい喜びであり、明るいニュースであり、未来につながる大事な礎であります。
その足跡を残してくれた社員には、心より感謝を申し上げます。
そして、その頑張りに刺激をもらい、発奮し、その期待に答えられるよう、小生も負けるわけにはいかないと改めて肝に銘じた次第です。
今年も、仲間達と共に助け合い、信頼し合い、もちろん結果にもこだわり、一年間対峙してまいります。

2009年1月31日(土)
パネル搬送シュミレーション2号機の完成。
 昨年より開発・設計を進めてきたプレスパネル搬送シュミレーション装置が完成いたしました。
従来使用していた1号機があったのですが、新機能を追加したことや、作業性向上や省電力化も含めて新しく進化しており、且つシンプルな仕上がりになりました。
無断でドアを開けて作業エリアに入ると警報ブザーが鳴る仕組みにもなっておりますので、安全面においても万全です。
設置場所は、従来どおりの第6工場(技術職場)の製造管理室前に据付けております。

 本品は自社向けの設備装置ですが、お客様からのご要望に応じたご依頼や、各種産業設備の開発・設計・製作も常時承っております。詳しくは、営業部の天野・山本までお申し付け下さい。 
 

シュミレーション装置配電盤
2009年1月24日(土)
第44代アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマ氏就任。
 日本時間の21日午前2時、1776年のアメリカ建国以来、初の黒人大統領が誕生致しました。
中東テロ戦争や金融・経済情勢などの難題が山積する中、人種という壁を越えて大統領に就任されたバラク・オバマ氏。
オバマ氏自身がまさに”チェンジ”の象徴であり、本当の意味でこれからのアメリカは、自由で平等な社会に進化・発展していくような気がします。
 そういう意味では、今回の党派を超えた閣僚人事が目を引きます。
同じ民主党党首を争ったクリントン氏を国務長官(外交)に据え、選挙で負けた保守党からもゲーツ国防長官(安保)を抜擢したりで、まさに100年に1度の危機を克服するため、国をあげて一致団結を試みながら新しいアメリカに”CHANGE”しているようです。
 一方、わが日本国の政治において、なかなかそれをできる枠組みが出きないようです・・・。
国を繁栄させたいという目的は、どの派閥・どの政治家もが一致していると思うので、そろそろ党派を超えた協力・大連立も考慮に入れ、日本の未来に向けた活発な議論が待ち望まれるところなのですが・・・。

 オバマ大統領の就任演説全文に目を通してみましたが、そこからは人柄の誠実さが伝わってきます。
「私は今、直面する使命を謙虚に受け止める。あなたがたにもらった信頼に感謝する。先祖が払った犠牲を忘れない。ブッシュ大統領の国への奉仕と、寛大で協力的な姿勢に感謝する。
 我々は危機の真っ只中にいる。米国は暴力と憎しみのネットワークと戦争中だ。経済はひどくぜい弱になった。同時に、新しい時代に準備してこなかった失敗でもある。家は失われ、仕事は奪われ、企業は破綻した。健康保険はコストが掛かりすぎ、教育制度は多くの場所で破綻した。我々が直面している多くの危機は深刻で短期間に解決できるものではない。
しかし米国よ、これらは必ず解決できる。
 我々は依然として地球上で最も強い国家だ。我々の労働者は今回の危機が始まってから生産性が落ちたわけではない。我々の能力は消え去ることは無い。今日から我々は立ち上がり、ホコリを落とし米国を再生する作業を始めなければいけない。
 国の成功は、与えられたものでなく、勝ち得たものでなくてはならない。我々の道は近道や妥協ではなく、リスクをとり、行動し、物を作り出す人々によって、繁栄と自由の長い道のりを築かれてきた。
 この国が頼りとするのは米国民の信念と決意だ。堤防が崩れ時に困っている人を受入れる優しさ、友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の人、煙に満ちた階段を駆け上る消防士の勇気。これらが我々の運命を決める」

 以上、ほんの一部分を抜粋しただけなのですが、大変感情のこもった名演説でありました。
また、弊社の社是である「素直・感謝・反省・謙虚」にあたる内容が至るところに散りばめられている演説だったので、大変感動を覚えたとともに、弊社もその姿勢に見習うべき部分を勉強させていただいた次第です。
 ただ、オバマ大統領への評価は、就任祝いの済んだこれからが勝負。
一日も早い強いアメリカ経済の復活を願っております。 ”Yes,we can!”
2009年1月17日(土)
誕生日ケーキに至るまで。
 年末年始は、何かとバタバタ忙しいのですが、昨年暮れのクリスマスケーキに続き、再び誕生日ケーキを作りました。
12月にも誕生日ケーキを1つ作っておりますので、2ヶ月の間にケーキ3ヶ作った計算になります(^ ^; 
今回は、見栄えに気を配りながらのチョコレートケーキ。味の評価も上々でした(^ ^)v

 実は、ケーキ作りを始めたのは、一昨年前からです。
そのケーキ作りを始めたキッカケは、料理作りに目覚めた事からです。
その料理作りに目覚めたキッカケは、当時独身の弊社・Yさんの手料理に影響を受けたことから始まります。
 会社近くに住んでいたYさんは、昼になると必ず自宅に戻り、自前の食事をします。普段の食事も、会社帰りのスーパー調達や、ベランダでの食用野菜栽培や、故郷からの仕送り食材などを組み合わせ、大胆な実生活を、愉快に皆に話してくれておりました。
 小生も、もともと料理作りには興味があったので、タイミングよくYさんの話に刺激を受け、”簡単な料理ぐらいは自分でできるようになろう!”と決意したことから始まりました。
 それ以来、良い意味で自らのライフスタイルも大きく変わりました。
スーパーに自ら買出しに行くようになり、原価販売のコンビニに行かなくなったので、特売品・旬の食材・日用品などの金銭感覚に敏感になり始め、女性の気持ちが分かるようになった事。余りもの具材を考慮にいれた献立作りで自分なりのレパートリーが増えている事。手料理を作ると健康にも気をつけるようにもなるので運動をするようになった事。子供がお父さんの手料理を頼りにしてくれている事。料理が趣味の一つになった事。そして、弁当やケーキも作るようになった事。など・・・、効果は沢山あります。
 料理を覚えるという意思一つから、様々な変化をもたらし、そこから思いもよらない方向に発展していくものだと、この歳になりつくづく勉強している次第です。
 
 そういう意味では、小生の同期であり、趣味のキッカケをつくってくれたYさんには感謝するとともに、昨年暮れにめでたく結婚もしてくれ一安心しました。Yさんには、今後も一人暮らしの経験を大いに役立て是非とも幸せな家庭を築いてもらいたいと思っています。ありがとうございました。

     特大チョコレートケーキ
2009年1月10日(土)
「長生きせんと思えば、嘘をいうべからず」
 いよいよ弊社も6日から2009年の始動が始まりました。
全世界が100年ぶりに直面する激動時代の幕開けですが、弊社も今年一年、心して対峙してまいる所存ですので、何卒、皆様からのご指導ご鞭撻のほどを宜しくお願い申し上げます。

 そんな時代のなか、今年の大河ドラマは「天地人」
戦国時代の”利”を求めるなかにあって、兜に”愛”の文字を掲げ、”義”を貫き通した直江兼続。
時代は変われど、現社会状勢と同じような時代背景に、打って付けつけたような主人公のような気がしております。
小生も主人公の活躍を詳しくは存じておりませんので、これから一年間、色々な事を学ばせて頂きたいと思っている次第です。
 
 さて、題目は、室町時代の禅僧・夢窓の言葉だそうです。
”長生きしようと思ったなら、嘘をつくな”という言葉の本質は、武田鏡村著書で次のように説かれています。
 「一度、嘘をつくことで、その嘘をごまかすために、また嘘をつく。嘘は嘘を呼んで、取り返しのつかないことになってくるという始末の悪い連鎖性を持つ。嘘をついても平然として、全く心が痛まない人もいるであろうが、多くの人はついた嘘が心に棘のように刺さって何らかのストレスとなり、心にマイナスの要因となるものである。
 ちなみに”嘘も方便”という肯定されている言葉もあるが、その場合、嘘と対極にある真実をしっかりととらえていなければ、単なる虚言でしかない。真実に導くためにつく嘘を方便というのであって、嘘をつく行為は方便として正当化されているわけではない。
 戦国時代、主君の織田信長を倒した明智光秀は、常々、”仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という”と言っていたという。明智光秀は、武士の嘘を正当化するために、仏の方便を持ち出し決定的な間違いをしている。仏の嘘は人を真実に導くためのものであって、武士の嘘は敵対する者を陥れて倒すためのもので方向がまったく違うのである。明智光秀が、この言葉を好んで使っていたということは、その人格が嘘で固められていたことを示している。
 いずれにせよ、嘘をつかず、心にストレスを持たず、明朗にして快活な心を持っていれば、長生きすることは間違いなく、長寿者の多くが認めているところである。」

 上記の説教に、これまで少なからず心当たりのある小生も、心より納得させられた次第です(^ ^;
また、このような時代だからこそ、弊社も、あらためて直江兼続の教えである”愛と義”の精神を参考にさせていただきながら、嘘をつかない誠実な精神で、一年間対峙してまいろうと思った所存です。
2009年1月5日(月)
謹賀新年「2009」。
 皆様におかれましては、幸多き新春を迎えられたことと存じます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠に有難うございました。
本年も変わらぬご愛顧と、倍旧のご指導を賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

 さて、2009年度もいよいよ始動し始めました。
昨年から始まった「100年に1度の未曾有の危機」という不況の入口から、今年はいよいよ不況本格年に突入してまいるのでしょうか?
誰もが知るよしも無いところでございますが、弊社におきましても常に気を引き締め、”変革なくして生き残りなし!”を合言葉に全社一丸となって果敢に挑戦してまいる所存です。 

 世界経済が現況に陥った経緯を紐解いてみると、やはり結果的には9・11米同時多発テロを発端としたアメリカの暴走にあるのでしょう・・・。当時、国連決議を無視して始まった中東戦争は、今尚、中東各地に不安定な情勢を引き起こし、更に追い討ちをかけるような金融危機を発端に、各国の保護主義が再び復活しそうな気配で、今後間違った方向性に行かないことを心より願うばかりです。
20世紀をリードしてきた超大国アメリカの威信は21世紀に入り揺らいできておりますが、アメリカに取って代われるほどの超大国もまた見当たらず、それだけにオバマ新政権による世界平和実現へのリーダーシップに期待感を寄せるばかりです。
 今年以降は、間違いなく世界の潮流が変わる歴史的な一年となっていきそうです。
記憶に残る新時代幕開けの一目撃者として、また弊社においても記憶に残る有意義な一年となるよう、決意新たにしてまいる所存です。今年も一年、何卒宜しくお願い申し上げます。
2008年12月25日(木)
今年一年の御礼を申し上げます。
 いよいよ、今年も残すところあと数日と押し迫ってまいりました。
今年も一年、色々な出来事がございましたが、まずは様々なご縁でお世話になった皆様におかれまして、心より感謝とお礼を申し上げます。「一年間、お世話になり誠に有難うございましたm(_ _)m」
 来年度は、既に厳しい経済予測がされていますが、全社一丸となって立ち向かい、顧客先様やご縁のある皆様に喜んでいただけるように誠心誠意で努めてまいりますので、今後とも変わらぬご愛顧のほどを何卒宜しくお願い申し上げます。

 昨日は、聖なる日のクリスマスイブ。
今朝、社員達の話を聞いていると、友人達や家族団欒で、チキン・ケーキ・お酒・クリスマスプレゼントの話などが飛び交い、それだけで心温まる幸せをお裾分けしてもらった気分になりました。
 わが家のクリスマスはというと、クリスマスの空気を全く無視した純和風スタイルで、”おでん”でした(^ ^;
しかしながら、クリスマスケーキの事はしっかりと忘れておらず、小生が腕によりをかけての”自家製イチゴケーキ”を作りました。(見栄えと生クリームの質はいまひとつ納得いってませんが・・・)
”おでん”と”クリスマスケーキ”というギャップがあるイブだったのですが、今朝の社員達のチキンの話題を聞くまで、その組み合わせに誰も気付いていなかったわが家・・・。
なにはともあれ一家団欒で満足なクリスマスでした(^ー^)

 これで今日が今年最後の日記となりますが、一年間お付き合いくださり誠に有難うございました。
 尚、弊社の仕事納めは”12月29日(月)”、仕事始めは”1月6日(火)”からとなっております。ご理解・ご容赦の程を宜しくお願い申し上げます。
 それでは、新年が皆様にとりまして幸多き年でありますように心よりお祈り申し上げます。年末年始に向けて、ご家族様共々よいお年をお迎え下さいませ。

      自家製イチゴケーキ!
2008年12月19日(金)
大河ドラマ「篤姫」を見終えて。
 一年がかりの大河ドラマも、いつも終わってみれば”あっ”という間だったような気がします。
今年の「篤姫」は女性大河ともてはやされたようで、女性からの支持により常に高視聴率をキープしていたようです。
確かにドラマ中ではドロドロした戦のシーンもほとんど見られず、屋敷内での人間模様が舞台になっていたため、リラックスして見ることができたような気がしました。

 今回の大河ドラマでは、原作の「天障院篤姫」の内容を比べてみると、③つの大きな相違点があります。
①薩摩藩・小松帯刀と篤姫(お於)が幼少の頃から恋仲だったという事。
  →原作では、小松帯刀は一度も出てきておりません。
②皇女・和宮と篤姫が手を取り合って徳川家を支えていたという事。
  →原作では、この2人は全くといっていいほど合交わらず、冷えきった関係でした。
③江戸城の無血開城が篤姫からの書状(島津斉彬筆)で事が成されたという事。
  →原作では、篤姫が無血開城に一役買ったとの内容はいっさいありませんでした。
 それぞれ、ドラマを面白くするために、フィクションにしたのか、はたまた参考文献から引っぱってきた史実なのか。
江戸城の無血開城といえば、一般的に山岡鉄舟勝海舟が労を尽くしたと言われていますが、ただ、薩摩藩から徳川将軍家に嫁いだ篤姫であるがゆえに、それが自然な流れであるという説もあるようです。

 何はともあれ、当時の日本を憂い、命を賭けて国造りをしてくれた方々の存在は疑いようもなく、現代人では考えられないような強い精神力には頭の下がる思いです。
 ドラマ最終回、大奥から退かれご隠居暮らしされている天障院が語った言葉で、側近の勝海舟が涙するシーンがありました。
「人の幸せとはいったい何なのであろうか?それを今思うに、人は地位や富や名誉などではなく、家族が朗らかに明るい暮らしができることではないだろうかと思う」と締めくくられた言葉が大変印象的でした。
 世界が混迷時代に突入した今、再び、志士のごとく身を投げうってでも国造りをしてくれる強い政治家が待望されているのではないでしょうか・・・(^ ^;
2008年12月13日(土)
平成20年度の忘年会。
 早いもので、いよいよ今年も残すところ半月。
9月のリーマンショックに始まった「100年に1度の未曾有の金融危機」は、加速度的に実体経済を蝕み始めており、来年の世界経済動向にどれだけ影響を及ぼしてくるのか大変気に掛かるところです。
主要国は、世界恐慌への突入を防ぐためにも英知を結集して万全の対策を期していただきたいものです。
しかしながら国内においては、相も変わらず与野党の中傷合戦の繰り返しで、政治家達は経済対策よりも解散総選挙などの政界再編の方に興味があるようです。
 今、国のリーダーである麻生首相がやらなければならない事は、「100年に1度の未曾有の危機」と対峙するために、政権抗争は一時棚上げしてでも、与野党結束を訴えるメッセージを国民に強く訴えていく事ではないでしょうか。
そうでもないと、おそらくどの政党・総理になっても同じ繰り返しになるような気がします・・・。
もともと麻生さんに期待されていたのも、明るさや威勢の良い”べらんめい調”での力強いメッセージやリーダーシップなのだと思いますので、いちいち外野の声に惑わされず、自論を貫き通していただきたいと感じている次第です。

 そんな世の中の閉塞感を振り払い、今年一年の垢落としもかねて、毎年恒例の忘年会を開催いたしました。
今年は、本社・工場とも同日に重なってしまいましたので、小生は身体を2等分するわけにもいかず(T_T)工場での忘年会に出席をしました。
工場の忘年会開催場所は、北広島町にある”田原温泉”という場所です。
冬場は雪深くなる土地柄で、近くには”寒曳スキー場”もあります。
田原温泉様には、当日無料マイクロバスでの送迎をしていただいた上に、露天風呂を含めた数種類の温泉と、鍋料理を堪能させていただき、お蔭様で身も心も暖かくなりお世話になりました。
 宴会では、名物幹事のK司会者のもと、豪華なビンゴゲームなども開催され、みんなで愉快に笑い・食べ・飲み・今年の総決算も図れ、あらためて仲間達の笑顔は宝物だなと感じた次第です(^ ^)
しかしながら、本社の忘年会も行きたかったなあ・・・(^ ^;
2008年12月7日(日)
結婚式出席でびっくり!
 6日(土)は、結婚式に出席してまいりました。
花婿様・花嫁様の新しい門出のお祝いに、ほうぼうから沢山の方々が参列されておられました。

びっくりしたのが、ご両家の顔の広さです。
なんと、自民党衆議院議員の後藤田正純様や、県会議員様・町会議員様のそうそうたる顔ぶれの面々がご出席されているではありませんか!
そんな中で、ずうずうしくも後藤田先生と世間話をさせて頂きました。
そこで感じたのは、私達の目線まで降りてきてくれ、本当に気さくに会話に応じてくれる事です。そして、各テーブルを率先して回られ名刺を配り、誰よりも頭を低く挨拶されている姿には驚かされました。
年齢を聞いてまたびっくり!現在39歳とのことで、小生よりも歳下でした。(ちなみに奥方は女優の水野真紀さんです)

 新郎側からは、後藤田先生が祝辞のスピーチをされましたが、さすがに百戦錬磨で場慣れされておられます(^ ^;
スピーチの中では、現在の日本・世界の急激な経済悪化について憂慮されておられましたが、こんな時代だからこそお互いが助け合いながら、厳しい時代をのり越えて未来に向かって前進して行こう!と激を飛ばされ場内を熱く導いていただきました。
 また、同テーブル内での会話中に後藤田先生がびっくり発言をされ、公に言ってもいいのだろうかと感じたのすが、私達一般人に話をしてくれたのだから良いのでしょう。
「来年、新党を立ち上げたいと言われていました。それも、小沢さんとソリの合わない元民主党党首の前原さんや枝野さんなどを含めた連合軍のようなことを言われました」
ご本人よりの生情報だったので興奮したのですが、政治が混迷を極めている今だからこそ、様々な選択肢をもちいて政治の早期回復をお願いしたい次第です。
 県会議員様は、”後藤田先生はどちらかといえば歯に衣着せぬ物言いで物議をかもち出す武闘派なんですよ”と説明されたのですが、本日は全くそのような事を感じさせない”熱いジェントルマン”というイメージでした(^ ^)
2008年11月28日(金)
広島の街角ウオッチ。
 早いもので、11月の終焉とともに広島の晩秋の秋も終わろうとしております。
いよいよ師走への突入となってまいりますが、広島の街角では、既に来年完成を控えた各工事も着々と進んでおり、楽しみも増えてきているところです。
今回は、広島(秋風情)の街角ウオッチという事で、そのような様々な場所からのスナップ写真です。
  
来春開幕の新広島市民球場です。     外壁もいよいよ姿を現してきました。    マツダ本社の右側を通る高速2号線。
  
広島市内を一望できる黄金山です。    高速2号線の左出口は国道2号線です。 比治山と広島中心部方面です。  
  
マツダU2工場と呉・東広島に向かう橋。  マツダ車を輸出する場所の宇品埠頭。  秋の宮島(厳島)です。
2008年11月21日(金)
マツダ新体制。
 18日(火)、マツダ株式会社から新体制の発表がありました。
井巻社長様が会長職へ昇格され、山内副社長様が新社長職への昇格をされました。

 報道されていたのは、マツダ筆頭株主のフォードがマツダ株を売却し(それでも10%を保持するため依然筆頭株主)、必然的にフォードの影響力が低下してくるため、その対応策として、技術畑出身の井巻新会長様と、企画畑出身の山内新社長様との二人三脚で巨頭体制を敷き、今後の難局に備えるという発表でした。
井巻新会長様は、二年前からこの新体制を練られていたようなので、実は準備周到なご判断だったようです。
 また現在、フォードは苦境に立たされておりますが、以前にはマツダがフォードに支援を仰いでもらった恩義や、マツダのここまでの世界戦略の成果もフォードの協力なくしては考えられないため、今後においてもできうる協力関係は築いていかれるとのことです。
 ただ・・・、フォードが厳しい状況の間、マツダは独自戦略の構築を余儀なくされそうですが、それは逆に日本人ならではの繊細な判断もでき、新たに飛躍できる大きなチャンスとも捉えられるのではないでしょうか。
そして、日本人経営体制に戻ることで、より意思の疎通が強化されメリットも多くなるような気がします。
 もとはといえば、昭和50年代までのマツダは、国内自動車生産量では、トヨタ・日産に次ぐ第3位を誇っていた老舗メーカーです。これからの新体制による成功を心より願ってやみません。

 一年に数度、マツダ協力会の経営者懇談会でマツダ役員様達とご挨拶できる機会があるのですが、山内新社長様はいつも気さくに声をかけていただける親しみやすい御方でしたが、今後は雲の上の方になられたため近づく事さえなかなか難しくなってきそうです(^ ^;
2008年11月15日(土)
第24回プレス安全・環境大会 in 福島。
 昨年度の全国安全大会は東京・虎の門での開催でしたが、今年度は普段広島とは縁遠い東北地方の福島県・郡山市での開催となりました。
広島金属プレス工業会からは、全7社での大会参加となりました。

 事例発表企業さまは、お膝元福島県の石橋工業㈱さま、埼玉県の㈱大西製作所さま、そして広島県の住野工業㈱さまの3社が、日頃の安全・環境活動についての成果発表をされました。
いずれの企業様も、 安全と環境活動を積極的に推進された結果、従来より危険が減少し災害件数も3割以下となる大幅効果が出ており、素晴らしい事例発表でした。
企業活動において、Q(品質)・C(コスト)・D(納期)は必用不可欠な課題であり、もともとその根底にあるS(安全)とは切ってもきれない関係ですが、近年では国際的にもE(環境)が急速に最重要項目になってきている事は確かです。
今後は、この5つの要素を一元管理できる企業モデルが求められていると認識しました。
弊社でも、ISOの品質・環境を取得しておりますが、ただの付録にならないように日々の改善活動が重要であるとヒシヒシ感じた次第であります。

 また、安全大会の翌日、企画委員さまの粋なご配慮により会津若松市への観光を組んでいただいており、めったに拝見することのできない、紅葉真っ盛りの会津磐梯山や会津若松城(鶴が城)を見学することができました。
晴天の中でのスナップ写真をご覧になって下さい。



  
     会津若松城(鶴が城)        天守閣から写真中央の飯盛山を望む
                          白虎隊士が炎の城を見て切腹した山

     プレス安全大会会場

      紅葉の会津磐梯山

    白虎隊士17名の肖像画
2008年11月7日(金)
バラク・オバマ新大統領の誕生。
 ようやく、長い長いアメリカの選挙活動期間も終わり、結果的には民主党・オバマ氏の圧倒的勝利となったようで、大半のアメリカ国民は約8年間に渡った共和党・ブッシュ政権との決別を選択した格好になりました。
この一年間、レームダック状態だったブッシュ氏。その間にアメリカ国内ではサブプライム問題やイラン・イラク・アフガニスタン・北朝鮮問題など、様々な重要案件もここまで先送りされてきました。
それだけに、アメリカ国民の新大統領・新政権に対する期待感は格別なのでしょう。投票率が上昇したことにも伺えます。

 アメリカ民主党のこれまでの政策を見てみると、どうしても内向きで保護主義のようなイメージを受けます。
以前の民主・クリントン、橋本政権の時代、アメリカの通商政策として、輸出品に関税を上乗せし、自国の産業を保護し、強行に日本製品をボイコットした苦い経緯もありました。
 ただ、日本企業はそれを契機にアメリカへ企業進出することで日本からの輸出比率を下げ、アメリカ国民の雇用捻出に一躍貢献するようにまで変貌を遂げています。
また、日本外務省幹部は、”同じ民主党のクリントン政権時代のような貿易摩擦は起きないだろう”と日米経済の先行きを楽観されているようです。米国の貿易赤字のうち対日赤字が占める割合は、1991年の50%超から2007年には10%程度まで低下しているとの事で、貿易摩擦の主役は既に中国へと変わっているのだそうです。
逆に、懸念材料は経済摩擦よりも日本への無関心の方が怖く、アメリカ民主党のアジア政策は中国に向きがちなため、今後日本は自国への関心をつなぎとめるためにも、グローバルな課題での日米連携を目指していかなければならないと視られているようです。

 しかしながら、日本国がどうしてもアメリカ依存からは抜け出せない”数々のしがらみ”も理解できるのですが、今回の金融危機に陥れた原因の一端はアメリカにあるため、それをいつまでも追従する日本国にも少々嫌気がさす次第です。
今回の潮流を読むと、結果的には、汗水流して真面目に働く尊い姿が大切であるという事がよく理解できました。
また、こんな時代だからこそ、節約志向の日本の価値も認められ、世界で日本買いが増えてきているのではないのでしょうか。
今こそ未来志向で世界に希望を与える国になってもらいたいものです。 
 オバマ大統領曰く、”Yes,we can!”ですね(^ ^)
2008年11月3日(月)
日本国際工作機械見本市 JIMTOF2008。
 先週の10月31日(金)、商社のご案内で日本国際工作機械見本市JIMTOF2008を見学してまいりました。
2年に1度の東京ビッグサイトで開催される見本市には、全世界596社の工作機械関連会社が勢揃いし、出展されます。
会場の運営規模だけでも半端ではないスケールなのですが、そこには各社自慢の最新鋭の工作機械が所狭しと展示され、各ブースはどこも人だかりで、大盛況だったようです。

 特に今回の展示で目立っていたのは、5軸制御の複合加工機械です。
近年、高速回転・高速送りなどの高速機全盛時代でしたが、それは既に過去の世界になっているようです。
今や、これからの花形加工機は、高速で尚且つ5軸制御のできる複合加工機で、形状がアンダーになっているような部位に対しても、テーブルが自由自在に動き、刃物の主軸も同時に動き、どんな形状加工も可能としているので、まるでアクロバット加工のようです。
これまで常識だった3軸加工が時代遅れに感じられるくらい、5軸加工のスピードインパクトは強烈でした。
今回、各主要機械メーカーの5軸複合制御開発は著しく進んで見てとれましたので、今後数年の間で随分進展していくものと思われます。
 しかしながら、ここ最近における世界的な景気減速感で、工作機械メーカーは水をさされたような感も否めず、見本市開催時期も不運なタイミングだったような気がします。
ただ、これまでの原材料高による高値水準が続いていた事を考えると、この景気感で正常価格に再度落ち着いてくれることは願ったりです。いつの時代も、良いものを早く安くは大歓迎ではないでしょうか。

 写真は、北広島工場に近い土師ダムの水位の様子です。今年の2月6日に写真をアップした時には水位が回復していたのですが、その後はこの有様です。
こんなに水位が下がっている様は初めて見ました(*_*;

    完全に川になったようです

  カヌー競技場も干上がりました
2008年10月25日(土)
元広島カープ監督 達川光男氏。
 今週、中四国職能大会で元広島カープ監督の達川光男氏がゲストとして招かれていました。
達川氏は、高校野球の名門・広島商業を経て、カープ現役時代に捕手として3度の優勝に貢献されています。
好リード・強肩・派手なパフォーマンス・囁き戦法などの個性派捕手でならし、現在も野球解説者として御馴染みです。
この日は、プロ野球界の裏話を様々な角度からしていかれました。

 今年のペナントレース中の巨人対阪神戦で、金本選手が頭にデットボールを受けた話をされました。
巨人の木佐貫投手の投げた球が頭部に当たり、通常は頭部の精密検査のため病院へ直行するのだそうですが、金本選手の凄いところは、ベンチで手当てしたあと直ぐに一塁にランナーに向かうほどの強靭な精神力を持っている事だそうです。
達川氏も現役時代、死球に見せかける名人芸で有名(^ ^;でしたが、さすがに頭部に当たれば選手生命のことも考え、絶対にレントゲンを受けに行くのが当たり前で、ご自身であれば間違いなくそうするそうです(^ ^;
また、金本選手の凄いところは、翌日に謝罪にきた木佐貫投手に対し、「俺は大丈夫だが、お前は大丈夫なのか?」と自分よりも相手投手を思いやるところだそうです。
実は、「お前は大丈夫なのか?」という言葉には奥深い意味があるのだそうです。
投手がビンボール(顔面や頭部への死球)を投げた経験をすると、ほとんどの投手がショックから立ち直れなくなり選手生命を終えるのだそうです。それは、インコースへ投げられないことが投手として致命傷だからそうです。
木佐貫投手もその後、一軍に復帰できずに苦しんでいるそうです。
達川氏の見解では、「恐らく木佐貫投手はもうダメでしょう」という厳しい現実を話されていました。
そしてすかさず、「例外として、東尾投手のようにインコースに当て喧嘩を売るのが趣味のような方もいましたが」と、つかみもしっかりとられていました(^ ^)
 また、長嶋一茂氏がルーキーデビューした年、達川氏と一茂氏との初対戦も愉快です。
達川氏は広島弁で、「お前が一茂か。親父が偉大じゃけえ、お前も大変ようのう。でもの、お前が親父に勝っとるところが2つある。教えたろうか。それは身体と顔じゃの」というようにバッターボックスの一茂氏に囁いていたそうです。
また、達川氏は「この打席、お前に打たしちゃる。インコースのストレート投げさせるけえ打てよ」と言いますが、信用していない一茂氏は見逃します。達川氏が「なにしよるんや。せっかく教えちゃったのに。打てや」というと、一茂氏は「ホントに来るとは思いませんでした。スイマセンがもう一球お願いします」と言ってきたので、リクエストに答えチャンスを与えたのだそうですが、結局一茂氏は打てずに凡退したそうです。
そして次の打席、今度は一茂氏から「達川さん。もう一球ラストチャンス下さい」とずうずうしく頼んでくる性格だったそうです。
と、いうような楽天的な一茂氏のようなタイプもいれば、気の毒なくらい考え込んで打てなくなる選手もいるので、相手をみて使い分けも必要だったそうです。意外なことに新庄選手などは後者だったそうです。

 プロ野球監督まで努められた達川氏ですが、自分の性格を「世界で一番気が小さい人間です」と言われていました。
高校時代から、周りの悪い誘惑があっても我慢する。目上の人の言うことは絶対守る。という繊細な性格を自負されておられます。また最後に、ご自身のこれまでの人生経験を総括し、「リーダーたるものは謙虚であれ」という言葉で締めくくらていました。
再度、スケールアップされた達川新監督も見てみたくなった次第です。
講演中の達川氏
2008年10月18日(土)
「赤めだか」。
 「赤めだか」は、2008年度の講談社エッセイ賞や、上半期エンターテイメントベスト1を受賞し、マスコミや各界で大絶賛の”落語家・立川談春氏”の著書です。
 談春氏が立川談志一門に入門してから真打に昇進するまでの前座生活が綴られており、毒舌・談志師匠の弟子に対する厳しく温かい親心が随所に散りばめられており、義理人情の世界で繰り広げられるホームドラマを観たような爽快感でした。
 入門のキッカケは、中学時代(世間が漫才ブームだっと頃)に初めて落語を聞きに行ったことだそうで、談志師匠の鋭く・新しく・危なく・激しい漫談を聞いて、そのオーラと独特の毒舌の面白さに驚いたそうです。
その時に談志師匠は、”落語の意義”を次のような漫談で語られたそうです。

 「あのネ、君達にはわからんだろうが落語って言うのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも成せば成るというのがテーマなんだな。一生懸命努力すれば必ず最後はむくわれますよとね。
 忠臣蔵は四十七士が敵を討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だよな。普通は四十七士がどんな苦労をしたか、それに耐え努力した結果、仇を討ったという美談で、当然四十七士がスポットライトを浴びるわけだ。
でもね、赤穂藩には家来が三百人近くいたんだけど、そのうち四十七人しか敵討ちに行かず、残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから拍手喝采だよな。そのあとで皆切腹したが、遺族は敬愛され親切にもされただろう。逃げちゃった奴等はどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。
 落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけない状況でも、つい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方が楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。
 客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆えらくなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来ているんだ。”落語とは人間の業の肯定である”。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだからこんな事は教えねェだろう。
嫌なことがあったら、たまには落語を聞きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな」

 というように、談志師匠は古典落語の伝統は尊重しつつも、あえて現代落語に一石を投じるようなスタイルを貫かれています。
また本の中では、日頃知られていない談志師匠の個性溢れる素顔の部分や、落語界の伝統・しきたりなども理解でき、大変興味深い内容に仕上がっております。
 放送作家・高田文男さん曰く、「直木賞でももらっとけ」と言われているように、大変温かい気持ちになれる良本です(^ ^)
2008年10月10日(金)
第3四半期までの社内取組み。
 今週の7日(火)、全社員による社内取組み発表会を行いました。
残すところ、今年もあと3ヶ月となり、取組み内容の効果もそろそろ見え始めてきております。
そして全般的に、どの取り組みにおいても努力した効果が見受けられます。
 4月10日付け日記において”第1四半期取組みで期待していた願い”がほぼ現実となってきており、特に製造部と技術部において軒並み100%以上の成果を上げてくれており、昨年までの覇者・設計部を大きく上回っております。
この団子レースの行方は、残り3ヶ月の最後までもつれそうな気配なので、社内的にも大変興味深くなっているところです。
まずは、実直に取り組みを行ってくれている各部の皆様に心より感謝する次第です。

 一方、この一週間で株価が大暴落しております。
日本株式市場も10000円台から8200円の水準まで乱降下し、これまで経験した事のない下げ幅に驚きを感じを得ません。
かつて、日本がバブル崩壊で経験した株価最安値(6800円ぐらい?)の水準までこれほど早く近づいていくとは思いもしませんでした。
今回の金融危機は、かつて日本だけが痛みを被った”失われた十年”とは違い、全世界が痛みを被っているような緊急事態だけに、そのレベルの大きさは桁違いなようです。
 早速昨日、ワシントンにおいて緊急G7中央総裁会議が開催されたようですが、日本からも中川財務大臣と白川日銀総裁が出席され、各国と事態の収拾に追われているようです。
議会の中でも、日本国は”失われた十年”により、世界に先立ってデフレ金融危機に直面し、既に金融改革を成し遂げていることなどで、世界各国から日本に寄せる期待も大きく、発言力もおのずと高まってきているようです。
いずれにしても、実体経済に大きな影響が出てこないうちに、世界各国で協調しながら事態の収縮を急いでもらいたいものです。

 そんな暗い話題が多かった中で、日本人のノーベル賞の受賞者が一度に4名も出ております。
「やりたい研究を楽しんだ」と言われているような謙虚な方々ばかりですが、長い年月を賭けて科学的な原理原則の確立から発明などを解明していくことは苦難の連続なのでしょうが、それをサラリとそっけないのが超人たる凄さなのでしょうか。
今回4名のノーベル賞受賞の快挙に、何事も基礎技術があってこその恵まれた社会であるということを再認識させられた次第です(^ ^)
2008年10月4日(土)
続・「とてつもない日本」。
 第92代麻生内閣が発足され、国会運営が既に始まっております。
麻生内閣は、小沢党首に対し明確な対決姿勢を示し、これまでのリベラル福田路線とは全くカラーを変えたようです。
 もともと保守本流・タカ派寄りの麻生さんは、日本文化を愛し敬意を表すという意味では、小泉・安倍外交路線に戻ったと言えそうです。しかし、国を愛するあまり、時折出てくる偏り気味な発言や靖国問題などについても十分な配慮をしないと、再び北東アジア諸国との関係には苦慮しそうな予感もします。
先日辞任された中山国交大臣なども、持論を通した保守派の宿命と言えそうですが、このような事を再び繰り返さないように慎重な運営をお願いしたいばかりです。

 さて標記は、麻生太郎氏の著書「とてつもない日本」です。2007年7月28日に既に日記を記していますが、今回はその続編を記そうと思います。
 麻生氏は、著書の中で”日本はとてつもない力をもった国である”と書き下ろされています。
「日本は不況・格差拡大といわれながら相変わらず世界第2位の経済大国で、貿易収支・経常収支ともに黒字なのは先進国のなかでは唯一日本だけだ。しかも犯罪発生率は最低、特許取得率は一番、外貨準備高も一番で、数字だけ見れば日本がとてつもない力をもった国であることは一目瞭然である。
かつて、イギリス人が”日本が不況だというのなら、その不況を輸出してほしいものだ”と言われるくらい、90年代バブル崩壊の日本ですら、”どこが不況なの?”というくらい日本の潜在能力は高いと思われている」
 また、自衛隊のインド洋給油活動やイラク(サマワ)復興での活躍のことについて次のように書かれています。
「日本の海上自衛隊は、甲板で目玉焼きができるような灼熱のインド洋でほぼ毎日、諸国と共同活動を行っている。洋上で船と船がぴったり平行に並んで走り、油を補給するというのは、きわめて難度の高いワザである。日本のそのワザは”ゴッドハンド”と呼ばれるほど高い評価をされている。
イラク(サマワ)でもイラク政府要人から口々に自衛隊員の士気の素晴らしさを称えてくれている。長期にわたった駐留の間、脱走兵・婦女暴行・無銭飲食といった非行は一切無しで、一人の犠牲者も出さず、一発の実弾を撃つこともなく撤収を完了したことは、野球で言えば控え目に言ってもノーヒットノーランくらいすごい話である。
また、フランス国防省が発行している”今日の軍隊”という機関紙に、”なぜ自衛隊は成功したのか?”という記事が掲載された。そこには、”自衛隊は軍服を着ているけれど、イラク人に人道復興支援のために来たことを確信させたのが成功した背景である”と記されている。自衛隊は部族の長に、根回しにまわり、今やってほしいことは何か?を丹念に尋ねて回り、要望を聞き出し、確実に実行した。そしてそれをイラク人と一緒にやった。すなわち人道支援とともにイラク人にも職を与え、技術を与えたことで地元の人に大変感謝された。立派な外交官として活躍してくれた自衛隊員はわが国の誇りである」

 麻生内閣成立後、早期の解散総選挙をもくろんでいた自民党ですが、急遽襲ってきたアメリカ金融危機のため経済対策を一番に考えて解散を一時踏みとどまった模様で、大変賢明な選択だったのではないでしょうか。
今後、世界的な景気後退局面も予想されるため、麻生内閣には大変厳しい経済運営が待ち構えておりますが、持ち前の経済通を活かして日本国民をグイグイ元気に引っ張ってていただける事を期待しております。
2008年9月30日(火)
混迷のアメリカ経済と麻生新内閣の誕生。
 先週末からの出張で日記をアップしておりませんでした(^_^;
 その間、サブプライム問題から端を発したリーマンブラザーズの経営破綻に始まり、AIG・証券大手・銀行大手への緊急資金出動や買収・合併など、アメリカ金融市場はついに一番恐れていた事態に突入したようです。
今後、アメリカ金融機関では淘汰が進んでいくことが予想され、世界経済への悪影響は避けられそうもありません。
 アメリカ企業の代表格であるGM・フォードにおいても一時、政府からの資金援助話がでておりましたが、突如襲ってきたアメリカ金融危機から世界大恐慌に発展する可能性も十分あるだけに、政府は莫大な資金が必要となり、もはやそれどころではなくなっているようです。
 これまで世界をリードしてきた強いアメリカの市場経済はガタガタと崩れ始めており、これから世界にどのような影響を及ぼしていくのか?実体のない金融市場経済とは、本当に恐ろしいものだとつくづく感じてしまいます。

 日本国内では麻生新内閣が誕生しております。(その傍らで元小泉首相が政界から引退されました)
元麻生セメントの経営者を努めておられたことなどから、自称経済通を自認され、経済の立て直しを一番の公約に挙げられており、「日本経済は全治3年」という表現で、次の第3段階での計画をされています。
 第1段階)景気対策。政府、与党の総合経済対策は、物価高、景気後退の直撃を受けた人々や農林水産業、中小零細企業、雇用や医療に不安を感じる人々に安心をもたらし、改革を通じて経済成長を実現するものだ。本年度内に定額減税を実施する。家計に対する緊急支援で、さらなる対応も弾力的に行う。
 第2段階)財政再建。国・地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を11年度までに黒字にする目標を達成すべく努力する。財政再建は手段。目的は日本の繁栄だ。経済成長なくして財政再建はない。日本経済の持続的で安定した繁栄を基本線として、財政再建に取り組む。
 第3段階)改革による成長。新たな産業や技術を生み出すことで需要と雇用を生み出す。規制、税制の廃すべきを廃し、改めるべきは改める。めどは3年。日本経済は全治3年だ。

 マスコミでは、麻生さんの政策を従来のバラマキ型と捉え、改革の後退だと声高に言っておりますが、現在のような景気後退局面において、痛んだ地方に対して、ある程度の景気刺激策は必要なように思います。
むしろ、そのような意思表示の薄かった福田さんにくらべ、自分の持論を強く決意表明しているあたり、久しぶりに芯の強そうなリーダーが登場してくれたような感も受けます。
公約にもある「明るい元気な日本」にするために、是非とも頑張って頂きたいと願っております。
 その新生麻生丸ですが、毎度恒例となった大臣(中山国交省)の失言から足を引っ張られ、またまた厳しい船出になっているようです。今回の中山大臣は確信犯なだけに、選んだ麻生総理にも見る目が無かったのでは?と言わざる負えません・・・。
2008年9月20日(土)
設備・治具開発における工程改善と安全活動。
 弊社ではプレス金型の設計・製作を主に手掛けておりますが、その作業工程間における段取り改善や、安全・環境改善にも積極的な活動を心掛けております。
今回は、その中の自社取組みの一部をご紹介致します。 

1)プレス品や金型の測定をするための”非接触3次元測定器”を利用するにあたり、3m四方の領域をX・Y・Zの3軸と、B・Cの2軸の合わせて5軸をリモコンレバーで操作でき、カメラの首振りを可能にした専用設備です。。
2)プレス品の反転装置で、プレス機械のロボット搬送間に配置され、ロボットから運ばれてきたパネルが反転装置上に置かれると、センサーが感知し、反転するような仕組みになっている専用治具です。。
3)10トン迄の重量物を搬送可能にした搬送用電動トロッコを構内に2機設置しています。リモコンの操作で前進・後進ができ、音楽と障害物センサーを装備しています。
  
  1)3m四方の領域が測定可能です       2)パネル反転装置              3)搬送用電動トロッコ

4)小型機械で500Kgまでのワークを切削する際、ワークの上げ下ろしを容易にした専用クレーン設備を設置しております。
5)プレス機械での挟まれ防止のため、安全対策として安全プラグキーを設置しております。
6)構内に2機の搬送用電動トロッコが走っているため、安全対策として死角場所への信号機を設置しております。
  
4)小型マシニング用専用クレーン設備   5)プレス機械専用安全プラグキー          6)構内信号機  
2008年9月13日(土)
佐賀のがばいばあちゃん。
 先日、得意先メーカー様の企業懇談会講師として吉本興業・島田洋七さんが招かれました。
挫折続きの人生を振り返られながら、1時間30分にわたり楽しく愉快に講演を聞かせていただきました。
「佐賀のがばいばあちゃん」は現在も全世界に広まり続け、1500万部を発行しているそうです。
洋七さんは、”この話はただの貧乏話で、昔では珍しくない普通の話なのに、わからないもんでっせ”と笑われてました。

 この本を出すキッカケとなったのは、タケシさんが絡んでいるのだそうです。
当時、ご両親の菊次郎さん・サキさんを題材としてブームを起こしていたタケシさんに、洋七さんが”うちの佐賀のばあちゃんの方が面白いわ”といってタケシさんにネタ話をしたところ、涙を流して大笑いしながら”おまえ、そのことをメモしていけよ”と言われたのだそうです。
それをキッカケに佐賀のお婆さんのネタを書き続けているうちに、今度は奥さんが”これ面白いじゃない。私が250万円だしてあげるから自費出版しなさい”といって捻出しくれたそうです。それを聞いたタケシさんは、”ばかじゃないかお前は。250万円はお前の稼いだ金だよ。騙されてるよ。ハッハッハッ”と笑いながら一緒に喜んでくれたそうです。
 それからなんとか初版までこぎつけ、タイトルは「ふり向けば悲しくなる」でタケシさん銘々で発行したのだそうです。
しかしそれが全く売れなかったため、今度は、”佐賀県だけで売れればいい”と狙いを絞込み、タイトルを「佐賀のがばいばあちゃん」に変更し、内容はまったく変更せず(余裕もないため)に再発行したところ、大当たりとなったのだそうです。
 洋七さんは、”自分はアホやから逆に偉いやつと違うアイデアが出る。普通に考えると、売れなかった本のタイトルだけを変えて出すことなんて考えないでしょ”と笑われていました。

 そのアホを自称されている洋七さんが言われていましたが、”話し合いの場にアホをいれた方がいい。その方が面白いでしょ。吉本は10人の話し合いに2~3人のアホを入れてアイデアを練る”と。(本当か冗談か分かりませんが・・・)
”アホと言えば坂田師匠と寛平師匠なんてほんまのアホでっせ。新幹線で前の席に座っている2人の会話を聞いていると信じられない会話をしている。坂田師匠が、’寛平腹へった’と言うと、寛平師匠は、’なんで~’と返し、それを聞いた坂田師匠も、’もうしらん’といって会話がそこで終わる。普通の会話では考えられませんで。”と次々笑いを提供してくれます。
 そういう洋七さんも、”自分はアホやから何も考えずにやり続ける。だから現在がある”と、アホの必要性を説かれてました。
サンマさんにも、”洋七師匠、漫才ブームはもう終わってまっせ。いいかげん気付きなはれ”といわれるまで漫才ブームの衰退を気付いていなかったと笑われてました(^ ^)

 などなど、色んな話をネタにしてしまう陽気な洋七さん。
本日の講演会もしっかりネタにされ、”これまで3971ヶ所の講演会を回ってきたが、たった120人の聴講数で私を呼ぶとはほんま贅沢な講演会でっせ。しかも女性が2、3人しかいない男ばかりの講演会も記憶にない。普通は女性がもっと多いので明るく笑ってくれるのに、おっさんばかりだと低い声で’ハハッ・・・’でっせ’。
また、通常のステージ上では、花瓶に花が活けて置いてあるものだが、水とコップしか置いていない講演会も過去2回ぐらいしか記憶にない”と、なんでも面白おかしく笑いのネタにされていました。
 最後に、ここまで山あり谷ありの芸人人生を振り返られ、がばいばあちゃんの教えは、”頂上はずっといる場所じゃあない。一度頂上に立ったら写真を撮って直ぐに降りてくればいい。そして、再び身を清めて出発すればいい”と。
苦境に立ったら素直に受入れ、何事も焦らず、多くの事を望むばかりが幸せな人生ではないという事を言われているようでした。 
2008年9月6日(土)
福田総理辞任。
 9月1日夜、突然の福田さんの辞任会見には驚かされました。
安倍前総理に続く一年余りでの辞任劇に、やり場のない虚しい気持ちになります。
福田さんは、日経新聞のインタビューで以前、次ようなコメントを言われています。
 「弟子の安倍晋三さんが辞めて、2、3日のうちに後継総裁を決めなければならないから、出てくれ出てくれといわれた。ここで断ったら政治家を辞めなければならないと思って責任感から引き受けた。逃げるわけにはいかなかった。それまで総理・総裁になろうと考えた事は一度も無い」と・・・。
もともと国会議員になられるような方々は、総理大臣になる志を皆もっていると聞いていましたが、このコメントがもし事実なのであれば、やりたくもないのに皆から背中を強く押されたので引き受けることになったと解釈でき、総理大臣になる覚悟も、志も、もともと持ち合わせていなかったということになり、その人選の手法自体に疑問符を感じを得ません。

 首相任期中の福田さんは、どちらかと言えばリベラル的な立ち位置でしたので、外交問題において足を引っ張られることもなく飄々と解散までの任期を全うするのかと思っていました。が、やはり問題は、民主党や与党内でのねじれ関係から国会運営もままならず、支持率も低迷したままで道も開けず八方塞になり、やりたいことも出来なくなってしまった感があります。 
首相として、解散総選挙という特権を行使をする手段もあったのでしょうが、現自民党政権では選挙で民主党に勝てるという保証もなく、政治・経済の沈滞も長引かせるわけにもいかず、結果的にはこの時期に福田さん自らが玉砕する事で風穴を明け、自民党を復権させる手段を選んだようです。
 個人的には任期までやり通してほしかったのですが、自力ではできないと早めに決断され、ご自身のプライド・立場をかなぐり捨て、国家・自民党の事を憂い、身を投じた事は、実は勇気のある行動なのかもしれません・・・。
しかしながら、国民のお手本となるべき総理大臣が仕事を途中で放りだす行為は当然許される事ではなく、社会や若者達にも良い風潮を与えない事は確かです。
どちらにしても、日本で最も影響力のある立場なのですから、何においても責任の重いのは当たり前だと思います。

 一方、自民党総裁選の後継者選びは熱くなってきております。
自民党の人材は、もう麻生さんのカードしか残っていないのかと思っておりましたが、続々と出馬の名前が挙がっております。
これまでの”きな臭い”候補者選びをしてきたのに比べると、今回は自民党もずいぶん自由な風潮に変わったように思います。
今後の活発な政策論争を期待しつつ、今度こそは国家・国民のために身を挺してでも自論を貫き、将来への希望を叶えてくれるような強い総理大臣を願うばかりです。
2008年8月30日(土)
設備・保全課の設置。
 夏期連休明けに組織の変更をとり行いました。
”設備・保全課”を設置することになり、技術部の配下となります。
人員は、課長・風本、ほか要員2名の計3名で対応をしてまいります。
”技術部 設備・保全課”では、各種産業設備・機械などの開発・設計・製作ほか、金型用設備・工場設備の製作や、工場内保全などがメインとなります。
新体制共々、今後とも宜しくお願い申し上げます。

 約2週間にわたり世界中の目を釘付けにしてきた北京オリンピックもあっという間に過ぎ去ってしまいました。
それぞれの競技結果においては様々な批評もされているようですが、勝った選手も負けた選手も、これまでの実力を認められオリンピックに参加できたこと自体立派な事ですし、勝負は時の運という事もあります。
次回のロンドンオリンピックでは、今回の貴重な体験を活かして、より成長した姿と感動ドラマを引き続き見せていただきたいものです。
国の代表として競技人生に賭けてきた選手達全員に対し、心の金メダル贈呈です。

 一方、オリンピック期間中の我らが広島東洋カープ。
12球団で唯一、星野ジャパンに誰一人も選出されることなく・・・、フルメンバーで密かに戦っておりました(^ ^;
そのせいあってか、3位中日の背中がそこまで見えてきてクライマックスシリーズの望みがまだ残っております。
今年は現広島市民球場の見納めになります。そのためチーム・広島ファンも例年になく盛り上がっており、なんとしても十何年かぶりのAクラス入りと日本一のメモリアルイヤーにしたいと切実に願っているのです。
がんばれカープ!勝て勝てカープ!

 早いもので、もう9月に入ってまいります。
お盆が明けてからは、広島地方も雨が多く涼しくなってまいりました。
ここのところ全国的に雨続きのため各地で被害が起きているようですが、広島でも川の水位が上がってきております。
太公望の方はそこを見計らい、早速竿を出しておられます(^ ^)
 写真は、北広島工場前(江の川)での「鮎の友釣り風景」です。

  この川は日本海まで流れ出ます

       鮎が掛かった絵

        鮎が釣れた絵
2008年8月22日(金)
どげんかせんといかん!
 標記は、お馴染みになった宮崎県知事・東国原英夫さんの言葉です。
破天荒だった芸人時代から考えると、今では想像もつかないような職業についておられ、その人生の変わりように大変興味をもっておりました。
東国原さんの著書「芸人学生、知事になる」では、一つの社会的あやまちが出発点となったところから、今日に至った経緯が克明に綴られております。
そして、この本の”前書き”を読んだだけで東国原さんの半端ではない自己改革に圧倒されます。

 現在に至る一つのきっかけになったのは、40歳を過ぎた芸人時代に未成年者を働かせていた風俗店へ出入りしていた事(いろいろな誤解があるそうです)をマスコミに叩かれ、結果2年間の長い謹慎処分を受けたことを境に、過去の自分を捨て、考え方を改め、生活を改め、精神と肉体を鍛えなおそうと決意したのだそうです。
 それから数年後の46歳のときには、奇跡といえるような”7つの顔”を持つハードな生活を送られています。
1)早稲田大学4年生としての顔。夜間の授業を中心に週6日通っていた事。
2)ランナーとしての顔。雨の日以外は毎日で月間300キロ(現在400キロ)を走っていたそうで、大学から帰宅したあと、午前零時から深夜の道を1時間半から2時間かけて約20キロの距離を走り、そのあと机に向かって勉強するのが日課になっていたそうです。
3)タレントとしての顔。謹慎処分後、月に10~15本のTVバラエティ・ラジオ・単発ドラマや、その各種取材や講演。東京以外での仕事も多かったので、東京と地方を往復しながら大学の夜間授業に出席(出席率80%)していたそうです。
4)フィールドワーカーとしての顔。卒論テーマ「地方自治と合併問題」のため、故郷の宮崎市と東京を毎月のように往復していた事。
5)次なる政経学部を受けるため受験生としての顔。4月から週2回予備校に通い、6月からもう一つ予備校に通い始めた事。
6)共稼ぎ夫婦としての顔。家賃・光熱費・子供の学費・自分の学費などの家計を支えていた事。
7)東国原家の主としての顔。家族4人が揃う団欒は毎朝の食卓しかないので、明方の4時くらいまで勉強をしたあと、2時間ぐらい寝て6時半に起床し家族で食事をとり、2人の子供を学校へ車で送るのが勤めだったそうです。勉強や仕事で追われて家族とのふれ合いだけは失いたくなかったそうです。

 そして東国原さんは次のようにまとめられています。
「僕は、自慢げに苦労話を語るつもりはない。僕が伝えたいのは、人間その気になればいつでも人生再構築できるという事だ。年齢は関係ない。40代の僕にできたのだから20代・30代の人たちはもっと飛躍できるだろうし、50代・60代の人たちも多くの経験を活かしてきっと僕より上手にできるだろう。 
僕は47歳のいま、最も早く走れるようになった。20代・30代の時よりも、いまのほうが早く長く走れる。記録はいまだ更新中だ。勉強の方も経済分析に必要な数学も外国語もまだいくらでも身につけられる。
もし僕の人生が進化や発展を終えるとしたら、それは僕自身があきらめた瞬間だ。あきらめない限り進歩し続けると僕は信じている」

 人生最大の挫折を乗り越え、再度人生をやり直したいという一心が、現在の宮崎県知事の職に結びついたようです。
テレビにでている東国原さんは、いつも明るい笑顔でそんな欠片も見せませんが、ここまでに至る超人的な過程をこなしていた事には心底驚ろかされた次第です。
東国原さんの40歳過ぎから始まった再挑戦という実話に、熱いパワーと共感を分けて頂けた良本でした(^~^)
 そういえば! 小生も2年前からランナーという顔をもっていたりしているのですが・・・(^ ^;
2008年8月8日(金)
原爆記念日。  **夏期休暇のお知らせ**
 毎年8月6日は広島市にとって特別な日です。
広島市の小学生・中学生も夏休み期間にもかかわらず、この日だけは登校日となっております。
各学校では、原爆投下時刻にあわせ全校生徒で黙祷を捧げ、その後、平和学習をする習慣になっております。
それが広島では当たり前の行事となっており、この日も各生徒さん達(小生の子供達も)は、暑い中をてくてくと寡黙に登校しておりました。

 この日は、偶然、弊社も月に一度の町内清掃活動日だったので、登校するする生徒さん達を横目に見ながら手早く清掃を済ませ、原爆投下時刻にはみんなで黙祷を捧げました。
 広島市では、原爆投下の8時15分になると1分間のサイレン音が広島市中に響き渡り、この間、市民の多くの方が目を閉じて黙祷をしています。
そして、1分間の黙祷中にいつも個人的に想う事があります。
それは、静まり返った沈黙の中で聞こえてくるセミの大合唱と、朝にもかかわらず最も暑い夏日に原爆投下がされているという事。
そんな中で目を閉じていると、セミの大合唱が過酷な出来事の象徴として感じられ、黙祷時はいつも心痛な面持ちになります。
 それでも今尚、第2次大戦戦勝国は常任理事国という大義名分のもと核兵器を開発・保持をしつづけております。
一体この抹殺兵器をどこに使おうとしているのでしょうか?
現在の常任理事国という枠組みには大きな欠陥がありますが、まずはこの常任理事国が核兵器を撤廃しない限り、イラン・北朝鮮などに口出しできる立場ではないと思います。
自国の利益を優先して考えるより、世界平和の事を本気で考えてくれる常任理事国であれば、先頭をきって核兵器を廃棄するべきです。
 広島・長崎でのみじめな惨状が、まだ世界のみならず、国内にも伝わりきれていないことが誠に残念でなりません。

 一方、今日からいよいよ平和の祭典「北京オリンピック」が開催されます。
中国は、これまで沢山の諸問題を抱えながらやっとここまで辿り着いた感がありますが、オリンピックは平和の象徴という名のとおり、安全で笑顔の耐えない組織運営を是非お願いしたいものです。

 **㈱イワサキ夏期休暇のお知らせ**
弊社の夏期休暇を8月13日から17日までの5日間を頂戴しております。
8月18日(月)から通常通りの営業となりますので宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、有意義な休暇をお過ごしくださいませ。

        平和記念公園

 正面から慰霊碑・原爆ドームを望む

         原爆ドーム
2008年7月30日(水)
気がつかなくて切断?
 広島地方では、東日本より一足先に梅雨も明け、夏本番真っ只中に突入しております。
近年、日本の夏は温暖化の影響からでしょうか?
従来の暑さとは違い、身体を締め付けるような体感温度に感じられるのは小生だけでしょうか?
 しかしながら、北広島工場においては中国山地の中ほどに位置しておりますので、広島市内に比べると暑さの質も違い、若干和らいでおります。
そのような中で、気温の下がる夕涼み時を利用し、草刈を単独実施いたしました。
5月下旬、既に一度実施しているのですが、2ヶ月間で雑草は力強く息を吹き返しております・・・。
その雑草根性に負けることなく、小生も雑草魂で負けじと刈り返してまいりました。

 草刈のペースも軽快になってきたあたりで、突然”ガリッ”という鈍い音。
その瞬間、水が噴水の如く1mの高さまで”ドクドク”と吹き上がりました。その水量は半端ではなかったので、内心「これは誤って水道管を切断してしまい大変なことをしてしまったようだ。こんなときはどうするべきかか?」などと、(時々、ニュースの画像などで水道管が破裂して報道されている光景が思い出され)一人で自問自答しながら一目散に電話口まで飛んで行きました。
 とりあえず町役場に連絡をすると、職員の方が駆けつけてくれる事となり強力な援軍にまず一安心。
それまでの間、じっとして居られず配管口を塞ごうと詰め物をしたり色々試みたのですが、その水圧は凄まじく原始的な発想は全く通用せず・・・。
その一方で、事務の女性陣が「水道の元栓らしき蛇口」を発見!その蛇口を締めると・・・、ピタッと止まりました(^_^;

 ホッと安堵したところ、切断したと思われる物体を見ると、それは水道管を止めている「蓋」で、その蓋は切断した形跡もなく、良く見るとノコ歯のキズが残っていましたので、おそらくそれはノコ歯の当たった衝撃で取れたものと推測されました。
 丁度そのタイミングを見計らったかのように町役場の職員さんがそこへ現れ、「やっぱりこの場所でしたか・・・。ここには昔、自動販売機が置いてあったため水道管を通していたんですよ。その後、自動販売機を撤去したので、簡易的な「蓋」に接着剤を付けて水道口を止めていたんですよ。」と。
なにはともあれ、一連の謎が解け「ホッ」と胸を撫で下ろせました。

 そのあとの水道口の後処理として、「会社の中に器用な人がいるでしょうから、とび出しているパイプの長さを道路の面位置まで削り、蓋に接着剤を付けてまた詰めておいて下さい」と言い残し、職員の方は風のように去っていかれました。
つかの間の出来事でしたが、自分の作業服はそれまでの激闘を物語るかのように水でビチャビチャになっておりました(>_<)
 その後は、安堵感と脱力感の交錯する中で再度気分を入れなおし、日暮れまで本日のノルマを成し遂げた次第です(^~^)v
2008年7月26日(土)
元巨人軍エース 西本聖さん。
 先日、得意先連絡会の講演会講師として、元巨人軍エース・西本聖投手が招かれました。
当時、怪物・江川投手や甲子園のスター・定岡投手と共に、巨人投手陣3本柱の中心的存在で、通算成績165勝128敗、最多勝、沢村賞、ゴールデングラブ賞8回などの輝かしい実績と、気迫を前面にみなぎらせた投球スタイルで野球ファンを魅了されてきました。
講演会の中では、ドラフト外入団から始まった歩みを踏まえて、苦悩・挫折・プロ野球での厳しさ教えて頂きました。

 愛媛の高校球児から始まった西本さんは、野球部から2度も逃げ出すくらい根性のないダメ人間だったと言われています。
その性根を叩きなおしてくれたは、お兄さんがくれた一冊の本との出会いからだったそうです。
身体障害者の方が書かれた本は、「生きたい」という内容のもので、西本さんはこれまでの五体満足でなんでもできていた自分の恵まれていた境遇を恥じ、ここを機転に積極思考に転じていったのだそうです。
 高校卒業後、ドラフト外で巨人軍に入団。この年、同じくして定岡投手も鳴り物入りでドラフト1位入団。
これまでに経験した事のない待遇の違いを目の当たりにし、競争社会の厳しい現実を知ることになったそうですが、それをバネに反骨精神を覚えたという意味では、逆に、定岡選手には感謝しているそうです。
 そして入団時、自分よりも優れたライバル達を見て、本当に自分はプロで通用するのだろうか?と自問自答していた頃、2軍の寮長から「球団は最低3年間は面倒を見てくれる」との助言があり、西本投手は最低3年間は保証してくれることにホッと安堵し、その間での成長を誓ったそうです。

 2軍での活躍が認められ、1軍に昇格したばかりの広島市民球場での広島戦。当時の監督は、1年目の長嶋茂雄さん。
西本投手は、マウンド上で恐怖感に苛まれ腕が縮こまりストライクが一球も入らず、降板を告げられたそうです。
 試合後、西本投手は監督室に呼ばれ、長嶋さんから次のように怒鳴られたそうです。
「なんで逃げるんだ!なにが怖いんだ!打たれて命がとられるわけではない!向かっていけ!真ん中に投げても打たれるとは限らない!ファインプレーがあるかも分からない!打たれてもそれが次への教訓になる!結果を恐れるな!勇気を持って向かっていけ!」と、続けざまの言葉を発されながら”げん骨”で20発殴られたそうです。
 この試合で西本さんは、”いくら頭でくよくよ考えていても行動しなければ何も意味を持たない”ということを、長嶋監督の鉄拳で教わり、ここからプロ選手として自覚が芽生え、今でも大切な財産として長嶋さんに心から感謝されているのだそうです。

 また、プロ野球は弱肉強食の世界で1チーム9人しかレギュラーは保障されていません。
同じポジションの選手同士はライバルであり、競争に負けるとチームから追い出される世界。
 そのチームの勝利やチームワークが最優先されるというのは当たり前の事ですが、プロ選手の本音は違うようです。
例えば、サヨナラヒットでチームが勝って喜んでいるなかで、同じポジションの人間だけは、勝利の裏で悔しがって歯をかんでいるのが現実で、西本投手も江川投手が打たれると、本音は”ヨシッ”と思い、”江川にだけは絶対に負けたくない”と、自分への肥やしにしていたのだそうです。
自分のポジションがなくなるということは、球界を去らなくてはいけない事になるので、チームの勝利よりもまずチーム内ライバルに勝つということが前提なのだそうです。
 反対に、”アマチュア野球や会社の方々は、生活が保障されており余程の事がないとクビにならないので、失敗しても互いにキズのなめあいになる。それがアマチュアとプロとの大きな本音の違いである”と、耳の痛い言葉で締めくくられました。

 他にも、江川投手とのライバル関係や不仲説の真相もあったりで、大変楽しく有意義な話しを聞かせて頂けました。
最後に西本さんは、コーチの重要性をおっしゃってました。
近年苦戦している巨人軍については、球団フロントの方向性もあるのだろうが、コーチの指導の質が落ちているため大変残念な結果になっている。ドラ1の辻内投手など有望な若手も肩を壊し潰れているのだそうです。
 そのような状況下、会場から西本コーチ待望論も挙がっておりました。巨人軍復建をかけて是非とも熱血漢・西本さんのユニホーム姿を期待したいと思った次第です。(小生は勿論カープファンですがプロ野球繁栄のために・・・ ^ ^;)
2008年7月17日(木)
原油高騰「大したことないよ」。
 表題は、日刊工業新聞で特集されていたウシオ電機会長・牛尾さんの言葉です。
牛尾さんは日本を代表する財界人であると同時に、政界とのつながりも深く、福田総理をはじめ歴代内閣のご意見番を務められており、いつも新鮮な発想で歴代内閣や聞く人を魅了し続けているのだそうです。

 ここ数日間、各漁業組合では原油高騰による不採算から漁のストライキに発展しております。日本人にとっては常に欠かせない食材なだけにこれからの漁業が心配です。その他、資源や食料の値上がり、経済の減速感、温暖化問題など、日本政府に限らず世界各国も多くの諸問題に直面しております。
 そこで、第1次石油危機を経験された数少ない経営者・牛尾さんへのインタビューからです。
「70年代の第1・2次石油危機はアラブ諸国が主因だったが、今回の石油危機は新興国の台頭から需要構造がより複雑になっている。かつての石油危機は一時的なものだったが、今回は構造的なもので、時間がたっても解消しない。これは資源や食料も同じ事である」
「しかし、当時の石油危機と今回を比べてみると、昔は情報が無かったためメーカーや商社が売り惜しんだり庶民が買いだめをしたことで物価狂乱を招いた。今はそういう懸念はない。それに当時の5~10倍であった値上がり率に比べると今回はまだ大したことはない」
「その石油危機後、欧米は代替エネルギーに活路を求め、日本は省エネの道を選んだため日本は世界で最もエネルギー分野で成功した国になった。そして、今後の温室効果ガス半減に対して日本の歩むべき道は、物質消費型の文明を時間消費型に切り替えていく事だ。日本は米国流の物質消費型を追いかけてきたが、それだけでは心の空虚さは埋められない。それを脱却する時に、経済は一時的に停滞し廃業率も高まるが、それは新陳代謝でもあり新たなダイナミズムの始まりでもある。”吾れ唯だ足るを知る”という日本文化に戻ればいい。それが出来たときに日本は世界の手本になる。アジアはこれから日本がどうするかをじっと見ている」
 
 以上、簡単ではありましたが日刊工業新聞から抜粋させて頂きました。
牛尾さんの豊富な経験から裏打ちされた洞察力からは、将来のあるべき姿・方向性を迷うこと無く断言され、経済評論家などの方々に比べ、より明快で言葉の説得力があります。小生のようなまだまだ経験の浅い世代には、勇気づけられる的を得た言葉が多く、また器の大きな人物像に魅力を感じる次第であります。
2008年7月12日(土)
洞爺湖サミット閉幕。

 7日から始まった主要国首脳会議は、9日で無事閉幕を致しました。
懸案事項だった環境問題では、主要8カ国と新興国との利害関係などに溝もあり、具体的な数値目標までは挙がらなかったようですが、各国の共有認識として「2050年度までに温室効果ガスを半減する」という事での合意となりました。
しかし、ここから先はG8だけでは解決できない諸問題も多く、今後は新興国や途上国を交えての仕組みづくりがより重要になってきそうです。
 また、今回のサミットでは、主要新興国の存在感や発言力が一段と大きくなっており、サルコジ大統領が初提起したようなG8枠の拡大枠が懸案課題となってくるような気がします。
 
 福田総理大臣も3日間の大役を終え、日本政府も自ら及第点を出しているようですが、果たしてどうだったのでしょうか?
これだけの首脳が集まり自国の利権を賭けた会議であるため、あいまいな合意というのはある程度予想していた結末ですが、ただ世界的なインフレ懸念・原油高問題やチベット問題など、議論不十分な点については残念な限りです。そして拉致問題についても、拉致家族会の声明を各国要人に理解してもらう大きなチャンスでしたが、福田総理の迫力不足は否めませんでした。
6カ国協議で拉致を譲れないと公言しているのであれば、どうにか主要各国を説得しようとの強気の覚悟で、横田夫妻のドキュメント映画「めぐみ」をサミット会場でセッティングすればと思っていたのですが・・・。残念です。
 
 今回のサミット議長国・日本政府は、世界各地の抱えている諸問題に対し日本国の役割を積極的にアピールするまたとないチャンスでした。同盟国アメリカを筆頭に、アジア・アラブ諸国との信頼関係や、ヨーロッパ諸国との価値観の近さなど・・・、これほど中立的で優位な外交のできる国でありながら、そのチャンスを活かせずにいるような感を受けます。
福田総理の慎重な性格や自民政権の不安定さもあり、政府は強気な言動も取れずに苦しんでいるのかもしれませんが、またとない桧舞台であれば、是非、歴史に残るような「洞爺湖環境宣言」ぐらいのアピールフレーズなどあれば良かったような気がしました。
勿論、G8各国の政府運営も日本とゴタゴタ似たようなものではありますが、日本においては安倍前総理から中継ぎ登板したような感のある福田総理の後、本当に国益に導いてくれる真のリーダーは現れるのでしょうか?いや、現れてくれないと困ります・・・。


環境取組みの一貫で、本社塀沿いで夕顔とゴーヤを栽培をしてくれております。

   ゴーヤが大きくってきました。
2008年6月26日(木)
「エースの品格」。
 表題「エースの品格」は、楽天イーグルス監督・野村克也氏が最近発表された著書です。
豊富な人生経験に裏打ちされた野村教本は、チーム(組織)のあり方を導いてくれる大変興味深い内容に仕上がっております。
 最初の”まえがき”より、良くある質問で「野球とは何か?」という問いに対し、「野球とは団体競技なのだ」という至極当たり前の言葉から始まります。その言葉には、野球に対する確固たる信念と、チームとしての勝利を目指して戦うという基本的な考えが込められているそうです。
 
 その上で、2007年セ・リーグ阪神対中日の首位攻防戦を例に挙げられています。
5対5の同点で迎えた9回表、2アウト2・3塁で、阪神ストッパーの藤川球児が中日主砲のウッズに対して、11球連続でストレートを投げ込み、執拗に速球を投げ込む抑えのエースとファールで粘る四番打者の対決に、プロ野球ファンの間で「シーズン最高の名勝負」として取り上げられ、最後の11球目をセンター前にはじき返され、阪神は大事な一戦を落としてしまいます。
 そこで、「野球とは団体競技でありチームの勝利こそが究極の目標である」という言葉にのっとれば、選手個人のコダワリなどその前では無価値であり、またバッテリーを組んでいた矢野捕手に対しても、変化球を投げればウッズは対応できない確率が高いという配球が分かっていたにもかかわらずその愚かな投球に加担した事は同罪である。
結果的にチームを優勝争いから遠ざけた投球は、野球の私物化であり、あまりにも身勝手な行為と言わざるをえない。投手はマウンド上では孤独な戦いを強いられるが、その背後には究極の目標を共に抱く「チーム」が存在する事を絶対に忘れてはならない。と、バッサリ言われています。
 また、自分が選んだ仕事である以上、レクリエーション感覚で取組んでもらっては困る。チームのために働けない人間が、世のため人のために報いることなどかなうわけがない。まずは仕事によって自分がいかに成長し、どうやったらチームのために生きていけるかを考える事。それがひいては豊かな人生へとつながっていくのである。
仕事を通じて人間は成長し、成長した人間が仕事を通じて「世のため人のため」に報いていく。それが人生というものではないか、この世に生まれ出てくる意味ではなかろうか。と、説かれています。
 その野村監督も、野球という仕事を通して己を磨き、人を育み、後進たちに「世のため人のために仕事に励め」と懸命に指導をしてきたそうです。その心底にあるものは、自分が生まれた日本国を愛する事。そして、「世のため」とは「お国のため」でもあり、それを含めた愛国心が私の行動原理を支える大きな柱になっている。チームに尽くす精神は、国を愛する精神とつながっているのである。と、愛国心を投げかけられています。
 
 企業もチームである以上、まったく野村監督の言われている通りで勉強になる事ばかりです。
弊社も人づくりではまだまだ課題も多く、お客様にご迷惑をおかけする事もございますが、コツコツとチームを育て、少しでもお客様のため世のため人のために貢献できるよう頑張ってまいる所存ですので今後とも宜しくお願い申し上げます。
 野村監督の言葉は、お茶の間でも”ぼやき”として毎度お馴染みになってまいりましたが、短い表現の中にも意味深で言葉巧みな上に説得力もあり、いつも楽しみにさせて頂いております。これからも日本野球界に限らず人生訓の重鎮として、いつまでもお元気で私達を厳しく導いていって欲しいと願ってやみません。
2008年6月21日(土)
M7の岩手・宮城内陸地震が発生。
 一ヶ月前の中国四川省での地震に続き、今度は東北地方で震度6強・M7の大地震が発生しております。
地震発生から既に一週間を経過しておりますが、まだ10名の行方不明者の方々がおられ、依然懸命の捜索活動が続いています。
災害の惨状から考えると、大変困難な作業となっていますが、一日も早く発見が出来ますよう心よりお祈り申し上げる次第です。また、災害で運悪く亡くなられた方々におかれましては、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

 ここ近年、大地震が各地で多発していることを考えてみても、いよいよ地震活動期に入ったのでしょうか。
まだ記憶に新しい阪神・淡路大震災がH7年に発生した後、H13年には広島地方にも安芸灘・芸予地震が発生し、H16年に新潟中越地震、H17年に福岡県西方沖地震、H19年にまたもや新潟中越沖地震、そして今年のH20年に中国四川省地震と、岩手・宮城内陸地震。いずれもM6~M8クラスまでの地震が頻繁に続いております。
このクラスの大地震が、東京・名古屋・大阪などの大都市部に直撃しないという保証は何処にもなく、逆に大きな活断層のある要注意地域だけに少々不気味な気もします。

 これらの多くの地震には、なにかの因果関係があるのでしょうか?
先日、弊社のMさんが興味深い資料を見せてくれました。そこには、”中国四川省大地震は自然災害ではなく、国家計画が引き起こした人災だ”という説が書かれています。
 その説は、中国を6300キロにわたり横断するアジア最大の河「長江」に、240キロにわたる(四川省~湖北省)世界一の「山峡ダム」を建設。(本体は2006年に完成しており、発電設備等の全ての完成は2009年予定)
ダムの規模は、総貯水量393億立方メートルで世界最大。これは日本最大の奥只見ダムの実に65倍の規模。そしてなんと、日本国内すべてのダム総貯水量のおよそ2倍もある規模なのだそうです。
そのような「三峡ダム」に対し、完成前から内外の地質学の有識者達から”水量393トンの重みは地質構造にどんな影響を及ぼすのか計り知れず、3年以内に四川省は大地震に見舞われる”などと懸念をされていたようなのです。

 この「山峡ダム」が、日本の地震と直結しているかどうか?ということについては何とも言えませんが、人間が都合のいいような環境を作り出し、自然破壊を繰り返している事は、少なからずとも様々な悪影響を及ぼしている周知の事実。
環境問題の話題もここ数年間で活発になってきてはいるものの、まだまだ先進国と後進国での考えにも隔たりがあり、これから解決していかなければならない問題は山積しています。が、まずは国や他人任せにせず、自分発で一人でも出来る事から取り掛かっていく必要があるのではないでしょうか。 
ちなみに小生、買い物にはマイエコバッグ持参で小さな貢献をしながらポイントも溜めております(^ー^)v

     紫陽花(本社玄関前)

 広島市民球場の経過(新幹線内から)
2008年6月13日(金)
セパ交流戦を観戦。
 8日(日)、広島東洋カープ 対 福岡ソフトバンクホークス戦のデーゲームを子供達と観戦してきました。
息子とは数回観戦しておりますが、今回は下の娘からの強い要望での野球観戦となりました。
突如熱狂的なカープファンに変貌した娘は、いつもテレビにかぶりついて応援をしているほどです。

 外野自由席の観戦でしたので、ライトのカープ側は満席と睨み、レフトのソフトバンク側に潜り込みました。案の定、レフトフェンスから2列目の特等席が確保でき、ホームランボールも飛んできそうなベストポジション。
ただ・・・、周りは8割方が黄色一色のソフトバンクの応援団ばかり。セリーグでは聞いた事のない一種独特の応援に圧倒されました(*_*;
しかし、子供達にはそのような空気は関係なく(というかKY)、お構いなしにライトのスタンドのリズムに合わせて応援をしておりました(^ ^;
 そしてなんと!カープの石原選手の一撃がレフトスタンドの私達3人のほうに向かってくるではありませんか!!グラブを用意していた小生は伸び上がって手を伸ばしました!!! が、届かず・・・。2列後のご家族のお父さんがゲットされ、我を忘れ目を真ん丸にして興奮した表情が印象的でした(^ ^)

 試合結果の方はというと、懸命の応援も虚しく4対8で完敗。昔から、人気のセ、実力のパというだけあってやはりパリーグは強い。
そんな試合経過の中で、福岡からわざわざ応援に駆けつけていた前列のソフトバンクファンご家族が興味深い話をされていました。
 「野外球場での応援は気持ちがいいなあ」「天然芝が綺麗だなあ」「歴史を感じる野球場らしい球場で味があっていいなあ」「選手との距離感が近く、メッセージを送ったら初めて松中選手が手を振ってくれた」「広島の本場スクワット応援(交互に立ったり座ったりしての応援)の迫力に感動した」などなど、また初めて野球観戦した娘も、「どうしてこんないい球場を壊すん?」など。ハイテク満載の福岡ドームでは感じられない、昔ながらの年代球場の良さもあらためて再認識できたような気がします。
その福岡のご家族は、今年最後になる広島市民球場の風景や応援をビデオカメラにしっかりと録画されておられました。
 
 昭和50年以前のお荷物球団と呼ばれた時代から、初優勝を境にカープ黄金時代を経て、現在に至るまで、数々の名場面を作ってきてくれた広島市民球場。
本当に長い間お疲れ様でした。そして有難うございました。という気持ちで一杯です。
今シーズン後は寂しくなりそうですが、来年春にはいよいよ新球場がお目見えします。
これを境に是非カープには強くなってもらいたいとファンは願っています。いや、カープはきっと生まれ変わるはずです!
がんばれカープ!勝て勝てカープ!
 
 カープラッキーセブンの風船飛ばし    ソフトバンクラッキーセブンの風船飛ばし

   ライトスタンドのカープ応援団

    広島市民球場正面を望む

     ソフトバンクの松中選手

      外野席は超満員
2008年6月6日(金)
日本、環境・エネルギー分野で世界を圧倒。
 標記は、6月4日の日刊工業新聞”ものづくり日本力特集”記事での見出しです。
特許出願からみた日本企業の実力ということで、7月の北海道洞爺湖サミットを意識し、環境やエネルギーに焦点が当てられています。
 
 環境・エネルギー分野においては、日本勢が他国を圧倒しており、世界の出願件数5テーマすべてで日本がトップを占めております。欧州に比べディーゼル後進国の日本ですが、排ガス低減を含めた技術は欧州に20パーセント差をつけてトップ。また、新たなエネルギー源として期待されている”夢の資源メタンハイドレード”は、日本周辺海域が世界最大級の埋蔵量を誇っており、その天然ガスを回収・製造・輸送・貯蔵する技術において米国勢を40%引き離しております。他にも、自然界に存在する化合物を冷媒に用いて加熱冷却する技術”エコキュート”においては、出願件数83%で米国の5.8%を大きく引き離し独壇場。ヒートアイランド対策技術、廃棄物や汚染土壌の処理技術も他国を約50%引き離しております。

 ものづくりや情報通信分野においては、依然優位性を誇っており、やはり5テーマすべてで日本がトップを占めております。半導体の機械加工技術・電子ゲーム・バイオメトリック照合の入力と認識・光伝送システム・カラオケ関連技術において他国を引き離しております。
中でも、日本発のカラオケ関連技術はコンテンツやネットワーク配信など幅広い関連技術が含まれているようで、7技術区分すべてで日本が60%以上のシェアを占めるそうです。

 今後も世界の人口が増え続けるなかで、資源の奪い合いが起こり、そこからの地球環境悪化が大きな問題となっていますが、日本においては、もともと資源が乏しい上に、今後は人口が減少に向かうという、世界の潮流とは逆に向かっております。
そのような時代背景の中、人類が直面している諸問題に、これまで日本人の生きてきた様々な知恵や工夫・技術が、大きく役立ちそうな局面が来ているのではないでしょうか。
 来月、いよいよ先進主要国洞爺湖サミットが開催されます。
議長国である日本は、環境・エネルギー立国として存在感を大きくアピールするチャンスだと思いますので、得意分野の領域で思う存分にリーダーシップを発揮してほしいと願っております。
2008年5月28日(水)
梅雨期を迎える前に!

 山の木々や周辺の緑も茂り始め、そろそろ梅雨を迎える時期が近づいてまいりました。
夏本番と梅雨期を迎える前に、先日、8名で工場周辺の一斉草刈りを実施し、工場敷地内から事務所前・社宅・駐車場・周辺通路沿いや川土手までこざっぱりと清掃致しました。
実は来月、ISO9001と14001の統合審査もあったりもしますし・・・(*_*;

 今回は、最近撮影したスナップ写真からです。
 1)イワサキ本社玄関前のサツキです。いつも岩﨑会長が手入れをされているお蔭で、毎年見事な花付きをしてくれます。
 2)北広島工場横の川土手です。この土手斜面と川は高低差があるので、草刈時には要注意なのです。
 3)北広島工場横にある小麦畑です。毎年、お米を作られているのですが、昨今の小麦需要の急激な変化からでしょうか・・・
 4)鉄人・衣笠幸雄氏の連続試合出場世界記録のモニュメントです。広島商工会議所に出かけると隣が広島市民球場なのです。他にも津田投手の「弱気は最大の敵」の記念碑があることを期待したのですが、そういえば、あれはリリーフブルペン場の柱に津田プレートが刻まれており、ピッチャーが登板前に手を当ててお祈りして出て行くことを思い出しました。
 5)シンガーソングライターの原田真二氏です。お店で運良く鉢合わせだったので、お話をさせてもらい名刺交換までして頂き、感謝感激でした。現在、郷土の被爆地広島から歌で平和活動の展開をされています。これから、広島・東京・ニューヨークでピースコンサートを開催されるご予定だそうで、視線の先は世界の恒久平和を見据えておられました。お人柄も優しく・ご謙虚で尊敬に値するご立派な方でしたm(_ _)m
 
    4)衣笠幸雄氏のモニュメント    5)シンガーソングライターの原田真二氏


  1)イワサキ本社玄関前のサツキ

    2)北広島工場横の川土手

    3)北広島工場横の小麦畑
2008年5月22日(木)
ミャンマーと中国で大災害。
 5月に入り、ミャンマーと中国において未曾有の大災害が発生しております。
大型サイクロンが襲ったミャンマーでは、死者・行方不明者13万人とも言われ、一方で中国を襲ったM8.0の大地震では、死者4万人・行方不明者3万人という推定被害が出ています。
 自然が引き起こす大災害の前では、あらためて人間の力は非力で、容赦なく罪の無い尊い命を奪っていってしまいした。被災者方々におかれましては、さぞ無念でやりきれない事だと思われます。私達は災害現場から遠くはなれ、現地の苦しみをマスコミを通してでしか触れることが出来ませんが、一刻も早く救難・救援・救助が行き届き、一日も早い平治への復帰を心よりお祈り申し上げる次第です。
大災害で不運にも命を落とされた多くの方々に対しまして、謹んで哀悼の意を表しますとともに、残されたご遺族方々にも心よりお悔やみを申し上げます。

 近年、世界各地で異常気象が起きており、地震・台風・干ばつ・熱波・寒波・大雪・大雨など、どこかで災害が起きています。
これも、人類が進化してきた結果、自ら招いた地球温暖化や自然破壊が原因だと言われていますが、今後も世界人口は増え続ける傾向にあり、先進国・後進国とも我先にと豊かさを求める中、ますます資源・エネルギーの枯渇で環境破壊に拍車が懸かってきそうです。
地球内のバランスが崩れてきている中で、人類は大変難しい岐路に立たされていることは間違いなさそうですが、今後に向けて世界各国がおごりを捨て、豊かな自然と共存できる思いやりのある社会の実現に向け、日本も洞爺湖サミットにおいてしっかりと主導権を発揮して欲しいものです。

 それにしても、ミャンマーのサイクロン災害のほうが中国の地震災害よりも遥かに大きい規模であるにもかかわらず、マスコミの取り上げる量は中国の方が断然多いことに疑問を抱きます。被害の大きさと国力を天秤にかけてもミャンマーの方がより深刻な状況であると推測します。ミャンマーの軍事政権による独裁国家という困難はあるようですが、こういう時にこそマスコミの情報力をフルに発揮し、一刻も早い人命救助が出来るように世論を動かして欲しいと思うのですが・・・
2008年5月12日(月)
中盤戦のスタート。
 大型連休もあれよあれよという間に終わり、いよいよ中盤戦のスタートとなりました。
休暇でのエネルギー充電も整ったことで、気分一新で日常業務に再び励んでまいりましょう。

 ゴールデンウィーク中は皆様、如何お過ごしにされましたでしょうか?
広島地区では日和にも恵まれ、広島フラワーフェスティバルも過去3番目の人出だったようで、好天が各行楽地の人出を後押ししたような感があります。
 わが家も、日帰りで広島県福山市の”鞆の浦”に出かけてまいりました。
江戸時代から今も残る「常夜灯や古い町並み」、鞆の浦と仙酔島の海峡間で繰り広げられる「鯛網」。
また、坂本竜馬の海援隊で有名な「いろは丸」が、徳川幕府の船に当逃げをされ、海援隊が幕府に対し日本で初めて海難裁判を申し立てた場所としても有名です。常夜灯近くの歴史博物館にはその当時の重要品が展示・説明がしてあるはずです?(残念ながらわが家は博物館を覘けておりませんが・・・(^_^; )
鞆の浦は歴史の佇まいを今も残しながら、瀬戸内海ののんびりした風情も楽しめる和みの空間でした。

 連休中に”心温まるひょんな出来事”もありました。
自宅から車を出そうとしている時、御夫婦で散歩されていた男性が駆け寄ってきて挨拶にこられました。
男性の方は、近所に住まわれておられるRCC中国放送のEアナウンサーでした。
 Eさんは、わが家を懐かしそうに見上げられながら、「岩﨑さんのご自宅を建てた大工の棟梁をしていたのが私の曾祖父なんです。昔からの家が少なくなった中で、今も大事に家を使っておられて嬉しく思っております。古い家を今後も是非残していってください」と感慨深くお話をされました。
わが家は、原子爆弾も浴びておりますが、宮大工が組んだ大黒柱は頑丈でビクともしなかったと話は聞いております。ここまでの地震にも負けずに頑張ってくれております。そういう意味では、丈夫な家を建てていただいたEさんには感謝の気持ちで一杯です。また、家という作品を通して、大工さんの末代のご家族までもが今も懐かしく見てくれていることに驚きました。日頃、家への有難さなど忘れおりましたが、父母の後を引継ぎ家を大事にしてまいろうと、あらためて再認識した次第です。
2008年5月1日(木)
5月2日~6日までの5日間休業させていただきます。
 弊社では、明日からの5日間を黄金週間として休業させていただきます。
5月7日(水)より、通常通りの営業に戻らせて頂きますので、ご容赦の程を宜しく申し上げます。

 黄金週間中は、各地とも好天に恵まれそうな予報が出ております。
春の清清しい陽気の中で、皆様にとられまして有意義な休暇となられますように心よりお祈り申し上げます。

 ただその一方で・・・、連休を前にガソリン価格の再値上げが1日より始まり、楽しみにしていた行楽に水をさしたようなた格好になってしまいました。広島でも、1リットルあたり161円まで大きく値上がりしております。この一ヶ月、世間を混乱させた茶番劇はいったいなんだったのでしょうか?
 参議院での民主党勝利に始まったねじれ国会から、政治が混迷を極めており、結論の出ない堂々巡りにウンザリ気分です。
こうしている間にも血税は流れ続けているわけで、両党の権力争いは今は取りあえず置いておいて、国民から預かっている税金の無駄遣いを食い止めるために、両党で一致団結した議論を交わし、一日も早い官僚政治からの脱却を実現してほしいと願うばかりです。
そう考えると、ねじれる前の途中で立ち消えになった大連立の話も悪い話ではなかったような気もします・・・
いずれにしても、実態にそぐわない暫定税率を見直し、道路特定財源を一般財源化に向けるという政府新方針のもと、より明朗で未来に向けて希望の持てる制度改革をお願いしたいものです。

  北広島工場の八重桜は紅白です
2008年4月24日(木)
どうなる日本経済。
 という事で、広島商工会議所主催の講演会が開催されました。講師の方は業界でも著名な”びとうファイナンシャルサービスの尾崎社長様”が招かれていました。
この日は、ちょうど日本各地の日銀景気短観が発表されたばかりで、そこでは景気の踊り場から下降局面にあるとの発表がされていました。広島でも、景気の下方修正がされていました。
 そのようなタイミングの中、尾藤先生が講演会の始めに出席者に対しアンケートを取られました。
アンケートの内容は、現在の景気が「良い・悪い・どちらともいえない」の3つの質問に対し挙手をしてくださいというものです。
その結果、なんと「良い」という挙手はゼロ。「悪い」という挙手が7~8割、「どちらともいえない」という挙手が2~3割という結果でした。また、「1年後の業況予測はどうか?」という質問も、現況と同じ割合でした。
様々な業種の経営関係者方々の挙手なだけに説得力がある一方で、予想以上の景気減速感を感じた次第です。

 講演会のほうでは、日本の2006年一人当たりGDP世界シェアは9.1%で先進国中下位に位置し、2000年度の2位から18位まで後退しており、1994年のピークから半減し1980年代の水準にまで戻っているのだそうです。
 その背景としては、バブル崩壊を発端とした世界グローバル化の波への立ち遅れから始まり、投資家が日本市場に嫌気をさす原因としても、閉鎖的で外資を受入れない企業体質・官僚支配による規制緩和の遅れ・自公政権の改革意欲の後退とねじれ国会による政策運営の停滞・人口減・高齢化に対する市場縮小など・・・、原因を挙げればきりがないようです。
 今後の日本に必要なことは、イギリスの鉄の女こと元サッチャー首相の改革をお手本にすべきだと言われています。
当時のイギリスは、官僚や規制が蔓延り国家衰退に瀕していた情勢でしたが、鉄の意志の如く、国営企業の民営化に始まり、金融規制緩和、外資企業の積極受け入れなど、血を見る改革を次々と押し薦め当初は売国行為だと叩かれていたサッチャーですが、現在では15年連続成長している国家に変貌しています。
まずはサッチャーが改革の種まきをして土台を作った上で、その意思を引継いだブレアが花を咲かせたようなシナリオになっています。そしてそのポイントは、サッチャー・ブレアと続く長期政権だから出来たとの事で、ちなみにブレア首相は11年にわたる任期を全うされています。
 日本はといえば、小泉改革の後、安倍さんが退陣。そして福田政権ではねじれて改革も後退しております。小泉さんにもう5年ぐらい預けていたほうが今よりはましになっていたような気もします。これからいったい誰に国を託せば良いのか?まだ自民にも民主にも適任者が見当たらないような気がします・・・

広島商工会議所の隣にある広島市民球場も今年限りでの見納めとなります

    八重桜は今が満開です
2008年4月17日(木)
北広島町は桜が見頃です。
 写真を撮ったのは14日(月)になりますが、北広島工場と土師ダムは桜が見頃になっています。
今年は、晴天の中での桜の写真撮影ができましたのでご覧になって下さい。
 また、大阪出張に行った際に、道頓堀の「くいだおれ」が閉店するとの事でしたので、仕事の後、”くいだおれ太郎”を撮影してまいりました。大阪の名物人形だったので無くなるのは大変残念ですが、この後良い引き取り主が見つかることをお祈りします。
しかしながら、写真のように道頓堀は相変わらず賑やかで各店の宣伝や看板の大きさにも圧倒され、ちょっと他都市では見られない大阪特有の文化を感じさせます。
 大阪から広島まで帰りの新幹線内からは、来年春完成予定の新広島市民球場の建設経過を撮影致しました。やっと球場の形が見えてきている段階のようですが、これから急ピッチで形が出来てくることが楽しみになってきそうです。
 
       土師ダム公園                両側に桜並木道路

 
  7月8日までの”くいだおれ太郎”           道頓堀の看板

道路側から北広島工場事務所を望む

  事務所前駐車場の桜じゅうたん

   新広島市民球場の建設模様
2008年4月10日(木)
昇進人事と2008年度計画の発表会。
 7日(月)の全体集会では、昇進人事と本年度計画の第1四半期発表会をとりおこないました。
 昇進人事につきましては次のとうりです。
浜田浩二が技術部部長代理から技術部部長に。
三浦一哉が技術部課長代理から技術部課長に。
風本孝行が設備保全・開発室室長に。
 今後に向けて、より多くのサービスがご提供できますように、4月よりの新体制と相成りました。
顧客先様におかれましては、何卒ご理解の程を宜しくお願い申し上げますとともに、新体制で至らない点がございましたら御遠慮なく各責任者までご指導・ご指摘をお申し付け下されば誠に幸いでございます。

 本年度計画の発表会につきましては、いつものように各部より施策状況の経過説明がありました。
その結果、ここまでの第1四半期は各部ともまだ顕著な結果は出ておりませんでした。
 しかしながら、今後大きく動き出しそうな予感と期待も感じさせ、特に製造部と技術部では第2四半期中に新設備も加わり、その効果は数字として着実に現れることが予想され、やり方次第では好結果を生んでくれると期待しております。というか投資分は結果を出してくれないと困るのですが・・・(^ ^;
 二年連続ディフェンディングチャンピオンの設計部に対し、今年は間違いなく製造部と技術部の巻き返しが期待されますので、是非とも高いレベルでの競い合いとなるように切に願っている次第であります。

 写真は、広島駅方面から見える桜並木の続く「黄金山(山頂からは広島市内と瀬戸内海まで一望できます)」です。弊社はその「黄金山」右麓辺りに位置しております。
もう1枚は、北広島工場近くの土師ダム付近にある、毎年楽しみにしている枝垂桜です。

   広島市内を一望の「黄金山」

毎年見事な花を咲かせてくれる枝垂桜
2008年4月5日(土)
新学期・新入学・新入社と桜の開花季節。

 あっという間にもう4月です。これから新学期・新入学・新入社などの新しい人の動きや新たな期を迎えると共に、春の到来を感じさせる桜も咲き始め、日本人にとっては大切な節目の時期であり、また最も華やぐ初々しい季節ではないでしょうか。
 弊社にも4月1日より、本社に中丸さん・工場に倉本さんの2名の仲間が新しく加わってくれました。一日も早く会社の雰囲気に慣れて、これからお互いに助け合いながら共に成長してまいりましょう。宜しくお願い致します。
 また広島市内では、今週末から来週にかけて桜の開花が本番になりそうです。いつもの事ながら北広島工場ではその一週間遅れぐらいとなりましょうか?いずれにしても今週末からは花見客が増え賑わってまいりそうです。弊社も7日(月)は花見イベントの日となっておりますので、この日ばかりは夕方からゆっくりくつろげそうです(^~^)

 一方、政治・経済の話題では、ついにガソリン暫定税率の期限切れから、前代未聞の大幅なガソリン代の値下げが始まりました。広島でも1リットル約150円であった価格が、123円くらいまで値下げしてあるスタンドも出てきました。
一見、我々消費者にとっては大変有難いことではありますが、そのぶん各県の大幅な財源不足が発生し、このツケをあとかぶるのは私達国民となるので、ここは早急な決着を図らないとあとで大変な事態になることは否めません。
また、期限切れの日本銀行新総裁についても、依然前代未聞の空席状態が続いております。
 参議院で過半数を制した民主党は、ねじれ国会を生み自民党の独断政治にストップをかける役目となってきてはいるようですが、今の現状は総理大臣と与党が国を統治できていない無政府状態となっており、この異常な事態には民主党にも大きな責任があります。
今月11日からのG7中央銀行総裁会議や、7月からのG8洞爺湖サミットが予定されているにも関わらず、このありさまでは国益を損ない日本パッシングを受けかねない模様です。
 こういう時にこそ自民・民主の代表者同士に判断を委ね、問題解決に手を取り合って徹底的に議論を交わしリーダーシップを発揮してほしいと思うのですが・・・ その際、もちろん党の利権より国民の利権を最優先に、良いところは取り込み、譲るところは譲りあい、お互い妥協する勇気もあれば国民の大半も納得してくれるのではないでしょうか。
一日も早い大人の決着を果たし、私達国民を安心させてくれるような政治を切に願ってやみません。

 右の上2枚の写真は、既に満開だった関東地区の桜の写真です。
一番下の写真については、高所恐怖症の小生にとってあまりにも衝撃的な光景だったので激写した次第です(*_*;


      都会に佇む枝垂桜

   かなりの年月のソメイヨシノです

    鳶職方の見事な仕事ぶり
2008年3月29日(土)
交歓剣道大会。
 毎年この時期になると、小生の二人の子供達が所属している剣道クラブ主催の交歓剣道大会が催されます。
上のほうは、今日が小学生最後の試合のうえ、この日ばかりは近くの小学校体育館が試合会場となるので、祖父と祖母も一緒に応援に駆けつけました。

 まず、試合に先立って主催者の挨拶から始まり、指導者の方や審判説明などが子供達に説明されます。
その光景の写真を撮りましたので右写真を見てください。指導者の方々が横一列に襟を正して立ち、子供達は正座で背筋を伸ばし、指導者の説明を一生懸命聞いています。いつもながら見事に統率された上下関係を見て思わず写真に手を取ってしまいました。
昨今、風紀の乱れている大人社会にあって、まだ人格形成されていない真っ白な子供達に武道を通して礼儀作法を教育して下さっている指導者の方々には心より感謝申し上げるとともに、この子供達がこれから先も真っ直ぐで誠実でやさしい人間になり、早く社会で貢献してくれる日を心待ちにしている次第です。
また、武士道精神にある、年長者を敬い、威張らず、弱者をいたわるような素晴らしい先人の教えは、これからの学校教育で是非とも必要な教育であると感じました。

 交歓試合の結果はというと、安佐南区のクラブが格段の強さを見せ、4賞のうち3賞を総なめにし、主催クラブが1賞もぎ取りました。
小生の二人の子供達も一生懸命頑張っておりました。上のほうも、最後まで勝ち残る事は出来ませんでしたが、これまで挫けそうになった時期を乗り越え、成長を感じさせる剣道を見せてもらって頼もしく感じました。
下のほうは、まだまだ初心者のクラスなのでこれからですが、小さいながらも小5の大きい相手と対戦して、堂々と渡り合っておりました。
普通のスポーツでは考えられない事ですが、剣道では身体の大小に関係なく、「心技体」が揃わないと一本を取ってくれません。そういう意味では経験がモノをいうスポーツであり、そこが剣道の面白さなのでしょう。
 
 この日は、無邪気な子供達が一生懸命戦い、喜び・笑い・泣き・悔しがり・怒られている光景を見て、新鮮な空気を分け与えてもらいました。いつも全力投球で頑張っている子供達に豊かな未来と幸運が訪れますよう心より応援しております。
また、小生もそれ以上の後姿をみせて、子供達の良い見本であれるように頑張らねばならぬと肝に命じておきます。

        大会開会式

     先生の話を聞く子供達

       下のほうの試合
2008年3月18日(火)
ふくやまマラソン完走。
 16日(日)ふくやまマラソン大会に参加してまいりました。
2月に親指の負傷をしておりましたが、どうにかこの日に間に合い10kmコースへの初挑戦となりました。
 前回初参加の宮島マラソンよりも随分規模の大きい大会で総勢5000人が参加されていました。色々なコースがあり、ウオーキング・ファミリー・2.5km・3km・5km・10km・ハーフなど、お手軽に誰でも参加できるコースもあります。中でも10kmコースとハーフコースは日本陸連公認となっており、なかなか本格的なレースになっております。

 小生の出場する10kmコースは年代別関係なく900人がエントリーしていました。前回の宮島マラソン大会では年代別競争だったので順位にはまずまず納得していたのですが、今回は年齢には容赦なく横一線の競争なので果たして自分の実力がどのレベルにあるのか興味津々でした。
 結果として、タイムは50分29秒で順位は284位でした。半分以内に入り、タイム1時間を切ることが目標だったので、10km初挑戦にしてはまずまずの出来でした。ちなみに優勝タイムは男子が35分くらい、女子は45分くらいだったと思います。
 それにしても初出場してつくづく思いましたが10kmの長いこと。中間地点の5kmに到達するまでにまず挫けそうになりました。中間地点までのタイムが丁度30分くらいだったので10kmで最初約1時間のペースでした。
このままではいかんいかんと思い、折り返してからは意識してどんどんピッチを上げていきました。そうすると日頃の愛犬とのトレーニングのお蔭なのでしょう。それから足は全く疲れることなく、面白いように次々と前走者を抜き去っていくことができました。後半のペースは約20分で走り抜けることができたので、まだまだスタミナのある自分に驚いた次第です。

 マラソンが終わり帰宅すると、いつものように愛犬が散歩をいまかいまかと待っています。
その後は案の定、日課の10kmを再度走破する羽目に・・・今日も筋肉痛で歩くと痛い状況です(^_^;
もういっその事、来年はハーフマラソンに出場しようかと考えている今日この頃です・・・
 
    サルと河童も参加しています         競技後はバザーで一腹 

第27回ふくやまマラソン競技場出入口

     10kmコースのスタート

      10km記録認定書
2008年3月14日(金)
ワカメの収穫期。

 12日(水)は、朝から岩﨑会長が忙しそうにバタバタしておりました。
というのも、この季節は生ワカメの収穫時期。特大サイズのビニール袋を5袋満杯にして漁港から勇ましく持って帰ってまいりました。
 早速、本社社員への分配が始まり、午後からは工場へ持ち込み女性社員と一緒に社員や出入り業者様への配分作業。
みんなこの時期の生ワカメや生海苔を楽しみにしてくれており、会社帰りに喜んで持って帰ってくれました。今朝採れたばかりの生ワカメ(特にワカメの茎がうまい!)を”サッ”と湯通しすればきれいな真緑に変わり、そのまま刺身として食べれば最高の晩酌になります。残ったワカメはそのまま冷凍にしておけばいつでも調理可能な万能食材です。
旬の海産物収穫時にタイミングよく来社されれば、是非おすそ分け致しますので。

 岩﨑会長はワカメ養殖以外にも、過去にカキ・海苔の養殖。刺網漁ではワタリ蟹・車海老・蛸・アナゴ・鯛・チヌ・セイゴ・メバル・キスなどの漁獲もしている古い代からの地元漁業組合員でもあります。今週は警戒船での出動や、先月には地元漁業組合の水産まつりが行われ、一般来場者向け(社員もよく来ます)の焼きカキや生海苔汁などの無料サービスや海産物販売の準備に追われていました。
いつもこまめに動き回る岩崎会長には本当に頭が下がる思いです。いつまでも元気な姿で社員を見守っていてほしいばかりです。
 これからの瀬戸内海では、丸々太った花見ガレイが旬になってまいります。春に向かい暖かくなり始める時期なので、のんびり広島湾での釣りはいかがでしょうか?ゆっくりくつろげてお勧めです。

 また、12日(水)のワカメを配った日、小生はあまり嬉しくない?回目の誕生日を迎えてしまいました。20代までは何とも思わなかった歳の事ですが、この頃は歳をとる度に憂鬱気味です。しかし、考えてみれば社会的責任ある年代でもあり、子育てでも最も重要な進学時期もあり、きっと一生を振り返ったときに間違いなく公私共々一番旬な年齢期だと思いますので、過去を振り返ったときに後悔だけはしないように何でもポジティブに捉えてまいろうと誓う次第です。

2008年3月7日(金)
2007年度計画の表彰式。
 3月5日(水)、北広島工場にて全体集会を開催し、2007年度計画の表彰式を行いました。
その結果、
*最優秀賞は、二年連続で設計部が受賞。
*特別賞は、D/Lグループの三戸さん・橋本さん・吉川さんと、設備開発室の風本さんが受賞。
*努力賞は、製缶グループの木戸さん・池田さんが受賞。
 受賞した取組みにおきまして、高い達成率と前年比140%以上の結果を出してくれており、一年間の頑張りとご苦労に心より感謝申し上げます。また、他グループの取り組みにおいても、次点で惜しくも受賞を逃したグループもあり、是非とも今期での挽回を期待している次第です。
 とはいっても、最終的に弊社を総合評価されるのはお客様。この年度計画が弊社の独りよがりにならないように、お客様に色々な面で貢献でき、ご満足いただけるように粘り強く今期も展開してまいります。お客様におかれましては、弊社の至らない部分については遠慮なく、ご身近の弊社社員にお申し付けくださいますよう宜しくお願い申し上げます。

 今日、本社サイドでは町内清掃活動の日でした。
スタートした二年前に比べると、随分と様になり定着してきたように思います。
町内清掃を初めた頃には、タバコの吸殻や各種ゴミなどでゴミ袋一杯になっておりましたが、今では半分にも満たなくなりました。少なからずともご通行の方が気を遣い始めてきてくれているお蔭ではないかと思ったりします。
地域社会に貢献できる弊社の小さな活動ではありますが、町が少しでも清潔に保てるように今後も継続してまいります(^_^)
 
      第一清掃班清掃中              第二清掃班清掃中

    最優秀賞・設計部の面々

       清掃活動の始礼

       清掃活動の終礼
2008年3月1日(土)
天璋院篤姫。
 昨年の大河ドラマ「風林火山」は、軍師”山本勘助”を中心とした奇抜な脚本構成に興味津々でした。
そして今年の大河ドラマ「篤姫」はというと、いつも幕末でお馴染みな顔ぶれ達が主役ではなく、徳川家の存亡を架けて最後まで忠義を貫き通した女性からの戦が描かれており、これも興味津々な脚本となっております。
 この篤姫様の波乱万丈な人生を拝見していると、お家永続ため一生懸命支え続ける姿に、いつも共感と熱いものが込み上げてまいります。特に、主君や親を想う忠義には、現代人が忘れかけている大事なことを教えてくれます。

 原作である宮尾登美子著「天璋院篤姫」に目を通してみると、加賀前田家に次いで、全国二番目の大大名である薩摩島津家七十七万石の存在の大きさを改めて感じます。徳川三代将軍家光以来、常に宮家や公家から正室を迎えていた中で、十一代家斉と十三代家定の時だけ武家大名から正室を迎え入れていますが、それは共に島津家のみからであり、将軍家との絆の強さを伺い知る事が出来ます。
 その篤姫は、島津四分家で一番格下の今和泉家の長女として生まれますが、たぐいまれな才覚を見込まれ島津総本家の養女に迎えられ、そこから義父・島津斉彬指令のもと政略の役目として将軍家に嫁ぎ、最高位の御台所に出世してまいります。
しかし、ここから激動の幕末に突入し、郷土の西郷・大久保の倒幕派を敵に回して、波乱万丈の人生が始まってゆきます。

 ドラマのワンシーンで、篤姫の幼い頃からの教育係である老女菊本が自害をして果てます。菊本は、将来、篤姫が将軍家御台所の器量を備えられている資質を解き、自分のような下士の出で非才の者が教育係であったことが解ってはならぬと判断し、篤姫を想うがあまり生涯の罪によってこれまでの記憶から消え去ることを選択します。
 そして、篤姫が島津本家に養女として迎え入れられる直前、死を決心した菊本が篤姫に対し、素晴らしい言葉を贈られています。
気弱になっていた篤姫に対し、「女の道は一本道にございます。さだめに背き、引き返すは恥にございます」と一喝します。
女の覚悟をきっぱりとを言い切った名言は、その後、篤姫への生涯の形見言葉となります。

 驚天動地の幕末の中で、薩摩で自由奔放に育てられてきた篤姫ですが、立身出世していくごとに揺れ動く女性ならではの弱い部分から、お家のため気丈に振舞い成長していく女性の強い部分が見事に気持ちよく描写されているドラマだと思います。
壁にぶち当たり思い悩んでいる女性が見れば、きっと勇気と心の栄養をもらえると思います。

      梅が七分咲きです

       春までもうじきです
2008年2月23日(土)
イージス艦と漁船の衝突事故。
 ”なだしお”以来の痛ましい海難事故が発生し、国の責任においても大きな波紋をよんでいるようです。
漁船の親子の行方は依然不明となっておりますが、一日も早い発見をお祈り申し上げるばかりです。

 今回の海難事故は、海上自衛隊の最新鋭イージス艦ということで、大きな物議をもたらしております。
これだけのハイテク装備を持ちながらも、結局は”人間の判断違いから事故は起こるもの”という事をあらためて教えられました。
 小生も、小型4級船舶をもっております。今回の衝突から思うことは、”お互いの慢心”から招いた事故であると認識しています。
通常、海技学校で航路教育を受けると、「大型船が優先で、大型船は直ぐに止まれない・直ぐ舵が効かないので、小型船に回避義務がある」という事を教わります。
 それを考えると、今回の小型漁船数隻がイージス艦の前を”際どいタイミングで横切ったり”したことは、法規上からすると違法だと思います。転覆した漁船は、横切りが途中ムリだと考え舵を切り回避したのでしょうが、その時点で船は接近しすぎていたように思いますので、無理をしたがために発生した事故だと思います。
一方、イージス艦においても、小型船に避ける義務があるので、”回避してくれるだろう”という慢心があったため、スピードを減速せずに進行して行ったのだと思われます。
 現在、マスコミは漁師親子の視点に立ってイージス艦側の責任問題を過剰に煽り立てていますので、国側も弁解せず謝罪を繰り返しております。しかし、この後からの海難裁判は法規にのっとって長引く事が予想されます。今回の話題性で煽り立てたマスコミは、今後の成り行きに責任を持ち続けてくれるのでしょうか?

 小生も、宇品港に発着する多くのフェリーや貨物船などの前を船で横切る時には、今回の事故の気持ちはよく理解できます。スピードを維持して前を横切るか?減速するか?舵を切って回避するか?いつも気持ちのよいものではありません。しかし、海には道路も信号機もなく気分も大きくなるので、やはり慢心になりがちなのです。
 実は、個人的にも血の気がサーッと引いた出来事が二度ほどあります。
広島湾といえばカキ筏が有名で、あちらこちらでカキの養殖がされています。
1度目は、夜間走行中にカキ筏が見えず、カキ筏の存在に目前で気付き、急遽後進にレバーを入れスクリューを全快で逆回転。若干減速した状態で正面からカキ筏に突進しましたが、なんとか船を跳ね返されて済みました。
2度目は、昼間走行中でしたが、カキ筏とカキ筏を繋ぐ長いワイヤーロープが海中浅く引っ張ってあることに気付かず、これも目前で急遽後進にレーバーを入れスクリューを全快で逆回転。そのうえで、ワイヤーロープ上通過時にスクリューを停止。そのときは多分、舵にワイヤーロープが引っかかり、船を跳ね返されて済みました。(ワイヤーロープが船底を通過するのが見えたときは祈る想いでした)
 2度とも、一歩間違えると血の気が引くほどの出来事で、海には昼夜問わず様々な危険が潜んでいる恐ろしさを身をもって経験した次第であります。多分船乗りの方であれば、これまで様々な経験があると思われますが・・・
”海をなめたらあかんぜよー”の教訓事例からでした(・_・;
2008年2月14日(木)
足の親指を負傷 (>_<;
 もう2週間前になるのですが、夜の日課である愛犬とのランニング中、障害物も何もないところで突然足をとられ転倒。
何に引っかかったのだろう?と、見てみると、段ボール箱を梱包するときの使用済みナイロンロープの輪が落ちていました。どうやらその輪に両足を取られて転倒したようです。(なにやら罠に引っかかった獣の気持ちがよく分かったような気がします)
 その後、右足親指が腫れ激痛がはしるため、近くの整形外科でレントゲン検査を受けました。が、先生は「レントゲンを見る限りでは大丈夫そうだが、解りにくい部位のため一週間しても痛みと腫れが続けば、ヒビか折れているでしょう」との診断で、痛み止めと塗り薬を頂きました。(なんともあいまいな返答です)
 それからも腫れと痛みは一週間以上続き親指が曲がらない状態だったので、2件目の総合病院に変更し、再レントゲン撮影をしてもらうと、先生は「ヒビが入ってますな。ホラ」と、写真を見せてもらうと”くっきり割れて”いるではありませんか!!
先生は「ここまで骨も何とかずれていないようなので、もう指の固定をしておかなくても大丈夫でしょう。でも、早く来ればいいものを、よくここまでほっときましたね」と呆れられました(*_*;
 近年、医療ミス・誤診・緊急事態での受け入れ拒絶や、今回のような身近なことでも病院の話題性は尽きないようです。
実は、2件目の病院での初診受付でも、「整形外科への新たな診察登録するまでもなく、過去受診されている皮膚科でレントゲンを撮って診てもらいましょうか?などと、訳の分からない事を言われる始末」。
 医療機関の人材不足や、もちろん様々な課題や規制もあるのでしょうが、まずは病院の都合を患者に押し付けるのではなく、患者の立場に立っての診療が行われるように、是非レベルアップを図ってもらいたいと感じた次第です。(ただ1件目のような手抜き診断にはそれ以前の技術レベルを疑いますが・・・)

 足を負傷してからというもの、もうかれこれ約2週間愛犬とのランニングも途絶えております。
今年の目標である10Kmマラソンに向けて3月出場を予定しているのですが、想定外のアクシデントに少々焦っております。しかしながら、楽しみにしている事だけにどんなことがあっても調整して出場したいと思っております。

13日朝 薄っすら雪化粧(似島を望む)

      左側に宮島を望む
2008年2月6日(水)
毒入り餃子事件。
 この一週間、連日のように毒入り餃子事件の話題で持ちきりです。
日中政府で、事件解明にむけ全力を挙げているようですが、どこからどこまでが真実なのか?真相は深まるばかりです。

 実際には、最初の毒入り餃子が発覚してからは約1ヶ月が経過しているそうです。それから今頃になって、袋に穴が開いていたのでそこから毒が混入したのでは?袋に毒が付着していた?ギョーザの皮に毒が?別の種類の毒が?など・・・。次々に真相は深まり、結局、事件の責任は日本側にもあるような方向にも移ってきておりますが、果たしてそうなのでしょうか?
 ギョウザに混入していたメタミドホスという農薬は、中国で広く使用されており、過去多く人的被害が出ています。逆に日本では使用されておりませんので、あきらかに中国での可能性の方が大きいと思われます。 しかし、そこから次々と原因が摩り替わり日本側への問題が増え、一方、発端である中国側への責任追求が薄くなっているのは、日本外交力の弱さか?または、事を沈静化させたいがための、両国の時間稼ぎなのか?
 日本政府は、まず国民の目線に立ち、食の安全について毅然とした態度で中国政府との交渉を進めて頂きたいものです。

 中国は近年、目覚しい経済発展を第一優先にしてきたため、自然環境・安全・格差の諸問題を犠牲にしてきました。そのため、今回の日本に限らず、すでに工業製品や薬品や食品など数々の危険製品が海外でも明るみに出てきております。
今年のオリンピック開催国としても、面子を保ち不安要素を取り除くために情報統制をせざるを得ないのは理解できるのですが、長い目で見ると人道性がまだまだ尊重されていない国であるため、結果的に「仏を作って魂入れず」の悪循環になっているような気がします。
 いずれにしましても、五輪開催国で近年これほど不安要素の多い国は初めてですが、これを契機にアジアの大国として、安定した民主国家を歩んでいってもらいたいものです。

 写真は、北広島工場近くの土師ダムです。
前回、ダム渇水の写真をアップしていましたが、1月からの積雪で水量が回復してきております(^ ^)

 積雪で水位が回復してきております

     カヌーも出来そうです
2008年1月29日(火)
2008年の経済見通し。

 ということで先日、著名な経済学者である田村正勝様の講演会が催されました。
今年の見通しは、一言でいうと「円高減速でも格差是正で安定化へ」という事だそうです。
 マクロ的に観ると、福田政権誕生と参議院自民大敗によるねじれ国会により、将来の日本経済は安定的な方向に向かい、これまでの小泉政権の市場原理主義社会から共助共栄社会に移り変わってゆくとの見方をされています。
 景気は今年減速するが、その減速と、地域間格差の是正策とが次第に消費および経済社会の安定をもたらし、全体として1~2%成長の「定常的な安定経済」に向かうそうです。また、自民党は地方の一人区で惨敗したために地方の再生と格差是正に力を入れていくとの事です。確かに福田新内閣の所信表明でも、地方活性化による格差是正や中小企業支援強化などを柱に挙げておられますが、その反面、小さな政府を目指した小泉改革路線から、再び従来型のバラマキ路線へ逆戻りすることも懸念され、海外投資家の日本売りも出始めている事は依然不信感の方が大きいのでしょう。
 テレビ・マスコミ等の今年の日本経済の行方はというと、原油高・原材料高や、サブプライム問題から端を発した金融問題で株安・円高に向かい、減速してゆくであろうという見方が大半を締めているようですが、いずれにしても有識者の方々がその言葉に責任を負ってくれる訳でもなく、最後はそれぞれ私達の判断次第。ということで情報は情報としてしっかりと捉えて適切な判断をしてまいりたいものです。

 写真は、本日、広島グランドプリンスホテルにてマツダ様主催の協力メーカーに対する一足早い「新型アテンザお披露目発表会」からです。
2002年から始まったマツダの新コンセプト「ZoomZoom」の第一弾はアテンザからスタートしました。それから新商品群が一巡して、満を持しての新型アテンザの発表です。マツダの切り札的車だけにコダワリと意気込みが伝わってくる素晴らしい出来栄えの車でした。


      マツダ新車発表会

       新型 ATENZA
2008年1月20日(日)
広島県北部は久しぶりの積雪です。
 先週から全国的に”やっと”冬らしく冷え込んでまいりました。広島県北部でもようやく積雪があり、これで心配されていた水不足も一時的には解消されそうで一安心です。
 北広島町のスキー場でも50cm~80cmぐらいの積雪量になっており、スキー関係者の方におかれてもようやく”ホッ”と一息つけたように思います。(とはいってもこれまで1m~2mの積雪が当り前なのでしたが・・・)
ここ数年、地球温暖化による雪不足でスキー場の経営環境も悪化しており、昨年も2つのスキー場が他レジャー会社に買収されております。目まぐるしく変化する季節産業の運営の難しさをあらためて痛感させられます。
 小生はと言えば、20代独身時代の時には怖いもの知らずでスキーにはよく出かけておりました。が、30代を過ぎると、”子供”と”寒さ”と”コブ斜面への恐怖心”などなど、軟弱な理由から足が遠のいており、スキー場に貢献できておりません・・・
 
 その反面、約1年半経った犬の散歩が、今ではランニングに発展し、昨年には宮島クロスカントリーマラソンに初出場致しました。
総勢1100名くらいの参加者が、3Km・6Km・10Kmそれぞれのコースに男女別に分かれ、各年代別順位を争います。
いよいよスタートラインに集合し、周りのランナーを見渡してみると、ボディーフィットしたマラソンスーツを身にまとい、研ぎ澄まされた肉体の方ばかり。小生はというとジャージの上下で少々気遅れがち(*_*;
しかしながら日頃のペースで勝負して自分の立ち位置がどれくらいであるかが分かる絶好のチャンス。
 結果はというと、6Kmのコース出場でタイムが約27分。クラス別順位が180人中54番でありました。クロスカントリーなのでアップダウンもあり予想以上に苦しかったのですが、思いのほか意外に頑張れたので、ある程度自信がついた次第です(^ー^)
 宮島マラソンは毎年開催で今年が30回目ぐらいだったと思います。北は北海道から南は鹿児島までの方もエントリーされておりました。マラソン出場料を払えば、地元ボランティア団体の方々のご協力により、マラソン後の温泉入浴や旬のカキ汁・ミカン・記念Tシャツの無料配布などもあり、マラソンコースも世界遺産である厳島の紅葉谷や海沿いの景観を見ながら走れる贅沢なコースなので、充実感一杯の一日でした。
また、タイムに関係なく”参加と完走”に本来の意義があるので、初心者はもちろんの事、80歳代の女性までもが参加されているので笑顔の耐えない温かい大会でした。
 個人的には、次に10Kmコース出場を目指して頑張ろうと思っております。