潟Cワサキの過去・現在・未来へ!

”モノづくり4代”
                                         代表取締役社長 岩崎俊之

 潟Cワサキの歴史は大正15年にさかのぼります。
初代創業者の岩崎亀之助が味付海苔のブリキ缶を作る岩崎製缶を設立いたしました。
2代目の為美も設立当初より、一緒に仕事を手伝い始めております。

もともと、亀之助は、呉の海軍工廠で大砲の弾を作るために、イギリスにも技術研修に行ったほどの技術屋で、大変厳格な人だった事を聞かされております。
イワサキの現在は、そこが原点となり、モノづくりの息吹が今日に至っております。

3代目の昭雄は昭和ひと桁に生まれております。
ちょうど、世の中は官史(役人・国家公務員)の減俸が実施されたほどの不況の最中で、民間企業では、給料が半分に減給されたり、出社に及ばずと通達を受けるものが続出していました。
その当時は、まだ会社も10年未満であり、不況の世の中で岩崎製缶をやり続けるのは、大変だったと思われます。

その後、岩崎製缶も太平洋戦争の余波を受け、工場の機械を全て軍へ供給する事となりました。
工場の中は、空っぽになり缶を作りたくても作れない状態になりました。
為美の落胆する姿を目のあたりにして、昭雄は岩崎製缶を再建しようと心に誓ったそうです。

昭雄は学校を卒業と同時に、家業を助けるために、金型の会社に入社しております。
製缶というのは、金型を調達するのが一番大変で、会社も広島に数軒しか無かったとのことです。

その会社に7年間勤めた後、岩崎製缶に戻り、鉄工部門として岩崎製作所を設立しました。
会社がスタートをしてまもなく三菱の工作機械の部品加工と金型作りを平行して昭和39年まで続けております。
戦後、食べるのが精一杯なときもありましたが、誰もが夢を持ち前向きに生きようとしていた時代でもあります。

当時の金型製作は、徹夜作業になる事も多く、作業の騒音で近所に迷惑をかけてしまう事も少なくありませんでした。
現本社の位置する旭町は住宅地であったため、早急に工場を移転する必要性が出てきました。
その後、千代田町(北広島町)に工場を移転する事となります。
30年代の後半からは景気の影響で受注が落込んだ時期もあり、その頃から北広島工場を建てた頃までが一番苦しい時代、転換期だったとの事です。

そのような時代背景の中で、昭和36年ごろから少しずつ手がけていた自動車の金型作りがマツダ様の伸びと共に本格的に拡大してまいりました。
日本は高度成長期に突入し、自動車の大量生産も本格化してきた時代です。
工場を移転したくらいからのタイミングなので、運にも恵まれていたともいえます。
その頃から本格的に仕事を金型にシフトし始めております。

小生が生まれましたのも、丁度その時期で 東京オリンピックや大阪万博などが開催された頃の時代です。
小生が学校を卒業するくらいの時には、金型作りの品質要求が年々厳しくなるとともにCAD/CAMによるデータ化の時代に突入し始めておりました。
将来の、CAD/CAM時代の到来に備え、昭雄からの要請のもと関東のコンピュータメーカーで5年間程、修行をさせて頂きました。
平成6年に株式会社イワサキに入社し、各現場で経験を積ませて頂き、平成15年に小生で4代目の代表取締役就任に至っております。

日本の近代の過去から現在を振り返りますと、戦後の廃墟から世界トップクラスの経済成長を果たしております。
資源の恵まれない日本が、ここまで成長できましたのも、強いモノづくり産業が牽引してきたといっても過言でもありません。
日本は高度経済成長を果たしたあと、90年代のバブル崩壊などで、幾多の浮き沈みもありましたが、再び日本の強いモノづくり産業に脚光が当り始めました。

21世紀に突入し、これから未来に求められる課題は、間違いなく地球に優しいエコ環境作りでしょう。
新興国家のBRICsの台頭で大量消費時代の到来も予測されます。
そのためには、限りある資源を有効活用しながら、新時代に対応する新技術開発は必要不可欠な要素となります。
国内では多品種少量生産が主流になっておりますが、今後は各国でも多様化の時代を向かえ、その様なニーズに変わってくる事も予想されます。
いずれにしましてもモノづくりの多様化にも金型が必要不可欠な存在であることは言うまでもございません。

そのような時代が予測される中で、弊社ではお客様の多様なニーズにいち早い対応を心がけ、市場にいつも必要な存在でありたいと願っております。
これからのイワサキも未来へ向かって、品質・環境方針を掲げ、いつも果敢にチャレンジする「モノづくり(志)4代目集団」でありたいと心掛けてまいります。
その為には、全社員で夢を共有し、お客様、社員、会社、社会がいつも豊かで在れる様に、ひとつひとつのご縁を大切にしながら、努力していきたいと考えております。

最後になりますが、これまでお世話になりました皆様方のご愛顧ご厚情に心より感謝申し上げますとともに、今後ともいっそうのお引き立てを宜しくお願い申し上げます。
末筆ながら、皆様の今後ますますのご健勝をお祈り申し上げまして、まずは略儀ながら御礼申し上げます。
                                                        
                                                                敬具

過去のスナップ写真




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北広島工場は、広島県の北部に位置しており、広島中心地からは50分、もう一走りすれば島根県に入ります。
広島の北の玄関口として、千代田JCTがあり、東は大阪、西は九州、南は広島、北は島根につながる北の交通拠点となっております。

北広島町は自然と文化が豊かな土地柄で、冬は雪が降り、中国地方でも有数のスキー場が数多く点在しております。
工場前の可愛川は江の川水系で水量も豊富です。島根県をつたい日本海に流れ出ます。
上流に近く、天然記念物のオオサンショウウオやヤマメ・アユも多く生態しております。
6月頃は、ホタルが散舞し、工場裏の農業用水路でもホタルを見ることも出来ます。

また、神楽の里と言われているほど神楽の盛んな土地柄であり、弊社の社員も数多く団員に在籍しております。
春には、田植えの豊作を祝う「壬生の花田植え」があり、このお祭りは国の重要無形民族文化財に指定されております。

四季折々の自然・文化が今も息づいている土地柄と、そこで育まれた人情が私たちの財産でもあります。
いつまでも、この豊かな土地柄を大切にし、地域に貢献できる企業でありたいと願っております。



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